第五十二話
またすぐに着信音を鳴らす携帯端末を眺めて、電源を落としてしまおうかとトールは思ったが、表示されている発信元が変わっているのに気づいた。
はぁ、と溜息を吐いて、通話に出る。
〈あ、もしもし。トールくんの携帯ですよね? 斉藤恵美です。えっと、二度とイルセリアからは連絡させません。すごく失礼で……その、本当にごめんなさい〉
恐る恐る、という口調で言ったのは『アンセム』のリーダー、斉藤恵美だった。声だけで判別できるほど彼女と話をしたわけではないが、ここで嘘を吐く必要もないだろうし、喋り方はなんとなく記憶に残っている通りだ。
「あー……はい。なんか用事すか?」
〈う、うん。ごめんね。うちの千鶴……神楽坂千鶴が、ホテルから消えちゃって、たぶんトールくん、そろそろダンジョンを出た頃だろうから、もしかしたら千鶴と鉢合わせしてないかなって。あと、イルセリアが言ってたと思うけど、迷宮庁の人がトールくんに会いに来てると思うんだけど……〉
恵美の喋り方はまるで部活の怖い先輩と話をする女子みたいな感じで、思わず苦笑してしまう。トールとしては、別に恵美を怖がらせたいわけではないのだ。
そういえば、いつの間にか『さん』から『くん』に変わっているな、と気づいたが、そちらの方が言いやすいのだろう。
「えーっと、神楽坂さんなら、なんかダンジョンの前にいた。相馬さんと舞阪さんにはもう会った。あと、ちょいと面倒事があった」
〈そ、そうなの? こっちも面倒事っていうか、まだ判らないんだけど、菜々美さんと連絡がつかないんだよね……〉
「ななみ――『アンセム』のマネージャーと連絡がつかない?」
これは意識的に、はっきりと口に出した。相馬と舞阪に視線をやれば、舞阪の方が即座に携帯端末を操作している。
〈うん。本当は千鶴とアイリに合流してノウミダンジョンに入るつもりだったんだけど……千鶴はいなくなってるし、菜々美さんとは連絡つかないし、イルセリアは莫迦だし。あの、ほんと、ごめんね?〉
「まあ、あんたがクソエルフの飼い主ならどうにかしろよと思うけど、そういうわけじゃないんだろ? クソがクソなのはクソが悪い」
〈あはは……それは、そうだけどね。でも、いい気分じゃなかったでしょ。ごめんね。私たち、トールくんにはずっと、みっともないところばっか見せてるよね。迷惑ばかりかけてる。何度も助けてもらってるのに〉
「それについてはノーコメントで。あー……とりあえず、神楽坂さんに替わる」
言って、携帯端末を神楽坂千鶴へ渡してやれば、申し訳なさそうに、しかしやたらはきはきと通話を始める様子がちょっと面白かった。
感性が人とズレていると言われているらしいが、まあ、言われるだろう。
「……応答しないわね」
不可解そうに舞阪が呟く。自分の携帯端末から浜松菜々美に発信してみるも、繋がらなかったようだ。
「俺と舞阪は今朝この町に到着して、まず迷宮庁が確保している『好きに使っていい場所』を抑えた。県庁に近い位置にある空のビルだ。そこの地下に笹森武を連れて来させて、舞阪の異能力を使って尋問した。それから俺たちは『妖刀使い』――つまりおまえだな。おまえの危険性を把握するためにここに来た。浜松は笹森の監視をさせておくため、ビルに残した」
状況が判らないトールのためか、あるいは魔族のルガルドに状況を教えるためか、相馬がやや大きめの声で言う。ルガルドは濡れた地面にあぐらをかいたまま、眉を寄せて相馬を見る。
「……そのマネージャー、ギルゲイルに襲われてるかも知れんぞ」
「あっ! そうそうそう! ギルゲイルって言ったよね!」
エルフからの連絡で宙ぶらりんのまま『待て』の状態になっていたティアが再起動してルガルドに詰め寄る。
「あ、ああ……」
「そいつ、人間に擬態してるときは杖を突いてて、真顔なのに唇だけ曲げるような笑い方をするやつ? 魔族の本来の姿になったら杖が変形して蛇腹剣になる、死ぬほど性格の悪いやつで合ってる?」
「何故、知ってる……?」
「ギルゲイル! 魔王の幹部の一人だよ! 生きてた――っていうか、ガルグロア国の生き残りが、ずっと生き延びてたんだ! それで『世界融合』に巻き込まれて、こっちの世界に転移してきた……!」
