第七十四話
ルガルドは広げていた羽を閉じ、人間の姿へ擬態しながら地面に降りた。一足先に着地した聖剣使いがギアドルに『流星群』をぶち込んでいるのを眺めて、つい先日の自分を思い出してうっかり同情心が湧きそうになった。
あの容赦のなさと割り切りの強さは、人族としては異質だ。
他者へ暴力を行使するとき、ルガルドは気分的な高揚が必要になる。心の中でスイッチを入れなければ加害に踏み切れない……とでもいうべきか。魔族である以上は実力主義的な側面が強いとルガルドは自分でも思うが、だからといって素のテンションで他人を殴れるかというと、そういうわけではない。
暴力には理屈や目的や建前が必要だ。
神楽坂千鶴に対して挑発したのも、彼女の実力を確かめるためもあったが、己の気分をアゲるためでもあった。
それが――あの聖剣使いはどうだ。
にこやかに話をしていた瞬間と全く同じ調子で、魔族に無数の『流星』をぶち込んで戦闘不能にしている。情け容赦ない……いや、容赦しなければ殺しているだろうから手加減はしているのだろうが、情というものが一切ない攻撃だ。
憎しみも怒りも使命感もなく、単に必要だと判断したから、気分の上下なんて必要なしに他人をボロクソになるまで加害している。
アスファルトにめり込んだ状態で『流星』が撃ち込まれまくるギアドルは、たぶん最初の二発くらいで戦意喪失していたはずだ。その後の『流星』は確実に行動不能にするためだけの作業。
腕を折り、足を折り、あばらを折り、鎖骨を折り、手指を砕き、全身にダメージを与えて逃走すら許さない状態に。
聖剣使いは『放っておけば数時間後には死ぬかも知れない』くらいの有様になったギアドルの首根っこを掴み、少し離れた位置でドン引きしているルガルドに振り向いてから、先程と同じ笑みを浮かべた。
「おっ、擬態もスムーズだね。やっぱり人の社会に混じるのに慣れてる――って、それはまあいいや。もう一人の方に行こうか」
にこにこと朗らかに笑いながら、瀕死のギアドルを引きずって走り出す聖剣使い。ルガルドがどう思うか、どう答えるか、どう反応するかなど、まるで考慮していないようだ。おそらく、そもそもルガルドに興味がないのだろう。
かつて魔王を倒したとかいう魔族の天敵が、まるでこちらに興味を示していないというのは、なんとも皮肉なものだ。もしかするとギルゲイルのことでさえ、面倒だな、というくらいの感慨しかないのかも知れない。
行こうか、と言いつつ一人でさっさと移動する聖剣使いを追い、ルガルドも魔砲撃の射手バルガスがいた場所へ。
どうやら狙撃ポイントに民家の屋根上を選んだらしく、バルガスはそこからすぐ近くの路地裏に連行され、両手両足を岩に固められた状態でアスファルトの上に転がっていた。最後に見たのがいつだったのかを正確には覚えていないが、ギルゲイルより歳が若いはずなのに人間で言えば四十前後くらいの老け顔は、記憶の通りだ。
ギアドルもそうだったが、バルガスの方もかつては「魔族の誇りが」だとか「魔王様が存命であれば」だとか愚痴っぽかったのを覚えている。
それが、両手両足を岩に覆われた状態で地面に転がされているのは、同情こそしなかったが、ひどく奇妙な気分にはなった。
人族よりもずっと強いはずの魔族。
なのに、こうして人族に敗北している。
「ほいっと」
聖剣使いがそんなバルガスの隣に撲殺死体三歩手前くらいのギアドルを放り投げ、木刀を肩に担いでいる早坂透にとびっきりの笑顔を見せた。
「トール、トール、ちゃんと生かして連れて来たよ。偉いでしょ」
