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第七話 契約

 イルィフとワユマが魚人に近づくと、魚人はガリガリと地面を引っ掻き、必死に体を起こそうとした。しかし、塞がる手が無くなった口からは唾液がダラダラと垂れ、顔色は青いを超えて土色である。

 あまりの惨状に、イルィフの殺意は心の奥へ引っ込んでしまった。


「おいおい重症じゃねーか…なんだってんだ?」


 どうやらただの怪我ではないようだ。

 何かしらの病気にかかってるのではないかとイルィフは眉をひそめた。


 ―――右足だけ動かしてない?

 魚人は必死にもがいているが、右足側だけ土の削れた跡が無い。

 戦闘の前からコイツは右足を庇っていた。ただの怪我じゃないなら、これが原因なんじゃないか?


「ちょっと失礼」

「おいやめ―――」


 イルィフが右足を引っ張ると、筋肉質な体はいとも簡単に体勢を崩し、完全に地に伏せてしまった。


「何だこの点……傷跡?」


 魚人のふくらはぎには4つの点があった。上下2個ずつ、均等に並んだ小さな刺し傷。


「おい、これなんだ」

「はなせ…!」

「死にてぇのか?」


 そう言うと魚人はピタリと抵抗を止めた。

 なんだ、案外人間っぽいなコイツ。


「…りくへび」

「リクヘビ?」


 リクヘビ、

 リク蛇、

 蛇?

 聞いたことのない種だが、蛇ってことは―――


「毒か…!!」


 点と点が繋がる。

 右足を引きずっていたのは毒の痛みだろう。逃げるために走り回ったせいで毒が全身に回り、今になって倒れたのだ。


「毒って…この人死んじゃうの?」


 ワユマの声が震えていた。

 同族だからなのか知らないが、ワユマはこの不審者を助けたいと思ってるらしい。

 コイツを死なせたらワユマが悲しむ。


 なら私は助けるしかない。


「おい!噛まれたのはヘルヴェータ国内だよな?いつ噛まれた!」


 自分の手の平より大きな肩を揺すると、手袋越しに熱が伝わってくる。

 微熱どころじゃない…コイツ、こんな状態でずっと戦ってたのか?


 魚人は指で2と示した。


「2時間前か?」


 コクリと首を縦に振る。もう喋るのもキツイようだ。

 だが、あんなに走り回って体力を削っていながら意思疎通はできている。入った毒は少量のはずだ。血清は無いが、薬さえあればなんとかなる。


「ワユマ、私は薬草を探してくるからコイツを木に縛りつけろ。あ〜…水でも飲めばちょっとは楽になるだろ。後で使うから全部は飲ませるなよ」

「う、うん!分かった!」


 ワユマに縄と水筒を渡し、イルィフは森の奥へ走り出した。

 なんでワユマを殺しかけた奴に私の水をやらないといけないんだ…


 さっきの爆発は本当に肝が冷えた。遠くにいた自分さえ火傷するかと感じるくらいの熱だった。位置が良かったのかワユマに怪我はなかったみたいだが、もし怪我でもしていたらワユマの制止も耳に入らなかっただろう。


 ああいう火は嫌いだ。自分の無力さを突きつけられて、見てるだけで頭が痛くなる。


 ……もう、家族を失うのは二度とごめんだ。




 イルィフが薬草を探しに行っている間、ワュマは縄で男を木に縛り付け、唾液と土で汚れた口元を拭ってあげた。

 口元にゆっくりと水筒を傾けると、男の喉山(のどやま)が小さく上下し、虚ろだった男の目の焦点が少し合うようになってくる。


「縄苦しくない?もうちょっと水飲む?」

「…オダ、マイ(なぜ) ネルア ウィ() シエナ…?」

「だから〜トゥルバ語か共通語で喋ってくんないと分かんないよ!さっきからなんて言ってるの!」


 ワユマが文句を垂れると、男はさっきまで閉じかけていた目をかっぴらいた。


「貴様、【ワユマ】のくせに魚人語が分からないのか…?」


 魚人語。

 ワユマにとって聞くのは2度目の単語だ。初めては、あの子に名前を付けてもらった時。

 本が大好きだったあの子が、トゥルバの歴史が知りたいと憧れを持って勉強していた言葉。それを当たり前に話す人がいる。

 魚人の国は本当にあるのだ。


「魚人語分かるの?凄い!

