第六話 知りたい
足裏に枝を踏み砕く音が響く。
足の甲に草履紐が食い込む。
荒い呼吸が喉を擦る。
ワユマは長い脚を前へ前へと動かしていた。初めて見る外国の同族を捕まえるために。
「待て〜〜〜!!!!」
やばい!追いかけすぎた!イルィフどこいるか分かんない!でもあの人捕まえないと!イルィフがダメって言ってた!
自分が頭の悪い人間だと、ワユマは薄々自覚していた。
しかしそれを自覚していても、行動を変えるというのはどうも難しい。追えと言われるがまま飛び出したワユマは、森に入って数分後にイルィフを置いてきてしまったとようやく気づいたのだった。
イルィフは二手に別れると言っていたのに、これでは男を追ったワユマをイルィフが追うことになってしまう。
頭の中を埋め尽くす後悔を消し去ろうと、ワユマは槍を振り回した。
当たれ!当たれ!止まれ!
「オダ!トーディ!ウェデ ア ワユネレ!ネルア ロ ガエ!トーディ、トーディ!!」
「分かんないって…ばッッ!!」
槍の先が男の腕を掠める。
次で届く!いける!
ワユマの足が地面を割る。目一杯踏み込んで飛び出した。 三叉槍を男の側頭部目掛けて振りかぶる。
男の腕が間に挟まっても関係ない。
そのまま吹き飛ばしてやる!
「てぇぇぇぇい、ヤッッッッ!!!!」
勢いのまま槍を振り抜く。鈍い振動がワユマの腕を揺らした。
手応えあり!
男が木に衝突したせいで葉っぱがハラハラと落ち、ワユマの鼻先を掠める。
だらんと投げ出された手足は動いていない。
「やった…!イルィフ!捕まえたよ!どこー!!」
「本当かぁ!!でかしたぁ!!」
大声でイルィフを呼び、耳を澄ますと、微かに聞きなれた音が肌を揺らした。随分遠くにいるみたいで、声が重なって聞こえてくる。
それと同時に、グニャリと柔らかい感触が柄から伝わった。
―――え?グニャリ?
「…えッ?!?僕の槍が!?!?あっついっっっ!!!」
金属の柄がドロドロに溶けて折れ曲がり、折れた先が光り輝いている。触れようとしても、直前の空気さえ魚が焼けそうなくらい熱く、すぐさま手を引っ込めた。
この槍が使い物にならなくなるのは初めてだった。どんなに大きな鮫やマグロを獲っても、1度だって折れたり曲がったりしたことはなかった。
「ゴホッゴホッ…」
咳き込む音が聞こえる。
ゆっくりとワユマは振り向いた。他の人から見たら油の切れた車輪みたいな回り方をしてるのだろう。
手応えはあったのに…木に思い切りぶつかったのに、なんで立ってるの!?
男は腰に吊るしている棒に、震える手をかけた。さっきのはやっぱり痛かったみたいだ。
―――刀?
イルィフが持ってる山刀と違って外側に曲がっているが、鈍く光る刃がスラリと腰から引き抜かれた。
ヤバいヤバいヤバい…!武器ない!どうしよう!イルィフ、イルィフ!助けて…!
相手は刀。自分はたった今丸腰になった。
構える雰囲気が、宮廷の鍛錬場にたまにいる将軍のお爺さんに似てる。多分凄く強い。
ただでさえ全力でずっと走っていたから苦しいのに、焦りで上手く息ができない。
…でも、イルィフとはぐれたのは僕のせいだ。またイルィフに迷惑かけてる。
僕が、僕が何とかしなきゃ…!
ワユマは空っぽの脳みそをフル回転させた。
何か、何か武器になりそうな物…!この槍はもうダメだし、そこの枝はすぐ折れちゃうし、えっと、えっと……
―――あ、神血!
神血って武器になるんだよね!?この人使ってたし!
大きく息を吸い、水かきがピリピリ痛むくらい目一杯左手を広げる。
小さな海が、空を飲み込む渦潮が、その大きな手の中でザブンと音を立てた。
男の目が大きく見開く。
「ネルア…!ネルア ロ ゼルウィニエ…!!」
男の真っ赤な瞳が紫に変わる。墨を紙に零したように目が黒く染まる。
男が刀を収め、両腕をワユマに向かって突き出した。
神血だ。さっきみたいな火が来る。
―――それより早く!ぶつける!!!
「吹っ飛べェ!!!」
左腕を力任せにブンと振るう。
目の前の男を喰らわんとばかりに、森の中で波が荒れ狂った。
「ワユマ止めろッ!!!」
「え」
遠くからイルィフの声が聞こえた瞬間、目の前が光る。
ドンッッッッッッ!!!!!!
大きな爆発音と同時に、身体が吹き飛ばされた。
ジクジクと目の奥が痛む。キーンという音が耳を貫いて脳を刺してくる。全身が熱い。葉っぱが身体に張り付いてくる。
目を開けても視界は白いままだった。手の届く範囲でさえ霞んで見えるほどに濃い霧がワユマの周りを漂っていた。
なになになになに!?!?見えない!
