第六十七話
「市長の遠藤です。先日は大変失礼しました。そしてまずは感謝を。早坂さん、あなたのおかげで『迷宮暴走』による被害が最小限で食い止められた! 今更こんなふうに頭を下げても信頼はされないと思いますが……それでも、感謝を伝えます。ありがとうございました」
三十代後半から四十代半ばくらいの、エリートな雰囲気を持っている男がなんの躊躇もなく深々と頭を下げるのを、トールはやや気まずい心持ちで眺めていた。
何故なら、遠藤市長に対しては「例の会議にいたな」くらいの記憶しかないからだ。あの場での出来事をトール自身はさほど覚えていない。ほとんど意味のない会議だったな、という感想はあるのだが……。
「あー……っと、はぁ、どうも。それより、書類くれないっすか?」
「は、はい! 申し訳ありません。山田さん――すまないが、あなたは今日は帰ってください。松島さん! ちょっといいですか!」
顔を上げた市長がまずは窓口の女に一言だけ声をかけ、次に奥側でなにやら端末に入力をしていた若い男に声をかけた。若いといってもトールよりは歳上だろう。見た感じ、まだ三十になっていないくらい、だろうか。
「な、な、な――」
顔を赤くしたり青くしたりする山田とかいう女には、もう市長は反応しなかった。彼女が居座っているのとは別の窓口へトールと河合を案内し、松島という事務員がそちらへやって来るのを確認してから、深い溜息を吐く。
「松島さん。こちらは早坂透さんです。河合さんについては……知っていますね?」
「は、はぁ……。河合さん、辞めたんだって?」
スガイダンジョンの受付だったということは、ようはS市の公務員だったわけだ。市役所の迷宮課に務めている者と顔見知りでも全くおかしくない。
ということは、もしかすると横幅広めの山田さんは、昨日の配信を見る以前から河合に悪感情を持っていたのか……まあ、トールからすればどうでもいいことだが。
「はい。今は早坂さんに雇われています。試用期間ですが」
「クラン新設の書類でいいんでしょ? そういえば、九条のお嬢様と一緒にスガイダンジョンを探索したときの魔核も買い取りできますけど、どうします?」
科白の前半は河合に、後半はトールに向けられた。悪感情も好感情もなく、ニュートラルな事務員というふうで、好ましさを覚えた。トールは接客に愛想を求めないタイプだからだ。夜中のコンビニバイトのにーちゃんがどんなにやる気なさそうでも、レジで対応さえしてくれればいい。
そういう意味では以前の河合咲穂も、ちょくちょく嫌味を言ってくる以外は仕事の対応はしてくれていたわけだ。
ちなみにというか、横幅の広い女はひどい侮辱を受けて傷つきました、みたいな顔をしていたが、誰も構わなかった。
「時間かかるんだったら、別の機会でいいっすけど」
「いえ、いずれにせよ等級の高い魔核になると査定に時間が必要になります。提出していただいてから後日、買取額の詳細と一緒に送金する形になりますから、一緒に魔核出してもらった方がいいですよ。クラン新設ってことは、クラン用の口座に振り込みですかね?」
「あー……はい。じゃあとりあえず、魔核出します」
「ありがとうございます。では、魔核の受付はあちらですので、案内しますよ。河合さんはこっちの書類、記入しておいて」
テキパキと仕事をこなす松島に促されるまま、魔核の引き取り窓口で魔法鞄からありったけの魔核を取り出す。松島はその質と量に驚いていたようだが、余計なことは言わなかった。
「早坂さん、職員が大変失礼しました。重ねてお詫び申し上げます」
と、何故か一緒についてきた市長がまた頭を下げてくるが、トールとしてはどうでもよかった。ただ一点を除けば。
「今後も、あの横幅広めの人が窓口だと困るんすけど」
「それはこちらとしても困りますので、今後、早坂さんも河合さんも、彼女と会うことはないでしょう。探索者活動、応援しています。くれぐれもご安全に」
きっちりと口角を調整された笑みを浮かべ、右手を差し出してくる市長。
トールは曖昧に肩を竦め、握手を無視した。
こういうところが社会人失格なんだよな、と自嘲する。しかし、まともな社会人をやるつもりがあったなら最初からこんなことにはなっていないのだ。
「あー……っと、市長さんもこれから大変だと思いますけど、まあ、頑張ってください。俺は俺のやることをやるんで」
「……ええ。ありがとうございます」