どうやらティアの知り合いのようだ。あまり好ましい知り合いではなさそうだし、察する限りではあまり楽しい話でもなさそうだが。
「だから、どうしてギルゲイルを知っている!?」
苛ついたふうにルガルドが言う。しかしわずかに怯えが隠せていない。それはまあ、あれだけ完膚なきまでにボコられたのだから、怯えないわけもないのだが。
ティアの方は魔族の男の怯えにはまるで構わず、トールに向き直って、わたわたと両手を動かしながら言う。
「えーっと……なんて説明すればいいのかな、魔族ってエルフと同じように長寿で、ボクは魔族の国の王を殺して来いって言われて……ガルグロア国はいろんな国からも疎まれてて、あれこれひどいこともしててさ……ボクらはいろんな国の協力を得て、戦ったんだ。ギルゲイルっていうのは、ガルグロアの幹部の一人だよ」
「あー……魔王四天王の一人、みたいな感じか?」
勘でテキトーなことを言ってみれば、ティアは大きく頷いてしまった。
「うん。だいたいそんな感じ。でも、まさか生き延びてて、おまけにこっちの世界に来てるだなんて……ボクを使ってたグイドリン王国なんて聞いたこともないって、ドワーフのおっちゃんは言ってたのにね……」
ははは、と乾いた笑いを漏らすティア。
もちろんトールとしては特に共感できないのだが、それはさておき、ふたつ確認しておく必要があった。
「なに企んでるのか予想できるか? あと、そいつはおまえより強いか?」
「無理。一石二鳥どころか五も六も狙うやつだし、本当の狙いを隠すために要らない鳥に石を投げるようなやつだもん。強さが当時のままだったら間違いなくボクが勝つよ。聞いた感じ、戦闘スタイルはそんなに変わってないみたいだし」
「少し、いいか」
相馬が手を挙げた。それで場の全員の注目が集まり、いつの間にか神楽坂が通話を終えてトールの携帯端末を困ったように持っているのに気づく。
とりあえず端末を返してもらってから、どうぞ、と相馬を促してやる。
「ひとまず浜松と笹森の様子を確認しに行きたい。カメラでも仕掛けておけばよかったが、今更笹森を始末したところであまり意味はないと考えていた。が、どうやらそのギルゲイルとかいうやつは、一見意味がないこともやりそうだ」
「はぁ……」
勝手に行けばいいだろ、と思ったが、相馬の視線がトールに向いたままだ。
「『妖刀使い』早坂透、おまえに依頼したい。悪いが一緒に来てくれ。なにもなくても、おまえが使っている魔力伝導性が皆無な鈍器の代わりになる武器をやる。なにかがあって戦闘になった場合、おまえが戦わない場合でも追加で五千万円出す」
「ご――っ、えぇ……マジすか?」
全く躊躇のない口調に、さすがにトールは驚いた。
「おまえがついて来ると、自動的にそっちの聖剣女がついて来る。その女はギルゲイルとかいう魔族より強い。そして俺は、自分の勘には逆らわないことに決めている。俺の勘は『おまえを連れて行け』と言っている。依頼料から足は出るが、構わん。物と金しか提示できんが、頼めるなら頼みたい」
やはり当然のように淡々と続ける相馬。隣の舞阪は他人事の顔をしているので、どうやら個人的な依頼として提案しているらしい。
「あー……まあ、いいっすよ。そのガギグゲゴみたいなやつが笹森県議を利用して『迷宮暴走』を引き起こしたってんなら、顔のひとつも拝んでおきたいし、なんならブチ殺したら、ちょっとすっきりするかも知れない」
「おまえが現場で自らの判断において武力を振るうことに関しては、俺自身は全て許容する。法が許すかどうかは知らんから、そこは気をつけてくれ」
「ちょーっとよろしいですかぁ!」
でかい声が後ろから響く。
高級そうな傘を差したまま、小さく会釈して、九条礼子が口を開いた。
「察するに、なかなかややこしい状況になっているようですので、私たちはそろそろお暇させていただきますわ。執事が心配しておりますので」
おほほほ、と上品ぶって微笑む。いや、実際に上品ではあるのだ。彼女のキャラクターのせいで所作が洗練されていても微笑みに気品があっても、あまりそう見えないというだけで。はたしてどう見てほしいのかは、よく判らないが。
さておき――引き際としては、悪くない判断であるように思う。どう考えてもこれ以上は探索者としての仕事ではなく、探索者を管理している側の仕事だ。
