第六十九話
去って行く元カノ――白澤香奈の背中を眺めながら、懐かしさと暖かさみたいなものが胸中を訪れて、そしてそっと消えていくのをトールは感じていた。
まだ両親が生きていて、普通に高校に通っていた頃の、あまりにも遠い記憶。中学は別で、高校からの同級生で……急に告白された覚えがある。白澤香奈の方にはそれなりの脈絡があったのかも知れないが、トールからすればかなり唐突に「あなたが好きなので、つき合ってくれませんか」と言われたのだった。
恋愛的な意味で他人から好かれるとは思ってもいなかったので、驚いて思わずOKしてしまった、というのがトールの認識だ。
実際につき合って恋人関係になってみれば、正直言うと早坂透なんかにはもったいないくらいにイイオンナだったと今でも思う。
戻りたいか、と問われれば、少し困る。
また家族を失う羽目になるのであれば死んでも嫌だが、かといって今のトールのまま過去に戻っても、たぶん普通の高校生活には適応できないだろう。以前だって上手に適応できていたかといえば、少々疑わしい気がする。
「トール! トール! 見て見て!」
と、枯れ葉を眺めるジジイみたいな気分を噛み締めていると、衣類店から出て来たミカが、とてとて急ぎ足でトールの座っているベンチに近づいて、二メートルくらいの距離を取った位置でくるりとターンを決めた。
買った服をそのまま着て出てきたようで、明るいワンピースの上にカジュアルなパーカーを重ねており、赤いスニーカーがアクセントになっている。猫獣人なので腰のあたりから尻尾が出ているのだが、パーカーが尻尾の出口を隠している形だ。
「おー。すげぇな。似合ってる」
「トール。わたし、かわいい?」
「おまえはいつもかわいい」
「にゅふふ!」
ミカに対しては皮肉を言うつもりがなかったので、思ったことをそのまま口にしてみれば、小さな猫獣人はてれてれと表情を崩しながら身体をくねらせて喜びを表現した。マジで猫みたいだな、と思ったが、多くの猫獣人がこういうリアクションを取るのかをトールは知らなかった。
「トールトールトール! ボクもボクも!」
と、今度は聖剣を持っていない聖剣使いがミカの隣に立って、くるりとターンする。服装自体はそう珍しくない、ミドルスカートにブラウスを合わせたシンプルなものだが、元々がとんでもない美人なので、よく懐く犬みたいな雰囲気さえなければ洋画の女優が立っていると言われても頷いただろう。
まあ、身長はあまり高くないので、モデルっぽさはないが。
「あー……いいんじゃね? 現代っぽいし」
ティアに対しては素直に褒める気になれず、いいかげんなことを言ったが、当の本人は褒められたと思ったのか、にまにまと口元をゆるめてミカと「わーい」なんて笑いながらハイタッチを決めている。実に平和な光景だった。
「デパートで買い物をするのは生まれて初めてですけれど、なかなか面白い経験でしたわ。様々な展示品の中から自分のものを選ぶというのも、楽しいことですのね」
言葉通り楽しそうに現れたのは、何故か『極上』という文字がプリントされたTシャツにオーバーサイズのパーカーを合わせた九条礼子だった。金髪ドリルなので似合っていないようにも見えるし、何故か妙に似合っているような気もする。単純に美人なのでなにを着ても様になっているだけかも知れない。
「……極上、っすね」
「まあまあまあ! 下ネタですのね! うふふ!」
何故か嬉しそうに胸を張って微笑む九条礼子だったが、Tシャツの文字を読んだだけである。いや、まあ、確かに極上なのだが。
ちなみに、舞阪と河合は服を買わずに元のまま戻って来たが、別に残念ではなかった。むしろ品評会が連続しなくて助かったくらいだ。
「……トール、なんか、違う女のニオイがする」
