第五十一話
斉藤恵美は困っていた。
朝から相馬賢吾と舞阪理沙に呼び出され、県庁から少し離れたビルの地下室でろくでもない状況確認を行うはめになったのは……まあ、仕方がない。
マネージャーの浜松菜々美と一緒に、確保していた笹森武県議をビルまで運んだのが午前八時ちょっと前。それから早坂透の自宅に泊まり込んでいたイルセリアと合流し、ビルに戻る途中でコンビニに寄り、駐車場でおにぎりを食べながら「いかにトールと仲良くなったか」という自慢話をイルセリアから聞かされた。
「私、トールと寝たのよ」
ふふん、と自慢げに言い出す少女みたいな外見のエルフに、思わず恵美はペットボトルのお茶を吹き出しそうになった。一体全体なにをどうしたらあの険悪な感じから身体の関係に持ち込めるというのか。
確かにイルセリア・リュミエステルは、超がつくほどの美人だ。
けれど恵美が見た限り、早坂透という人間は女性の美貌にはさほど興味を示していなかった気がする。あの聖剣霊ティアの容姿に対してさえどうでもよさそうだったのだ。そんなことってありえる? と思うものの、中学の時点で探索者養成学校に編入し、そこから青春のほとんどを探索者として力をつけることに注ぎ込んだ恵美としては、男女間のそういったあれこれに関する知見がなさすぎた。
なので、イルセリアの言葉はひとまず保留。
二人の間の険悪さがなくなったのであれば、まあいいのだろう。別に、恵美の貞操ではないのだし、イルセリアは少女みたいだが九十歳を超えているらしいし……いや、それはそれで、どうなのだろう。判らない。
ともあれ、そんな爆弾発言を保留したままビルに戻ってみれば、笹森武の様子はすっかり様変わりしていた。
あまり訊きたい話ではなかったし詳しい説明もなかったが、どうやら相馬賢吾が『学習』させたらしい。一夜漬けならぬ、一時間漬けくらいで。
それから、S市迷宮課の職員である佐渡山浩二を待ち、彼と彼の部下という女性が到着してから、本題に入った。
自称内閣情報調査室の男。
迷宮を消失させる黒い石。
変異しているであろうスガイダンジョンとノウミダンジョン。
ビルに菜々美を残し、恵美とイルセリアはホテルに戻った。
神楽坂千鶴と御堂アイリに状況を説明し、『アンセム』としてノウミダンジョンの調査に赴かなければならない。
昨日の今日だっていうのに。
それに否やを唱えられる立場ではないけれど……やっぱり、気は重かった。
◇◇◇
そうしてホテルに戻ってみれば、千鶴が行方不明になっていた。
アイリによると、朝から九条財閥の令嬢、九条礼子の配信が行われており、なんとトールとコラボしていたという。ビルの地下室で迷宮探索配信を確認していたので、改めて驚くことはなかったが、あとで九条礼子の配信アーカイブを確認しなきゃ、と思った。彼女とトールがどんな話をしていたのかは、普通に気になる。
ともあれ、その配信告知を見たアイリは千鶴と一緒に九条礼子の配信を見て、それからスガイダンジョンの探索配信を――こちらはトールのチャンネルで行われていたものだ――視聴していた。
そして配信が終わったところで、千鶴がふらりと立ち上がり、部屋を出て行った。配信を見ていたのはホテルの千鶴の部屋だったので、一体どうしたのだろう、とアイリは気になったのだが、待てど暮らせど戻って来ない。おまけに千鶴の携帯端末は、ホテルのベッドに放置されたまま。
「……トールくんに助けられてから、千鶴、ちょっと変だったものね」
どうして、という気持ちが八割くらい。
残り二割くらいは「やっぱり」と思ってしまった。
「私もそう思ってた。でも、トールさんが出てる配信だから、後から知ったらそれはそれでショックなんじゃないかなって……千鶴ちゃんに、見せるべきじゃなかったかも。どうしよう、あんな下着みたいな格好で、ふらふら町を歩いて……悪い男に乱暴されそうになったら、男の人たちが死んじゃうかも知れない……」
深刻そうに言うアイリだったが、心配のポイントが被害者男性に向けられていたのは、ちょっと苦笑してしまった。確かに、千鶴の精神状態がどうであれ、彼女は自分や仲間が害されそうになった瞬間、スイッチが入るだろう。
そういう意味では身の危険についての心配はあまりないのだが――連絡が取れないし、行き先も不明というのは、やはり心配だ。
「チヅル、トールと会ってから様子が変だったの? あの子は常にちょっと変だから私からするとあまり判らなかったわね」