「いやぁ、すんませんね。ニキさん、クマノイポーションの金は今日の二十四時までに振り込んでおきます。配信カメラと端末の連携するときにID判ってるんで、振込先もばっちりっすよ。魔核は最寄りの迷宮課に提出してください。投資の件についても、別途連絡します。そんでは、我々はこのあたりで。また遊びましょう」
「あっ、こら、丈一郎! 私の科白をとらないでくださいまし。ではトールニキ様、ティア様、また一緒に迷宮探索をしましょうね」
「あー……はい、どうも。今回は、あざっす」
「あっ、ボクも楽しかったよ。また会おうね、レイコ」
「礼には及びませんことよ! 何故なら、私も十分に楽しみましたので! それではみなさま、ごきげんよう!」
おーっほっほっほ! と高笑いしながら去って行く九条礼子と、そんな主の三歩後ろをついて行く柏崎丈一郎。
しかし車を停めている位置は似たり寄ったりなのでトールたちもそちらへ向かうことになり、微妙に締まらなかった。
「では、俺たちも行こう。あとは車で現場に向かいながら必要なことを話す。神楽坂も一緒に乗れ。おまえのクランのマネージャーのことだからな」
「ええ、はい。菜々美が窮地だというのなら、急ぎましょう」
「ったく、ろくな仕事じゃないわね。ブラックよ、ブラック」
「えっと……ルガルドは、どうするのかな?」
ごく当然のティアの問いに、相馬は大仰に肩を竦めてから、ハンチング帽のつばを指先でなぞり、まだ地面にあぐらを書いているルガルドを指差した。
「そいつからは、これ以上の情報は得られん。人類を害そうとしていないことは判った。放置してもひとまず危険にならんし、そもそも俺の仕事ではない。浜松菜々美の安全を確認するのは、ある意味では仕事のうちだ」
「そっか。キミは、どうするの?」
軽く頷いてから、ティアの視線がルガルドへ向かう。それで一瞬だけびくりと身を竦めてから、魔族の男は不貞腐れてたように「さぁな」と答えた。
なるほど――確かに、現状ではこの魔族を締め上げたところであまり意味はないのかも知れない。舞阪理沙の『異能力』で真贋判定をしている以上、殺してしまうのはさすがに拙い気もするが、なんだか宙ぶらりんな気持ちにはなった。
だからといって、どうしようもない。
なにかいい方策があったとしても、ぱっとは思いつかなかった。
◇◇◇
「早坂透、先に伝えておくわね。今回の『迷宮暴走』鎮圧の際の活躍、それから出現した魔物二体の魔核の買取額、合わせて四億八千万円が週末までに振り込まれるわ。もちろん探索者としての活動だから、諸税は引いた額よ」
五人乗りの自動車に乗り込んで、まず口を開いたのは、助手席の舞阪理沙だった。運転席の後ろにトール、真ん中にティア、助手席の後ろに神楽坂千鶴といった形で乗り込んだが、割と車内が広くて助かった。
「それと、さっき探索者免許を正式に発行させたわ。ひとまずD級の免許が発行されるけど、すぐB級になると思う。手続き関係の書類が郵送されるはずだから、必要事項を記入して市の迷宮課に提出して。免許発行の講習はD級とC級については免除されるけど、B級の講習はさすがに免除できないから、郵送される書類から最寄りの講習所と日時を確認して、端末で申請してから講習に行って」
「あー……なんか、自動車の免許みたいっすね」
「免許には違いないでしょ」
トールの雑感に、舞阪は普通に返してくれた。
ちなみにというか、金に関してはもうなんだか麻痺してしまって、まともに驚けなくなった。四億八千万円はトール個人としては途方もない金額だが、あの『大蛇』と『五つ首』を放って置いた場合の被害額だと四千億を超えても不思議ではない気がする。なので誰かが実績に対して安すぎると言うならそうかも知れないと思うが、じゃあ四千億くれという気になるかは別問題だ。
「そういえば、私は免許の更新や講習をしていないな」
「あんたらは国の支援を受けて探索者やってんでしょうが。バックアップの人員が特別更新手続きしてるわよ。世間知らずなんだから」
「実際、世間を知らないからな」
やや棘のある舞阪に、神楽坂はどうということもなく普通に答えた。嫌味でもなければ開き直りでもない言い方に、舞阪は苦笑するしかなかったようだ。
