第七十一話
「いやぁ、それにしても昨日の焼肉は美味しかったねぇ。ボク、焼いただけの肉ってそんなに好きじゃなかったけど、ああいうふうに『料理』としてきちんとしたものになるなんて、すごいよねぇ」
朝。
スガイダンジョンの駐車場跡地よりかなり手前でワンボックスを停め、ダンジョン入口へ歩きながら、トールはティアのどうでもいいような話を半ば聞き流し、今日の予定を頭の中で反芻していた。
「ティア様は、元の世界でそれほど美味しいものを食べていなかったのですの?」
他意なくきょとんと首を傾げる九条礼子は、ダンジョン探索が楽しみすぎるのか、すでに籠手と脚甲を装備済みだ。もちろん戦闘用のドレスを着ているので、今日は『極上』の出番はないだろう。
ちなみにティアの方は着ている服のまま再現界できることが判明したので――その際、ややトラブルはあったが――昨日のミドルスカートとブラウス姿だ。ここから鎧姿に戻ってもこの服は失われないのだが、原理は全く判らない。
「んー……城で食べるときは作法だなんだで食べてる気がしなかったし、ほとんど夜営が多かったしなぁ。たまに町とか村とかで歓迎されることはあったけど、絶対こっちの世界の方が料理は美味しいよ。ボク、いつもびっくりしてるもん」
「まあ! それでは今度、ティア様とトール様を、とっておきのディナーにお誘いしますわ。作法に煩くない素敵なトラットリアがありますのよ」
「トールがいいって言うなら、もちろんお呼ばれするよ!」
満面の笑みで頷くティアに、九条礼子も実に嬉しそうな微笑を返して頷いた。もしもティアが聖剣を抱えておらず、九条礼子が籠手や脚甲を装備していなければ、あるいは淡く甘やかな友情物語に見えたかも知れない。
いや、現状が悪いのかと問われればトールには判らないのだが。
「それにしても緊張感がないわね。これから未踏破迷宮に潜るっていうのに、よくもまあご飯の話なんかしていられるわよ。そういえば相馬のやつもハンバーガーだのフライドチキンだのをやたら好んでたわね……」
ぶつぶつ呟きながら数歩後ろをついて来る舞阪理沙だが、文句を言っているのか、ただの独り言なのか、トールには区別がつかなかった。
「あー……舞阪さんは、なんか好きな食いもん、あるんすか?」
「粉物。最初にソースを焦がしてマヨネーズをつけたやつに、あたしはノーベル美食賞を贈りたいわ」
「……そっすか」
陰キャっぽいムーブをしているのは『他人の嘘を判定できる』という能力から、まあ理解はできる。人付き合いそのものを可能な限り断っているのだろう。しかしそもそもの性格がちょっと面白いのではないだろうか。
まあ、トール自身が社交的ではないので、他人の社交性や人格についてはなにひとつとして言えた義理ではないのだが……言ってないので構わないだろう。
「とかなんとかやってたら入口ね。取り決め通り、ここから先、あたしは一切喋らない。撮影係に徹するわ」
言って、舞阪はトールの配信用カメラを取り出し、あれこれと設定を確認してからカメラを構え、空いている逆の手を開いて見せた。
「あっ、それじゃ、ボクは着替えるね」
とティアが言って、ひょいっ、と聖剣を真上に放り投げてから現界を解き、軽鎧姿で再現界する。そして当たり前みたいに落下してきた聖剣をキャッチし、小枝を扱うような軽さで背中にマウントした。
トールはトールで腰の魔法鞄から木刀を取り出し、何度か地面を蹴ってブーツの具合を確認する。昨日デパートで購入した作業服ふうの探索者装衣の着心地も、悪くない。九条礼子に言わせると「繋ぎで着るには十分だと思いますわ」とのことだったが、そこそこ高かったので損傷は避けたいのが本音である。
「それでは、始めて構いませんわよ」
両手を腰に当てて胸を張りつつドヤ顔をする九条礼子が何故か音頭を取ったが、文句はなかった。
舞阪が開いていた手の指を折り始める。
四、三、二、一……握り拳。
◇◇◇
「あー……っと、どうも。トールです。今日は探索配信っす」
「ティアだよー。えへへ」
「おーっほっほっほ! 九条礼子でございますわ!」
「……あー、なんだ。このメンバーでスガイダンジョンに入るんだけど、今日はたぶん視聴者のコメントに触れられないと思うから、まあ、見たい人だけ見てくれればいいっす。なんでかって言うと――」
「じゃじゃーん! 今日はね、ボクがメインで探索するからだよ!」