ぽてん、とトールの隣に座ったミカが鼻を動かしてそんなことを言う。おまえは俺のなんなんだよ、と笑ってしまったが、本当に一体なんなのだろうか、とも同時に思ってしまう。隣の家の、たまに面倒を見てるガキだ。
「気のせいだろ」
「いや、他の女のニオイがするね」
いつの間にかベンチの脇に立っていたシェンナがニヤニヤしながら言って、手に提げていたいくつかの紙袋をトールに突き出した。
「ミカのは全身合わせて一万八千円で収めた。どうせでっかくなるし、一張羅よりは普段使いできるやつの方がいいから。ティアちゃんのは、今着てるやつの他に、実験用に安いジャージと、あと下着も買ってある。こっちの紙袋はミカが着てたやつだから、後で渡してちょーだい」
「……うっす」
紙袋を受け取り、身に着けていた魔法鞄に放り込む。どう考えても鞄の入口よりもサイズが大きいものが入るのは不思議で仕方ないが、そういうものなのだろう。
なにかの動画で見たことがあるが、流通している魔法鞄はほとんどが『コンテナn個分』という規格で造られているそうで、これは『出入り口』の大きさも含んでいるらしい。つまり物理的に貨物コンテナに入れられないような大きさのモノ――大型の自動車や建築物など――は、魔法鞄には入れられないらしい。
「で、なんか他の女のニオイについては? もしかして有名人だから握手求められたりしちゃったりする感じ? はー、困っちゃうね、有名人は」
「んなわけねーっすよ。昔の知り合いに、たまたま会ったってだけ」
「ふぅん……悪くない知り合いっぽいね」
どうしてか口端を持ち上げるシェンナである。トールの表情や口調になにかを感じたのかも知れないが、自分では判らなかった。
「まあ、悪くない知り合いっすね」
と、だからトールはそれだけ言って、不思議そうに首を傾げてトールを見上げてくるミカの頭を雑に撫でてやった。こういうふうに頭を撫でたりはあまりしないようにしているのだが、やたら嬉しそうにされるのが気恥ずかしくなるからだ。
「こーら。頭撫でられたくらいで誤魔化されるんじゃないよ」
「あら、子供らしくて可愛らしいじゃありませんこと? ミカ様、後で私にも撫でさせていただけませんか?」
「ん。礼子ならいいよ」
「あっ、それじゃあボクはトールに撫でてもらおっかな。ねっ、いいでしょ?」
「……いいわけねーだろ。トチ狂ってんのかおまえは」
「がーん! ちょ、ちょっと、トールはボクに対して当たり強くない……?」
「気のせいだろ」
「気のせいなわけないよ!」
「あー……後でまたアイス買ってやるよ」
「え、いいの? わーい! ボク、アイス好き! あっ、またパフェも食べたいな。夜のごはんも外食するんでしょ? パフェかアイスがあるといいなっ!」
あまりにもチョロかった。
やっぱりなんかこいつ犬っぽいよな、とトールは思った。持ってる牙は狼なんかよりよっぽど鋭いくせに。
「……ホントに喜んでるわね、聖剣女……」
ぼそりと舞阪が言って、その隣に立っていた河合が微妙な顔をしていた。
◇◇◇
その後はデパートの上階へ移動し、探索者グッズのウィンドウショッピング。
この奇妙なメンバーでやることではない気もしたが、機会がない限りあまり来ない気もしたので、とりあえず見てみることに。
よく考えるとメンバーの中にはA級探索者が二人と元迷宮支所勤務の事務員がいるので、探索者グッズについて教えてもらうには悪くない状況でもあった。
「基本的に、探索者の探索はショートアタックかロングアタックに分かれますわ。多くの探索者は短い時間――せいぜい丸一日を目安に迷宮に潜って帰還することになりますわね。体力的な問題、気力的な問題、そして安全面の問題を考慮して、ということですかしら。私はもっと潜っていても平気なのですけれど」
