69.チェルと愛
姫を道具のように扱われている。そう感じたチェルは魔王に対して、怒りが湧いた。
『姫は人間だ。魔物の子を産ませるな』
人が魔物の子を産むなど発狂ものだ。そんな事は考えるな。そう思いを込めチェルは魔王を睨むが、魔王の表情が変わる様子はなかった。
「それはチェルが勝手に思っている事だ」
『勝手ではない』
「どこがだ。その様子だと姫に出て行くことを言っていないのだろう? それなら君が勝手に思っていることだ」
チェルの頭が床の方へ向く。チェルは姫に出て行くと伝えるつもりはなかった。姫の顔を見ると判断が鈍る。ならば彼女には告げず、このまま出て行くのが最善だと考えていた。
チェルの行動に魔王は眉を顰め、チェルへ苦い視線を送る。
先程からチェルは自分のことしか考えていない。そして彼は自分が抱いている気持ちを知らない。ここで引き留められたとしても、このまま曖昧な関係を続けていたらまた同じことをする。
ならばここできっちり決める方が良いのではないか。魔王は瞬きをすると言葉を続けた。
「言葉を選ぼうと思ったが無理だな。君が出て行くのなら仕方ない」
『なんだ突然』
チェルが魔王の方向を見た。
引き止めて欲しいわけではないが、魔王の言葉が気にかかった。
「君はエリーゼにとってその程度の男だったと伝えておく。安心してくれ、私が責任を持ってエリーゼを幸せにしよう」
『お前が。姫を』
チェルが魔王の方向を見る。その瞬間、部屋の温度が急激に下がった。チェルがこの言葉に快く思っていないことは魔王に伝わる。
魔王はそんなチェルの態度を見ると眉間に皺が出来た。そして口を開く。怒っているのかその声はいつもよりも低かった。
「そうだ。君はエリーゼから離れるくせに自分以外の男と一緒にいるなと言いたいのか?」
チェルは魔王の言葉に何も言わなかった。いや、何も言えなかった。それは姫が決めることで、自分が口を出してはいけない事だと思っていた。それでもその言葉は不愉快に感じ、更に室内の気温が下がる。
「傲慢だな。君は彼女を捨てるんだろう。なら彼女の幸せを願うべきだ」
『捨てるのではない。姫と居れるものなら一緒にいたい。何も知らずに言うな』
チェルは伝え終わると魔王から視線を外し俯く。俯いているせいか落ち込んでいるように見えた。
普段の姿からは考えられないせいか、魔王はその様子を見ていると罪悪感が生まれる。
『あいつは一緒にいてくれると言った。俺も出来るなら一緒にいたい』
「チェル。なら、どうして?」
『人は一緒にいたい者の子を産むのだろう。それから俺は姫との子を望むようになった』
チェルが続けた。その言葉に魔王が寂しげな表情に変わる。チェルは魔王が感じていた以上にこの気持ちを消化出来ていなかった。
魔王は小さく息を吐く。心を落ち着かせ、チェルの事を考える。恋愛という言葉を知らない蛇が人を好きになった。その気持ちをどう扱っていいかわからず、いつものように捨てようとしている。
この気持ちの消化方法を伝えれば良い。魔王はゆっくりと瞬きをした。
「君は姫を愛しているんだね」
『あい』
「ああ。君が姫を想う気持ちだ。手放したくはないが、手放すのが良いと考えている。その気持ちだ」
『どうすれば消せる』
チェルが尋ねた。だが魔王の答えを察していたのか、チェルは未だに俯いたままだった。
「そう思っている限りは消せない事に気付いているだろう。辛いかもしれないが受け入れて欲しい」
ああ。淡々としたチェルの声が魔王の頭に響いた。
魔王は何かを考えるように天を見上げると再びチェルに視線を移動する。チェルは相変わらずこちらを見ようとしなかった。
「愛という気持ちを作ったのは人間だよ」
魔王が口を開く。チェルに伝わるように。そう考えているからか、口調は先程よりも柔らかかった。
『なんだ、突然』
「愛は大切なものと一緒にいたいと願う気持ちだ。君は子を作れば確実に一緒にいれる程度にしか思っていないんだろう。少しだけ違うんだ。人間は愛し合う者同士が一緒に暮らし、家族を作り、子を成す。一緒にいたいから子を成すのはないよ。子を残したいと思う程に一緒にいたいんだ」
『そんなことはない』