びしっ、と親指で自分をアピールしながらティアが一歩カメラに近づいて、にっこりと笑んで見せた。とんでもない正の光に舞阪が溶けないかちょっと心配したが、無事だったようだ。
「ようするに、今回は俺と九条さんは、この竜殺しの女剣士が無双するのを後ろから追いかけて魔核を拾い集めることになる。ひとまず、こないだ引き返した十三階のボス部屋まではダッシュで駆け抜ける。そこから先は、こいつの判断で行けるところまで行く……ってことで、コメントを読んでる暇がないと思う」
「未踏破迷宮踏破RTAですわね!」
わくわくしてます、という表情を隠す気もない九条礼子である。ティアにキャリーされるのは「楽しい探索ではない」というようなことを言っていたが、未踏破迷宮を突っ走るとかいうイカレた企画には胸が躍るらしい。
「それじゃ、行こうか!」
大した脈絡もなくスタートを切るティアに、トールと九条礼子は遅れまいと地を蹴り、走り出した。撮影係の舞阪も、きちんとついて来ている。
トールの全力疾走の半分以下の速度で走れ、とティアには言ってあるので、たぶん彼女からすれば駆け足にも満たない速度のはずだ。
それでも地下一階から五階までを八分以内で駆け抜け、道中に出現した魔物を虫でも払うみたいに聖剣で叩き潰しながら走り続けて、地下十階まで、二十分で辿り着いてしまった。次の階段までの道は判っているとはいえ、たまに道を間違えて――なにしろ先頭を走るのがティアなので――トールに道を訂正されながらだったというのに、本当に冗談みたいな迷宮探索である。
いや、探索というよりは、走破だ。
トールはせいぜい息を切らさないように気をつけながらティアの背を追い、いつの間にか倒された魔物が落とす魔核を、走る速度を落とさないように拾い続ける特技を覚えた。絶対にこんな探索をするべきではない。小さな子供から死にかけの老人まで真似をしてはいけないタイプの迷宮探索だ。
配信のコメントはどんな感じなんだろうな、と少しだけ思ったが、今回はコメントを相手にできない。携帯端末も配信に繋いでいないので、上着のポケットに入れたままだ。状況も階層も違うが、なんとなく、かつての清掃配信を思い出した。
作業の記録。
毎日毎日、危険を感じることもなくなったD級のモンスターを叩き潰してカスみたいな魔核を拾い集めていた日々。憎んだり呪ったりするほど不満があったわけではないが、戻りたい日常では全くない。
地下十二階からはB級相当の魔物が出現するようになったが、やはりティアの走る速度は変わらなかった。現れた魔物はやはり一撃で倒しているが、聖剣を振った際の光の軌跡が、上階のときより明瞭になっている。攻撃の威力を調整しているのだ。
そのままの流れで地下十三階ボス部屋に突入し、体育館みたいな広い空間の真ん中で待機していた『悪魔型』に、ティアはなんの気負いも見せずに駆け寄った。
「ほいっと」
特に速度を上げるでもなく走って、フィギュアスケートの選手みたいにくるりとターンを決め――それでも移動速度が変わらないのは、ほんのわずかに跳んでいたからだ――回転したついでみたいに聖剣を振り、蒼白い軌跡が攻撃態勢に移る直前の『悪魔型』を打ち据えて、それで終わった。
トールと九条礼子ではそれなりに苦労した悪魔型の魔力防御など全く意味を成さず、あっという間に魔物の姿が消滅し、ごとりっ、と魔核が落ちる音が響く。
「……一撃、ですのね……っ!」
驚愕と高揚がちょうど等分されたような顔で九条礼子が言う。ティアは転がっている魔核を拾い上げ、トールにぽいっと放りながら、どうということもない顔をしたまま、うん、と頷いた。
「このくらいなら、ね。まあボクはライトブリンガー使ってるから、チートっていうやつだよね。ズルしてるみたいだから強さ自慢はあんまりする気がしないけど、でもまあ、実力を示しておけば細かい面倒は避けられるからね」
実感がこもっていそうな言葉に、九条礼子はにんまりと笑みを返し、首を大きく横に振った。
「いいえ、ティア様。私たちは競技をしているのではありませんわ。たとえば、私はお金持ちですのでズルいでしょう? あるいは『アンセム』のメンバーは魔力親和性が高すぎてズルですわ。実力をつけるのに適した迷宮の近くで生まれ育った探索者もズルですし、友人や先輩に強力な探索者がいてもズルですわ。もちろんトールニキ様も、聖剣と妖刀を拾ったのだからズルに決まっております……なんて、言ったところでどうなります? なにも変わりませんわ!」
