EP 10
ただいま、ポポロ村。極上の『半額もやし炒め』
視界を覆っていた転送魔法陣のまばゆい光が収まると、そこは、見慣れた木造建築のリビングだった。
「……あ、あぁ……」
ポポロ村、村長宅。
ほんの数日前まで当たり前のように過ごしていた、暖かくて、静かで、磯の臭いもカニの生臭さもしない、平和な空間。
「帰って……きた……! シャバよ! シャバに帰ってきたのよぉぉぉっ!!」
「床が揺れてない! 寒くない! ムチを持ったオークもいないわぁぁっ!」
ルチアナとラスティアが、リビングの真ん中に鎮座するコタツ(夏なので冷感仕様)にダイブし、畳に顔を擦り付けて号泣し始めた。
三日三晩、極寒の北の海でカニの殻を剥き続けた彼女たちにとって、ここはまさに天国そのものだった。
「うぅぅ……長かったですぅ……。もう一生分のカニは見ましたぁ……」
リーザも、ボロボロになった作業着のまま、畳の上で大の字になって安堵の涙を流している。
「ははっ、酷い有様ですね。とりあえず、お風呂でも沸かしましょうか」
「わたくし、皆さんの作業着を特製ポーションで洗濯(消臭)してきますぅ!」
ルナとクロエが、甲斐甲斐しく立ち回る。
俺も、ようやく肩の荷が下りた気分で、コタツの定位置に腰を下ろした。
「……まあ、色々あったが、無事に借金3000万ゴールド(30億円)もチャラになったし、首の皮一枚繋がったな」
俺がそう言って一息ついた、その時だった。
きゅるるるるるるるぅぅぅぅぅぅぅっ……!!
部屋中に、雷鳴のような凄まじい腹の虫の音が鳴り響いた。
音の発生源は、言うまでもなくルチアナ、ラスティア、リーザの三人だ。
「……お腹、空いたわ」
「当然よ……あのバカでかいカニを、魔力なしの物理だけでタコ殴りにしたんだもの……。カロリーの消費量が尋常じゃないわ……」
そういえば、ここ数日まともな飯を食っていない。
魔工船では、高いビールと焼き鳥に全財産を溶かし、その後はずっとゲロを吐いていたのだから無理もない。
「ご主人様! わたくし、すぐにご飯を作りますね! ……あ」
キッチンに向かったルナが、冷蔵庫(魔導冷却庫)を開けて固まった。
「どうした、ルナ?」
「……数日家を空けていたので、食材が完全に空っぽです。保存食のサンライス(お米)も、底を突いています……」
「な、なんだってー!?」
ルチアナが絶望の声を上げる。
「大丈夫よ! 私たち、借金はチャラになったんだから、L-Payで出前でも頼めば……」
ラスティアが魔導通信石を取り出し、残高アプリを開く。
『現在の残高:0G』
「「「…………あ」」」
三人の動きが完全に停止した。
そう。借金はゼロになった。だが、もともとFXのレバレッジで吹き飛ばした「ルチアナとラスティアの貯金」が戻ってきたわけではないのだ。
「ぜ、ゼロ……? 私の月人きゅん貯金、本当に全部消えたまま……?」
「嘘でしょ……。3000億の価値がある伝説のカニを倒したのに、私たち、一円も報酬もらってないじゃないのよぉぉぉっ!!」
ルーベンスの査定は、あくまで「借金の相殺」に全額充てられたのだ。
つまり、今の彼女たちは、借金こそないものの、正真正銘の『無一文』であった。
「……詰んだ。餓死する……」
神と魔王が、再び真っ白な灰となって畳に転がった。
だが、その絶望の淵で。
「……フフッ。甘いですね、神様、魔王様」
立ち上がったのは、不屈の極貧アイドル・リーザだった。
彼女は、ボロボロの作業着のポケットから、大切そうに『一つのビニール袋』を取り出した。
「リ、リーザちゃん……それは!?」
「ポポロ村に転送された直後、皆さんが我が家に感動している隙に、ルナミスマート(スーパー)の裏口に走ったんです! 閉店間際の、奇跡の戦利品ですぅっ!」
リーザが誇らしげに掲げた袋。
そこには、鮮度を保つためにパンパンに膨らんだ袋に入った、白くて細長い野菜。
そして、燦然と輝く『半額(10G)』の黄色いシール。
「もやし……! もやしじゃないかぁぁぁっ!」
俺が思わず叫ぶ。
「はい! 私の靴底に隠していた最後のヘソクリ(10G)で買いました! さあルナさん、これを!」
「承知いたしました! リーザさんの命を繋ぐ輝き、無駄にはしません!」
ルナがもやしの袋を受け取り、神速のスピードでキッチンに立つ。
魔導コンロの火力を最大にし、熱したフライパンに少量のゴマ油を引く。
ジュワァァァァァァッ!!
食欲を限界まで刺激する、香ばしい油の匂いがリビングに広がる。
ルナの神狼の動体視力と完璧な火加減により、もやしはシャキシャキの食感を一切損なうことなく、フライパンの上で美しく宙を舞う。
「味付けは、シンプルに塩と粗挽き黒コショウのみ! 極限まで空腹になった体には、この塩分と油分が最高の『ごちそう』になります!」
ササッ、と見事な手つきで調味料が振られ、あっという間に『極上の半額もやし炒め』が完成した。
大皿にこんもりと盛られたそれは、湯気を立て、黄金色のゴマ油を纏ってキラキラと輝いている。
「さあ、お召し上がりください!」
コタツの上に、ドンッ!と大皿が置かれた。
箸を持つ手は震え、神も魔王もアイドルも、我先にとその「もやし」に群がった。
「あむっ……! しゃきっ……!」
リーザが、一口頬張る。
「……っ!!」
ルチアナとラスティアも、無言でもやしを口に運ぶ。
シャキシャキとした完璧な歯ごたえ。
労働で汗とゲロを流し尽くした体に、ガツンと染み渡る塩気とコショウのパンチ。
そして、ゴマ油の芳醇な香りが、鼻腔を突き抜けていく。
「……おいしい」
ポロリ、と。
ルチアナの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
「おいひい……。何よこれ、天界のネクターより、最高級のホーン・ボア肉より……おいひいわよぉ……っ」
「うわあああんっ! 五臓六腑に染み渡るぅぅっ! 生き返るぅぅっ!」
ラスティアも、ボロボロと涙をこぼしながら、一心不乱にもやしをかき込んでいる。
エンペラー・キングクラブの極上のカニ味噌など目じゃない。
極限の労働と絶望を乗り越えた後の、このたった10Gの「もやし炒め」こそが、今の彼女たちにとって世界で一番美味い、至高の料理だったのだ。
「えへへ……。よかったですね、皆さん」
リーザも、口の周りを油だらけにしながら、幸せそうに笑っている。
数千万ゴールドが飛び交い、伝説の魔獣を屠った大冒険の果てが、コタツで囲む一皿のもやし炒め。
俺は温かいお茶をすすりながら、そのあまりにも貧乏くさくて、しかし最高に幸せそうな光景を眺めていた。
「……まあ、悪くないオチだな」
「はいっ! プロデューサー!」
リーザが、箸を持ったまま俺に向かって、極上のアイドルスマイルを向けた。
「私、やっぱりこの味が一番好きです! もやし、最高ですぅっ!!」
ポポロ村の小さな村長宅に、笑い声とシャキシャキという咀嚼音が、いつまでも温かく響き渡っていた。