「……まっ、そう言われればその通りね。十四の子供を掻き集めて、国のために訓練させておいて『世間知らず』もあったもんじゃないか。ごめんなさい」
「世間を知らないのは事実だから構わない。それより相馬殿、貴方は何処までを自分の仕事だと考えているのか訊いてもいいだろうか」
なんでもないことのように謝罪を軽く流し、神楽坂は運転席のS級探索者へ臆することなく問いを投げる。
自分と相対しているときは変な部分が目立つだけで、もしかすると割とまともな女なのかも知れないな、とトールは思った。
「依頼されているのは、炎上議員の言動について真偽を確認すること。可能であれば自称内閣情報調査室の男を追うこと。早坂透の危険性について判断し、問題があれば当該人物から『妖刀』と『聖剣』を取り上げること。これらの際に起きうるトラブルに対処すること。これらの仕事のために舞阪を貸し出すが、仕事中は舞阪を命に代えても守ること。以上だ」
「つまり、仕事はあらかた終わっている?」
「現状がトラブルに含まれるかどうかが争点になるだろうな。何事もないのを祈りたいところだが、舞阪が浜松にコールし続けているのに応答はないままだ」
なにかはあった、ということだろう。
「別にいいすけど、相馬さん、わざわざ高い金払って俺を雇うことにしたのは、どういうつもりなんすか?」
質問タイムの雰囲気だったので、なんとなく訊いてみる。『勘』と言っていたが、その勘働きには、なにかしらの根拠があるはずだ。
相馬はルームミラー越しにちらりとトールを見て、小さく息を吐いた。
「聖剣女――ティアといったな。俺の『石檻』を軽く粉砕したのを見るに、彼女は俺より強い。そして早坂透、おまえは俺を殺せると思っている。おまえはその判断をミスるタイプには見えない。よっておまえらは俺より強い。ギルゲイルとかいう魔族とかち合うことになるかも知れん。そいつはおそらくルガルドと名乗ったあの魔族よりも強いはずだ。あれこれ暗躍したいなら、俺ならまず舞阪を殺す」
いきなり名を出された舞阪理沙は、ぎょっとしたふうに相馬を見た。おそらくはその『異能力』で、発言に嘘がないことを理解したのだろう。
「この女の『異能力』は希少で、その希少な力の持ち主が、社会貢献に積極的なのはさらに貴重だ。では、舞阪を何処かに隠してから浜松の安全を確認しに行くか? それが狙いだったら終わりだ。A級とはいえ、実力としては神楽坂以下の女だからな。ルガルドでもぎりぎり殺せるだろう。ギルゲイルとかいうやつなら確実だろうな。であれば近くに置いておくのが結局は安全だ。その安全性を高めるために、おまえたちを雇った。一人雇えば二人ついて来るのだから、お得だ」
お得、という言い方に変なユーモアを感じて、ちょっと笑ってしまった。
「正直っつーか、隠さないっつーか……だけど相馬さん、その判断をした上で、俺の判定がもしアウトだったら、どうするつもりだったんすか?」
「そんなもの『迷宮庁に判断を報告する』とかなんとか言って、さっさと逃げ出したに決まっている。だが現実としては、俺はおまえが危険ではないと判断した。人間、根本のところはあまり変わらんものだ。今後どのようななにがあろうが、おそらくおまえは一般社会に迷惑を振り撒かない。それが俺の判断だ」
「できれば、そうありたいっすね」
へっ、と笑っておく。隣のティアがそんなトールに不思議そうな顔をしてから、ふと背後を振り返った。
背後――というより、正確には後方上空あたりに視線が向いている。
つられるようにトールも同じ方向を見てみたが、ようやく山沿いを終えて町に入ったところだ。遠くに山林があり、近くには電柱がある。
「……ルガルド、ついて来てるね」
と、ティアが言う。トールには判らなかったが、そう言うならそうなのだろう。
「しかしあの男、どうして私に突っかかって来たのだろうか。人間に擬態していたのを解いてまで戦う必要などなかったはずだが……」
「うーん……たぶん、莫迦なんじゃない?」
あまりにも容赦のないティアの推測だったが、そういうものかも知れない。
推理小説だったら怒られるところだが、人は大抵の場合愚かだし、矛盾するし、先も読めず、その場のノリで物事を決めたりもするのだ。
ギルナントカとかいうやつは、どうなのだろう?
そんなことを思った。




