第五十話
トールがスガイダンジョンを出てから、まだ五歩くらいしか歩いていない。
ぽつぽつとビニール傘を叩く雨粒の音を聴きながら、ようやくの六歩目を踏みしめることになったが、向かう先はティアがボコボコにした『魔族』とやらの元。
S級探索者を名乗った相馬賢吾と、嘘発見器の舞阪理沙がトールより先を歩き、着替えを済ませた神楽坂千鶴がトールの後ろ、さらに後ろを執事の柏崎丈一郎、執事に守られるようにして、最後尾に九条礼子。
「あー……その、悪いんだけど、状況が掴めてない。なんかあいつがボコったやつは『魔族』だそうだけど、そもそも、なんでその魔族とかいうのが、空中で石の蕾みたいなのに捕らえられてたんだ?」
「俺たちがここに着いたときには、神楽坂千鶴が例の人物と戦っていた。とりあえず神楽坂の方が知り合いだったから、相手側を俺が捕縛した形だ。状況を整理するかという段でおまえたちがダンジョンから出てきた」
誰に言うでもないトールの疑問には、相馬賢吾が答えてくれた。
革ジャンにハンチング帽、やたら体格のいい強面の中年――特に理由はないのだが、トールとしては嫌悪感のない相手だ。
とにかく端的で、判りやすい。
先程の質問連打も、必要だから問うていると態度に出ていて、じゃあ真面目に答えようという気になった。偉そうというなら偉そうなはずなのに、アンセムのマネージャーやクソエルフとはなにが違うのだろう、とトールは我ながら不思議だった。
「あー……神楽坂さんから見た状況は?」
なんとなく水を向けてみれば、ちらっと振り返っているだけなのにはっきり判るほど神楽坂千鶴の背筋が張り詰めた。まるで上官の命令を耳にした下士官だ。
「はっ! その……非常にお恥ずかしい限りですが、九条の娘の配信と、トール様の配信を、視聴させていただきました。そこで、私は、あの……自分自身にひどく落胆してしまったのです。気づけば携帯端末も持たず、習慣で身に着けている魔法鞄だけを持って、裸足で町を歩いていました」
「…………」
急に先を聞きたくなくなったが、トールは我慢した。
「ふらふらと歩き続けているうちにいつの間にか県道へ出て、山沿いを歩いていると、何故かここ、スガイダンジョンまで来てしまいました。もしかすると、無意識にトール様に会いたかったのかも知れません。トール様の迷惑も考えず、自身の傷心すら自分で処理することもできず、なんとも情けないことです」
なんだか知らないが傷心だったようだ。
しかし自らの傷心をここまではきはきと喋るのは、かなり珍しいのではないか。いつの間にか『様』づけが復活していたのは怖いところではあるが、ちょっと面白いなこいつ、と思ってしまった。
「さておき。ふらふらとスガイダンジョンの前まで来たところ、さきほどティア殿が倒した魔族に遭遇しました。といっても、最初は普通の人間の姿をしていましたが。彼は迷宮課の職員を名乗り『迷宮暴走』後のスガイダンジョン入口を調査しに来たと言いました。私はそれを怪しみました。身分を明かすものを見せろと言いましたが拒否され、調査と宣いながらカメラも持っていない。駐車場は壊れているので使えませんが、調査に来たのであればその手前に車を停めているはずです。おそらく九条の執事が運転したと思しきレンタカーしか停まっていなかった。ふふっ、ぼんやりとふらふら歩きながら、そんなことは覚えているのだから、おかしなものです」
確かにいろいろおかしい。主に神楽坂千鶴が。
と思ったがトールは黙って続きを待った。
「少々煽り合いをして、私はそいつの所属と目的を問いました。答えは『所属は悪の秘密結社』『目的は世界平和』でした」
「シロよ。神楽坂は嘘を吐いてない」
「私は嘘を吐くのが上手ではないからな」
補足を入れる舞阪に、神楽坂千鶴は当然とばかりに頷いた。そういう態度が舞阪にとっては嬉しいのか、小さく苦笑を洩らして肩を竦めるのが、悪くない光景だった。
たぶん――と、トールは思う。
嘘を見抜ける、見抜けてしまう舞阪にとって、そもそも嘘を吐くという発想が薄い神楽坂千鶴のような相手は、好ましいのだろう。
「所属は悪の秘密結社、目的は世界平和、ねぇ」
胡散臭すぎて、逆によく判らない。騙したいならもっとましな嘘を吐けばいいはずだし、知られたくないだけならば黙っていればいい。
わざわざそんなガキのごっこ遊びみたいな嘘を吐く理由は……?