 そうなの、僕の名前魚人語なんだって!僕、ワユマ・ベカモナって言うんだ!」

「ワユマベカモナ…『(ワユ)()赤毛(ベク)()(モナ)』?

 見た目そのまんま…変な名前―――ゲホッゴホッ」

「み、水飲む…?」


 男の口角が引き攣っている。

 ちょっと笑った?


 再び水を飲ませると男の咳は落ち着いた。ゼェゼェと喉から音を出しながら、男は小声でワユマに尋ねた。


「……お前は、あの小人の()()か?」

「ドレー…あ、奴隷?違うよ!イルィフは僕の兄ちゃんだよ」

「…は?小人が?血の繋がりもないのに?」

「血とか関係ないよ!イルィフは本当は僕の監督役?なんだけど、初めて王宮に連れてってもらう時にね、

『私は今日から君の兄だ。君に、私が持つ全ての知恵を与えよう』

って、言ってくれたの。

 だから、イルィフは僕の兄ちゃん」


 ワユマは渾身の演技で兄の物真似をした。

 もう少し声は低いと思うけど、意外と似てる気がする。あの子がいなくなって、初めて会ったのはイルィフだったっけ?懐かしいなぁ…


 チラリと目をやると、男は呆れたような、信じられないものを見るような目をしていた。


「…騙されてないよな」

「ないないない!見たでしょ?イルィフの怒りっぷり。あんなに怒ってるの初めて!」

「……違うならいい」


 男がフゥと息をつく。

 この人、僕が一人の時はずっと魚人語で話しかけてきたけど、イルィフのこと悪い人だと思ってたんだ。


「もしかして、心配してくれたの?」

「……フン、仮にも同族だ」


 男は鼻を鳴らしてそっぽを向いた。

 図星ってヤツ?