ふふん、と胸を張る聖剣使いに、早坂は微妙そうな顔をしてから、首を縦に動かした。その早坂の近くに控えているのは、真贋判定の舞阪……そして、バルガスの両手両足を岩で封じたであろう相馬賢吾。
「どうして、貴様らが……っ!?」
ギアドルとは違ってバルガスの方はまだ喋る元気が残っているらしく、首だけ動かして早坂を睨みながら、憎しみを煮詰めたような声音でそんなことを言った。
「あー……おまえ、こいつらのことは知ってんのか?」
と、早坂はバルガスの問いを完全に無視し、ルガルドに言った。ついでとばかりに地面に転がっている短い杖を拾い上げ、じろじろと眺めている。バルガスが『魔砲撃』を放つのに使っていた魔術媒介だろう。
「聖剣使いがボコしたのがギアドル。ソーマが岩で四肢を封じたのがバルガス。ギルゲイルと一緒に消えたやつらのうち二人だ」
「ふぅん。ガギグゲゴの手下は、あと何人だ?」
「ガギ……ああ、あと四人いるはずだ。仲間内で殺し合ったりしてなきゃな」
「シロ」
横から言ったのは真贋判定の舞阪。これに早坂はまた「ふぅん」と頷き、バルガスの杖を腰の魔法鞄に収納してから、右手の木刀で瀕死のギアドルを軽く小突いた。
がはっ、とギアドルの口から痛苦の音が洩れる。舞阪がこれに少しだけ顔をしかめたが、相馬と聖剣使いは無反応だった。
「貴様ッ! 汚らわしい人間が、なにをする――!?」
「質問、かな。拷問でもいいけど。あー……でも、そうか。おまえらには約束の方がいいのか。『お互いの質問に、交互に答える』でどうだ?」
ごくごく普通の調子で言う早坂。
捕らえた魔族と瀕死の魔族を前にして、心がまるで揺れていない。むしろかったるそうですらある、その様子に――ルガルドは我知らず、息を呑んでしまった。
ただの人間のはずだ。
ついこの間まで、探索者ですらなかった、D級ダンジョンの掃除屋でしかなかったはずの男だ。なのにどうして、こんなにも落ち着いているのか。
「なにを言っている……?」
バルガスが怪訝そうに眉を寄せる。
次の瞬間、早坂は木刀でギアドルの脚を打ち据えた。既に折れている脚を、本当に全く躊躇なく、それなりの強さで。
「ィギ――ッ!?」
「おい! 貴様なにをやって……!?」
当然のように洩れる痛苦の声。焦るバルガス。さらに早坂は無言のまま木刀をもう一振りし、とっくにあらぬ方向へ曲がっている脚の関節をひとつ増やした。
あっ、こいつキレてんのか――と、ルガルドはようやく悟る。
半ば反射的に周辺を『結界』で囲い、外から中への認識を阻害しておく。ここから先、どんな悲鳴が響くか知れたものではないと思ったからだ。
「そっちがひとつ答えたら、こっちがひとつ答える。『お互いの質問に、交互に答える』だ。それでいいか?」
問いというよりは、確認。
バルガスは頷くしかない。
頷いてしまった以上――それはもう、魔族としての契約だ。
「じゃあ質問。おまえらはギルゲイルの命令で俺の周りのやつを狙いに来たのか?」
「そ……そうだ。貴様らはどうして今ここにいる。配信をしていたはずだろう」
「二時間くらい遅延させてた。公開範囲を限定してライブ配信した映像を、時間差でライブ配信として一般公開させた。ギルゲイルは何処にいる?」
「知らぬ。聖剣使いを従えている貴様……早坂透といったな。貴様の周囲に被害を出すことで貴様らを人族の社会から抓み出せるとギルゲイルは考えた。上手くすれば人族の公的機関が、貴様らの行動を縛ることができるかも知れん、と」
そういう狙いがあったのか、とルガルドは素直に感心してしまった。
