第六十六話
「待たせたな。悪くないところに住んでいるな」
玄関を開けるとハンチング帽を被った大柄の男が突っ立っていて、なんだか現代の任侠映画のワンシーンみたいだな、とトールは苦笑する。
「む? 別に嫌味ではないぞ。どの道、B級以上の探索者になれば大抵のセキュリティなど意味を為さんからな。アパートの住民を除けば、直近の建物まで三十メートル以上離れている。悪くない場所だ」
「嫌味だと思ったわけじゃないっすよ。おはようございます、相馬さん」
どうにも物騒な言い訳をするS級探索者に奇妙な好感を覚えて、トールは自分でも判るくらい普通に笑ってしまった。
「ああ。昨日の電話で話した通りだ。レンタカーはワゴンタイプに換えた。俺は今日は小娘共のお守りだ。おまえにはこいつを頼む」
ハンチング帽のつばを指先でなぞる相馬賢吾の脇から、ぬっと身体を割り込んで来たのは――長い黒髪の陰鬱な印象を装っている女。
舞阪理沙。
他人の嘘を見抜く『天秤』の異能力の持ち主。
「……えっと……よろしく頼むわ」
戸惑ったように呟いて、それでもぺこりと頭を下げる舞阪。トールもなんとなく頭を下げておいたが、傍から見ればなんとも言い難い光景だっただろう。
「では、頼む。明日にはおまえの頼みを聞く。細かい段取りが決まったら連絡しろ。夜には子守も終わっているだろう」
だからどう、という感情を全く見せずに言う相馬。
トールはちょっとだけ首を伸ばしてアパート前の駐車場にワゴン車一台しか停まっていないのを確認し、首を傾げた。
「まあ、今更一人増えたところで別に構わないっすけど。つーか、車で来たのに車渡したら、相馬さんはどうするんすか?」
「足の方が速い」
言って、あっさり踵を返す相馬の背中を眺めてから、トールはむっつりと黙り込んで玄関先に突っ立っている舞阪に視線を戻す。
昨日見たときと同じように、やたら陰鬱な雰囲気を出しているが……そもそもトールは舞阪に限らず相手が陰であろうが陽であろうがあまり気にする方じゃない。夜の路地裏で街灯からちょっと外れた位置に立っているのを発見すればそこそこ驚くかも知れないが、それだけのことだ。
手に持ったままの携帯端末を一瞥すれば、時刻は午前九時。
「あー……そんじゃ、中のやつら呼んで来ます。騒がしくなると思うんで、悪いとは思うっすけど、まあ、そこは我慢してください」
「別にいいわよ。あんた、車の運転は得意?」
「普通っすね」
「シロか。あたしは苦手。パス」
ぽいっ、と放り渡される電子キーをキャッチして、トールは「まあ、いいすけど」と頷いた。本当にどうでもよかったからだ。
◇◇◇
相馬が借りて来たワンボックスワゴンは、かつてのトールだったら手を伸ばす気にはならないが、ぎりぎりで手が届くかも知れない、くらいのグレードの車だった。
キーは電子ロックで、持っているだけで鍵の開け閉めが可能だし、エンジンはキーを差し込むのではなくボタンを押してスタートさせるタイプ。当然のように魔力とガソリンのハイブリッドで、エンジンを始動させた瞬間から軽自動車との格の違いを味わってしまった。
「いい趣味じゃん、トールの先輩」
真ん中の席に陣取ったシェンナが言う。確かにこの手の車はギャルっぽいやつとかヤンキー寄りの人種が好みそうだな、と偏見丸出しのことを考える。
運転手はトール、助手席にティア、真ん中はシェンナとミカと九条礼子、後ろに舞阪理沙と河合咲穂。
傍から見たらどういう集団なのか判らないだろう。トールにも判らない。
「わ、私、お友達の車でお出かけするのは、初めてですわ……」
「礼子、礼子。わたしも。トールと、お出かけ、はじめて」
「まあ、一緒なのですね。頼もしいですわ、ミカ様」
何故か緊張する九条礼子をリラックスさせようとするミカをバックミラー越しに眺めて、ついでに後ろの席で沈黙を保っている舞阪と河合も確認する。世間話で盛り上がるような雰囲気ではなさそうだが、わざわざ気は遣わなかった。
「あー……とりあえず、どっかコンビニ寄って、なんかテキトーに飲み物とか買って、まずは市役所か。それから車屋。午前中は、ミカには退屈かもな」
「礼子とお喋りしてるよ?」
「九条さんはそれでいいんすか?」