チェルが魔王の言葉を否定した。そうすると姫はチェルの事を愛していると言う事になる。自分は魔物だ。人間の姫が蛇を愛するなんて都合の良い話がない。チェルは心の中でも否定をした。
「あるよ。一緒にいるなんて簡単ではないからね。他の者を自分の領域に入れるのは嫌だろう。それは姫も同じだよ。だが姫は君と一緒にいたいと言った。姫のその気持ちが愛なのかは流石に私にもわからないが、君と同じで姫も簡単に一緒にいたいとは言わないよ」
チェルは何も言わなかった。
再び姫の事を考える。彼女はチェルと一緒にいれて嬉しいと言っていた。だがチェルの心は再び否定する。姫の本心もわからないのに、そんな自惚れるようなことを考えてはならない。
『そんな』
「そんなことはある。子がいなくても一緒にいれる」
『だが、不安で姫の子を』
チェルは言葉を途中で止めた。そんなチェルの様子を見ると魔王が寂しげな表情をする。段々とチェルの本心がわかってきたようだった。
チェルは姫のことを愛している。だから姫と一緒にいたい。だが姫の気持ちがわからない。そんなチェルが知ったのは子供がいれば一緒にいれる。その言葉に元々の本能的な部分も刺激され、姫の子供が欲しいと思うようになったのか。魔王は今までのチェルの行動が納得出来るように感じた。
「なら君が子を作れないよう考える」
『子を。出来ないように』
「そうだ。やったことはないが、心当たりはある」
魔王の言葉にチェルが考える。チェルとしてはそれは良い提案だった。
『なぜお前はそこまで協力する』
「君の横にいる姫はいつも笑顔だからだよ。君の調子が悪いときは笑顔が消えていた。君がいなくなったら曇るのは明確だ。彼女の寂しげな表情をもう見たくないだけだ」
『お前が姫のことを気にかけているのは伝わった。ならどうして俺の事を引き留めようとする。それにお前こそ姫と一緒にいたいとは思わないのか』
チェルは自分の力が有用だから魔王はここに引き留めて置きたいだけと思っていた。だが魔王の言葉を聞いていると。それだけではないように感じた。
そして姫への気持ちも気にかかった。
「一緒に? もちろんだよ。姫は私の家族だからね。私は彼女の親だからね」
『あいつがお前の。……あいつはロンディネの姫で』
「ああ、あの子はロンディネの王族の血を引いているが、魔物の娘でもあるよ」
魔王の言葉にチェルが固まった。突然出てきた情報はチェルの予想を大きく超えていたからか、チェルは固まってからしばらく動くことはなかった。
ゆっくりと考える。姫の父親はロンディネの王。母親が不明と聞いていた。
『お前が母親だったのか』
「どうしてそうなる。私は男だ。実際は国王の孫だよ。エリーゼは私と国王の娘の間に出来た子だ」
父親もわからない姫が城にいるのは厳しい。彼女は表向きは国王の娘として育てられており、それを知っているのは国の一部の者と彼女の両親のみだった。
『姫がお前の娘』
「ああ。そうだ。君がずっと聞きたがっていたじゃないか。彼女がここにいる理由だ。大切な娘と一緒に暮らしたい。それだけだ」
『その割に放っておいたな』
魔王は姫が来て早々、チェルに押しつけた。チェルにとってそれは今では良かったことだが、そもそもなぜ魔王は娘の面倒を自分に見させた。魔王の言葉に納得がいかない部分が多かった。
『それになんで赤子の時にここに連れて来なかったんだ』
チェルが魔王の言葉を待たずに続けた。子は親の元にいたいものだ。以前魔王が言っていた。それならば何故、成長するまで放っておいた。チェルは魔王の方向をじっと見るように頭を向ける。
「本当は赤子の時に連れ去ろうと思ったのだが、計画がずれてな」
『何があった』
「君に魔王を任せていた時だ。あまり城から離れるのも良くないだろう。この子が生まれるまで一緒にいられなかったんだ」
『事情を知っていたら、いや。俺のせいか』
「結果はね。だがチェルのせいではないよ。元々こうなる筋書きだ。君が蛇にならずとも姫は城にいたままだ」
魔王が寂しげな表情で笑いながら言った。チェルは魔王の表情など見えず、その変化に気付かなかった。
それよりも今は姫の事で頭がいっぱいだった。魔王の娘。突然舞い降りたその言葉をどう受け止めれば良いか考えていた。