ぐっ、と握り拳を突き出し、それから、喜びを表現するみたいにその場でぴょんと跳んでくるっと回り、九条礼子は謳い上げるように言う。
「持っていることも、持っていないことも、全てが武器ですわ。私たちは配られたカードで勝負するしかありませんが、手札を増やす努力はできますのよ。そしてその上で届かないことだってあるでしょう! 不本意こそが、人の本質なのですわ! ぶち破ってやりますわよ、私は! だって、それが楽しいのですから!」
なんて絵になる女だ、とトールは九条礼子の科白を聞きながら、魔法鞄からペットボトルを取り出し、二人に放ってやる。撮影カメラを持っている舞阪には、カメラの画角から外れるように移動してから、手渡ししてやった。
ついでにトール自身も水分補給をしておくが、意外なほどに疲れていない。
というのは――ズルの一環である『聖剣の加護』が機能しているのだ。
魔力と体力の自動回復。
わざわざ特筆せずとも魔力や体力は自然回復していくものなのだが、その効果があるというからには、目に見えるほどの効果があるのだ。
あれだけ走ったのに疲れていないし、脚も痛くない。
「そっか。……ボク、戦って楽しいってことはなかったから、レイコのこと、すごいなって思うよ。うん」
照れたふうに苦笑するティアだった。これに九条礼子は「おーっほっほっほ!」と高笑いを決めたが、これはこれで照れ隠しかも知れない。
「まあ、リスペクトは大事だよな。つーわけで、続き、行こうぜ」
場に流れる淡く暖かな空気を完全に無視して言ってみる。
何故か撮影係の舞阪が「マジかよこいつ」という顔をしていたが、ティアと九条礼子は普通に頷いてくれた。
「じゃ、休憩終わりってことで。見てるみんなも、よかったら引き続き、見ててね。ボク、頑張っちゃうからさ」
「私とトールニキ様は、見取り稽古というわけですわね。走りながら」
「あー……ああ、はい。そんじゃ、行きますか」
と、トールは頷き、まだ中身の入っているペットボトルを回収した。
事前に各々の名前をマーカーで記入しているのでシャッフルする心配がない、というのが今回のトールの唯一といっていいナイスワークかも知れない。
今のところは。
◇◇◇
地下十四階からは未踏破領域になったが、ティアのペースは変わらなかった。
十四階は、まだB級の魔物の出現が多く、稀にA級下位が現れた。
十五階から十七階はB級が出なくなり、A級のあまり魔法を使ってこないタイプの魔物、獣型や、獣人型の魔物が多くなった。
十八階まで来ると、ティアはいちいちライトブリンガーを背中に戻さなくなり、聖剣を蒼白く発光させたまま走るようになった。それでも道中の魔物は概ね一撃で処理しているのだから、冗談みたい――いや、冗談としては質の悪い光景だ
光を曳きながら走る少女の背中を追って、右も左も判らない迷宮を走る。
本来、迷宮は走るものじゃない。魔物と不意に遭遇するのは危険だし、罠があるかも知れないし、道を間違って迷う可能性もある。十四階からは未踏破なので迷宮の構造も判らず、携帯端末のMPSを利用して――途中途中で舞阪が用意してくれた中継器を取りつけもした――トールの家で待機している河合咲穂がリアルタイムで迷宮の構造をマッピングし、作成された地図を参照しながら走ることになったので、魔核拾いの難易度が上がった。
「ワータイガー、三体!」
途中からティアは遭遇する魔物を教えてくれるようになったが、不意打ちを喰らうとトールや九条礼子では危険な相手になってきたからだ。走っている最中も周囲に気を配れ、ということだ。
地図の確認、魔核の回収、周囲の警戒を同時にこなしながら、ペースを保って走り続けるティアを追う。本当に勘で走り回っているようで、たまに同じ道をぐるぐる回りそうになるので、そのときはトールが教えてやる必要があったが……たぶん、配信画面は新感覚なものになっているだろう。
なにしろ本当に走り続けながら魔物を倒すのだ。
すれ違い様に一撃を入れることもあれば、とんっ、と跳んで天井を足場にして地面へ突撃するようにして一撃入れることもあった。あるいは流暢なダンスみたいにくるくる回りながら剣を振ることもあったし、流星みたいな魔力の剣撃を――サイズ感としては魔法矢みたいな大きさだが――何発か撃ち込んで魔物の群れを一掃することもあった。トールの中の『禍月』が快哉を叫んでいるのが判るほど、聖剣使いの疾駆には華があり、慣れがあり、効率があった。