今度は調整されていない苦笑が洩れた。こちらの方が好ましく感じてしまうのだから、やっぱり社会に向いていないのかも知れないな、とトールは思った。
◇◇◇
それから、河合が記入した書類について河合から説明され、IDと照らし合わせ、ごくあっさりとクラン『清掃剣』が誕生した。
清掃、聖剣、双剣、成層圏、イタリア語と英語を混ぜて『剣の使い手』などを重ねたジョークだが、昨日寝る前の五分くらいで考えたクラン名なので、センスに自信はない。が、そもそもクランの名前などなんだっていいのが本音だ。
クラン員は現状トール一人で、河合によると探索者としての出費はこのクラン口座から出せば控除申請が簡単になるし、他にも便利なことがあるらしい。
「そういえば、そもそも早坂さんは探索者の研修も受けてませんよね」
あまりに無知だったせいか、河合が今更気づいたとばかりにそんなことを言った。トールとしては仮に研修を受けていたとしても手続き関係は苦手のままだっただろうなと思いつつ「まあそうっすね」と頷いておいた。
ともあれ、クラン申請と魔核の提出を済ませれば、もう市役所に用はない。
「そういえば――っていうなら、そういえば、佐渡山さん、いなかったっすね」
「ああ、佐渡山課長は基本的には市役所にいませんよ。迷宮支所を巡ってるか、普段なら市内の探索者と交流しています。迷宮に入っていることもありますね。今は……さすがに、なにをしているかは判りませんけど」
眉尻を下げる河合に、トールは雑に肩を竦めておく。
佐渡山は個人的に嫌いではないが、わざわざ会いたいかといえば微妙なところだ。迷惑ばかりかけている気もするし、市長が言うように『迷宮暴走』を防いだ功績を考えればふんぞり返ってもいいかも知れない。そのつもりはないが。
「あと、一応、廃車になった早坂さんの自動車と、私の自動車の処理について聞いておきました。会議にかけるそうなので、もしかすると補償が出るかも知れません。廃車手続きは、役所の対応後になります」
「……うっす」
完全に忘れていたので、トールとしては頷く以外にない。窓口でのトラブルこそあったが、今のところ文句のない仕事ぶりではある。
さすがに初日の働きだけを見て本採用を決める気にはならないが、たぶん大きなミスはしないだろうな、という予感はあった。
なんというか――やる気が違う。
スガイダンジョンの受付に座っていたあの女と、今こうして隣を歩いている女は、トールからすればほとんど別人だ。
だったら自分はどうなんだろう?
かつての早坂透と、今のトールでは……。
「――おい。おまえ、早坂か?」
と、迷宮課を離れて市役所から出たところで、不意に声をかけられた。
声の主も市役所に用があるのか、建物に入ろうとしてトールに気づいたといったふうだ。同年代くらいの、髪型に気を遣った男。黒髪の一部が空色のメッシュになっていて、毛先に向かって色が明るくなっている。いかにも陽キャといった雰囲気だが、仲間は引き連れていない。一人だ。
「……どちら様っすか?」
見覚えのない男だったので、トールは普通に首を傾げた。空色メッシュの顔つきが不機嫌そうなのを見るに、さほど楽しい予感はしないが。
「ど、どち……おまえ、俺のことを覚えてないのか?」
苛ついたふうに眉根を寄せる陽キャ。
知り合いですか、と河合がトールに耳打ちしてくるが、全く記憶にない。
「あー……っと……すんません。ちょっと記憶になくて……」
「テメ――フザケ、ヴォガッ!」
急に陽キャが人外の言葉を吐き出した、と思った次の瞬間には、膝から力が抜けてぺたんとその場に正座し、そのまま上体が崩れて地面に頭を打った。
「…………」
「…………」
そして陽キャの後ろには、ファンタジー町娘が立っていた。ライトブリンガーは持っておらず、手ぶらだ。
「あっ、ごめん。知り合いだった? なんか、ギルドで絡んでくる面倒くさいやつみたいな雰囲気だったから、気絶させちゃった……」
困ったように苦笑するティアに、トールは嘆息を返した。
「まあ、別に、あんまいい予感はしなかったけどな。悪いけど河合さん、変なやつが倒れてるって市役所の誰かに伝えておいてくれます? おまえはそいつに回復魔法かけとけよ。外傷がなきゃバレないだろ、たぶん」
念のためにと周囲を確認するが、ひとまずトールたちに注目している者はいない。役所の中はともかく、平日の午前中ということもあって通行人が少ないのだ。
