第五話 一閃
日差しが強く、夏かと勘違いしてしまいそうな暑さの中、周囲の木々に蕾がついているのを見て、イルィフは今が春だということを思い出す。
村の憩いの場である中央広場には人だかりができていた。老若男女が集まる中に、一際大きい人影がある。
「ワユナ、ワユナ エ メイディ ウナ?エレ カーデ ア ワユナ」
イルィフとワユマは長屋の影から広場を覗いていた。婦人たちの言っていたとおり、イルィフよりも背の高い人物が商売をしている。
――長い腰布一枚で。
「げ…マジで上裸かよ……みんな目線に困ってるじゃねーか」
珍しい商品を一目見ようと集まった村人達は皆、身振り手振りで魚人と意思疎通をしている。しかし、視線は胸元を避けるように彷徨わせていた。
一方の魚人は、その格好が当たり前だと言うように、背筋をピンと伸ばし、涼しげな顔で魚を売っている。
いや、ちょっと顔色悪いか?
「…にしてもなんて言ってるんだ?ワユマ、あれトゥルバ語か?」
魚人の話す言葉は、小人語でも巨人語でもない、イルィフとって初めて聞く音だった。
ワユマが目を閉じ、耳をそばだてる。水かきを大きく広げ、耳元に当てた。
「う〜ん…意味分かるような分からないような……小人語聞いてる時みたい。トゥルバ語じゃないね。
トゥルバの人も胸衣は着るし、やっぱり外の人なのかな?」
ワユマは上衣の下に着ている服を引っ張る。長手甲に似た半袖のそれは、トゥルバ族の民族衣装的なものだ。トゥルバ人は小人に比べて露出への抵抗が少ないみたいだが、確かに全員胸衣を着ていた気がする。
ヘルヴェータ唯一の魚人であるトゥルバ族の可能性はほぼ0になった。
つまり―――国外の人間だ。
「はぁ……ワユマ、弓張るの手伝ってくれ」
イルィフは腰に携えていた弓を引き抜いた。
「え、戦うの?」
「抵抗されたらな。拘束しないと領主に引き渡せない」
それに、住民の安全が第一だ。気は向かないが、ヘルヴェータ国民に危害を及ぼすなら容赦なく殺さねばならない。
ワユマの手を支えにして弓を曲げ、弦を両端に引っ掛ける。
胸元まで軽く弦を引っ張り、右手を放せば、
カンッ
弦が弓を打ち、澄んだ音を響かせた。
張り、良し。
握り、良し。
矢筈、良し。
「……さ、行くぞ」
村人たちは魚に目を奪われていたため、イルィフたちが近づいても喧騒は止むことはなかった。
イルィフが前の人の肩にポンと手を置くと、自然と人混みが裂け、魚人のいる場所へ繋がる細い道ができる。
イルィフは呑気な一般人のフリをして、共通語で話しかけた。
「そこの人〜私にも魚1つくださいな〜」
魚人はイルィフより頭一つ分ほど高く、太陽のように真っ赤な目が、イルィフをギロリと見下ろした。
「……共通語が話せるのか」
「ああ、育ちだけは良いもんでね」
「うわぁ〜!全部美味しそう!」
ここの役人たちが真面目なのか、この魚人の警戒心が強いのか、今まで共通語を話せる人とは売買をしてこなかったようだ。
イルィフは慎重に一般人のフリをして会話を続け、情報を引き出そうとした。
……ワユマは完全に感想を言ってるだけに見えるが。
「トゥルバにない魚もある!これ美味しい?」
「この魚は油が乗っているから、生食より表面を炙った方が美味い」
「獲ってからどれくらい経ってるんだ?」
「今日の朝に獲って、まだ3時間は経っていない。腐っていないことは保証しよう」
「ふ〜ん……なぁアンタ、
この近辺の海は魚人立ち入り禁止だぞ」
冷えた風が3人の間を通り抜けた。
木の葉の擦れる音と、後ろにいる誰かの息遣いが聞こえる。