確かに早坂透が人間社会の中で生きている以上、社会的束縛は受けなければならない。そんなものは誰だってそうなのだが、その束縛を強固にしてしまえば、身動きは取り難くなる。つまりはよっぽど聖剣使いを恐れている、ということだ。
「貴様は配信の遅延などという小細工をしてまで、我らの襲撃を誘った……ギルゲイルによる襲撃を予測していた、ということか……?」
「あー、まあ、本人は来なかったけどな。隙を見せりゃ襲って来ると思ってた。ギルゲイルと一緒に魔族の集団から抜け出したやつらは、ギルゲイルの部下って認識でいいのか? おまえらはギルゲイルの配下ってことか?」
「違う。目的を同じくする同志だ。知恵が回るギルゲイルの意見を聞くことは多いが、配下というわけではない。どうして襲撃を予測できた?」
「俺が敵だったらそいつには絶対近づきたくねーから」
早坂の視線が聖剣使いへ向けられる。当の本人はきょとんと首を傾げて早坂の言葉に疑問符を浮かべているだけだが、黒竜を五秒で屠った配信や、現在のこの有様を考えるなら、ギルゲイルがそう判断したとしても全くおかしくない。
いや、むしろ当然だろう。
ルガルドには今の今までピンと来ていなかったが……たぶん、ギルゲイルは『聖剣使い』が配信された瞬間には、絶対に彼女と真正面からやり合わないように動くと決意したはずだ。まともに相手をするには、あまりに逸脱しすぎている。
「あー、こっちの質問がまだか。配下じゃない、居場所は知らない、だけど意見は聞く……おまえら、ギルゲイルとなにかしらの『誓約』を結んでるのか?」
「そんなものは結んでいない」
「クロ」
即座に舞阪が断言した瞬間、ゴッ、という鈍い音がした。ギアドルの脇腹を早坂が木刀でぶん殴ったのだ。
「なにをする!?」
「交互に答えるとは言ったけど嘘は禁止なんて言ってねーもんな。なにをする、ってのが質問か。嫌がらせだ。仲間痛めつけられるの、嫌なんだろ。じゃあこっちの質問だな。おまえらの目的はなんだ?」
「魔族の復権だ! 我らを殺すつもりなのか!?」
「さあ、どうだろうな。今後の態度次第だろ。どうしても殺したくないわけじゃないんだぜ。人の隣人ブチ殺してこっち追い詰めようとしたやつらにかける情けとかあるわけねぇだろ。ナメてんのか?」
ぞわり、と背筋を這うナニカ。
聖剣使いにボコボコにされたときでさえ感じなかった悪寒を、ルガルドは早坂の無表情を見て、感じてしまう。
この男は――その気になったなら、誰であろうがなんであろうが斬り伏せるのではないか。どのようななにであろうが関係なく。
「ナメて……など、いない……。判った。理解した。知っていることを話す。ギアドルを……助けるつもりは、あるか?」
声音に明確な怯えが混ざった。
ルガルドが感じた悪寒と同じようなものを、バルガスも感じたのだ。自分たちが死ぬだけならば、その覚悟はできているだろうが……この男は、それだけで済ませてくれるのだろうか? たぶん、そう思ってしまった。
「さあ、どうだろうな。どうしても殺したいってわけでもないぜ。面倒だし。魔族の復権ってのは、具体的にはなんだ?」
「――魔王様の復活だ!」
言った瞬間、バルガスの身体から魔力が抜けていくのが判った。
風船が萎んでいくような、瑞々しい野菜が古くなっていくような、エネルギーというものが急速に失われるのが、傍目にもはっきりと理解できる。
本能的な忌避感がルガルドの胸中を襲うが、歯を食いしばって堪えた。バルガスがなんらかの契約を破ったのだと判るが……だとすれば、ギルゲイルとの契約か?