四階に展示されている探索者グッズは、武器や防具ではなく、ほとんどキャンプ用具みたいなものが多かった。
「ショートアタックにおいても、当然ですが手ぶらで迷宮に入るのは推奨できませんわ。最低限、水と食料は確保しておくべきでしょうし、可能であればポーションの備え……DからC級であれば、救急用品を持ち歩くべきでしょうね。探索者であれば多少の骨折でも我慢できますが、さすがに足を骨折すれば歩けませんから、固定具とテーピング、包帯もあるといいかも知れませんわ」
「当然って言えば当然だよね。ボクも元の世界で迷宮に入るときは、それなりに準備して行ったよ。ライトブリンガーの自然回復があるから怪我についてはあんまり心配なかったけど、地図とか、明かりとか、魔物避けの聖水とかね」
「聖水なんかは、こちらではあまりメジャーではありませんわね。魔物は避けるものではなく倒すものですから。トールニキ様も、掃除屋のお仕事のときはそれなりの備えをしていたのでしょう?」
当然、とばかりの九条礼子の問いに、トールは視線を外すしかなかった。
迷宮支所で貸与されるボディカメラと、ペットボトルのスポーツドリンクと、鉄筋鈍器……それ以外の備えは、皆無だった。
「……正直、ナメてましたよね」
ぼそりと河合が言ったが、反論材料はひとつもなかった。あるいはそういうトールの態度もあって冤罪疑惑が浮かび上がったのかも知れないが、まあ今更の話だ。
「魔法鞄を持っていない間は、魔核を回収するための背嚢……大きめのリュックサックを持つ探索者も多いと聞きますわ。C級上位の魔物を倒せるようになれば、レアドロップでの換金が現実的になりますので、それを利用して魔法鞄を購入するのが一般的……という話を丈一郎から聞きましたわ」
九条礼子から投資された魔法鞄は一千万円クラスの容量だったが、魔法鞄の制作者にも技量というものがあり、初心者が造る魔法鞄は比較的安価に――それでも百万円は超えるらしいが――買えるという。
「そういえば、手続きナシで魔法鞄は航空機に持ち込めないから、気をつけなさい。どうせあんたはそのうち飛行機で移動する羽目になるわ」
親切な忠告と厭な予言を同時にしてくる舞阪だった。
「……そういうあんたは、いちいち手続きして飛行機で移動してんすか?」
「あたしくらいになると迷宮庁のジェット機で移動するわよ。S級探索者なんかも迷宮庁からの直の依頼のときは、ジェット機を使うわね」
「そういえばクソエルフもプライベートジェットを使ったとか言ってたな……」
「イルセリア・リュミエステルはちょっと特別ね。あのエルフが『アンセム』に肩入れしてるっていうのが日本国としては死ぬほどありがたいわけ。そりゃあ待遇もよくするわよ。なにしろイルセリアはエルフで、聖樹国と繋がってるんだから」
「アトランティスの聖樹国……か」
ティアの証言によれば、あのイルセリアですら『かなりマシな方』らしいので、可能な限りは近づきたくない場所のひとつである。
それはそれとして、世界融合後の地球においてはエルフの知見が非常に貴重かつ希少であるのは言を俟たないだろう。トールは関わりたくないが、頭を下げて足を舐めてでもエルフから有益なモノを引っ張りたいやつはいるということだ。
「んー……まあ、性格はアレだけど、友好的といえば友好的なんだよなぁ。なんだかんだ、人間には手を貸したがるんだよね、エルフって。こっちが手を伸ばしたくなるような感じにならないんだけどさ」
実感のこもった溜息を洩らすティアである。
「エルフ、ちょっと優しかったよ?」
ミカがきょとんと首を傾げた。そういえばエルフと一緒にトールのベッドに潜り込んで来た日は、たしか一緒にシャワーも浴びていたのだったか。
――ぺったんこだった。