「ンふふ、君は良い人なんだね。でもイルィフ優しいから、大丈夫だよ」

「…良い人……」


 男はその言葉を反芻し、少し眉をひそめた。




 野営のために薬草の本を読んでいて正解だった。ちょっと遠くにあったが、挿絵通りの見た目の草は見つけられた。

 ワユマとそう変わらない体格だったからと、イルィフはメモしていた量の薬草を摘み、来た道を戻った。


「待たせたワユマ!今から薬作るからこれに余ってる水全部入れてくれ」

「はいどーぞ!」

「ありがとな。


 さて、不審者。お前が何しに来たかは後で聞く。今死にたくないのなら、これに火をつけろ」

「……」


 魚人に向かって枝を差し出す。

 この薬草は煎じないと効果が無いが、火をつけるには時間がかかる。今はこの男の神血に頼るしかない。

 魚人は黙って俯いた。目元は見えないが、口は硬く結ばれている。

 おい、拒否すんなら見殺しにしてもいいんだぞ。


 しばらくすると、男が顔を上げる。その目は紫に染まっていた。


 ―――またあの火が来る。

 イルィフはぐっと目を細めたが、さっきの超火力と違い、蝋燭を灯すように火がついた。

 イルィフは枝についた小さな火を見つめた。

 意外だ。素はそういう人間なのだろうか。


「よし、ちょっと待ってろ。助けてやる」




 作った薬を飲ませると、男の呼吸はものの30分程で静かになった。さっきまで紫色だった唇も、少し赤みが戻ってきている。

 目は完全に焦点が合うようになった。どうやら解毒は済んだようだ。


「さあ魚人、尋問の時間だ。共通語話せるんだろ?お前が何者なのか話してもらおうか。

 まずは…名前と年齢、あと神血の力だな」

「…相手に名乗らせるなら先に名乗るのが礼儀だろう」


 先程までとはうってかわって、魚人はこちらに対して礼儀を説いてきた。

 これが助けてもらった奴の言うことか?態度デカすぎだろ。


「捕まってる側が口答えすんなよ。…ま、いいか。

私はイルィフ・ミサクァラ。風の神血者だ」

「さっき言ったけど僕はワユマ・ベカモナ、海の神血者だよ!」


「我が名はディ…

―――()()()。ディロ・ダフマ。

太陽の神血者だ」


「太陽ねぇ…なんとも仰々しいこった。

次、出身国」

「カウレ王国」

「カウレ?カウレってどこだ?」


 確か魚人国家は東側半島の山脈の向こう側に何個かあったはずだが……

 二人はフィスクからもらった地図を広げた。


「え〜と、カウレカウレ…あった!」


 ワユマが地図を指さしたのは、東側半島の南端だった。ヘルヴェータ王国からは半島を縦断するティマ山脈伝いに数カ国跨がないとたどり着けない、遠い遠い国。


「端っこじゃねーか!嘘だろ!?」

「本当だ」


 ディロという男の目は真剣そのもので、真っ直ぐイルィフを睨みつけていた。嘘をついているようには見えない。


「…わざわざヘルヴェータまで何しに来た。もし密偵なら助けて早々悪いが、死んでもらうしかないな」

「イルィフ!」

「神血者が密偵などするわけがないだろう。


……俺は()()()()()()()()()


