82.久々の手
お風呂から出て部屋に戻ると、チェルさんはいつもの格好をして、ソファーに座り、本を読んでいた。
長い髪は緩く結われていて、服もきっちりと着込んでいる。今更ながら、寝間着姿のチェルさんがとても特別な物に感じた。
一緒に住んでいる。その言葉を改めて噛み締めながらチェルさんを見ていると、チェルさんが私の視線に気付いたようでこちらを向く。そして自然と目が合った。
「姫。風呂から出たのか」
チェルさんはそう言いながら本を机の上に置き、立ち上がる。お風呂の次は朝ごはんと先程話していた。食堂へ行くと言う事だろう。急いでチェルさんの元へと向かった。
「はい。お待たせしました。食堂に行きましょう」
チェルさんの隣に行き、チェルさんの手を握ろうと手を出す。たがチェルさんは手を動かす様子がない。
どうしたのだろう? 繋いで良いか確認するようにチェルさんを見ていると、ゆっくりと手が差し出された。
このまま手を繋いで良いのかな? 恐る恐るその手を握るとチェルさんが私の手を包み込むように、優しく握り返した。
その握り方がいつもと違うせいかとてもドキドキする。気持ちが通じたからかな。繋がれた手を見るといつもよりも輝いて見えた。
「握り過ぎたか?」
繋がれた手が少し緩んだ。それから直ぐにチェルさんの声が聞こえる。ゆっくりと見上げると、チェルさんは眉を下げて私を見ていた。
「そんな事はないです!」
「なら良いのだが。お前の手に触れていたいせいか、つい力が入ってしまう。痛かったら言ってくれ」
「痛くないです。それよりもチェルさんの気持ちがこもっているようで、とっても嬉しいです」
「受け入れてくれるのは嬉しいが人は弱い。壊してしまいそうになったら言ってくれ」
チェルさんが視線を少しそらす。人間がか弱いから、チェルさんが少し過保護になっている。確かに竜のチェルさんと比べてはいけないが、それでも手を握ったくらいでは死なない。
以前よりも弱く握られた手へ視線を移動する。私の事を想ってくれているから、慎重になったのかもしれない。チェルさんとの距離が近づいたのに、遠くなっているみたいだ。
気持ちは嬉しいがあまり良くない。覚悟を決めるように小さく息を吐いて、少し強くチェルさんの手を握る。
「チェルさんに比べたら力は全然かもしれませんが、全くないわけではないんです」
「姫?」
「ほら。いつも通りの強さで良いんです。食堂に行きましょう」
チェルさんが戸惑っているのは何となく伝わっているが、気づかないふりをして扉へと向かう。
扉に向かうにつれてチェルさんの握る強さはいつものように少し力が入っていった。さりげなくチェルさんの様子を窺うと繋がれた手をじっと見ていた。
「この強さがいつも通りだな」
それからぽつりと言った。少し違うが、伝わったらしい。先程よりも少しだけ強く握られた手をチラリと見てから部屋の扉を開けた。
部屋を出てからは食堂へと向かう。久々の食堂はわくわくする。食堂のご飯も美味しいがそれ以上に好きなのは食堂に行くまでの時間だ。チェルさんと手を繋いで他愛のない話をする。それは食堂に行き始めてから出来た、とても大切な時間だ。
「姫。すまない」
歩いている途中でチェルさんがぽつりと溢すように言った。そのままチェルさんへと視線を向けると自然と見つめ合う形になる。チェルさんは私の視線に気づくとそのまま目を伏せた。
「どうされましたか?」
「最近はあまり食堂に連れて行けてなかった」
「食堂? 問題ないですよ。それよりもチェルさんの体調が一番です」
ここ数日、チェルさんはヘビになっていた。調子が悪いのは明らかだ。人間より丈夫かもしれないが、あまり無理はして欲しくない。
「俺の体調を気にかけてくれるのは嬉しいが、お前の楽しみを奪ってしまうのが忍びない」
「チェルさん。大げさですよ。そんなに気にしないで下さい」
「だが食堂に行くお前は楽しそうだ。俺の調子が悪い時はシルフィに食堂に連れて行くよう頼めるが」
チェルさんが途中で口ごもる。なんだろう。続く言葉を待っているとチェルさんがそっと目をそらした。
「それは俺があまり快くない。だがお前がどうしてもと思っているのならば考える」
「必要ないですよ。ご飯は美味しいですが、それよりもチェルさんと一緒なのが一番です」
「俺と、一緒?」
「はい。手を繋いで一緒に食堂に行くのが楽しみなんです。もちろん。ご飯も美味しいですが」
チェルさんは考えるように見上げた。それからすぐに私を見るとチェルさんが私の手を離す。それから少し屈み、ふわりと私を抱き締めた。
「俺も、そうかもしれない」
なんとか聞こえるくらいの大きさだった。
突然で驚いたが、チェルさんの手は優しくて、嬉しさの方が上回る。だがここは魔王城の廊下だ。部屋ではない。誰かが来てしまう可能性もある。私達の関係を反対する魔物さんはいないと聞いているが、だからといって節度がある。
チェルさんに伝えよう。視線をチェルさんに移動すると柔らかく微笑んでいる表情が視界に入る。……少しだけなら。チェルさんへの気持ちが勝ち、そのまま背にゆっくりと触れようとした瞬間、足音がした。まずい。この光景を見られるのは良くない。離れた方が良い。改めてチェルさんに伝えようとするが、その前に足音が止まる。
「チェル。ここは廊下だよ」
すぐに魔王様の声がした。チェルさんと抱き合っているのを見られてしまった。しかも魔王様だ。表情は見えないが、声からあまり快く思っていないことは伝わる。その言葉はチェルさんにも聞こえている筈だが、チェルさんは魔王様の事など気にせず、そのまま私を抱きしめていた。