きょとんと首を傾げるイルセリアに、恵美は小さく溜息を吐いた。そもそも、このエルフに人間の機微など判るのだろうか。イルセリア以外にエルフを知らないので、そういう種族なのか個人の性格なのかは微妙なところだが。
「千鶴も千鶴で、いろいろあるんだよ。そんなには話してくれたことがないけど」
「メグミは、多少は聞いているのね?」
「ちょっとはね。でも千鶴のことだから、気になるなら千鶴本人から聞きなよ。私の口から言うことじゃないもの」
このエルフが自分たちに対しては気を配ってくれているのは、よく知っている。なにかしら庇護欲みたいなものがあるようなのだ。恵美からしてもピンチのときには損得なしで助けてくれるし、そうやって守られるのは嬉しい。
ただ、まあ……彼女の人格を手放しに賞賛はできない。個人的には好きでいられるが、客観的にはひどいものだ。そのあたり、ちょっと気持ちが難しかった。
嫌いではないし、むしろ好きなのだが……駄目なものは駄目だ。少なくとも人間の社会においては。
そしてイルセリアの駄目な部分を是正してあげる立場では、恵美はない。たまに指摘くらいはするけれど。
「千鶴ちゃん、自棄になるタイプじゃないから、たぶん何処かのタイミングで正気に戻って、ホテルに帰って来てくれるとは思うんだけど……」
「菜々美さんからの指示で、私たち、ノウミダンジョンに向かうことになってるんだよね。うーん……でも、メンバーの心の調子が悪いなら、延期した方がいいかな」
恵美としてもノウミダンジョンの調査は乗り気とまでは言えないのだ。義務としてはやらねばならないが、とりあえずは上層から魔物を狩りつつ変異の調査になるはずで、一週間も二週間も遅らせるわけにはいかないが、一日二日で即座に『迷宮暴走』が起きるとも思えない。
「そういえば、紗凪は? まだ寝てる?」
ノウミダンジョンに入るとしても、今回は配信ナシだ。なので新宮紗凪は待機か、あるいはキャリーしてのレベル上げになるのだが……。
「まだ寝込んでるみたい。ほら、昨日、笹森県議と同じ車の中で待機してたから、かなり気疲れしちゃったみたい。カメラを持ってると平気みたいなんだけど……」
「あの子はあの子で特殊だもんねぇ」
さほど大仰な背景を持たない自分こそがむしろ変なのかも知れない、と恵美はたまに思う。本当に、かつてはただの中学生でしかなかったのだ。
「一応、ナナミに連絡入れておくわよ」
イルセリアが言って、携帯端末を取り出した。
恵美はもう一度小さな溜息を吐き、千鶴のベッドに腰を下ろした。彼女が使っている携帯端末は枕元に放置されたまま、所在なさげに転がっている。
探索配信を始めてから二年以上経っているのに、未だにコメントを打つのすら下手な神楽坂千鶴のことが、大好きだ。
大切な仲間。
探索者養成学校に編入して、同じような境遇の人たちが集められていたのに、恵美はその中にあってさえ、なお異常な魔力親和性を示していた。アイリと仲良くなれたのは、彼女が『治癒魔法』という特別をもっていたおかげもあるのだと思う。強さという点のみで恵美と競う必要がなかったからだ。
神楽坂千鶴は、当初は恵美よりもずっと強かった。魔力親和性においてはたぶん恵美の方が優れていて、魔物を倒した後のレベルアップに関しても恵美の方が千鶴よりちょっと早くて多かった。ゲームみたいにいうなら、ステータスの上がり方が大きいのだ。それでも――ひとつ年下の千鶴は、ストイックに強さを磨き上げ、ある種の卑怯者である恵美と、真っ直ぐに向き合ってくれた。
彼女がどうして恵美を好いてくれているのかを、恵美自身は判っていない。そういうことを千鶴はわざわざ口にしないからだ。いや、たぶん訊けば教えてくれるのだとは思う。でもそれを訊くのは、なんだかちょっと怖い。
おまえが強いからおまえが好きだ、なんて言われたら――たぶん、悲しくなる。そんなふうには言わないだろうと思うけれど、千鶴のことだからあっけらかんと言いのけてもおかしくない。ちょっと変なところがあるので。
千鶴は年齢がひとつ下で、彼女が探索者養成学校に入ってきたのが十四歳の頃、千鶴と出会ったのは恵美が十五才の頃……だから、もう五年のつき合いになる。
なのに私たちが共有しているものは、思ったよりも多くなかったのかも知れない。
「……おかしいわね、出ないわ」
と、物思いに耽っていた恵美を現実に引き戻すかのように、イルセリアが携帯端末を見つめながら呟いた。
「出ない? 菜々美さんが?」
そんな莫迦な、と恵美は自分の携帯端末を取り出して菜々美にコールしてみるが、着信はしているようなのに応答しない。