 日差しは暖かいというのに、周囲の木々が冬のように葉を落としているせいか、うなじを撫でる風はやけに凍えて感じた。


「亡命って、謀反でもしたのか?」

「傷害罪だ」

「は?」


 予想だにしない回答に、イルィフは自分の耳がおかしくなったかと思った。

 ディロは自分が変なことを言っているとは微塵も感じていないようで、そのまま話を続ける。


「俺はこの力(神血)で人を傷つけて、死刑判決が出た。だから逃げ…亡命してきた」

「い、いやいや、傷害罪で死刑は流石におかしいだろ。

 お前、本当は殺したんじゃ―――」

「違う!!!」


 ディロは言葉を被せるように吠えた。縄が軋み、ディロを縛り付けている木がギギ…と音を立てる。

 また暴れ出すかとイルィフは山刀に手をかけた。

 しかし、縄がちぎれることはなかった。ディロは何かを思い出したかのように固まり、カクリと俯いた。


「……いや、最終的には俺が殺したことになるだろうが…」


「ディロ?」

「…つまり、直接はやってないってことか。故意…ではなさそうだな。

 にしても神血者が人を傷つけたから処刑って、よっぽどのお偉いさんにやったのか?」

「身分は関係ない。何があろうと傷つければ死刑だ。

―――逆に聞くが、なぜ神血者が役人の真似事をしている」

「…真似事じゃなくてれっきとした仕事だっての」


 咄嗟にツッコミを入れて話を逸らす。情報の更新に追いつけない。

 神血者は王の所有物で、権威の象徴で、人々の信仰対象。神血者が処刑だなんて、そんなことをやってしまえば判決を下した奴が死ぬだろう。

 この男が嘘をついているようには見えないが、イルィフは未だ話を飲み込めないでいた。


「…ンで、亡命してきてここで路銀稼ぎしてたら蛇に噛まれたってことか。なんで何も処置しなかったんだよ」

「傷口は洗ったが、陸蛇に有毒種がいるのは想定外だった。カウレの陸蛇は全て無毒だからな」

「さっきからリクヘビってなんだ?聞いたことない種なんだが…」

「あ? ()()()()()()()()()()()?陸にいる蛇だから陸蛇だ。何がおかしい」

「はぁ?」


 さっきから話が噛み合わない。国外の人間と話すのはこんなにも難しかっただろうか。


「うーーーん…法制度といい生き物といい、カウレって変な国だな。嘘はついてなさそうだし、どう処分しようか……」


 国内で発見された神血者は王都へ直接移送する決まりになっている。それに、その神血者が他国からの亡命者、しかも魚人だ。絶対に面倒なことになる。

 イルィフの脳裏に宮廷で見た貴族たちの顔が浮かぶ。

 …凄く行きたくない。


「その〜…ディロはどうしてここまで逃げてきたの?ヘルヴェータってカウレからすごい遠いんでしょ?」

「…俺は、生きないといけない。そう願われた。


……俺には、それしか残っていない」


 イルィフにはその声が、酷く寂しそうに聞こえた。

 聞き覚えがある声だ。全てへの絶望と無力感。自己嫌悪。あの時の私みたいな―――


「ねぇディロ、今から僕たち島一周の旅するんだ。一緒に行かない?」


 ……ん?


「ハストア島一周…!?」

「は!?ワユマこいつ連れて行く気か!?」

「だって人増えた方が楽しそうじゃん!しかもディロ魚人語分かるから、いてくれたら他の魚人と話す時に助かるよ!」


 ディロは突拍子のない話に呆然としている。かくいう私も空いた口が塞がらない。

 ワユマはいい子だが、あまりに純粋だからたまにレクェロ王並みに変なことを言いだすのだ。


「待てワユマ、流石に不法入国者は―――あ、」


 私が話せるのは共通語、小人語、巨人語の3つ。よく考えてみれば、この島に広く話者がいる言語で魚人語だけが話せない。ワユマも話せるのは共通語とトゥルバ語で、魚人語話者ではない。魚人語の通訳は今後必要になる。かといって話の通じない外国で一から通訳を探すのは大変だから今確保していた方が絶対楽だ。

 ワユマの提案には一理ある。


「戦闘も結構できるみたいだしカウレに行く時以外はリスクより利点の方が多い優良物件……

 何よりこのまま王都に戻らなければクソ貴族共に会わなくて済む……!」


 ―――それに、コイツの目は私と似ている。

 コイツも何か大切なものを失ったのだろうか。

 そう思うと、何だか放っておけなくなってしまった。


「よし!

 ディロ・ダフマ、契約しよう。今からお前は私達の魚人語通訳兼、東側半島の案内役だ。

 報酬は旅の最中の衣食住の保証とちょっとした楽しい経験。衣食住は私達も現地調達だが、まぁ放浪者より国の使者の方が信用あるだろ。いいな?」

「拒否は」

「できると思うか?」


 ニッコリ言葉を遮ると、ディロは苦虫を嚙み潰したような顔をした。


「……分かった。どうせ行く宛てもないし、貴様らといる方が生存の可能性が高い。


 契約してやろう」

「話が早くて助かる」


 イルィフはディロを縛り付けていた縄を解いた。少しよろつきながらもゆっくりと立ち上がったディロは鍛え上げられたその腕を組み、燃え盛るような真っ赤な目でイルィフを睨みつける。


「だが、俺は貴様らに付き従う訳じゃない。

 あくまで【対等な契約関係】。そのことを忘れるな」


「気難しい奴だなぁ。分かった分かった」

「わーい!よろしくねディロ!」


 傾き始めた日が、枝の隙間から3人を照らしている。春風が3人の間を通り抜けていく。


 鼻に通る草の香りに、イルィフは遠い西の草原の景色を思い出した。

 乾いた大地。草をかき分け走る馬の群れ。第二の故郷。

 まだ国を出てすらいないのに妙な出来事ばかり起きる。珍しく自分の意見を言った弟も、面倒くさそうな契約相手も。国を出てしまったら、さらに珍妙なことが起きるのだろう。


「ま、なるようになるか」


 そういうことこそ旅の醍醐味。きっとこの旅は楽しいものになる。



 ―――そうだよな、()()()


  イルィフは風に冷やされた指先を、袴の隙間に潜り込ませた。


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