先程までの賑わいが嘘のように、静寂と緊張感が広場を包み込んだ。
「どこでこの魚を獲った?商業許可証は?雇用先の名前は?」
魚人は俯いて黙りこくった。前髪が目元にかかり、赤い目が隠れる。
「アンタ、外の人間だろ。事情を聞かせてもらおう―――」
パァンッッッ
次の瞬間、視界が真っ暗になる。
強烈な額と鼻の痛み。
顔中に感じるぬぺっとした感触。
イルィフは自分の身に何が起きたか理解できなかった。
踏ん張りきれず、衝撃のままその場に倒れ込む。
「え!?あ!?イルィフ大丈夫!?!?」
「うわぁッ!?」
「に、逃げたぞ!魚人が逃げた!」
鼻を押さえ、イルィフがバッと起き上がる。
魚人の姿は住宅地に消え、足元には魚が一尾転がっていた。
やられた。
「あンの野郎…!追いかけるぞワユマ!!」
「待てー!!」
小人の集落は基本的に山間に点在している。特に、平民の住宅地は数階建ての長屋が斜面に沿って密集しており、道が狭く階段が多い。平均的な小人より圧倒的に大きい2人が並んで追いかけるには困難な地形だ。
「ワユマはそのまま真っ直ぐ追え!私は屋根伝いに行く!」
「うん!」
道に積まれていた木箱へ飛び乗り、イルィフは長屋の屋根の上を駆ける。
「きゃあ!?」
「うわぁ何だ何だ!?!?」
「え?上裸?」
騒ぎの位置から魚人と距離が近くなっていることが分かる。情報が確かなら、奴は足を負傷している。すぐに追いつけるはずだ。
「イルィフこっち!!」
ワユマの声が聞こえる。
その先には―――あの魚人がいた。
腰の箙から矢を引き抜き、すぐさま弓に番える。
「全員屋内に入れ!!!」
脚は止めないまま、弓を引き絞る。
翡翠色の漆が塗られた大弓は、天高く昇る太陽の光を受け、その湾曲を白く輝かせた。
殺したら話が聞けない。狙うは脚だ。
―――こちとら5歳から弓引いてんだ。逃げられると思うなよ。
魚人がこちらの足音に気づく。一瞬目が合った。
キリキリと音を立てる弦を右手から離す。
カンッッッ!!!!!
甲高い弦音が住宅地に響く。
中る。
長年の勘がイルィフにそう告げた。
だが―――
「ぐゥ……ッ!!!?」
眩い光が瞼の奥を貫く。
太陽を直視したような激痛が走る。
屋根瓦を掴んでどうにか転がり落ちるのは防げた。膝と指がヒリヒリと痛む。
「うわ眩しッ!?」
「火だ!急に火が出た!!」
人々がどよめく中、眩む視界でヨロヨロと魚人を探した。
先程までいた場所には何かの燃えカスだけが落ちている。
魚人はいなかった。
「中ってない…!?」
何が起きた?あの軌道は確実に右のふくらはぎを貫くはずだった。外れるわけがない。
あの光は何だったんだ?
あの燃えカスは何だ?
「イルィフ大丈夫!?」
「ワユマ!さっき何か見えたか!」
「え?えと、えと、火!空中に火が見えた!棒みたいなのが燃えた!」
棒……まさか矢のことか?
いやいやいや、ありえない。あの矢は燃えにくい素材で作ったはずだ。それを身体に刺さる前に一瞬で消し炭にするなんて、普通なら起こりえない。
矢を放つ直前、魚人と目が合ったあの瞬間がイルィフの脳裏に過ぎる。
あの一瞬だけは赤色ではない、紫の目がこちらを覗いていた。
黒く染まった白目、
紫に光る瞳、
針のように細い瞳孔。
あの目は私たちと同じ―――
「神血者……!!」
頭の中で導き出された答えに身震いする。
あの不法入国者が、あろうことか神血者だなんて!
弓を握り締め、屋根に突き立てて立ち上がる。
「ワユマ!アイツどこ行った!!」
「さっき森に入った!」
「二手に別れるぞ、追え!」
「神血者なら、もっと逃がすわけにはいかない…!!」




