77.人の姿と魔物の姿
私の目の前に現れたチェルさんは人の姿をしていた。人の姿のチェルさんを見るのが数日ぶりだったからか、いつも以上に輝いて見える。
「チェル、さん?」
「ああ。戻れた。お前が世話をしてくれたおかげだ」
チェルさんがふわりと笑った。久々の人のチェルさん。しかも笑顔だ。心臓に悪い。
ん? チェルさんが人の姿に戻ったと言う事は私の部屋に住む話はどうなるのだろう。チェルさんは部屋に戻る前にチェルさんの部屋に寄ると言っていた。良いのだろうか?
「姫」
チェルさんは眉間に皺を寄せる。視線も私から外していて、怒っていると言うよりも言葉を選んでいるようだった。
「お前の部屋に服や酒を運んでも構わないか?」
「酒?」
「お前の部屋に俺の荷物を置かせて欲しい」
チェルさん(人)が私の部屋で暮らす。大歓迎だがすぐに頭に浮かんだのは魔王様の顔だった。はいと言って良いだろうか? 確かに魔王様はチェルさんに私のことを任せていたけど。
「気が変わったか」
考えているとチェルさんが言った。チェルさんの方向を見ると、チェルさんは寂しそうな表情をしている。
変わっていないとすぐに答えたいが、男の人と一つ屋根の下。魔王様はどう思うか。頭に浮かぶのは不安要素ばかりだった。
「違います。ただ人の姿ですと」
「人? 人の姿はいけないのか。わかった。蛇になる」
チェルさんが即答した。そんなテンポ良く決められると焦る。
そんなホイホイ変わるものではないはずだ。元はヘビでも今のチェルさんにとって人の姿が普通だと思う。ヘビの姿だとご飯は食べられないし、いつもよりも体が冷たい。私の言葉で簡単にヘビでの生活を選ばないで欲しい。
「待って下さい。その、私は問題ないです。ただ人の姿ですと反対する人もいるんです。私が良くても魔王様がダメって言うかもしれなくて。チェルさんが私の部屋から追い出されてしまったら」
だったら魔王を倒せば良い。なんてチェルさんは言うかもしれないが、それは良くない。チェルさんも魔王様も怪我をしてしまう。
魔王様は私とチェルさんに好意的だし話せば……。無理だ。囚われの姫が四天王と同棲とか普通ありえないだろう。やはりヘビになった方が……。いや。それはそれでチェルさんに無理をさせる。
チェルさんを見ると私の言葉の意味を考えているようだ。じっと私を見つめる。
同棲なんてのは人の文化だ。チェルさんは知らないと思う。どうしよう。なんて説明すれば良いかわからない。そりゃ、私は人間で、チェルさんのそう言った対象から外れている。何もないのは当たり前だが、私だけが意識しているみたいで、恥ずかしくなる。
「そうか。人と言うのは面倒だな。あいつには俺がそろそろ人の姿に戻ると伝えた。それに……戻るのを、知っていてああ言った」
魔王様も魔物だし、どんな姿でもチェルさんはチェルさんだと言うことなのだろう。人の姿と魔物の姿に拘っているのは私だけのようだ。確かにヘビのチェルさんも人のチェルさんもチェルさんだが、少しもやもやする。
ここの魔物さんは私がチェルさんに手を出したら何て考えないのだろうか。私の心の中に仕舞われている恋心がゆっくりと頭を出す。
「チェルさんが嫌がることはしないですからね」
「それは俺の方だ。それにお前なら何をしても問題ない」
「は、ひゃい」
チェルさんが淡々と言った。私の言葉の意味をわかっているのだろうか。恋心が主張するように更に勢い良く出る。ちゅーしちゃいますよ。思わず言いそうになったが、直ぐに飲み込む。
そして直ぐに思い出す。チェルさんは首にキスする癖がある。お前の癖か? 同じだな。の一言で終わりそう。私の恋心がうなだれながら大人しく戻った。
元々期待してはいけないものだった。チェルさんは恋とは縁遠い種族だ。キスなんかしても辛くなるだけだ。
「俺ばかり我が儘を言っているだろう。調子にのらないようにはするが、我が儘が過ぎたら言ってくれ。お前を困らせている自覚はあるからな」
「困っていませんよ。私もチェルさんと一緒に住みたいですし」
「そうなのか?」
確かに人のチェルさんに対しては乗り気ではなかったかもしれないが、そう驚かれるのは複雑だ。私だってチェルさんと住めるものなら一緒に住みたい。
