EP 6
ざわつく船底。欲望の『チンチロ』と神々の慢心
コロ……コロコロ……。
「シゴロ(四五六)! 親の倍付けだァ!」
「あああっ……! 俺の、俺の一ヶ月分の給料がぁぁっ!」
絶望の魔工船『マグローザ・ホープ』の最深部、第四倉庫。
換気もろくにされていないその薄暗い空間は、紫色のタバコの煙と、労働者たちの脂汗の匂い、そして剥き出しの「欲望」に満ちていた。
ざわ……ざわ……。
劣悪な労働環境から抜け出すため、なけなしの船内通貨『K』を握りしめた男たちが、ドンブリの中で跳ねる三つのサイコロに血走った目を向けている。
これこそが、魔工船の唯一の娯楽にして最大の底なし沼――地下賭場『チンチロ』である。
バンッ!
その重苦しい鉄の扉を、三人の女が蹴り開けた。
「たのもぉぉぉぉぉっ!!」
「道を開けなさい! VIPのお通りよ!」
「今日からこの船は、私の武道館ですぅっ!」
創造神ルチアナ、魔王ラスティア、極貧アイドル・リーザ。
彼女たちは、ルナたちがカニを解体して稼ぎ出した『50万K』の札束をアタッシュケース(クロエが錬金した)に入れ、ドヤ顔で賭場の中心へと歩み出た。
ざわ……!
「お、おい……あいつら、新入りの分際でとんでもない額のKを持ってやがるぞ……」
「50万Kだと……? シャバの金ならたった5ゴールド(5万円)だが、この船じゃあ数年分の労働対価だぞ……!」
どよめく労働者たちをかき分け、賭場の胴元が座る上座に居座っていた班長ゴメスが、ニタリと邪悪な笑みを浮かべた。
「ヒヒヒ……本当に来やがったか、新入り共。たった一日でそれだけのKを稼ぎ出すとはな。だが、ここはシャバの身分が一切通用しねぇ、サイコロの出目だけが全ての世界だぜ?」
「御託はいいわ!」
ルチアナが、ドンッ!と50万Kの札束をゴメスの目の前に叩きつけた。
「私たちは神よ? そして魔王よ? さらにアイドルよ? 運命が私たちに味方しないわけがないじゃない! さっさとドンブリを回しなさい!」
「フハハハッ、いい心意気だ! 俺が親をやってやる。ルールは知ってるな? 三つのサイコロを振り、二つが揃った時の、残り一つのサイコロの目が『自分の目』になる。四・五・六が出れば二倍の勝ち、一・二・三が出れば二倍の負けだ。……張れよ!」
ゴメスがどんぶりを差し出す。
ルナ、クロエ、キャルルと共に部屋の隅から見守っていた俺は、嫌な予感しかしていなかった。
「……なぁ、ルナ。あいつら、本当に大丈夫か? 魔力制限の首輪がついてるから、重力操作とか幸運魔法のイカサマはできないんだぞ?」
「ご主人様。あの三人の瞳を見てください。もはや『勝てる気』しかしていない、典型的なギャンブル中毒者の顔です。わたくしたちの稼いだ50万Kは、今夜の海の藻屑になるでしょう」
ルナが菩薩のような顔で合掌している。
「まずは小手調べよ! 1万K、張るわ!」
ラスティアが札束から1万Kを引き抜き、場に投げた。
「おう、勝負だ! 親の俺から振るぜ!」
ゴメスがサイコロを三つ、ドンブリに投げ入れる。
コロコロ……ピタッ。
出目は『1・1・2』。つまり、ゴメスの目は「2」という非常に弱い目だ。
「ヒャハハハ! もらったわ! 魔王の豪運、見せてやる!」
ラスティアがサイコロを鷲掴みにし、気合と共に投げ入れた!
コロコロ……ピタッ!
出目は『3・3・5』! ラスティアの目は「5」!