耳鳴りが止むと、遠くから自分以外の息遣いが聞こえてきた。
地面を掴むように引っ掻き、ゆっくりと身体を起こす。
静かに、場所がバレないように……
膝立ちになったところで、霧に乱反射して紫の眼光が見えた。
―――僕やっぱダメかも…!
イルィフみたいに上手くいかない。身体だけ大きくなって、6年じゃ何もできるようにならない。
たらりと頬をなぞる水滴が、汗なのか涙なのかは分からなかった。
瞬間、嵐が吹く。
吹き飛ぶ霧に引っ張られて尻もちをついた。
澄んだ空気が鼻を通り、グズグズに煮えていた脳が冷えていくのを感じる。
「ワユマ無事か!!」
視界が開けたワユマの眼前には、見慣れた小さな背丈と赤い上衣があった。
その人物は、悲しそうな、辛そうな、叫びにも近い声でワユマの名前を呼んだ。
「イルィフ!」
あの紫は、大好きな兄が駆けつけてくれた光だった。
「怪我は!?火傷とかしてないか!?」
「うん、熱かったけどどこも痛くないよ」
「よかった…」
イルィフがため息とともに座り込む。
やけに明るいと思ったら、周囲の木が全部禿げている。爆発のせいで全部の葉っぱが落ちたみたいだ。
「今のって…」
「恐らく水蒸気爆発――高熱と水がぶつかって、マカレア島の噴火みたいな現象が起きたんだと思う」
イルィフが後ろを向いて立ち上がる。
その先を見ると、男が木を支えにして立っていた。幹に体重を預け、首はだらんと傾き、胸は激しく上下している。
ワユマたちを睨みつけながら、男は再びゆっくりと刀を抜いた。
「…ワユマはその土まみれの顔をキレイにしときな。私が済ませる」
いつも自分にかけてくれる声とは似ても似つかない、海底のように冷えた声だった。
イルィフがゆっくりと歩き出す。
「散々手こずらせやがって……おい不審者。あんな小賢しい逃げ方したんだ、この爆発も知っててわざとやったんだろ?
私の弟を殺そうとしたな…!!!」
散乱していた葉っぱが巻き上がる。強い風が丸ハゲの木々を揺らした。
―――めちゃくちゃ怒ってる!イルィフすんごい怒ってる…!!
今までに見た事もないイルィフの怒りに、傍観者であるワユマさえ怖くなった。
男の重心が木の幹から脚に移る。まだ戦うつもりだ。
しかし体重を支えきれなかったのか、よろけてドスンと背を木にぶつける。両手で握っているのに、刃先は細かく震えていた。
なんでそんなに逃げるの?
なんでそんなボロボロになっても戦おうとするの?
さっき、僕に何を伝えようとしてたの?
ワユマは、分からないことは全てイルィフや王様に聞いていた。何も知らない自分に、彼らは知ってること全部を優しく教えてくれる。彼らの知識がワユマの世界だった。
でも、この疑問はイルィフにも王様にも分からない。
この人しか、その答えを知らない。
トゥルバ族じゃない魚人。
ヘルヴェータの外から来た同じ人種。
―――外に魚人の国があるのなら、あの子はそこに行ったのかもしれない。
「弓が効かないってンなら、嵐で粉微塵になりな!」
イルィフが手を振りあげる。
男を中心に砂嵐が巻き上がった。周辺の葉っぱが吸い込まれ、次に小石が嵐に向かって飛んでいく。どんどん風が強くなり、砂嵐が細くなる。このままでは、あの人は死んでしまう。
「ま、待ってイルィフ!」
「ぐぁッ!?!?」
背に触れようとして伸ばしたワユマの指はイルィフの帯に引っかかり、そのままイルィフを頭から倒してしまった。
ゴンッ、と鈍い音が地面に響く。
「ッ〜〜〜!!!!お、まえ、マジで力加減気をつけろっていつもいつも―――」
「あの人にお話聞かないといけないんだよね!死んじゃったら話聞けないよ!」
「……話?」
風が止んだ。浅瀬色の目がぱちくりとワユマを見つめている。
「うん、イルィフさっき広場で『事情を聞かせて』って言ってた。だから、えっと、その…
まずはお話聞いてみない?」
数回の瞬きの後、イルィフの口がひくついた。
「…あ、あのな?あれは連行するための方便で、別に話聞かなくても―――」
バタンッッ
イルィフの後ろで、何か重いものが倒れる音がした。
「…倒れたな」
「…倒れたね」
男がうずくまっている。声を押し殺すように咳き込むから、咳をする度に肩が大きく揺れ、えづいているみたいに見えた。
「イルィフ、あの人すごい苦しそうなんだけど…」
イルィフは男とワユマを交互に見やった。だんだん眉間に皺が寄っていく。口角がどんどん下がっていく。
顔クチャクチャだ。
「…………あ〜〜!!!!もう!分かったよ!!」
森が静寂を取り戻す。鳥のさえずりが木々の間を通り抜ける。
しかし、動物たちは春の暖かな日差しの中で、明けたばかりの冬を再び味わうことになってしまった。