「おほほ。もちろんでございますわ。ミカ様のような方とお喋りをするの、私、あまり経験がございませんの。トールニキ様のことを教えてもらいますわ」
「……そっすか」
まあいいか、とトールはそのまま車を運転した。
自宅から市役所まではそこまで遠くない。スガイダンジョンの方が近いといえば近いが、方向が逆で、S市の都市部までは――といっても、地方都市なので知れたものだが――急がず車を走らせて二十分弱。
宣言した通り、途中でコンビニに寄り、飲み物や菓子なんかを適当に買った。支払いはトールがしたが、合計金額が三千円を越えたのに全く動じなくなっていたのが、ちょっとだけ嬉しかった。
「ボク、このアイスってやつ好きだなぁ。んふふ! 美味しい!」
安いバニラアイスでとびっきりの笑顔を見せるティア。今はファンタジー町娘の格好をしていて、聖剣ライトブリンガーはシートとドアの間に差し込んである。
ちなみにというか魔法鞄に入れようかと提案したのだが、ティアによるとライトブリンガーの『格』が高すぎて魔法鞄に入れようとすると鞄の方が壊れるかも知れないという。そんな話は聞いたことがなかったが、わざわざ試そうとは思わなかった。
「そういえば、俺から離れると現界が解けるって言ってたけど、どんくらいまでなら離れていられるんだ?」
「んーっと……そうだね、最初はたぶん五十メートルくらいだったと思うけど、今は三百メートルくらいじゃないかな。トールの魔力も上がってるし、聖剣との接続も強固になってるだろうから」
「魔力が増えれば現界可能半径も伸びるってことか?」
「そんな簡単じゃないけど、でも概ねそんな感じかなぁ。ボクもオバケになるのなんて初めてだから、よく判らないよ」
それもそうか、と頷いた。ティアが三百メートルまでは行けるというなら、たぶんそこまでは大丈夫という感覚的な確信があるのだろう。丸めたティッシュをゴミ箱に投げたら八割くらいは外さない、みたいなノリかも知れない。
特に心配はしていなかったが車内の空気感が終わっているということもなく、各々が好き勝手に雑談に興じている。シェンナが妙にニヤニヤしていたのは少し気になったが、もしかするとまた母性を発揮しているのかも知れない。
オンボロアパートに引っ越した時点で既に先住民だった猫獣人親子だが、最初の最初から、シェンナはトールに馴れ馴れしかった。同時に、きちんと距離感を取ってくれた。夜職で培った経験かも知れないし、元々の性格かも知れない。
「そういえば――平日ですけど、ミカさんは、学校、いいのですか?」
ふと思い出した、というふうに河合が言った。曜日の感覚が失せていたのでトールは言われるまで気づかなかったが、確かに平日だ。
「いいのいいの。ちゃんと学校には連絡してるし」
「トールとおでかけの方が、学校より大事」
「ミカ、学校でいじめられてるしね」
軽く言うシェンナ。初耳だったが、口調から察するにそこまで深刻な状態ではないのだろう。
「意地悪な子がいるだけ。あんなの、無視してればいい」
「アレが相手ならアタシもそう思うよ。相手がお山の大将の男子でよかったよ。あんた可愛いから、女子から嫉妬されてたら厄介なことになってたかも」
「わたし、詩織と仲良いから、大丈夫」
「ああ、あのリーダーっぽい子ね。親御さんもちゃんとしてるもんねぇ」
「ミカ様も苦労していますのね」
「礼子は、いじめられてなかった? 大丈夫だった?」
「もちろん大丈夫でしたわ。ダンジョンに潜りすぎて全く友人がいませんでしたので、いじめもなにもあったものではありませんでしたわよ!」
おーっほっほっほ! と笑う九条礼子に、猫親子は微妙な視線を注いでいた。
「やっぱり、こんなに発展してる世界でもいじめとかあるんだねぇ。人は何処でも一緒ってことかな。ちなみに、トールはどうだったんだい? 学校ってやつに行ってたんだろ? トール、集団生活は向いてないでしょ」
アイスを食べ終わって上機嫌なティアがそんなことを言ってきた。聞きようによっては失礼な発言ではあるが、莫迦にする意図はなさそうだ。
「あー……まあ、あんまり向いてなかったかもな。中学の頃、すげー面倒くさい絡み方してくるやつがいた」
