第29話「楽園の階段」と「都市の解答」
どれだけの階段を降りたのでしょう。手すりも照明もない階段を。あまり覚えていないぐらいにはユフィリアの手を引いてあげたまま階段を降りました。その階段の先にあった空間は見上げるほどではありません。身体を一周させてしまうような横の空間の広がりがありました。神殿というよりは地下都市とでも呼べるのでしょうか? それほどの大きな規模です。地上に死の雨が降ったとしても充分に生活できるでしょう。愛鈴とユフィリアしかこの地下神殿内にはいませんが、幽霊火のような炎が漂っているので寂しくもありませんし、黒き霧のようなものが蔓延している足元から足音が反響することもないので、愛鈴の右隣を歩いているユフィリア以外の足音が聞こえてしまってゾッとしてしまうようなことだってありません。
「さっきから愛鈴くんは”ぼくがこんな状況になっていることに誰に慰謝料を請求すればいいんだろうなぁ”って顔で上の空だけど、何か他に考える事はないの?」
「よくわかるね。ぼくの横顔を見ているだけで。あれだね。君はぼくのファン?」
「こんな風に身体を寄せ合いたくなる恋人」
「まぁ君の言葉は真理かな。でもぼくは考えることはあまり好きじゃないし。ーーそれにユフィリアが何か考えている邪魔をしたくなかったから俗世に染まってたの」
「ただ堅苦しいことが苦手なんじゃなくて?」
「まぁそうかもしれないね。ーーでもユフィリアは何か君の胸に届いてきた?」
「まるで誰かの意識下の世界に迷い込んだみたいだよね。この超自然的で神秘的な空気はさ。……でもそんな気持ちを何かもっと綺麗に表せる言葉もあったはずなんだけど忘れちゃった……。……わたし横文字とかを覚えるのがすごく苦手だから」
「”オートマティスム”じゃないの? 細かいことなんかは理性的に考えないで心に浮かんだことを芸術的に表現しようって美術の思想の動きだったみたいだけど?」
「あ〜。うんうん! そんな感じだったような気もするけどーー」
「瑞葉の選んだ本の中に書いてあったの。それについてさ。だからぼくだってたまたまだよ。ーーちなみにだけど”自動記述法”だってさ。そのオートマティスムを漢字で表すと。ユフィリアはそっちのほうが得意でしょ? 覚え方としてはさ?」
「漢字っていう言葉は素晴らしいよね? その言葉を見ただけで想像が広がって」
「それは間違いないね。それで? そのほかにも君にはもっと何かあるでしょ?」
「ーーどうしてわたしのお洋服を急に掴むの?」
「洋服の素材を確かめたの。こんな地下の中で寒くないのかなって思ったから」
「本当にそれだけ?」
「ほかに何があるの?」
「わたしに嘘発見器をつけたとか」
「そんな馬鹿な。君が何か隠そうとしているなら話しているだけでもわかるよ」
「ーーまるで”亡国”みたいだと思ったよ? この地下の神殿の全てがね?」
「君の視野はやっぱり面白いよ。ぼくはただのお墓にしか思えなかったからさ」
愛鈴とユフィリアはこんな中でも月のない夜を散歩しているようでしたが、ふと愛鈴が立ち止まりました。意味の分からないどころか意味の想像もできない壁画やら、意味なき羅列しにか見えない文字が記されている壁際で。今までもずっとこのような石壁でしたが、愛鈴が立ち止まったのでユフィリアも右隣に来てくれーー。
「何かが気になったの?」
「さっきのユフィリアの言葉から何かわかるかなって」
「う〜ん。そこまでわたしの考えを盲目に信じられるのも困るんだけど、もしもよかったらマッチで照らしてあげようか? さすがの愛鈴くんでも薄暗いでしょ?」
「わぉ。すごく準備がいいねユフィリア。こんな時にマッチを持っているなんて。やっぱりユフィリアは素晴らしいよ。ライターじゃなくてマッチっていうところもーー可愛らしい。もしもこれが最後のマッチでも、君の美しい顔を眺めるために使おうかとも思ったけどーー今はふざけてられないからこの文字のほうを照らすんだ」
「蛍光ペンみたいに光ってたんだね、この文字たちって。本当に少しだけど」
「本当だ。こうするまで気がつかなかった」
「この文字は読めたり知ってたりする?」
「分からないよぼくには。ユフィリアに分からないことがさ。ーーでももしかしたら瑞葉なら何かわかったのかもなぁ。瑞葉は教授みたいなやつだしさ。本当に」
「その預言書のことで助けてもらったから、そんなふうに呼んであげてるの?」
「まぁおそらくこれから3日ぐらいはだけど」
「じゃあそんな教授のお友達の愛鈴くんはこれにどんな感想を抱きましたか?」
「危険な思想だと思う。たぶんそのことについて書いてあるんじゃないのかな」
「100点満点の解答だよねぇ」
「ユフィリアもそう思う? これはぼくも瑞葉の気持ちになりきって答えてみた」
楽しそうでした。愛鈴とユフィリアは。結局はお化け屋敷にでも訪れているようなのです。まがりなりにも禍々しげな地下の神殿を訪れてきているというのに。
「でもせっかくだからどこか寄り道もしてみない? あの不思議な扉の中とか?」
「それはやめておこうユフィリア。何か変なことをして気に障ったら大変だ」
「そういうところは相変わらず真面目なんだね愛鈴くんは?」
「用心深いんだよ。最低限のTPOだけはしっかり弁えてるとも言えるけど」
ユフィリアのことは愛鈴もよく知っていました。だから本当にその古びた扉のほうへと身体を向けてしまおうとするユフィリアの左手を引っ張りました。もう先に行くよという感じで。そろそろ中休みも終わりです。ここが自分たちの安住の地ではないのですから。そうして愛鈴とユフィリアが暗闇を再び進み始めると、ときおりどこかから吹いてきて衣服を揺らした風に、なぜか愛鈴が眉をひそめるとーー。
”楽園への扉を開くんだ。楽園への扉を。それこそが新世界の神話への扉だから”
”この世界を救いたいならまずはこの世界を壊そう。君はそう考えてるんだろ?”
”探り合いならもういいさ。もう誰が断頭台へと行くかという問題だけなんだから”
作り話のようでした。それがその時どこかから吹いてきていた風によって届いてきたのです。心に刻みつけようとするというよりは心を魅せようとしているように。
これが社会と呼ばれるものでしょうか? これが戦争と呼ばれるものでしょうか? なかなかわかりません。社会という概念も。戦争という概念も。とても身近にあるものなのに、やはりそれらも見たり触ったりだけでは読み取れませんから。
でも愛鈴もユフィリアも気付きます。あの声の主はもうこの世界にはいないんだろうと。もしもこの世界にいたとしてもーーそれは亡霊と呼ぶべき存在だろうと。
「ーー光栄でしょユフィリア? これでこそパーティーに招待されている気分だ」