「……それで、この人、トールの知り合いなの?」
頷いて市役所の中へ戻る河合を尻目に、ティアが首を傾げる。トールは一応自分の脳内で検索をかけてみたが、検索ワードが悪いのか、やはりヒットしない。
「それっぽい口振りだったけど、記憶にない」
「うーん……トールだからなぁ。どっちでもおかしくないなぁ」
とかなんとか言いながら、ティアは男に回復魔法を使った。最初から特に外傷は見当たらなかったが、これなら精密検査をされても、たぶん大丈夫だろう。
トールは男の身体を引き摺って役所の入口脇に運び、ふぅ、と息を吐いた。
「とりあえず、ずらかるか。車で河合さんを待ってようぜ」
◇◇◇
次に向かったのは中古の自動車販売店。
まだクラン用の口座には金が入っていないのでトールの個人口座から出すことになったが、河合によれば後で処理できるとのこと。
一世代型落ちのライトバンと、二世代型落ちの軽自動車を一括払いで購入し、三日後に納車してもらうことに。
「駐車場の契約もしなきゃいけないし、やっぱ隣の部屋も借りたら?」
シェンナが言って、それもまあそうだなと頷いた。
とりあえず金はあるし、たぶんまともに探索者を続けていけば増える一方だ。オンボロアパートをもう一部屋借りたところで痛くもない。そう考えてしまえる自分が、なんだかひどく他人事のようだ。
なんというべきか……自分の金、という感じがあまりしない。
他人の金という感じがしているわけでもないのだが。
「ていうか、たった三十分で車二台買うやつ、初めて見たんだけど」
ウケる、と笑うシェンナだった。
これにはトールではなく河合の方が反応した。
「私もびっくりしました。知り合いとか行きつけの車屋さんがあるのかと思ったら、適当に見つけた中古販売店で即決で買うなんて……」
「……まあ、俺もドキドキしたっすけどね。一括払いで車二台買うのは」
「トールニキ様であれば、二台と言わず五台十台だってすぐに買えますわよ?」
普通の調子で言う九条礼子だった。
A級探索者であり、おそらく他の探索者よりも高頻度で迷宮に潜っている以上、財閥令嬢であるだけではなく個人としても大金持ちなのだろうが、彼女は彼女で金にはあまり頓着していないように見える。
「……そんなに要らないっすね」
「あっ、そうですわ! ヘリを買うのはいかがでしょう? 遠出には便利ですのよ」
「ヘリポートと運転免許がないっすね」
「残念ですわ……」
別にトールは残念ではなかったが、九条礼子は本当にちょっと残念そうだった。
ちなみにというか、彼女の発言にミカはちょっとテンションが上がり、舞阪はドン引きしている様子だった。ティアはぽかんとしていて、シェンナは「にゃはは!」と笑っていた。河合も、小さく笑っていた。
悪くないな、と思った。
永遠に続いて欲しいとは思わなかったが。
◇◇◇
細かい移動時間を含めると、そろそろ昼食かという頃合いになってきた。ひとまずミカになにか食べたいものはあるかと聞けば、ラーメン、と返された。
「このメンバーでラーメン屋ってわけにもいかないでしょ。次は買い物する予定だから……デパートのフードコートでいいんじゃない?」
と、助言をくれたシェンナに頷き、市内で最も大きなデパートへ。
人口から考えてもちょっと大きすぎる五階建ての建物で、四階と五階が探索者用のアイテムを売っているという。これまでトールには縁のなかった場所なのだが、こうして足を運ぶことになるのは、なんとも奇妙な感覚だった。
なんというか……馬車もドレスもないのに舞踏会へ赴くシンデレラは、こんな気分になるのだろうか。探索者免許もあるし、金もあるというのに、ひどく場違いなところに来てしまったな、という気分がどうしても拭えない。
それはさておき、まずは昼食。
探索者グッズを除いてもかなり大型のデパートで、地方都市の平日だというのにそれなりに人がいた。駐車場もまあまあ混んでいて、この街の何処にそんな人間がいるんだよと思ったが、たぶん普通に市外から来ているのだろう。
一階のフードコートもそれなりに広く、数種の店舗が並列して並んでいる。昼には少し早い時間だったが、客はまばらに入っていた。
まずはテーブルを確保して、セルフの水を取って来てから、メニュー表と睨めっこが始まった。