「面倒くさい、っていうのは?」
「なんつーか、マウンティング野郎だな。たぶん何処にでもいるだろ。目標を定めたらそいつを扱き下ろして、俺の方がスゴイんだぜ、俺の方がカッコイイ、こいつはダサい、こいつは頭が悪い、こいつは価値がない、みたいな感じでへらへら笑って他人にアピールするやつ。猿山の猿だな、あれは」
ほとんど思い出すこともない記憶の引き出しを開けてみれば、意外とすんなり出てきてトールとしても驚いた。話し始めるまでは完全に忘れていたのに、いざ話そうとしてみればそれなりに覚えているものだ。
きちんと不快だった。
そのことはしっかり覚えている。
「トールはどう対処したの? 黙ってやられてるタイプじゃないでしょ」
「『これ以上しつこいと殴るけど』って言った。へらへら笑って続けて来たから、ぶん殴って鼻折った。後で親呼ばれて向こうの両親も交えて会議になった」
幸いにというか不幸にもというか、そいつの素行は悪かった割にそいつの両親は真人間で、治療費こそ支払うことになったがむしろ頭を下げられてしまった。トールとしても仕方がなかったので「殴ったのは悪かったが二度とウザ絡みするな」と言ってことなきを得た。以降は絡まれなかったので、思い返せば殴ってよかったと思う。
などと過去を振り返っていると、車内の全員が無言で運転席を眺めていて、どうやらミカを含めて引かせてしまったらしい。
「トールは子供の頃からトールだったんだねぇ」
と、ティアが言った。
そりゃそうだろ、と思ったが、言わなかった。また呆れられそうだったので。
◇◇◇
S市の市役所はそれなりに新しく、駐車場もそこそこ広い。
ワンボックスワゴンをなるべく建物の近くに停め、河合咲穂だけを連れて迷宮課へ。三個も迷宮を抱えている――カミオカダンジョンは消失してしまったので、抱えていた、と過去形にすべきか――ので、普通の市役所業務の他にも迷宮関係のあれこれが充実しているらしい。
平日の朝だけあって、役所の通常業務の方はそれなりに人がいたものの、迷宮関連の方はかなり空いていた。
「では、クラン新設の手続きをしてきます。まず書類をもらって来ますので、早坂さんはクランの名前を考えておくのと、携帯端末の個人IDを使うので用意しておいてください。クラン用の銀行は迷宮庁管理のもので問題ありませんよね?」
「あー……まあ、大丈夫っす」
ぺこりと頭を下げて窓口に向かう河合の背中を眺めてから、手持ち無沙汰にそのあたりの椅子へ腰を下ろす。
どうにもこの手の手続きは苦手なんだよなぁ、と建物内の様々な張り紙――ポスターだとか、なにかの制度の案内だとかを眺めていると、窓口で所員と話をしている河合の様子がちょっと変なのに気づいた。
揉めている……というか、対応をされていないようだ。
気になって、せっかく下ろした腰を上げ、近づいてみる。
「ですから、求められた書類を拒否する権利がないはずです。書類をくださいと言っているのですが、本当に拒否されるつもりですか?」
「え、だってあんた冤罪女でしょ? 迂闊に書類とか渡して冤罪の片棒担ぐことになるかも知れないし。渡せないですよぉ」
へらへら笑う窓口の女は、見たところ三十代半ばだろうか。横に幅が広く、化粧が濃くて、浮かべている笑みが醜悪だ。
どうやら昨日の配信を見ていたやつがいて、急に辞めた河合に良い感情を持っていない……のだろうか。他人事なのでよく判らない。
「あー……すんません、書類くれっつってんですけど、くれないんすか?」
仕方ないので横から声をかける。
と、バタバタと足音を立てながら走ってくる者がいた。スーツの、やや痩せた中年の男だ。インテリっぽいメガネをかけていて、その表情が焦りで引きつっている。
「ちょ、ちょ、ちょ! 山田さん! 困りますよ、求められる仕事をしてください! 申し訳ありません、早坂さん!」
かなりの勢いで窓口の女に捲し立て、思い切りトールへ頭を下げる男だったが、何処かで見たことがあるような……ないような……。
「えーっと……」
「あっ、お疲れ様です、市長」
と、河合が言った。
そういえば例の会議に来てたやつだな、と思い出した。




