61.二人きりの夕飯
ヘビのチェルさんには瞼がない。瞼が開いているのに意識がないと感じたのは本当に寝ていたからだった。
今のチェルさんの目も焦点があっていなく、どうやら寝ているようだ。
私はヘビの事を知らない。チェルさんは未だに状態異常が付いたままだし、このまま回復するかもわからない。チェルさんの体は温かくなっているが、不安なことは多い。
少しでも良くなるようにとチェルさんの様子を見ながら温めていると、突然扉を叩く音が聞こえた。その瞬間、チェルさんが勢いよく首を上げる。
その姿はまるでドアの方向を睨み付けているようだった。
「チェルさん。魔王様です」
『魔王。そうか。もう飯の時間か』
魔王様がチェルさんに用事があることは先ほど伝えていた。来られたのが魔王様だと知るとチェルさんの警戒は解けたみたいだ。チェルさんの首が下がる。そして私の膝上に来るかと思ったらチェルさんの首はさらに下へと下がり、そのまま扉の方向へ動きはじめた。
ソファーの面積は限りがあり、すぐに落ちそうになる。まずい。急いで屈み、床に激突する前にチェルさんをキャッチした。
「チェルさん。危ないですよ。怪我はないですか?」
腕の上に乗っているチェルさんをそのまま引き寄せた。チェルさんが顔を上げたので自然と目が合う。
『怪我か。ない』
「良かったです。動くと危ないですよ。チェルさん。このまま魔王様の所へ行きますね」
『姫。運んでくれるのか』
そのまま立ち上がるとチェルさんの言葉が頭に響いた。どう言うことだ? チェルさんの体だと動くのは大変だ。
その言葉の意味を考えていると直ぐに頭の中にチェルさんの言葉が再び響く。
『人の姿をしている時は運ばないだろう』
「今のチェルさんは具合が悪くて、ヘビの姿をしているんですよ」
確かに人の姿もヘビの姿もチェルさんに変わりないと言ったが、同じでも違う。何度もチェルさんが何かから落ちている音を聞いている。危ないし私が運んだ方が良いのは明らかだ。
チェルさんは何か考えているのか、そのまま私を見つめていた。考え終えると何も言わずに首を伸ばすと私の肩に触れた。
『そうだったな。助かる。運んでくれ』
「はい」
返事をするとチェルさんの力が抜けたようで、私の肩に体重がかかる。頼ってくれたみたいで嬉しい。緩みそうになる口をきゅっと閉じてから扉へと向かう。
扉を開けると魔王様が視界に入った。魔王様は私を見てから、チェルさんを見る。
「チェル。意識が戻ったのかい?」
魔王様に挨拶をしようとしたら、それよりも先に魔王様が口を開いた。チェルさんが起きた事に気付いたみたい。
チェルさんは魔王様の声が聞こえると私の肩にのせていた首を動かし、魔王様の方へ移動する。
『戻った。姫から聞いている。用事とはなんだ』
「君の様子を知りたかったんだ。具合はどうだ?」
『さあな。見ての通りだ』
チェルさんの言葉は相変わらず素っ気ない。いつもの事だが、ここ数日魔王様がチェルさんを気にかけていたのを知っていたので、ちょっとだけ複雑だ。そんな冷たい言い方をしなくても良いのに。
「そうか。憎まれ口を叩けるくらいには回復したんだね」
魔王様はチェルさんの言葉を打ち返すように言った。その表情には余裕を感じる。そうだ。魔王様だ。チェルさんを出し抜いている魔王様だ。
『姫。用事は終わった』
チェルさんは魔王様のその言葉がお気に召さなかったらしい。そっぽを向くように魔王様から顔をそらし、私へと話かける。
相変わらずだ。どうしよう。とりあえず魔王様をチラリと見ると苦い表情をして笑っていた。
「チェル。君は相変わらずだな。もう少し私の話を聞いてくれ。君の仕事は休みだろう。休みなのはこれ以上君の体調を悪くしたくないからだよ。まだ本調子でなければ仕事は休んで問題ないよ」
『まだ。体調はよくない。暫くはこの姿だ。仕事は休みたい』
「わかった。復帰出来そうになったら言ってくれ。体を温める物は」
『不要だ。姫が温めてくれるから問題ない』
チェルさんは私の肩に首をのせると魔王様へ伝える。頼りにしてくれているみたいで嬉しいが、魔王様の前で言われると凄く気恥ずかしい。
