EP 4
労働の対価と、地下の甘い囁き
カニ、カニ、カニ……。
視界に入るのは、巨大なキングクラブの無骨な甲羅と、飛び散る塩水、そして這い上がるような生臭いカニの脂だけだった。
「ひぃっ、腰が……腰が限界ですぅ……。人魚なのに、陸上での重労働は労基法違反じゃないんですか……っ」
リーザが震える手で巨大なカニバサミを握り、カニの脚をパキリと折る。
本来なら一国の姫であり、数千万のスパチャを浴びたトップアイドル(自称)が、今やボロ布のような作業着を纏い、カニの殻剥きマシーンと化していた。
「……文句言わないの。ほら、私の分もちょっと手伝いなさいよ。魔力がないと、このハンマー重すぎるのよぉ……」
ルチアナが、折れそうな細い腕で必死にカニの甲羅を叩き割る。神の威厳はどこへやら、その顔はススとカニ味噌で汚れ、もはや近所の工事現場の新人バイトのような哀愁が漂っていた。
「……死ぬわ。このペースで3000万ゴールド返すなんて、宇宙が終わる方が早いわ……」
ラスティアもまた、白目を剥きながらカニの身を掻き出していた。
ようやく一日のノルマが終わったのは、深夜。
俺たちはフラフラになりながら、班長ゴメスの待つ換金所へと並んだ。
「おう、ご苦労さん。今日のお前らの稼ぎだ。受け取りな」
ゴメスが、例の肖像画が描かれた『K』の札束を、リクトたちの手に放り投げる。
一日の重労働で得られたのは、一人わずか500K。シャバの金に直せば、たったの5ゴールド(5円)相当だ。
「……少なっ! あんなに働いてこれだけ!? これじゃパンの耳すら買えないわよ!」
ルチアナが叫ぶが、ゴメスは鼻で笑った。
「嫌なら食わなきゃいい。だがな、この船の売店じゃあ、美味いもんが揃ってるぜ。……冷えたビールはどうだ?」
ゴメスが指差した先には、粗末な売店があった。
そこには、氷水でキンキンに冷やされた(ように見える魔導冷却の)缶ビールや、脂の乗った焼き鳥の串が並んでいる。
「……ビ、ビール……っ」
ルチアナの喉が大きく鳴った。
「……焼き鳥……っ」
ラスティアの瞳が獣のように輝く。
「……おいくらですか?」
リーザが恐る恐る尋ねる。
「ビール一本、450Kだ。焼き鳥は一本100Kだな」
「「「高すぎるぅぅぅぅっ!!!」」」
一日の給料のほとんどが、ビール一本で消える計算だ。
これが魔工船の恐ろしい物価。シャバの数十倍の価格設定で、労働者のわずかな稼ぎを即座に回収するシステム。
「ふん、ケチなこと言うな。明日もあのクソ寒いプラントでカニを剥くんだろ? 景気よく飲まなきゃやってられねぇだろうが」
ゴメスはそう言いながら、自分は冷えたビールをプシュッと開け、美味そうに喉を鳴らした。
その音と香りに、神と魔王の理性がプツンと切れた。
「……買ったわ! ビール一本ちょうだい!」
「私もよ! 焼き鳥三本! ああっ、今日の給料が消える……でも食べなきゃ死ぬわぁぁっ!」
二人は狂ったようにKを差し出し、わずか数分で一日の労働の成果を胃袋に流し込んでしまった。
残ったのは、空の缶と、さらに膨らんだ「明日への絶望」だけ。
「……はぁ。お前ら、それじゃいつまで経っても借金返せないぞ」
俺は自分の500Kをそっと懐にしまいながら、ため息をついた。
ルナとクロエ、キャルルも、俺に倣って自分の稼ぎを温存しているが、このままではジリ貧なのは間違いない。
そんな俺たちの様子を、ゴメスはニヤニヤと眺めながら近づいてきた。
「……おい、お前ら。そんなちまちまカニを剥いてて、本当に3000万ゴールド返せると思ってるのか?」
「……何が言いたいんですか、班長」
俺が鋭い視線を向けると、ゴメスは声を潜め、船底のさらに深い場所へと続く階段を指差した。
「この先で、面白い『遊び』が行われてる。……一晩で数万、いや数百万Kが動く勝負だ。運が良けりゃ、明日にはこの船を降りられるかもしれねぇぜ?」
「……遊び?」
リーザがピクリと反応した。
「『チンチロ』だよ。……ルールは簡単、サイコロを三つ振るだけだ。どうだ? 地道に80年カニを剥くか、それとも一晩で地獄から駆け上がるか……選ばせてやるよ」
ゴメスの邪悪な囁き。
だが、現在の所持金はゼロに近い神と魔王、そして極貧アイドルの目には、それが『蜘蛛の糸』のように見えてしまった。
「……やるわ。私、神だもん。運の良さなら負けないわ!」
「魔王の引きの強さ、見せてやるわよぉ……っ!」
「私……一発逆転して、ポポロ村にルナミスマートの支店を建てるんですぅぅっ!」
「……やめろって。絶対イカサマされてるぞ」
俺の静止も聞かず、三人は吸い込まれるように地下の賭場へと足を踏み入れていった。
暗い部屋、煙るタバコの煙、そして響くサイコロの音。
地獄の魔工船、その深淵で行われる『チンチロ』の幕が開こうとしていた。




