60.予期せぬ訪問者
チェルさんが体調を崩され、お部屋で休まれてから二日経った。たった二日に聞こえるが、チェルさんのいない日常はとても長く感じる。
チェルさんがお休みされて私の生活は変わった。ご飯は食堂ではなく、部屋で一人で食べるようになった。
魔王様が持ってきてくれたご飯を食べ、それ以外は空を見上げている。チェルさんとの思い出が詰まっているからか、本を読む気分にはなれなかった。
チェルさんは部屋に閉じこもっているせいか、魔王様もチェルさんの状態がわからないと言っていた。何もわからず不安だけが積もっていく。
空を見ながら思い浮かぶのはチェルさんのことだった。
今日も空を見上げていると私の意識を戻すように、ごとんと扉の外から大きな音がした。
チェルさんの具合が悪いのでお仕事はお休みとなっている。来客は魔王様がお断りしている。誰も来ないはず。
なんだろう? 扉に近づくとノブが勝手に動いた。ノブは再び元に戻り、何かが落ちるような大きな音がした。その音が止むと扉がわずかに開いた。
恐る恐る開いた扉を見ると僅かな隙間から白い何かが入ってきた。なんだろう。しゃがんでそれを見ると、それは白い蛇だった。来訪者はどうやらチェルさんのようだ。
チェルさんは部屋の中に入ると動きが止まる。寒いのか、体はぷるぷると震えていた。
「チェルさん?」
チェルさんに呼びかけて手を広げる。チェルさんはよろよろと動いて私の手に触れた。その体温はとても冷たい。驚かさないようにゆっくりとチェルさんを抱きしめ、持ち上げる。
チェルさんをじっと見ていると睡眠と寒冷の状態異常がかかっていた。具合が悪くなってしまったようだ。少しでも温まるように胸の中でうずくまっているチェルさんを優しく撫でる。
撫でているとチェルさんの震えは少しだけ収まった。心配な事には変わらないが、先程よりも穏やかな様子を見ると少し安心した。
そして次に頭の中に思い浮かんだのはチェルさんが言っていた。罪悪感が生まれる。と言う言葉だった。チェルさんは望んでいない。だからと言ってこのままチェルさんを放っておけない。
意識が戻ってから話し合おう。そのまま毛布を取りソファーにチェルさんを置く。チェルさんは以前の様に私の膝の上に頭を置いた。チェルさんの胴体に毛布をかけ、毛布の中に手を入れる。チェルさんは私の手が温かいのか暖を取るように尻尾を絡めた。
いつもよりチェルさんの体温は低いが、手を握っているみたいだ。数日離れていただけなのに、その冷たい温もりが凄く懐かしくて愛しく感じた。
チェルさんの体を温めているとトントンと扉を叩く音がした。時計を見るとご飯の時間だった。魔王様かな?