魔王様も仲が良いね。そう言いたげにニヤニヤと笑っている。恥ずかしい。思わず魔王様から視線を反らした。
湯たんぽとヘビさんです。思い上がらないように私の心に言い聞かせる。それから再び魔王様を見る。
「わかった。ならこの部屋で大人しくしているんだよ。姫。チェルを頼めないかな?」
私に振られるとは思わなかった。えーっと……魔王様が言っているのはチェルさんのこと。言われなくてもだ。
「は、はい! もちろんです」
「助かるよ。この蛇の我が儘が過ぎたら言ってくれ」
「そんな事ないです。えーっと、チェルさんは自分で出来ることはしちゃ、いえ。あまり教えてくれませんし」
何も言わないでヘビの姿で状態異常を付けてから現れる。正直もう少し我が儘を言って欲しい。思わず感情が交ざってしまった。
それは魔王様に話す言葉ではない。やってしまった。恐る恐る魔王様を見ると、魔王様は私を見ながらクスクスと笑っていた。
「ふふっ。そうかい。ならチェルの事を頼んだよ。私の用事は済んだことだし、そろそろ退散するよ。食べ終わったらカートは外に置いておいてくれ。いつものように後で取りにくるよ」
「は、はい。ありがとうございます」
怒ってないみたいで安心するけど、先程からの生温かい視線も複雑だ。お察しの通りチェルさんにベタ惚れですよ。なんて言ってしまいたいが、流石にチェルさんもいるし言えない。
心の中に生まれるモヤモヤとした気持ちを押し込め、いつも通りを意識して魔王様と話す。
「どういたしまして。姫。チェル。おやすみ」
「魔王様。おやすみなさい」
チェルさんは拗ねているみたいで、魔王様に対して何も言わなかった。魔王様を見送るとカートを引いて部屋に入る。
机の近くまで運ぶとチェルさんをソファーの上にのせ、胴体に毛布を掛ける。それからカートからご飯を取り机の上に置く。
ご飯の準備をしている間、チェルさんはずっと私を見ていた。もしかしてご飯かな。チェルさんはあまりご飯を食べていなさそうだし。
「チェルさん。ご飯は食べられますか?」
『いや。この姿だと食べないほうが良い』
即答だった。ヘビの姿だと一切口にしない。わかっていたけど、ならどうして私を見ていたんだろう? チェルさんの言葉を待ちながら見ていると再びチェルさんの言葉が頭に響く。
『喉が渇いた。コップを借りても良いか』
「はい。寧ろチェルさんのですし。今持ってきますね」
お猪口を取りに立ち上がろうとすると、引き留めるようにチェルさんの体が私の腕に絡みついた。
『自分で取りに行ける』
「具合が悪いときはあまり無理をしない方が良いですよ」
『水が飲みたいのは俺の我が儘だ』
「ワガママじゃないですよ。寧ろ何も口に入れないのは良くないです。少しは私を頼って欲しいです」
先程の魔王様の言葉だろう。チェルさんはマイペースに見えるが意外とマイナスな言葉を気にする。そう言えば以前もラビアさんの言葉を気にしていた。
『わかった。我が儘が過ぎたら言ってくれ』
「はい」
チェルさんが私の腕から離れたので、再び立ち上がると棚へ向かいお猪口を取り出す。水差しから水を入れ、チェルさんの元へ向かう。
ソファーに座るとチェルさんが私に近づいたので、どうぞと言いながらチェルさんの口元にお猪口を向けた。チェルさんはそのまま水を飲むかと思ったが、水を飲まず、毛布から出た。
すぐに尻尾をのばし、お猪口を自分の元へと引き寄せた。そしてお猪口を中心にとぐろを巻いた。
『自分で持てる。俺が飲み終わるのを待っていたらお前の飯が冷める』
「チェルさんの水分補給が一番ですよ」
『お前の食べている横で飲みたい』
「は、はい!」
その言葉は嬉しかった。急いで箸を持ち、チェルさんの方を見る。チェルさんはお猪口に口を入れてごくごくと水を飲みはじめた。
それを見届けると私もご飯を食べる。少し形は違うけれど、チェルさんと食事をしているようだった。
「一緒に食べているみたいですね」
『ああ。そうだな』
チェルさんがお猪口から私の方向へ頭を移動する。
望んでいた形とは違うが、心はとても温かくなる。今日のご飯はどこか懐かしい味がした。