「テーブルの端末に注文を入力して、携帯端末で決済するシステムですね。一応、現金対応もしてますけど、たぶん例外扱いです。各店舗に注文がいって、料理が出来上がったらテーブルの端末から食券が吐き出されるので、それを取って店舗へ受け取りに行く形ですね。ふぅん……結構、効率的なんですね」
誰もフードコートのシステムを理解していなかったので、河合が端末の説明を読んでトールたちに説明してくれた。
「店員さんが注文を取りに来たり、料理を持って来たりしないんだ。人手が少なくて済む感じなんだねぇ」
「こういうお店は、初めてですけれど、いろんなメニューがあって目移りしてしまいますわねぇ。ミカ様はなにを食べますの?」
「ラーメン! チャーシュー麺がいい」
「ミカ。あんた、そんなの頼んで食べきれるの? お子様ランチとか半ラーメンとかもあるわよ? あっ、アタシはシーザーサラダとマルゲリータにしよっかな」
「大丈夫。チャーシューは半分トールにあげる」
「……じゃあ、俺は普通のラーメンにするか」
「ボク、これがいいな。テレビで見たんだ。さくさくジューシーカツ丼! テレビで見たやつとは違うけど、同じ食べ物なんでしょ?」
「では、私は天丼大盛りにしましょうかしら。いえ、カレーも捨てがたいですわね」
「……私、たこ焼きとトルティーヤ」
「すごい組み合わせですね、舞阪さん。……えっと、私はカルボナーラで」
「あんたは全然意外性ないわね、河合」
「ランチに意外性とか要りませんよ」
とかなんとか。
迷宮監査官の腕を微塵切りにした翌日とは思えないほど、平和な空間だった。
ちなみにラーメンは本当に普通の、子供の頃にデパートで食べたような、現代では逆に珍しいんじゃないかというラーメンだった。
◇◇◇
それから。
こっちの都合で二日も使わせるから、とミカに服を買ってやる流れに。ついでにティアの服も見繕ってくれと伝えて、携帯端末をティアに渡し、通路に備えられているベンチに腰を下ろした。
買った衣服を着た状態で現界を解いたり現界したときにどうなるのかが判らないので、実験用と普段着を何種類か。ミカの服は好きにしてくれと言ったが、これにはシェンナが苦笑いをしてトールにこんなふうに言った。
「あんたマジでミカに甘いよね。お礼ってんなら、アタシにもちょうだいよ」
「……園山さんは、ミカになんか買ってやった方が喜ぶんじゃねーっすか。男からあれこれ貢がれるの、好きじゃなさそうだし」
いつだか客からプレゼントをもらうのが苦手だとかいう話を聞いてもないのにしてきたことがある。そして同時に金銭的な謝礼は受け取ってくれなさそうな気もした。請求されればもちろん渡すつもりはあるのだが。
「まっ、別に二日くらいタダでつき合わせてもバチ当たんないと思うけどね。ミカの面倒だっていつも見てもらってるし、ご飯はゴチだし」
「面倒なんか見てねーっすよ」
「そう? じゃあ、そういうことにしておきなよ。トールの中では、ね」
にゃはは、と笑ってテナントへ入って行くシェンナ。
気を遣わせてしまっているよな、と嘆息するが、なにも普段の礼をするためだけに朝からつき合わせているわけではない。
一応、考えはある。
もし外れていても普段の礼はできるので、損はない計算だ。有り余るほどに――今後も有り余るかどうかは知らないが――金がある状態で、知っている誰かにあれこれ振る舞ってやるのは、ちょっとした心の贅沢だろう。
「で、明日はスガイダンジョン、か。相馬さんが許可取ってくれて助かったけど……どうなることやら、って感じだよな」
暇を潰すための携帯端末がないので、なんとなく独り言を洩らしてしまう。しかしそれ以上をぶつぶつ呟き続けるのはさすがに自重し、デパートの白っぽい天井を眺めながら、溜息だか嘆息だかをトールはぞんざいに吐き出した。
――と。
不意に前を通りかかっていた誰かが足を止め、驚いたような顔でトールを見た。
線の細い、華奢な女だ。艶のあるレイヤーボブの黒髪、ロングスカートにカジュアルなブーツを合わせていて、上はぶかぶかのデニムジャケット。身に着けている小さなショルダーバッグは、その小ささでなにが入るんだよ、と思ってしまうが、たぶんファッションなのだろう。
大学生、だろうか。
目を丸くしてトールを見てくるその女に、見覚えがあった。
「……早坂くん?」
「あー……白澤……?」
白澤香奈。
高校中退前の、早坂透の恋人だった人物である。