「シロ。嘘を吐いていない」
うんざりしたように舞阪が言う。相馬はポーカーフェイスを保っていたが、早坂の方は呆れ顔になっていた。
聖剣使いは――また、きょとんと首を傾げた。
「まおうのふっかつ? 魔王って、あの魔王? ユーガルム・ガルグロア? だったら、ボクが殺したけど?」
配慮というものがまるでない言い草だったが、魔族を慮るつもりも必要も、端からないのだろう。萎びたバルガスがそんな聖剣使いに乾いた笑みで返す。
「そんなことは判っている。ティリエアル――貴様が魔王様を殺した。その後、貴様がどうなったのかを我らは知っているぞ。王国に裏切られ、人族に追いやられ、最期はエルフの森で消息不明、だったか」
「その名前でボクを呼ぶな」
冷えた声音。
もちろん聖剣使いの一触即発の雰囲気は恐ろしかった。過去になにかがあったらしいのは、鈍いルガルドでもなんとなくは察せられる。
しかし……早坂よりマシだ。
確かに聖剣使いは、些細な気まぐれでバルガスを即殺できるだろう。ルガルドが相手でも同じことだ。ひょっとするとギルゲイルですら、少しの時間だけ拮抗するのが関の山かも知れない。だが、それだけだ。
こちらが殺されれば、それでたぶん終わる。
早坂は……たぶん、終わらせてくれない。
「続けろよ」
と、聖剣使いとバルガスの間に移動して、早坂が言う。一瞬だけ聖剣使いが悲痛そうな表情を浮かべたが、早坂は小さく肩を竦めて、聖剣使いから視線を切った。バルガスに向き合うために。
「……我らも半信半疑ではあった。その『聖剣』が魂に干渉する神話級の武器であることは察していたが、ティ……聖剣使いが蘇ったのを知って、確信に変わった。神話級の道具は神域に届く。魔王様の復活も、あるいは……」
「違ぇよ。そっちの番だ。交互に答える」
冥土の土産とばかりの、諦念混じりのバルガスの独白だったのに――まるで頓着せず、早坂は言う。あまりにもばっさりと話を切られたせいか、バルガスの眉が驚きの形に上がるのが判った。
それはそうだろう、ひどく重要な話をしていたはずだ。
なのに――どうでもいい、みたいに。
「……早坂。貴様は、聖剣使いの過去を、知らぬのか?」
「知らねぇよ。どうしても知りたいってほどでもねーし。聞いて欲しいってんなら本人が言うだろ。言いたくないなら訊く気もねぇよ」
「トール……」
なにかしらの感激を含んだ聖剣使いの視線は、しかし背中を向けている早坂とは交差しない。こいつらしい気遣いだな、という気もしたし、こいつらしいノンデリだよな、という気も同時にした。
ルガルドとしては……早坂透のことが、ちょっとだけ好きになった。
過去なんてどうでもいい、と。
過去に縛られた旧世代に育てられたルガルドだって、そう思っていた。そう思いながらも、自由を得るために仲間の元から離れる道は選ばなかった。
というような感慨はもちろん早坂には伝わっていないので、早坂は少し考えるように空を見上げてから、口を開いた。
「じゃ、とりあえず『交互に答える』のはこれが最後でいい。おまえは、ギルゲイルの目的が魔族の復権だとか魔王の復活だと確信しているか?」
答えるには、少しの沈黙が必要だった。
ふと背後を振り返れば、早坂のアパートを覆っていた石壁が、いつの間にかなくなっている。そして今更ながらに気づいたが、配信では一緒に行動していた九条礼子がいない。アパートの方へ向かったのだろう。
誰にだっていろいろある。
ルガルドだって、大好きなやつばかりというわけでもない魔族たちのことを、滅べばいいだなんて思わない。バルガスとギアドルについては、ここで殺されても仕方がないとは思うが、ついでに魔族が殲滅されても仕方ないとまでは、思えない。
これは、弱さだろうか。
だったら早坂が隣人を守ろうとしたのも、弱さか?
「……確信は、していない」
ぽつり、とバルガスが呟いた。
それがひとまずの、落着の合図になった。




