第七十話
斉藤恵美は、あれこれ戸惑っていた。
今日は『アンセム』メンバーにS級探索者のイルセリアと『狩人』の相馬賢吾を加えて、朝からS市のノウミダンジョンを探索している。
配信こそしていないが、変異後迷宮の調査ということもあり、撮影係の新宮紗凪も同行させて恵美たちの探索を撮ってもらっていた。後で迷宮庁に提出する映像資料にもなるだろうし、自分たちで見返すことも多くなるだろう。
何故なら、今回の探索は相馬賢吾による指導の意味合いが大きかったから。
「次の魔物だ。B級上位のレッドベアか。神楽坂が行け」
現在は地下二十六階。変異前のノウミダンジョンであれば存在しない下層階で、迷宮の規模がかなり大きくなっている感じがあった。印象としてはまだまだ下がありそうだし、十二階あたりから既存のノウミダンジョンとの差異が多くなっていた。
元々はC級のダンジョンだったはずだ。
先日、早坂透と九条礼子が調査したスガイダンジョンと同様、おそらくは変異を経てS級になっている。
「承知した」
言葉少なに答えた神楽坂千鶴が、通路の向こうから駆けて来る赤毛の熊に真正面から突っ込み、腰の刀を抜き払って一刀両断する。
恵美からすれば、いつもよりずっと研ぎ澄まされた一閃だ。
前回の『迷宮暴走』での戦い、そしてルガルドとかいう魔族と戦った経験が、千鶴の意識を変えたのだろう。あるいは昨日の夜に同じベッドであれやこれやを語り明かしたことも要因かも知れない。
が、相馬からすればあまり褒められた攻撃ではなかったようで、塩抜きのパスタを間違って食べてしまったような顔をして溜息を吐いている。
「……まあいい。次も来る。今度は斉藤が行け」
「判りました」
続けて駆けて来るレッドベアには恵美も気づいていたので、背中の大剣を構えて千鶴と入れ替わるように魔物へ接近し、下から上への搗ち上げをぶちかます。
身長ほどもある大剣の一撃は、同時に魔力衝撃による一撃を意味している。鉄砲水に弾き飛ばされるみたいに体長二メートルを超えるレッドベアが迷宮通路の天井へぶち当たり、落下するより先に絶命して存在ごと消滅し、魔核だけが転がり落ちる。
すごく調子がいい――というのが恵美の実感だった。
カミオカダンジョン探索以前よりもずっと肩の力を抜いて剣を振っているのに、威力は前より強いくらいだ。
が、これもやはり相馬からすると不満な様子である。
「……御堂。近くの魔物を感知しているか?」
良いも悪いも言わず、相馬は後方で待機している御堂アイリに問いを向ける。アイリの隣には撮影係の新宮紗凪と、二人を守るためか腕組みをして黙っているエルフのイルセリアがいた。
「いえ。近くにはいないようです。レッドベアが二体、これを千鶴ちゃんと恵美ちゃんが倒しました」
「イルセリア。おまえからすればどうだ?」
エルフに対してまるで忖度のない、それこそ職場の部下に対する今時であればパワハラすれすれの口調に、けれどイルセリアは特に不快感を示すことなく普通に頷いて、通路の向こうを指差した。
「六十から七十メートルくらい向こうに魔物の気配があるわよ。通路の構造までは掴めてないから、放って置いてもこっちに向かって来るとは限らないけど」
「すごい……! さすがイルセリアさん……!」
というアイリからの直球な賛辞に、イルセリアは「ふふん」と腕を組み直してドヤ顔を見せたが、確かにこれはドヤってもいいだろう。
そもそも迷宮の中はうっすらと魔力で満たされているので――魔導通信機器がバッテリー切れを起こさない理由でもある――気配探知や魔力探知が地上よりも難しいのだ。恵美であれば半径二十メートルまでがせいぜいで、魔法を得意とするアイリでも三十メートルが限界である。
