あたたかい気持ち
賑やかな祝勝会の熱気から少し離れるため、私は周囲に声をかけて席を立った。あちこちでグラスがぶつかり、笑い声が飛び交う食堂を見回すが、先ほどまで見かけたウォルターの姿はどこにもない。
静まり返った廊下に出ると、ひんやりとした風が火照った肌に心地よかった。
少し飲み過ぎたかもしれないなと思いながら、私はウォルターの居場所を探して彼の個室へと向かった。
彼の部屋の前に着き、控えめにドアをノックする。
「……入れ。」
低い、けれどいつもの落ち着いた声が返ってきた。ドアを開けて中に入ると、ウォルターは椅子に腰掛け、窓から夜空を見上げていた。
「どうした、宴会の途中だろう。」
「……少し、抜け出してきました。ウォルター先輩がいなかったので。」
そう言いながら彼の近くに寄ると、ふと日中に負った頬の傷が目に入った。第一騎士団の男の攻撃を庇ってくれたときにできた、まだ新しい傷跡だ。
「あの……ウォルター様、頬の怪我、大丈夫ですか? 私を庇って……。」
心配そうに覗き込むと、ウォルターはわずかに目を丸くし、それから苦笑するように息を吐いた。
「気にするなと言ったはずだ。こんなものはすぐに塞がる。」
「でも……。」
申し訳なさと心配が入り混じる私を見て、ウォルターはふっと表情を和らげた。
「よくやったな、リズ。予選から本戦まで、お前の戦いぶりは見事だった。誇っていい。」
普段は滅多に人を褒めない彼が、まっすぐに目を見てそう言ってくれた。さらに、彼の口元にはほんの微かに、けれど確かに、柔らかい笑みが浮かんでいた。
その予想外の表情と温かい言葉に、嬉しくなり頬が熱くなる。
「っ……ありがとうございます。ウォルター先輩が指導してくださったおかげです。」
込み上げる嬉しさを噛み締めながら頭を下げる。
これ以上ここに長居するのも悪いなと思い、「お邪魔しました、戻りますね。」と踵を返そうとした、その時だった。
「待て。」
スッと伸びてきた大きな手が、私の袖をそっと掴んで引き止めた。振り返ると、ウォルターは少し気まずそうに目を逸らしながら、机の上に置かれた瓶とグラスに視線を向けた。
「……少し、付き合え。お前の勝利の祝いがまだだ。」
そう言って彼は空いたグラスを一つ取り、そこに琥珀色の酒をトクトクと注いだ。
私は小さくうなずき、彼の向かいの席にそっと腰を下ろした。
グラスに注がれた琥珀色の液体を互いの手に持ち、静かな室内にはコトリとグラスが触れ合う音がかすかに響くだけだった。「付き合え」と言った本人は一口含むと、それ以上言葉を挟むこともなく、ただ静かに窓の外の夜空を見上げている。
一般的には気まずさを覚えそうな沈黙だったが、私にとってその静けさは不思議と居心地がよかった。ウォルターが纏う厳格な気配の奥底には、私を労る穏やかな温かさが確かに息づいているのが、その手に触れずとも痛いほど伝わってくるからだ。私はグラスの縁を指でなぞりながら、同じように静かにエールを味わった。
しばらくグラスを傾けていたウォルターだったが、ふと視線を落とし、迷うような、それでいて少し気まずげな声音でぽつりと呟いた。
「……なぁ、リズ。」
「はい?」
「俺と訓練するのは……やりづらくないか?」
予想外の問いに、私は動きを止めた。ウォルターはそのままこちらを見据えることなく、グラスの表面を見つめたまま言葉を続ける。
「俺は他の奴らの様におしゃべりではないし、おまけに表情も動かない。お前にとって、指導係としてやりにくい男だったのではないかと思ったんだ。」
普段のな彼からは想像もつかない、自分の内面を気にするような弱音だった。彼はずっと自分の指導に不備がなかったか、重圧を与えすぎていないかという不器用な懸念と、どこか不格好な自省の念を抱えてたのだ。表情に出ないだけで、彼は彼なりにずっと私のことを考え、悩んでくれていたのだ。
私はグラスをテーブルに置き、まっすぐにウォルターを見据えた。
「そんなこと、一度も思ったことありません。」
きっぱりとした私の声に、ウォルターがわずかに眉を動かして顔を上げた。
「ウォルター先輩が言葉にしなくても、私はちゃんと分かっています。怒っているときも、心配してくれているときも、誇らしく思ってくれているときも……ぜんぶ、私には視えてますから。」
触れ合わなくとも、これだけの時間を共に過ごし、彼の魂の揺らぎに触れてきた私には分かる。この無愛想な男の背中がどれほど温かく、どれほど私を救ってくれたか。
私の真剣な眼差しを受け止め、ウォルターは大きく目を見開いた。驚愕が彼の硬い表情をわずかにほぐし、やがて彼はどこか気恥ずかしそうに目を伏せ、小さく「そうか……」と呟いた。
静かな部屋の中、互いの心の輪郭が少しだけ近づいた気がして、私はふっと柔らかく微笑み、再びグラスを掲げた。