そんなことを話している間に暴行犯と被害者の近くまで辿り着き、トールはティアによってボコボコにされた『魔族』を、ようやく間近で見る。
なんというべきか……まあ、暴行事件の被害者だ。
昨日の『大蛇』が暴れ回った跡地なのでアスファルトが捲れて地面が剥き出しになった場所にそいつは転がっていて、全身を余すところなく殴打されている。雨が降っているせいで泥まみれにもなっており、追撃を受けた両足は、どちらも膝のあたりから曲がるべきでない方向に曲がっていた。
「おまえ……結構、容赦ないのな」
「だって、魔族ってすぐ逃げるんだよ。なんか思わせぶりなこと言ってさ、ちょっと形勢悪くなったら被害者だけは増やしてから逃げるのがパターンなんだ。しかも次に会ったときだって別に強くなってるわけじゃないのに、前の負けなんて知りませんみたいな顔するし。エルフとは違った意味で嫌になるやつらなんだよ」
珍しく不満そうな顔をするティアに、トールは「ふぅん」と雑に頷いて、持っている傘に入れてやる。そんなことをしていると、相馬賢吾と舞阪理沙が地面に転がっている『魔族』へ向かって問いを投げた。
「よう。S級探索者の相馬賢吾だ。おまえは魔族だそうだが、それは本当か?」
「……死ね、バーカ」
半死半生といった様子なのに、それでも『魔族』の男は目だけをギラギラと光らせながら相馬を睨み、笑みを浮かべて見せた。
が、相馬は全く取り合わず、骨折している脚をそれなりの威力で蹴っ飛ばし、悲鳴を上げる『魔族』へ、続けて言う。
「いい悲鳴だな。秘密結社に所属していて、目的は世界平和だったか。なにから訊けばいいか迷うが、おまえが魔族であるかどうかをまずは知りたい。といっても魔族とはなにかを俺は知らんが、自認は魔族なのだろう? そうだな、我慢強いようだから、おまえが魔族でないなら、痛みで声を洩らしたりしないはずだ」
間髪を入れず、蹴りが入った。
S級探索者の蹴りだ。鈍い音がしたと思えば、男の身体が地面から垂直に浮かび上がり、すぐに重力に従って落下した。
「――ッ、あっ、ぐっ――!」
「ほう。いい声で鳴いたな。ということは、おまえは魔族だな」
「っ、ふっざけんなテメェ! 知らねぇな! 魔族ってなんのことだ!」
「クロね。知っているし、こいつは自分を魔族だと思っている」
舞阪が断言する。相馬はうんざりしたように溜息を吐き、少し考えるようにしてから、問いを続けた。
「なんとも面倒なことだな。秘密結社に所属しているのは本当か?」
「…………」
黙る魔族にまた蹴りが入り、ちょっと浮いて、また落下。どうしようもなく呻き声が洩れて、相馬はうんざり顔のまま、ハンチング帽のつばに手をやった。
「また鳴いたな。なるほど、肯定か。秘密結社に所属している魔族。おまえは昨日、このS市で起きた『迷宮暴走』に関係しているのか?」
「っ、ざ、けん……じゃ、ねぇよ……」
「シロ。していないようね。少なくともこの男は、関係していない」
またも断言する舞阪。彼女がどういった基準で他人の嘘を見破っているのかはトールには判らないが、相馬が信を置いているようなので、疑うだけ無駄なのだろう。
「ほう、意外だな。ここには調査に来たと神楽坂に言っていたらしいな。つまるところそれは『迷宮暴走』に関係している人物の調査か?」
「……はっ、知らねぇな……」
「クロ。知っている。感覚的には……そうね、笹森に迷宮を消す石を持たせた人物に心当たりがある、ような感じね」
「――っ!」
息を呑む魔族だったが、トールには意味が判らない。
という表情を読んだのか、相馬が小さく肩を竦めてトールに向き直った。
「そういえば情報を共有していなかったか。どうせおまえのようなやつは巻き込まれるに決まっているから、共有しておくぞ。例の笹森武に迷宮を消失させる黒い石を渡した人物がいる。自称内閣情報調査室の男だ。笹森はそいつの指示通りにカミオカダンジョンへ向かい、石を投げて迷宮を消失させた」
「内閣情報調査室?」
「内閣官房が有している調査組織だな。『内調』とか呼ばれる組織をフィクションで見たことはないか? まあ、俺も組織の全貌を知っているわけではないが」