その倍以上となれば、アイリが賞賛するのも理解できる。
が、相馬はやはり不満そうに「ふん」と息を吐いた。
――『狩人』の相馬賢吾。
S級探索者であり、恵美たち『アンセム』のように迷宮庁に所属しているわけではない、迷宮庁が依頼をして仕事をしている特殊な立ち位置の探索者。
背は高く、がっしりしていて、魔獣の革らしいジャケットに、同じく革のパンツ。眼光は鋭く、口調はやや冷たくて硬質。恵美が探索者を養成するための『学校』に入ってから、ほとんど接する機会のなかった『強面の男性』だ。
すごく苦手――というわけでは、別にない。
相馬の態度や視線には嫌らしさというものがまるでないからだ。少し面倒そうにしているが、それはそれとして仕事をきちんとこなそうとしている……そういう雰囲気がある。というか、それ以外の雰囲気があまりなかった。
恵美たちに対する興味や好奇心、好感も嫌悪も、ほとんど察せられないくらいに、相馬の態度には温度感がない。
恵美からすると、ちょっとありがたいくらいだ。
まあ、その……普通にちょっと怖いな、くらいのことは思うのだけれど。
相馬は少し考えるような沈黙を挟んでから、ハンチング帽のつばに手をやって、ぐるりと恵美たちを見回し、言う。
「おまえたちが日本中から集められた魔力親和性に優れた天才であることは、よく理解できた。おそらくだが巾木のクソは、おまえたちにまず魔力を大量に取り込むよう促していたはずだ。ようするに、今のおまえらは才能だけでやっている」
「……お言葉だが、私にはあまり才能などないはずです……」
千鶴が首を傾げる。反発というよりは、単に疑問だったのだろう。昨日の夜に恵美は彼女の事情を断片的に聞いたが、実家では剣術の才能がないという扱いをされていたようで、たぶんそれが千鶴の強烈な劣等感になっている。
アンセムのメンバーとして国民のために力を振るうことで、才能のない自分をどうにか許そうとしているのでは、と感じるくらいに。
「神楽坂の剣術の話か? 今更、チャンバラごっこになんの未練があるのか知らんが、神楽坂の剣を使う者という意味では当主を含めて三人くらいしかおまえに匹敵する者はいないはずだ。隠れているのなら知らんが」
「チャンバラごっこ……ですか」
「おまえらの反則みたいな魔力親和性が形成している自然な魔力防御は、C級以下の探索者ではまず貫けん。よほどの剣術家であってもな。どれだけ剣の腕が立とうが、刃が通らねば話にならん。神楽坂千鶴。おまえの研鑽はお遊戯の上達ではなく、魔力の使途に向けろ。今のおまえの剣術は魔力を持て余している」
ものすごく口が悪いのに、侮蔑の感情がまるで覗えない。そういう言い方は意外だったのか、千鶴はぽかんと口を開けて相馬を見つめていた。
「で、ですけれど、相馬さん。千鶴ちゃんの魔力は、剣術に合わせて使われているように思いますが……」
手を挙げて言ったのはアイリで、恵美は思わず頷いてしまった。だって恵美は千鶴のようには刀を振れないし、斬撃を飛ばすような魔力の使い方もできない。
十分にやれているではないか。
そう思ったのだが、相馬はうんざりしたふうに首を横に振った。
「なんとなくやってできているだけだろう。そんなものは研鑽とは言わん。やりやすいように魔力を扱うという方向性は悪くないし、そもそも魔力の質と量を高める方向でこれまでは来ていたようだから、貶すつもりはないがな」
「量と質……ですか……?」