一体どれだけの魔物を屠ってきたのか。
見た目は十六歳くらいの少女に見える。外国人ふうの顔立ちなので二十四歳と言われれば頷くしかないが、それでも三十代には届いていないだろう。二十二だとしてもそれなりに驚く自信がある。そんな少女が、百戦錬磨どころか数十万でも足りないとばかりの歴戦ぷりを見せるのだ。
トールとしては、九条礼子のように高揚と敬意の眼差しを向けられなかった。
だって、ティアは別に戦うことが好きではないようなのだ。九条礼子のように迷宮探索を趣味としていたわけでもないだろう。
彼女がかつて戦っていたあちらの世界のことを、トールはあまり突っ込んで聞いていない。それほど語りたがっていないように見えたからだ。
聖剣を振るっているときのティアは、なるほど確かに歴戦の勇者なのだろう。魔族を見かければ問答無用でボコして戦闘不能にしてしまうほどに戦いの経験がある。スガイダンジョンの暴走のとき、巻き込まれていた佐渡山課長や河合咲穂を見て「生きてるんだからいいじゃん」くらいのノリだったのも、たぶん経験が故だ。
生きている。死んでいない。だから後回しにしていい。
だって、これから死ぬかも知れない人たちがいるんだから。
そういう感覚はトールには判らなかったし、今でもそれほど判っていないが、そうなってしまうような環境にいたということだ。
トールの家でコーヒー飲料を初めて飲んだとき、チェーンのレストランでパフェを食べたとき、昨日の焼肉もそうだ。テレビを見たり、現代日本の景色を眺めて「あれはなに?」「これはなに?」と訊いてくるとき。
どちらかといえば、ああいう顔を見ている方がいい。
流星を曳きながら迷宮を駆け、A級の魔物を屠り続ける聖剣使いを、ずっと眺めていたいとは、トールは思わなかった。
◇◇◇
地下十九階。
通路の構造がほとんど一本道に変わり、途中途中に広い空間が配置されており、中ボスとばかりにS級の魔物が出現した。獣型、ヒト型、ゴーレム型、魔法生物型、悪魔型……何度来ても同一の魔物が出現するのか、来るたびに違う魔物が出現するのかは判らなかったが、これもティアはものともしなかった。
十九階最奥は、ボス部屋。
十三階の広い空間よりもさらに広い――天井が見えないほど高く、向こう端が確認できないほどの遠い――場所。
「こういうボス部屋は、大物と相場が決まっていますわ」
多少の強がりを混ぜながら言う九条礼子だったが、ここまで来ると彼女ではボスに勝てないからだろう。トールも十七階あたりから『妖刀』なしでは無理だな、と自分で判った。つまりはそれほどまでにティアが強いのだ。
視聴者の反応はどんなものだろう?
確認できないので想像するしかないが、とんでもないことになっているのではないか。またバズったら面倒くさいな、と思ってしまうが、バズりたくないならこんな真似はするべきじゃねーよな、と苦笑もしてしまう。
「おおっ、ボスは黒竜だね。なんかすごい光線とか光波とか魔弾とか使ってくると思うから、守るのは意識するけど、気をつけてね」
なんの気負いもなく言って、それからティアはふと思い出したように舞阪を――というよりカメラを見て、にっこり笑って剣を握っていない方の手を振った。
「じゃあ、行って来るね」
ああ――と、トールは思う。
この勇者をこんなふうに見送ったやつが、きっとたくさんいたのだろう。そしてそのことを語りたがらないのは、勇者が辿った道中と迎えた結末が、おそらくはろくでもないものだったせいだ。
こいつの口を重くしたやつがいる。
そのことは、明確に不快だった。
「おい」
ほとんど無意識で、トールはティアの背中に声をかけてしまう。振り返って首を傾げる聖剣使いに、なにか言葉を用意していたわけではない。
だからというか、あまり考えず、いいかげんなことを言った。
「あー……今は、好きにやりゃいい。せいぜい楽しめ」
「……うんっ。ありがとね、トール」
微笑んで、一歩を踏み出す勇者。
ボス部屋の中心にいるらしい黒い影が、魔力を励起させたせいで発光し、その輪郭を表した。ティアの言葉通り――黒い竜だ。
推定S級……たぶん上位。
黒竜が、巨大なごつごつした翼を広げ、臨戦態勢を取った。




