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EP 9

ルーベンスの美学と、イカサマ班長の失脚

『リーザ様の借金3000万ゴールド。……今ここに、完済チャラと認めます』

インテリ極道ルーベンスのその一言で、魔工船『マグローザ・ホープ』の甲板は歓喜の渦に包まれた。

「うわああああんっ! 終わった! 私のカニ剥き人生、終わったぁぁぁっ!」

「月人きゅん……! 今帰るわよぉぉぉっ! カニ味噌臭いままだけどぉぉっ!」

ルチアナ、ラスティア、リーザの三人が、砕け散ったエンペラー・キングクラブの残骸の上で、涙と鼻水とカニの体液にまみれながら抱き合って喜んでいる。

絶対的な「経済の縛り」から解放された瞬間だった。

だが、その感動的な(?)空気をぶち壊す、野太い怒声が響き渡った。

「ま、待てェェェェェッ!!」

腰を抜かしていた第三解体班の班長ゴメスが、血走った目で立ち上がった。

彼の手には、地下の『チンチロ賭場』でルチアナから巻き上げた「10年分の強制労働契約書」が握りしめられている。

「ル、ルーベンス様! こいつらがゴルド商会に作ったFXの借金がチャラになったのは認めましょう! だが! こいつらは俺との個人的なギャンブルで負け、80万Kの没収と、10年間俺の下で無給で働くという『血判契約』を交わしているんですぜ!」

ゴメスが勝ち誇ったように契約書を掲げる。

借金がチャラになっても、労働契約が残っていれば意味がない。

「……ルーベンス、俺は『借金』の回収業務を委託されただけで、船内の個人的なギャンブルの契約までは管轄外だ。規約上、その契約書は有効と言わざるを得ない」

ルーベンスが眼鏡を押し上げながら、淡々と事実を述べる。

「ひぃぃぃっ! そんなぁっ!」

「またカニを剥くの!? 10年も!?」

一瞬にして天国から地獄へ突き落とされ、三人が絶望の顔になる。

「ヒャハハハハッ!! そういうことだ! てめぇらは結局、俺の奴隷として――」

「なぁ、班長さんよ」

俺はコタツから完全に這い出し、ゴメスの前にスッと歩み出た。

「その契約が成立したのは、あんたが『シゴロ(四五六)』を出して勝ったからだよな? ……クロエ、さっき地下の賭場から回収しておいたアレ、出してくれるか」

「はいっ! ご主人様!」

クロエがポシェットの中から取り出したのは、ゴメスが勝負の瞬間にすり替えて使用した、三つの特別なサイコロだった。

「て、てめぇ……! いつの間に俺のサイコロを!?」

ゴメスの顔からサァッと血の気が引く。

「クロエ、錬金術でこいつの『外側の素材』だけを溶かしてくれ」

「お安い御用ですぅ! 『部分融解液マイルド』!」

シュゥゥゥッ……。

クロエが薬品を一滴垂らすと、サイコロの表面の象牙色の素材だけが綺麗に溶け落ちた。

そして中から現れたのは、重心を完全に偏らせるために仕込まれた『鉛の重り』だった。

「……なるほど。見事な『四五六賽シゴロさい』ですね」

ルーベンスが、落ちたサイコロの残骸を革靴のつま先でコツンと小突いた。

「あ、あ、ち、違う! これは誤解で――」

「ゴメス班長」

ルーベンスの目が、氷のように冷酷な「本物の極道」のそれに変わった。

その瞬間、猛吹雪の寒さよりも恐ろしい殺気が甲板を支配した。

「ゴルド商会および我がアバロン魔皇国の絶対的なルールは『公正なる取引』です。システムに守られた契約だからこそ、絶対の効力を持つ。……貴様のような浅ましい『イカサマ』は、我々の金融システム(ブロックチェーン)そのものに対する重大な背信行為だ」

「ひぃぃぃっ……! る、ルーベンス様ぁ……お慈悲を……!」

巨漢のオークが、小鹿のようにガタガタと震えながら土下座する。

ルーベンスは懐から新しい契約書を取り出し、法執行ペンを走らせた。

「詐欺行為により、ルチアナ様との10年労働契約は無効。および、貴様がこれまで地下賭場で不当に搾取してきた船内通貨の全額没収。さらに、商会の信用を失墜させた違約金として……シャバの金に換算して『1億ゴールド』の罰金を科す」

「い、いちおく……っ!?」

「今日から貴様がカニを剥くのだ、ゴメス。……マグローザ漁船で、300年ほどな」

黒服の男たちが現れ、絶望の叫びを上げるゴメスをズルズルと船底の暗闇へと引きずっていった。

完璧な「経済的ざまぁ」の完了である。

「さて、と。これで本当に全てが片付きましたね」

ルーベンスは懐から小さな鍵を取り出すと、ルチアナ、ラスティア、リーザの首につけられていた『魔力制限の首輪』の鍵穴に差し込んだ。

カチャッ。

重々しい金属音と共に首輪が外れ、甲板に落ちる。

その瞬間。

ズドドドドドドドドォォォォォォォンッ!!!!

猛吹雪の夜空が真っ二つに割れ、黄金の神気と漆黒の瘴気、そして膨大な海水の魔力が、竜巻となって魔工船を包み込んだ。

何日も封じられていた規格外のエネルギーが、一気に解放されたのだ。

「あぁ……魔力が、魔力が細胞の隅々まで行き渡るわ……ッ!」

ルチアナが、ススだらけの芋ジャージ姿のまま、神々しい後光を放って宙に浮き上がる。

「フフッ、ハハハハッ! 思い出したわ、私が世界を統べる魔王だということを!」

ラスティアの背後から、光すら飲み込むブラックホールが展開される。

「の、喉の調子も完璧ですぅっ! 今ならドーム球場でもマイクなしで歌えますぅぅっ!」

リーザが美しいソプラノで歌い出し、周囲の海水が彼女の歌声に合わせて踊り狂う。

「(……ゴメスの奴、イカサマしてなきゃ、マジでこのバケモノたちを10年奴隷にしてたのか……命知らずにも程があるな)」

俺は呆れながら、その規格外の光景を見上げていた。

「イレギュラーの少年。貴方たちをポポロ村まで送り届ける転送魔法陣の手配が整いました」

ルーベンスが、仕事(回収)を終えたサラリーマンのようにスマートに一礼する。

「ああ、世話になったな。……いいカニ漁だったよ」

「ええ。ですが、FXのレバレッジには今後十分お気をつけください」

俺たちは、ルーベンスの開いた転送魔法陣の光の中へと足を踏み入れた。

極寒の魔工船、劣悪な労働環境、理不尽な班長、そして伝説のキングクラブ。

怒涛の数日間を乗り越え、俺たちはようやく、愛すべきスローライフの拠点へと帰還するのだった。

だが、あの「圧倒的な大金(3000万ゴールド)」が動いたにもかかわらず。

俺たちの手元に残った現金は、見事なまでに「ゼロ」であることを、俺たちはまだ実感していなかった。

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