「御堂は一旦置いておくが、斉藤と神楽坂、おまえたちは『異能力』ナシで、単純に魔力親和性の高さだけでA級まで散歩して来たバケモノだ。この先も鼻歌交じりに歩けるのならそれで構わんのだろうが、そうはいかないのが先日の『迷宮暴走』で理解できただろう。はっきり言えばおまえたちはデカくて強い棒を振り回すだけの素人でしかない。その素人がA級まで上り詰めているのは驚異的だがな」
素人……というのは、恵美からすれば図星だった。千鶴とまとめられてしまったのは意外ではあったが、確かに斉藤恵美は真面目に訓練こそ重ねてきたものの、探索者としては向いていない自覚がある。
戦いなんて別に好きではないし、剣を振ることに興味があるわけでもない。人よりできてしまった――それだけのことだ。そんなことを言ったらこの世のあらゆる探索者から怒られそうだから、口にしたことはないけれど。
やったらできた。
できないところまで来た。
そういうことだ。
ふぅ、と息を吐き、相馬は続ける。
「まずは神楽坂。剣術と魔力を合わせるのは当然だが、あまりにも雑すぎる。今のおまえは剣撃に魔力を乗せているが、それでは剣が優先している。剣と魔力をひとつのものにして使え。体術も同じだ。身体操作に魔力を乗せているようでは遅い。身体を動かすのは魔力を動かすのと同じことだと考えろ。おまえが嫌っている『居合い』だが、あれだけは他の動作よりいくらかマシだ」
「むっ……嫌っているのが、判るのですか?」
「神楽坂の剣術とは違いすぎる、剣の道理にそぐわないデタラメだからと顔に書いてある。探索者神楽坂千鶴として在るつもりなら、ヘナチョコ剣法なんぞ手の内のひとつくらいに考えろ。S級のモンスターは甘くない。今後は魔族と遣り合うこともありえる。対人戦で最も戦えるのはおまえだ、神楽坂。おまえが仲間を守れ」
最後の一言が、千鶴の心の何処かを確実に刺激したのが――傍から見てもはっきり判った。なんだかよく判らないが、というふうに話を聞いていた千鶴の表情が一瞬で引き締まり、戦場へ赴く武士もさながらの色に変わったからだ。
もうあんな思いはしたくない。
早坂透――トールと竜殺しの女剣士ティアに助けられたあのとき。本当に紙一重で生き延びたけれど、力が及ばなかったというのは単に事実だ。
恵美だって、もうあんな思いはしたくない。
ハンチング帽のつばを指先でなぞりながら、相馬の視線が恵美へ移る。
「斉藤。おまえは……あまり言いたくはないが、天才だ。剣術という基礎があった神楽坂よりも、よっぽどな」
「え? あっ、はい……えっ?」
あまりにも意外すぎて、意味のない疑問符だけが口から洩れた。思わず千鶴やアイリ、イルセリアを見てしまうが、別に誰も意外そうな顔をしていない。
「心技体に加えて魔、戦いにおける強さの、ある種の指標だ。斉藤、おまえは魔だけが突出している。魔に引っ張られて体と技が伸びている。心の方は仲間にどうにかしてもらえ。独りで強くなるだけが強さではないからな」
「あっ……えっと……そうなんですか……?」
「自認がどうかは知らんが、紛れもなく現代探索者の申し子だ、おまえは。世界融合後から『連鎖迷宮暴走』の時代を経て、探索者が生まれ、迷宮探索の定石のようなものができて、魔力親和性という概念が広まり、日本中から魔力親和性に優れたガキ共を掻き集めて育てた。斉藤恵美、おまえは間違いなく上澄みの中の上澄みだ」
「……だけど……私は……」
竜にも黒騎士にも勝てず、ヒドラの首を斬ったからと安心して血の濁流を浴び、致命的な隙を晒す――その程度の探索者だ。
どれだけ魔力親和性が高かったとしても、根本のところで、戦士じゃない。
だけど……だからって、辞めるのか?