「あー……聞いたことがあるような、ないような……その、自称内閣情報調査室の男が、あの議員に迷宮を消すアイテムをくれてやったってことっすか?」
「ああ、そうだ」
「で、あんたらは内閣に確認は取ったんすか?」
「なにかしらの確証を得られるまでは訊いたところで無駄だと判断した。自称内閣情報調査室の男が嘘吐きだった場合、内閣は『知らない』と答えるし、本当だった場合も『本当だ』とは答えないからだ」
「嘘発見器がいるじゃねーすか」
「権力者が嘘発見器の前に出てくると思うか? 目の前にいないと嘘発見器は作用しない。この女になにかしらの決定権が与えられることはないし、ひたすら現場に出されているのはそういうことだ」
「嫌な話っすね」
「同情してくれてもいいわよ」
「気が向いたら、寝る前にでも同情しておきます」
「……それ、シロなのがビビるわね……」
さておき。
相馬の言は一見理屈が通っているように思えたが、トールとしては妙に引っ掛かった。なにか根本的なところで間違っているような気がするのだ。
「あー……その、迷宮を消し去る石ってのは、どうやって使うんすか?」
「冗談のような話だが、外から迷宮の入口に放り投げればいいらしい」
「マジすか」
本当に冗談のような話で思わず疑ってしまったが、舞阪理沙の『異能力』を使って得た情報に決まっている。トールは視線をティアに移し、彼女がこくりと首肯するのを確認してから、頭の中を整理する。
足元に転がっているズタボロの魔族。
笹森武に『消失石』とでもいうようなアイテムを渡した男。
自称、内閣情報調査室……どうしてそんな自称を?
「あー……素人質問で恐縮なんすけど」
と、トールは手を挙げようとして、傘を持っていない手には鉄筋鈍器を持っていることに気づき、ちょっと身体を揺らすだけになった。
相馬賢吾は非常に嫌そうな顔をして、ハンチング帽のつばを指先でなぞってから顎を動かし、トールの発言を促した。
「なんで自称内閣情報調査室の男は、外から入口に石を投げるだけの簡単な仕事を自分でやんなかったんすかね」
「あ――」
「あ……」
考えもしなかった、みたいな顔をする相馬と舞阪に、トールはマジかよこいつらという気持ちを抑えきれなかった。いや、口から出すことは堪えたが、たぶん表情に出ていた。なんでそのくらいのことを考えなかったんだ。
「わざわざ笹森にやらせたってことは、笹森の口から『自称内閣情報調査室の男に石を渡された』って情報が漏れることを期待してた、って考えてよさそうな気がしますけどね。じゃあ、なんでそんなことを? 効果としては、あんたらを混乱させるためってのが、まず単純に予想できる。実際、余計なことを考えてうだうだしてるし」
内閣に確認を取るか取らないか。
自称内閣情報調査室の男が何者なのか。
そもそも『消失石』とはなんなのか。ストックがあるとすれば、どのくらいあって、次は何処で使われるのか。わざわざ『迷宮暴走』を起こした意図はなにか。
そんなもん、判るわけがない。
判るわけがないことを考えている。
「じゃあ、逆に考える。笹森が迷宮を消さず、その男が自分で消して、さっさと行方を眩ませたとする。カミオカダンジョンがいきなり消えた理由は謎のままだ。そうしたら、あんたらはまずなにをした?」
「……おそらくは、まずおまえの危険度を測りに来た。いずれにせよ、おまえと『聖剣使い』が暴走によって生じた魔物を討伐しただろうからな。これはかなり優先度の高い仕事だった。そして変異していると思われるカミオカダンジョンとノウミダンジョンの調査をしただろう。事後対応については迷宮庁の上の連中が、内閣と折衝して適当なカバーストーリーを捻り出したはずだ」
「そして大衆向けに情報発信をしていたはずね。まあ、これは現状でもやらなければならないことだけど」
「となると、政府発表を遅らせたかった、迷宮探索を遅らせたかった、もしくは迷宮庁と内閣を揉めさせたかったか、協力させたくなかったか……」
そこまで言ってから、トール自身にとっては割とどうでもいいことだな、と気づいてしまった。この件に関しては、どう考えても自分の仕事ではない。
はぁ、と嘆息するトールに、相馬は訝るような視線を向け、それから気を取り直したように神楽坂千鶴に向き直った。