「勝ったぁぁぁぁっ! ほら見なさい! これが私の実力よぉ!」
「キャアアアッ! ラスティアちゃんすごい! いきなり1万K(100円)の儲けよ!」
三人が肩を抱き合って狂喜乱舞する。
ゴメスはチッと舌打ちをしながら、ラスティアに1万Kを支払った。
……だが、これこそがギャンブルの常套手段である。
「(……最初は勝たせて、気分を良くさせる。完全に『沼』に引きずり込むための撒き餌だな)」
俺の予想通り、三人は完全に調子に乗った。
「次! 次は私が張るわ! ドドンと5万Kよ!」
ルチアナがサイコロを振る。出目は「4」。ゴメスは「3」で、またしてもルチアナたちの勝利。
「私もいきますぅ! スパチャのパワーをサイコロに……えいっ! 10万Kですぅ!」
リーザが振ったサイコロは見事「6」。ゴメスは目なし(役なし)で、またしても勝利。
わずか数十分で、三人の手元の50万Kは、なんと『80万K』にまで膨れ上がっていた。
「アハハハハハッ!! 笑いが止まらないわ! この船ちょろすぎじゃない!?」
「神様! このままいけば、明日の朝には3000万ゴールド(30億K)溜まって、即刻下船できますよぉ!」
「月人きゅん、待っててね! すぐ帰るからぁっ!」
三人は完全に有頂天になり、目がドル袋(いやK袋)の形になっていた。
だが、その様子を見ていたゴメス班長の顔から、先ほどまでの悔しそうな表情がスゥッと消え去り、底知れぬ邪悪な笑みへと変わった。
「……ククク。神だか魔王だか知らねぇが、運がいいなお前ら。……だが、こんなちまちました賭け金じゃあ、30億Kなんて一生届かねぇぜ?」
ゴメスが懐から、特別に鈍い光を放つ『三つのサイコロ』を取り出し、ドンブリの中でチャラチャラと鳴らした。
「ここらで一発、特大の勝負をしようじゃねぇか。お前らの手元にある『80万K』、それに加えて『今後10年分のカニ剥きの労働契約書』を担保にしろ」
「な、なんですって!?」
「俺が勝てば、お前らは無給で10年俺の下で働く。……だが、お前らが勝てば」
ゴメスはドンブリをドンッと床に置き、言い放った。
「この船の金庫にある『30億K』の権利書を渡してやる。つまり、お前らの借金はチャラだ」
ざわっ……!!
周囲の労働者たちが一斉に息を呑んだ。魔工船始まって以来の、あまりにも異常な大勝負。
だが、完全にギャンブルの熱に脳を焼かれた三人は、その提案を「神が与えた奇跡のチャンス」としか受け取らなかった。
「……乗ったわ! たった一回サイコロを振るだけで借金チャラなんて、オイシすぎるもの!」
ルチアナが、迷うことなく『10年間の強制労働契約書』にサインし、80万Kの札束と共にドンブリの前に押し出した。
「(馬鹿が……完全に罠だぞ!)」
俺が止めに入ろうとしたが、ルナがスッと俺の腕を掴んで首を横に振った。「ご主人様。彼女たちには『教育』が必要です」
「ヒヒヒッ……契約成立だァ! 親の俺から振らせてもらうぜェ!」
ゴメスが、自前のサイコロを三つ鷲掴みにし、ドンブリの底に向かって思い切り叩きつけた。
コロコロ……ピタッ。
それは、偶然などではない。
物理の法則を無視したかのように、三つのサイコロは完全に同じ面を上にして止まった。
『4』・『5』・『6』。
「シゴロ……! 親のシゴロだァァァッ!!」
周囲の黒服オークたちが一斉に叫ぶ。
親の2倍勝ちが確定する、最強の出目の一つ。
「な……ッ!?」
ルチアナ、ラスティア、リーザの三人の顔から、一瞬にして血の気が引いた。
地獄のどん底へ突き落とす、ゴメスの高笑いが船底に響き渡る。




