EP 2
神と魔王の絶望と、インテリ極道の取り立て
『強制ロスカットが執行されました』
『現在の口座残高:-(マイナス)3000万G』
画面に表示された無慈悲な赤い文字を見て、俺は持っていた洗顔用のタオルを床に落とした。
「……リーザ。お前、これゲームだと思ってやってたのか?」
「は、はいぃ……。なんか、レバレッジ?っていう必殺技を使ったら、数字がバーッと増えて楽しかったんですけど、急にグラフがズドーンって落ちて、赤い文字が……」
リーザがガタガタと震えながらコントローラーを握りしめている。
「おい、これ『ゴルド商会』の公式トレードツールじゃないか。しかもルチアナとラスティアの口座が紐付けされてる……ってことは」
「ふわぁ……よく寝たわね。おはようリーザちゃん、ゲームの調子はどう?」
「月人きゅんのガチャ引くためのへそくり、増えたかしら〜?」
タイミング悪く(あるいは最悪のタイミングで)、芋ジャージ姿のルチアナと、ネグリジェ姿のラスティアが目を擦りながらリビングに入ってきた。
二人はモニターの前に立つと、寝ぼけ眼で画面の数字を見つめた。
「-3000万G」
「「…………」」
ルチアナの持っていた歯ブラシが落ちた。
ラスティアの背後から、無意識にブラックホールの暗黒物質が漏れ出した。
「り、リーザちゃぁぁぁん!? これどういうこと!? マイナスって何!? 私の月人きゅん貯金が消滅してるどころか、国家予算レベルの借金になってるんだけどぉぉぉっ!?」
「ひぃぃぃっ! ごめんなさい神様ぁっ! ゲームだと思って全力で『買う(ロング)』ってボタンを押したら、なんか偉い人が『利上げ』って発言したとかで、画面が真っ赤に――」
「アホかぁぁぁっ! なんで初心者が重要指標の発表前にレバレッジ1000倍でノーガードのツッパしてんのよぉぉぉっ!!」
ラスティアがガチの専業トレーダーみたいな悲鳴を上げて、リーザの胸ぐらを掴んで揺さぶる。
神も魔王も、FXの恐ろしさを前に完全にただの債務者へと成り下がっていた。
その時である。
――ピンポーン。
村長宅のインターホンが、やけに澄んだ音で鳴った。
「あら、こんな朝早くに誰かしら……?」
キャルルがエプロン姿で玄関の扉を開ける。
そこに立っていたのは、一人の男だった。
仕立ての良いスリーピースのスーツを隙なく着こなし、手には分厚い『競馬新聞』。口元には火のついたタバコを咥えている。
知的な細面と眼鏡の奥の瞳には、一切の感情が読み取れない。
「……おはようございます。アバロン魔皇国、内務官のルーベンスと申します。本日は、ゴルド商会からの委託で『債権回収』に参りました」
ルーベンスが、競馬新聞をパラリと畳んで一礼した。
「ル、ルーベンス!? なんであんたがここに!」
ラスティアが悲鳴を上げる。
「おや、ラスティア様。奇遇ですね。貴女がまた国庫を横領したのかと思いきや、まさか神と連帯してゴルド商会のFXで追証(借金)を背負うとは。『方法序説』にもありますよ、困難は分割せよ、と。……まあ、今回は分割不可能なほどの一括借金ですが」
ルーベンスは皮肉げに眼鏡を押し上げ、懐から羊皮紙の契約書を取り出した。
「マイナス3000万G。お支払いは現金ですか? それともL-Payで?」
「……んなもん、払えるわけないだろ。ちょっと待ってろ、俺が【世界編集】でなかったことにしてやる」
俺はため息をつきながら、空中にウィンドウを展開した。
いくら魔王の部下とはいえ、こんな借金、ステータスをいじって「残高0」に書き換えれば済む話だ。
カタカタカタ……ターンッ!
『エラー:絶対債務契約(異世界ブロックチェーン)により、対象データは暗号化されています。外部からの編集権限が弾かれました』
「……は?」
「無駄ですよ、イレギュラーの少年」
ルーベンスがタバコの煙をふぅと吐き出す。
「ゴルド商会の金融システムは、大陸全土の魔脈とドワーフの暗号技術を結集した『絶対債務の血判契約』で守られています。神の力であれ、魔王の力であれ、システムをハッキングすることは不可能です。借りたものは、労働で返す。それが世界の理です」
ステータス編集が、通じない……!?
経済という「概念の壁」に縛られたシステムの前では、俺の力も万能ではないということか。
「さて、リーザ様。ならびに連帯保証人のルチアナ様、ラスティア様。お支払いいただけないということで、よろしいですね?」
ルーベンスの目が、スッと冷たい極道のそれに変わる。
「ヒッ……! ま、待ってルーベンス! 月末! 月末には絶対に返すから!」
「月人きゅんのレアグッズを魔導オークションで売るから! だから待ってぇっ!」
神と魔王が土下座して命乞いをするという、前代未聞の光景。
だが、インテリ極道ルーベンスは一切容赦しなかった。
「期日は本日正午です。お支払いいただけない場合、皆様には『労働』で返していただきます。選択肢は三つ」
ルーベンスは指を三本立てた。
「一つ、マグローザ漁船に乗って一生海を彷徨うか。二つ、臓器(魔石)を売るか。三つ……北の海に浮かぶ『キングクラブ魔工船』に乗るか。好きにお選びください」
「「「蟹工船……ッ!?」」」
「はい。S級魔獣キングクラブを解体し続ける、死の労働施設です。皆様の力なら、80年ほど休みなく働けば完済できるでしょう」
「い、嫌ですぅぅぅっ! アイドルが蟹工船に乗ったら、手がカニ臭くなっちゃいますぅぅぅっ!」
「私も嫌よ! 80年もライブに行けないなんて死んだ方がマシ!」
泣き叫ぶ三人の借金奴隷たち。
俺は頭を抱えた。ステータス編集が弾かれた以上、この借金を踏み倒すことはできない。
「……ルーベンス、俺も行く」
「ご主人様!? ダメです、そんな危険な場所!」
「わたくしも行きますぅ! 錬金術でお役に立ちます!」
ルナとクロエが俺にすがりつく。キャルルも「わたくしがヤキを入……いえ、回復魔法でサポートします!」と立ち上がった。
「全員で行くぞ。俺の保護下の馬鹿どもが作った借金だ。……必ず、全額まくって(稼いで)帰ってくる」
かくして。
神、魔王、極貧アイドル、そして俺たちスローライフ組は。
ポポロ村ののどかな生活から一転、極寒の北の海へ向かう「地獄の蟹工船」へと強制連行されることになったのだった。