向いてないと思う。そもそも戦士じゃないと思う。探索者としての誇りなんて別に持っていない。上澄みと言われても、きっとそうなんだろうなと思うだけ。
だけど……辞めようという気には、ならない。
仲間がいる。大切な友達であり、同じ時間を共有した仲間がいる。
配信の視聴者がいる。実を言えば彼ら彼女らに義理を感じているわけではないし、使命感を覚えているわけでもない。でも、たくさん好意的なコメントをしてくれるあの人たちこそが、恵美たちの守るべきものだ。そして――たぶん、配信なんか見ていない人たちが、別のナニカ、他の何処かで、なにかに夢中になったり笑い合ったりするために……自分たちは、集められた。
放り出して、どっかに隠れて生きていようとは……思わない。
たとえ楽しそうにしている人たちが、恵美をバケモノ扱いしていたかつての同級生たちであったとしても、理不尽に奪われていい理由にはならないはずだ。
「――私は、どうすればいいですか?」
千鶴みたいに腹を括れたかといえば、判らない。でも、投げ出して逃げるつもりにはなれないのだから、仕方がないじゃないか。
ほんのわずかだけ、相馬の口元が持ち上げられた。
◇◇◇
その後、三十階のボス部屋ではS級のアダマンゴーレムが現れ、相馬が「手本を見せてやる」と言って本当に瞬殺した。
ぱっと見た感じ、例の黒騎士やドラゴンの方が手強い印象ではあったけれど――恵美や千鶴ではそれなりに苦戦していたはずだ。たぶんアイリの援護を考慮しても同じこと。加えて言うならば、イルセリアの協力があれば苦戦なんて全くしなかっただろう。強さの桁がひとつ違う……そういう感覚。
だが、これは相馬に言わせると勘違いだそうだ。
「おまえらの魔力量はS級の俺と比較してもそう劣るものではない。エルフと比べてしまえばさすがに見劣りはするが、この領域になると漫然と攻撃したところで魔力防御を抜けん。おまえらがヒドラを相手に首を斬ったとき、渾身の一撃だったはずだ。あれを通常の一撃で出せるようになれ」
そんな無茶苦茶な、と恵美は思ったが、相馬は真顔だったし口調に冗談の気配なんて一ミリもなかった。それに実際、アダマンゴーレムを倒した相馬の魔法は、土系統の初歩的な『石弾』だった。
普通の攻撃の威力が、途方もなく高いという証左である。たぶん、それを理解させるためにわざわざ『石弾』の魔法を使ってくれた。
もちろん石塊を勢いよく発射するだけの、D級ダンジョンの下層で出会す魔物が使うような魔法とは桁というより概念が違う。銃弾と同じくらいのサイズの、しかし銃弾よりもずっと重く硬い『石』を生成し、イルセリアの射撃くらいの速度で、マシンガンみたいに撃ち出したのだ。
アダマンゴーレムの身体が見る見るうちに削られてなくなっていく……おまけに『石弾』の射出速度はどう考えたって音速を超えていたのに、魔力の作用なのか破裂音が響かなかった。重く硬い石を超高速でぶち当てているのに跳弾していないのも意味が判らなかったが、それこそが研鑽なのだろう。
「神楽坂、おまえは剣術と魔力のずれをなくして一体化させろ。斉藤、おまえは魔力をどうやって攻撃に変えるか具体的にして動け。御堂、おまえは『治癒魔法』の才に甘えすぎだ。そもそも回復役が仲間より先に戦闘不能になるな。魔力の操り方を精密にしろ。常時展開している魔力防御の上に魔法防御を任意で瞬時に重ねられるようになれ。仲間の荷物になりたくなければ、戦闘中に見学だけをするな」
一切の遠慮がない相馬の言。
ぐさぐさ刺さるくらいには痛かったけれど、そこに見下しや蔑みがなかったのは、本当にありがたかった。
「新宮については……全員分の助言を参考にしろ。可能な限り迷宮探索についていけば総魔力量は勝手に上がるはずだ。前回の窮地は、単なる実力不足だな」
撮影係の新宮紗凪にかける言葉だけは、少しだけ優しかった。それでも紗凪はビクついていたけれど、きちんと頷くことはしていた。
「ありがとうございます、相馬さん」
ぺこりと頭を下げて感謝を告げてみるも、大したリアクションはなかった。
その代わりというか、何故かイルセリアがドヤ顔していたのは……まあ、さすがにちょっと解せなかったけれども。
ともあれ、この日はそれでノウミダンジョンの探索を切り上げた。
◇◇◇
ホテルに戻ってシャワーや食事を済ませ、あれこれ反省会をしていると、アイリが携帯端末の通知に気づいて画面を確認し、目を丸くした。
「どうかしたのか?」
きょとん、と首を傾げる千鶴に、アイリは少し迷うようにしてから、端末の画面を千鶴と恵美に見せてくれた。
発信者は『トール/ティア』とある。
つい先日SNSを開設したようなのに、もうフォロワーが四万人を超えている……動画サイトのチャンネル登録者数の方が多いのは、SNSと連携していないから、SNSへの誘導をしていないからだろうか。実際、恵美もトールがSNSをやっているなんて初めて知ったような気がする。
投稿内容は、こう。
――『明日は朝からスガイダンジョンの探索配信をします』
他人行儀なその文面を、早坂透が打ち込んで発信したのだと考えると、ちょっとだけ笑ってしまった。本当に、ちょっとだけ。