「もちろんです!」
「そうか。人の姿でもか?」
「はい。お酒と服が問題ではないんです。チェルさんが一緒にいてくれるなら住みやすいように持ってきて欲しいです」
魔王様はチェルさんを預かって欲しい。そしてチェルさんに一任していると言った。私がチェルさんの事が好きなことを知っているし、チェルさんが人の姿に戻ることも知っている。どこか後ろめたい気持ちはあるが、魔王様は今の所は反対をしていない。心の中で言い聞かせ、チェルさんへ伝えた。
「わかった。今から準備をする。部屋の中で少し待っていてくれないか?」
「はい。お邪魔します」
「邪魔ではない」
そう言えば前回もこんなやり取りをしたなと思いながらチェルさんの部屋へ入る。チェルさんの部屋は相変わらず本以外は何もなかった。前回と同じように案内されたソファーに座り、チェルさんを待つ。
チラリとチェルさんを見ると淡々と服を入れていた。見られるのは嫌だろうし、視線を天井に移動する。自然と頭に浮かぶのは、今までに起きたことだった。
チェルさんと一緒に住むのはいつまでだろう。冬の間かな? チェルさんは突然ヘビになるし、誰か見ていた方が良いのは確かだ。チェルさんは私の部屋にいることが多い。居心地も悪くない。それに私の監視もある。それなのにモヤモヤしてしまう。
きっとそれは私がチェルさんを好きだからだ。そう考えると私の恋心が邪魔に思えてくる。寂しいな。
「姫。待たせた」
チェルさんの声が聞こえたので、急いで視線をチェルさんの方へ移動する。持っていくものは決まっていたようだ。床に二つのバッグと少し大きめな瓶が置かれていた。
バッグは二つ。チェルさんの荷物は思った以上に少なかった。本や湯呑みは私の部屋にある。冬の間だけだしこれくらいで充分なのだろう。
「後は体調が落ち着いてからだ。落ち着いたら改めてお前の部屋に引っ越す準備をする」
引っ越す? 私と暮らすのは体調が悪いからだったはず。チェルさんの体調不良は冬が原因だ。
冬が終わっても一緒に暮らせるのは嬉しいが、やはり腑に落ちない。それよりも魔王様は知っているよね?
「魔王様に怒られたら話し合いをしましょうね」
考えても答えが出てくることではない。再び出てきた後ろめたい気持ちを隠すようにチェルさんへ伝える。その言葉にチェルさんの眉に再び皺が寄った。
「お前はどうして魔王に判断を任せるんだ?」
「私は囚われの身なんですよ」
忘れそうになるが私は囚われの身だ。魔王様は優しいが、さすがに目に余る行動へは釘を刺すはずだ。そして魔王様が寛容している幅がわからない。少しずつ探っていくしかない。
「そうか。余計な事をしたら問題だったな」
「だった?」
過去形? チェルさんの言い方が気になる。そのままチェルさんを見ているとチェルさんが口を開く。
「お前は余計なことをしたら魔王に殺されるとでも思っているのだろう」
「そこまでは思っていないですよ」
「安心しろ。あいつはそんなことをするのならわざわざ連れてくる男ではない。それに何かあったら俺が守る」
「気持ちは嬉しいですが、それだとチェルさんが怪我してしまいますよ」
嬉しいが複雑だ。無駄な怪我はしないで欲しい。今だって休みの日は一緒に居ることが多いし、争うよりもお互いの妥協点を探していく方が大事だ。
「わかった。あいつと話し合う。お前と住むことをこの城の魔物にケチをつけられないようにする。これで良いな」
「はい。怪我は」
チェルさんは納得したらしい。先程よりも眉間の皺が減ったように見えた。
「しない。決まりだな。その、お前の部屋に」
チェルさんが言葉を止めた。チェルさんは少し視線を移動する。”部屋に行くぞ”私が躊躇っていたから、言い辛いのかもしれない。
「はい。帰りましょう」
なるべくいつも通りに伝えると、チェルさんは「ああ」と言いながら柔らかく笑った。
そのままチェルさんは荷物を持ち、一緒に部屋へと戻る。チェルさんは荷物を持っているので私の手に触れることはない。それでも、横を見るとチェルさんがいるのは凄く安心した。