「……そういえば神楽坂、おまえはどうしてここに……いや、どうして、というのは説明していたか。おまえが大人しくホテルに待機していたなら、今頃『アンセム』のメンバーはノウミダンジョンに入っていたはずだが」
「むっ、そうなのか。菜々美から待機を命ぜられてはいたが……そういえば携帯端末を携帯していなかった。連絡の取りようがないか。もしかするとリーダーや御堂さんには心配をかけているかも知れないな」
申し訳ないことをした、と肩を落とす神楽坂千鶴だったが、相変わらず本題は放置されっぱなしだ。
トールは足元へ視線を向け、遠い眼をして空を仰いでいる魔族へ声をかけてみることにする。ちょっと離れた位置で九条礼子と執事がぼんやりと突っ立っているので、これ以上つき合わせるのも悪いだろう。
「あー……魔族のあんた、どうせ状況的には詰んでるから、あとは時間の問題だろ。どいつもこいつも優しくはしてくれなさそうだし、吐くもん吐いて、すっきりした方が話が早いんじゃねーの? あんたは『自称内閣情報調査室の男』の仲間じゃないってことだし……もしかすると、魔族の内輪で揉め事でもあんのか?」
「……なんで、そう思う?」
ぎろりと睨まれるが、いくら薄紫の肌の怖そうな亜人とはいえ、ボコボコにされて地面に転がっている状態の者を恐れるわけもない。こいつが咄嗟になにをしようが、たぶん対処できる――そんな感覚すらあった。
「いや、なんか……『自称内閣情報調査室の男』ってのが魔族だとしたら、身内の不始末をどうにかしに来たんじゃねーのかな、って。あんたは秘密結社で世界平和を目的として活動してんだろ?」
「……おまえ、名はなんていう?」
「そういうときはまずは自分から名乗るんじゃねーのかよ。呼びたきゃトールって呼べばいい。で、石野郎の正体は魔族なのか?」
「……ああ、そうだ」
「シロ」
舞阪の保証があり、それでティアが魔族に掌を向けた。
なにか淡い光が魔族の男を包み込み、見る見るうちに外傷が癒やされていく。口の端から流れていた血はそのままだったが、腫れていた頬や切れていた額の傷が塞がり、折れていた両足が元に戻っていく。
十秒もかからず、完治。
魔族の男はいきなり逃げ出すでもなく、一度身体を起こしてから濡れた地面に胡座をかき、何故かトールに視線を合わせたまま、口を開いた。
「ルガルド。それが俺の名だ。細かいことは言えない。俺の判断では言えないということだ。言えるのは……俺たちは、おまえらの敵じゃないってことだ。迷宮を暴走させたり、人類に害を為したりすることは、俺たちの目的じゃない」
「……シロ、ね」
「んで、石野郎は、元々はおまえらの仲間の魔族だった?」
「……ああ、そうだ。やつを中心として、数人が俺たちの元を去った。やつらが人類にとって害になることをすると、やつらと同じ魔族である俺たちの立場が拙いことになるし……俺たちは、この世界の人類を害したいわけじゃねぇ」
「これもシロ、ね」
「石野郎の目的は? なんで『迷宮暴走』を起こさせたんだと思う?」
「判らん。判らんが、なにかの目的があるんだと思う。ギルゲイルの野郎は、元々は俺たちの中心人物の一人だったが……」
「ギルゲイルだって――!?」
不意にティアが大きな声を出した。どうやらその名に心当たりがあるらしい。
誰もが聖剣使いに視線を注ぎ、注目を集めた当人が真顔で頷いた瞬間、
ピピピピ――と、電子音が響いた。
トールの携帯端末が着信を知らせる音だ。
随分と間の悪いことだな、と鉄筋鈍器を地面に落とそうとして、そういえば魔法鞄があるのだと思い出した。習慣になっていないので忘れていた。身に着けている魔法鞄に鈍器を収納し、ポケットから携帯端末を取り出す。
画面に表示されているのは知らない発信元。なんだか今日はこんなんばかりだな、とトールはその場の全員に向けて肩を竦めてから、通話に出る。
〈トールの携帯端末ね? 私よ、S級探索者のイルセリア・リュミエステルよ。この私からの通話に応じられる幸運に感謝しなさい〉
「…………」
ピッ、とトールは無言で通信を切った。
再び携帯端末が着信を告げてきたので、あまり意味はなかったが。