「チェルさん。失礼しますね」
チェルさんがソファーから落ちたら大変なので、チェルさんに声をかけてから毛布から出した。
そのまま抱きしめるが、チェルさんは嫌な素振りは見せなかった。良かった。立ち上がるといつもよりもゆっくり歩いて扉に向かい、開ける。扉の先にいた魔王様は私の胸元を見ると驚いた表情をした。
「チェル? どうしてここに」
「歩いて来られたみたいです」
説明として合っているかわからない。だが真実だ。チェルさんは一人でこの部屋に来た。そして体全体を使って扉を開けてこの部屋に入った。
「歩いて? この部屋に? そうか。よほど寒かったんだな。全く」
魔王様はチェルさんを見ながら苦く笑った。
「みたいですね」
「ああ。こんな体で無茶をして、チェルの部屋の扉は無理やり壊されていないか、後で見ておくよ。そうだ姫。チェルの意識が戻ったら話がしたい。この部屋に引き留めておいてくれないか」
「引き留める?」
「ああ。チェルは具合が悪いのに部屋に入らせないからね。私は正直、君が見ていてくれた方が安心するよ」
”チェルの様子はわからない”ここ数日、チェルさんの様子を聞く私に魔王様が答えていた言葉が頭に浮かぶ。数日前は人の姿に戻れたみたいだったのに、また悪くなっていた。元に戻っても、また悪くなってしまいそうだし、チェルさんを部屋に帰すのは良くない。
「はい」
「頼んだよ」
魔王様はチェルさんをちらっと見てから、チェルさんの部屋の方向へ歩いていった。
私はカートを部屋の中に入れると昼ご飯を食べる。チェルさんが一緒のせいか、昨日よりも味がしているように感じた。
ご飯を食べ終わり、カートを部屋の外へと出すと再びチェルさんと休む。
チェルさんは相変わらずくったりしていた。今日もこのまま休まれているだろう。
先程よりも穏やかになっている。このままで大丈夫そうだ。過剰に見られるのもいやだろうし。本でも読んでいよう。
本を読んでいたら突然私の膝から重さがなくなった。なんだろうとチェルさんを見るとチェルさんが首を上げて私の方向を見ていた。
いつもとは違いその眼差しには意志があるように見える。チェルさんをじっと見ているとチェルさんが私に向けパクパクと口を動かした。
何か伝えたい事があるようだが、声が出ないみたいだ。口を動かしていることはわかるが、何を伝えたいかはわからない。どうしよう。
『ここは、どこだ』
紙を出そうか考えていたら、頭にチェルさんの声が響いた。この前のテレパシーだ。そっか。チェルさんがテレパシーを使えたのはしゃべれないからだったんだ。
「ここは私の部屋ですよ」
『姫の。もしかして魔王が俺を連れてここに』
「いえ、チェルさんが来られたみたいです」
チェルさんはこの部屋に来た記憶がないみたいだ。そのまま首を私から反らすように動かす。
『悪い。そうか』
チェルさんが落ち込んでいるように見えた。罪悪感。チェルさんの言葉が直ぐに思い浮かぶ。
「悪くないです」
『姫』
「具合の悪いチェルさんを放っておけないですし。チェルさんが知らない所で無理されるのは嫌です。なので、頼ってくれて嬉しいです」
待っているだけは嫌だった。頼って欲しいとチェルさんへ伝える。チェルさんは私から首を反らしているので表情はわからない。
『ここに、いても問題ないのか』
「はい。大歓迎です。ゆっくり休んで下さいね」
起きていたら私の手は邪魔になるだろう。そっと手を毛布から出そうとするとチェルさんの尻尾が私の手に絡む。
「チェルさん?」
『悪い。今、離す』
「い、いえ。邪魔でなければ」
『邪魔ではない。お前が温めてくれているおかげか、いつもよりも早く回復している』
嬉しくて、そのままチェルさん握り返すように尻尾に触れるとチェルさんの尻尾がピクリと動いた。
あっ。今のチェルさんは意識がある。流石に触れるのは良くない。チェルさんは嫌な気持ちになっていないだろうか。そのままチェルさんを見るとチェルさんは私の方向に顔を向けて固まっていた。
『姫。俺に触れるのは不快ではないか。今の俺は人の肌とは違う』
「そんな事ないですよ。チェルさんこそ触れられるのは嫌じゃないですか?」
チェルさんは私からそっと視線を外した。良いのか悪いのかわからない。止めた方が良さそうだとゆっくりとチェルさんから離そうとするとチェルさんの尻尾が私の手に更に絡みついた。
触れていて良いのかな。そのままチェルさんを見ているとチェルさんの声が頭に響いた。
『お前の手は温かい。気持ち悪くなければ触れていて欲しい』
「はい」
再びチェルさんに触れるとチェルさんは恐る恐る私の膝の上に頭をのせた。
『重かったら言ってくれ。すぐに降りる』
「そんな事ないですよ」
男の人に軽いと言って良いのかわからないが、チェルさんに伝えた。
チェルさんは私の言葉を特に気にしていないようで私の膝の上に頭をのせたまま、気持ち良さそうにしていた。