「笹森県議の事情聴取と、S市の迷宮課の――菜々美さんの先輩と情報共有するために、県庁の近くのビルに集まってたのよね?」
確認の意味でアイリが言う。
「ついさっきの話だよ。迷宮庁の舞阪理沙さんと、依頼を受けたS級の相馬賢吾さんが来てた。私たちはノウミダンジョンの調査をすることになって、菜々美さんをビルに残してホテルに戻ってきた。舞阪さんと相馬さんは、トールくんの危険性を確認するって言って、スガイダンジョンに……」
「菜々美さんは、ビルに残ってるのね?」
「うん。笹森県議を拘束してるから、県議の監視と世話をしてるはず……」
「なにかあったのかな?」
「うーん……」
それはここで考えたところで判るわけもなかった。ちょっとトイレに行っているだけかも知れないし、あるいは笹森県議との口論に夢中だったりするかも知れない。
最悪の場合は……緊急通信を利用して、身の危険を知らせてくれるだろう。そうなっていないということは、最悪ではないか、最悪を通り越しているか。
「……一旦、ビルに戻ってみる……でも千鶴がホテルに戻って来たら私たちの誰もいない、ってことになるかぁ。アイリに残ってもらう?」
「それでナナミに異常なしだったら、ただ時間を空費することになるわよ。たぶん今頃スガイダンジョンの入口あたりで相馬と陰気女がトールとかち合っている頃だから――アイリ、『アンセム』の共有データからトールの連絡先を教えなさい」
「えっ、トールさんに連絡するんですか?」
「もしかしたら千鶴もトールに会いに行ったのかも知れないでしょうし、向こうの現状を知っておけばこちらの対処が変わるでしょう」
「……ねえ、トールくんの連絡先、教えてもらってないの?」
素朴な疑問だったが、イルセリアは一瞬だけ停止してから問いをまるっと無視した。それで恵美は、ちょっと嫌な予感を覚える。
「えっと……菜々美さんが使ってる端末のデータがクラウドに保存されてるので、トールさんの連絡先はすぐ判りますけど……イルセリアさん、トールさんと険悪だったと思うのですけど……仲直りしたんですか?」
「私、トールと寝たのよ」
ふふん、とドヤ顔しながら自慢の髪をふぁさりとかき上げるイルセリア。
アイリの顔が一瞬で真っ赤になったが、恵美としてはなんだか嫌な予感が強まるだけだった。賭けてもいい、男女の仲にはなっていない。
よく考えればトールの傍には聖剣霊ティアがいるのだ。まさか三人であれやこれやをしていたとは思えない。想像するとかなりえっちだが、たぶん、ない。
「あ、あの、さ。二度手間になるから、スピーカー通話してもらっていい? 向こうの現状、私たちも知りたいから……」
「うん? まあそうね、構わないわよ」
上機嫌に口端を持ち上げながら、イルセリアはアイリが操作する携帯端末の画面を確認し、トールへ向けて通話発信をした。
すぐにピピピ、ピピピ、という電子音がスピーカー越しに響く。これでトールが端末を操作すれば通話が始まるはずだ。嫌な予感は強まるばかりだが、仕方ない。
ピッ、と音がして、通話が繋がる。
「トールの携帯端末ね? 私よ、S級探索者のイルセリア・リュミエステルよ。この私からの通話に応じられる幸運に感謝しなさい」
ピッ、と音がして、通話が切られた。
「…………」
「…………」
「あら? おかしいわね。もしかして操作を間違ったのかしら? 今時、携帯端末を使い慣れてないなんて、若者にしては感心しないわね」
などと呟きながら、イルセリアはスピーカー状態のままでまたトールに発信する。今度はほとんど待ち時間なく、ピッ、と通話が開始された。
「あっ、繋がったわね。トール? 聞こえているわね。私よ。そちらの状況を教えなさい。どうせもう相馬賢吾や根暗女とは合流したのでしょう?」
〈ざけんな。有り余る金と権力を使ってどっかの幼稚園に体験入園させてもらって、まともな挨拶と他人に『おねがい』をするときのやり方を保育士から教えてもらえ。ああ、くれぐれも保育士と園児たちに迷惑かけんじゃねーぞ。じゃあな。死ね〉
ピッ、と通話が切られた。
「…………」
振り返って恵美を見てくるイルセリアは、ちょっと泣きそうだった。
よくもまあS級探索者のエルフにああまで言えるよなぁ、という気持ちが二割くらい。あとの八割は、そりゃそうなるよ、という気持ち。
仕方ないので「うぐぐ」と唸りながら涙を堪えるイルセリアを無視して、恵美は自分の携帯端末からトールに通話発信するしかなかった。スピーカー機能は使わずに。




