羅針盤
最初に思った感想。
それは、僕よりも弱く見えたということだ。
「ゴホッ、ゴホッ!」
「兄貴」
あのトリスさんが、必死になって肩を貸している。
仲が良いと思う。
「お前が叫ぶからだろう。
私の心臓ももう長くないんだから」
「⋯⋯っ」
肩を貸すトリスさんの表情は、今までにない暗い顔だった。
「すまないね、君。
後で言って聞かせる。
⋯⋯私はガ──」
「貴方は死なない」
力強く、だけど静かに響く。
「やめなさい。
私はもう長くない。
気にすることではない」
「今、俺達後輩を集めてるんです」
「後輩⋯⋯?」
「今回は兄貴のなんでしたっけ?
お告げだったかなんかだったと思うんですけど、密かに、集めてるんです」
「子供を⋯⋯かい?」
頷くトリスさん。
すると少し難しい顔をした兄貴と呼ばれる人が低く、だけど強い言い方で聞く。
「⋯⋯"契り"は結んでいないだろうね?」
なんだろう?
契りって。
「はい。
貴方がそういつも言っていたから」
そう歩き出す兄貴と呼ばれる一人の大人。
大丈夫だと言い、ゆっくり、ただ強く。
──目の前にやってくる。
「エオ、それが君の名前かい?」
目の前に立つこの兄貴と呼ばれる大人を、見上げる。
それでも分かる。
この人は⋯⋯間違いなく"強い"。
デンデラと同じ匂いを感じる。
「はい⋯⋯っ」
手が僕に伸びる。
殴られると思ってビクッとした時。
ただ優しく僕の髪に触れてくるのを感じた。
「素直で、恐れがなくて、力強くて、冷静。
この世界で必要な物を君は持っているね」
なんだろう。僕は。
大人と言うのはみんなが怖い人だと思っていた。
「大人になったばかりなんだってね?
12歳まで懸命に生きたんだね」
騙されてはいけない。
そう分かっているのに。
「何故⋯⋯泣いているんだい?」
「⋯⋯っ、わっ、分かりません」
自分でも全くわからない。
ただ、その優しくて今にも無くなっていきそうな声とこの冷たい胸の中で、静かに泣いていた。
「よしよし。
私も昔はこんな風に""お母さん""に甘えていたんだよ」
「お母さんってなんですか」
「ん?あぁ、そうか。
知らないよね。
気にすることはない」
その意味は分からなかったけど、ただ僕は言葉にできない揺れる身体の動きが止まることはなかった。
*
「泣きやんだかい?」
「ぐう⋯⋯っふ」
「さぁ、エオ」
見上げる。
無くってしまいそうな綺麗な瞳。
「きれい」
「そうかい?
私の瞳はお母さんに似ていてね。
グレーって言うんだ」
「ぐれー?」
「⋯⋯うん。
子供ならまだまだ知らないことがいっぱいあるよね。
これから沢山覚えられるよ」
「は、はい!」
「ふふっ。
良い返事だ。
昔の子ども達のことを思い出すね」
風が、髪を揺らした。
まるでそれに応えるかのように。
前髪をかき上げ、その輝く瞳を魅せながら空を見上げた。
「空は素晴らしい。
私達のことなど気にも留めない。
私達に好きにしろ──そう言ってるように聞こえるね」
なんてきれいな人なんだろう。
髪が長くて気付かなかったけど、このなくなってしまいそうな変わったモノが僕の心をトントンされている。
「トリス。
私の最後の子供達は立派になったかい?」
「いいえ。
碌でもない奴らになりました。
アイツら⋯⋯小さい徒党を組んで未だに勢力争いを」
「そうかい。
そうだね⋯⋯凄い、悲しいね。
トリス、君は分かるかい?
私の憂う気持ちが」
「はい」
振り返るとそこには片膝を付いて頭を下げるトリスさんの姿があった。
初めてだ。
出会った時とは別人。
「ところで、サヴァンは元気にしているのかい?」
「はい、一応エオのいる村にはよく行っていたみたいですが」
「サヴァンも苦労したよね。
数百年⋯⋯後継者を探すのに苦労しただろうに」
何を話しているのかさっぱりだけど、凄い深い何かがあるのだと言うことはすぐわかる。
「エオ」
屈んで僕の頭を撫で、目を同じ高さまで合わせてくれる。
「綺麗な髪だね」
前髪を退かし、僕の目を見る。
「エオは将来何になりたい?」
「どういう事ですか?」
大人の資源になったら、自由はないってみんな。
「私はね、少しみんなの知ってる大人とは違う。
私は──浪漫を求めたんだ」
「ろまん?」
「そう。
エオの知ってる言葉だと⋯⋯夢、叶えたい事、目標とかかな」
「そ、それなら⋯⋯!」
僕にはあるから。
大きなろまん、ある!
「おっ、この小さくて前も見えない髪に宿っているのか。
⋯⋯それはなんだい?」
「──"みんな友達になることです"!!!」
「っ、」
「おっ」
発した僕の言葉に二人が見合うと、すぐに笑い出す。
「「あはははははっ」」
何かおかしいことを?
「イイね。
私達に必要なモノ⋯⋯エオはもう持っているんだね。
やはり。
トリス、これも運命の巡り合わせなのかな?」
「運命?」
「私もかつては浪漫を求めた。
今ではこんな身体になってしまったが」
「兄貴の⋯⋯ろまん、ってなんですか?」
「私の名前はそうだね⋯⋯ベルでいい」
「ベル様?」
トリスさんの言葉や態度から、そうした方が良いよね?
「ははっ、悪くない。
でも、ベルさんでいいよ」
「べ、ベルさんのろまん、って?」
「私はね、争いを無くすために頑張ったんだ。
この世界みんなが平和になるように」
僕と⋯⋯同じだ。
「あ、争いって、戦うことですよね!?」
「そうだよ。
だから私が説けば何とかなると思ってたんだ。
⋯⋯だけど違った」
ベルさんは僕のような細い身体を見つめて、目をぱちぱちする事なく眺めている。
「浪漫だけでは、世界は何も変わらないってことが分かったんだ」
顔が諦めていると言っているような。
でも、それは未来の僕にも言えることだ。
でも。
⋯⋯でも。
「僕がなります!!」
「ん?」
僕を見て笑うベルさん。
──みんなが。
「みんながお腹いっぱいになるように!」
そう。
みんなお腹いっぱい食べられて。
「みんな仲良くして!」
みんな仲良くなれば、絶対に戦わない!
みんなで分け合う!
「色々なご飯をみんなで分け合っていけば!」
そうだよ。
僕は間違ってない。
「僕が──強くなって、その浪漫を、見せます!」
大人の資源になるのは僕の心とは合わない。
けど、この人達なら。
「「⋯⋯⋯⋯」」
静かに僕を見る二人。
すると頷き合って。
「では、エオ⋯⋯」
その運命は切り替わる。
「──言い忘れていたね。
我々は今は亡き浪漫を追う勢力」
スッと僕に手を差し出すベルさん。
「羅針盤の一員として歓迎するよ。
”最後”のお告げの力だ⋯⋯大物を引いたよ、よろしくね」
──将来の頭。
そう言って。