いや、これは本当に要らない情報だ。トールは脳内で「容量のムダ遣い♠」と呟きそうになって、これはこれで意味不明なのでやめておいた。
「ねえ、レイコ。長期の探索――ロングアタックだと、どういう準備になるの?」
エルフについてはどうでもいいのか、ティアがあっさり話題を変える。
九条礼子も『極上』をぶるんと揺らして微笑み、展示品をあれこれ指し示しながら、話を続けてくれた。
「基本的にはショートと同様ですが、ロングアタックの場合ですと、探索者の構成によってかなり準備が変わりますわ。長期間迷宮に潜るのはB級以上になってきますから、まず魔法鞄は持っているのが前提ですわね」
「ふむふむ」
「その上で飲食物、サプリメント、常備薬もあった方がいいですわね。探索者であっても、いわゆる風邪薬なんかは普通に効きますし、鎮痛剤なんかも気休めですが持っていた方がいいですわ。私もポーションを切らしている状態で右腕が千切れかけたときは、泣きながらばりばりと鎮痛剤を飲みまくりましたわ!」
薬をばりばりと飲みまくらないで欲しかったが、トールはツッコミを我慢した。
それも当人にとっては楽しい思い出なのか、懐かしさに目を細めるようにしてから九条礼子はまた続ける。
「魔物との連戦は当然ですから汗もかきますし、着替えも必要ですわね。仲間に魔法使いがいれば水の魔法で身体を洗ったりできますが、いなければ簡易のものを用意すべきですわ。たとえば、これなんか」
たまたま展示されていたドライシャンプーや、ゴルフボール大に圧縮されたタオルやなんかを示してまた『極上』を揺らす。
あんまり見ないようにしよう、と思いながらトールは九条礼子の話を聞きつつ、探索者グッズを一通り眺めて歩いた。
結局、買ったのはドライシャンプーやタオル類と、救急医療セットくらいだった。そもそもティアが回復魔法を使えるし、聞けば『浄化』という身体や衣服をキレイにする魔法も使えるという。
「マジでチートだな」
そう思ったのでそう言った。
ティアは少し困ったように笑ったが、なにかしら思うところがあるのだろう。わざわざフォローしようとは思わなかったけれど。
◇◇◇
それから。
適当に五階も見て回り、ちょっとオシャレな作業着――矛盾した表現のような気もするが――みたいな強化素材の服を買って、その後は三階に降りて家電や家具なんかを見て回った。これは本当にただのウィンドウショッピングである。
ゲームコーナーに寄って二千円も使ってプライズをゲットしたり、ゾンビを撃ちまくるガンシューティングを舞阪がプレイしたり、トールを除いた女たちでミニプリントを撮れる機械に入ったり……なんだかんだ、平和な時間が過ぎた。
楽しい――のだろう、たぶん。
心の底から笑っているかと言われれば少し困るが、こういう時間は悪くないよな、と思うくらいには、平和なひとときだった。
白澤香奈と二人で歩いていたときは……どうだっただろう?
いつも彼女があれやこれやとトールに話しかけ、それにトールが答えたり答えなかったり、縁側の老人みたいな会話と時間が多かった気がする。地方都市なのでそれほど遊ぶ場所もなかったし、当時はそれほど金もなかった。
――ねえ、早坂くん?
身長の関係で、ややこちらを見上げてくる白澤と一緒にいるのは、好きだったのだと思う。トールなりに大事にしていたつもりだったし、彼女を抱いたときは柄にもなく緊張したりもした。ことが済んで微笑んでくれた白澤を見て、心の底からほっとしたのを覚えている。
それが今は聖剣霊に取り憑かれ、妖刀に魂を半分喰われ、猫獣人の母娘と妙に親しくなり、冤罪をかけてきた女を雇い、他人の嘘を見破れる迷宮庁所属のA級探索者の護衛を兼ねて、デパートをうろついている。
悪い、だろうか?
そこまで悪くない気はする。
良いかと言われれば困るけれど。




