困惑
オルテアでの有意義な滞在期間を終え、私たちはついに任務の完了とともに、自国であるエルヴェール王国へ向けて帰途につくことになった。
帰りの道中も、往路と同様にアーサーの商団をしっかりと護衛しながらの旅となったが、ウォルターはアーサーが私に近づくたびにすかさず割り込んできた。馬車の乗り降りの際や休憩中、アーサーが話しかけようものなら、ウォルターがすかさず「騎士の護衛体制に支障が出る」という理由をつけて私の近くを陣取り、二人の間にガッチリとガードを固める。あまりの執着ぶりにアーサーが意味ありげな笑みを浮かべ、ウォルターがさらに顔を険しくさせるというお決まりの攻防が繰り返された。
復路は厄介な魔物や敵が出てくることもなく、これといった大きなトラブルは起きなかった。
そして数日後――。
無事にエルヴェール王国の城壁と見慣れた街並みが見えてきたとき、私は心の中で大きく息をつき、無事に大役を果たせた達成感に包まれていた。
王国へ戻った私たちは、まず王都の一角にあるアシュレイ商会の本館へと足を運んだ。
重厚な扉をくぐり、豪華なしつらえの応接室に通されると、アーサーは同行した騎士たち一人ひとりに丁寧な言葉でねぎらいと謝意を述べてくれた。
「ルベウス峠の件からオルテアまでの往復、過酷な任務を完璧にやり遂げてくれた第二騎士団の皆様には、いくら感謝してもしきれません。本当に、お疲れ様でした。」
アーサーの誠実で穏やかな言葉に、護衛にあたっていた騎士たちも「商会長が無事で何よりだ。」と頼もしくうなずく。一通りの挨拶が済み、いよいよ解散という流れになって私たちが部屋を出ようとした時だった。
「――あ、リズさん。少しだけ、残ってもらえないかな?」
アーサーのその言葉に、部屋の出口に向かっていた足がピタリと止まる。
すぐ後ろに控えていたウォルターは、瞬時に眉間を険しく寄せ、鋭い視線をアーサーに向けた。
「……何か用か。護衛の任務はすでに完了しているはずだが。」
「そんなに警戒しなくてもいいさ、ウォルターさん。ただ、道中の個人的なお礼と、少し個人的な話をしたいだけだよ。ね、いいだろ?」
アーサーの穏やかな笑みと、ウォルターの今にも噛みつきそうな殺気立つ空気の間に挟まれ、私は「ええと……?」と首をかしげた。
「ウォルター先輩、すぐ戻ります!」
「しかし……」
「大丈夫です! すぐですから!」
私が明るく笑って宥めると、ウォルターはしぶしぶといった面持ちで、「……分かった。」と言い残し、部屋を出て行った。
ガチャリと重い扉が閉まり、広々とした応接室には私とアーサーの二人だけが残された。
「さて……。」
アーサーはソファに腰掛け、それまで浮かべていた商人のような柔らかな笑みをふっと緩めると、真剣な光を湛えた瞳でまっすぐ私を見つめた。
「あらためてお礼を言わせてほしい。ルベウス峠のとき、君が命を張って僕を守ってくれたから、今の僕がある。本当に……ありがとう、リズさん。」
「そんな、私の仕事ですから……! むしろアーサー様が無事で本当に良かったです。」
私が恐縮しながら頭を下げると、アーサーはクスリと小さく笑い、それから少しだけ声を落とした。
「仕事、か……そうだね、騎士としての君はいつでも立派だ。でもね、僕が君に抱いている感情は、ただの感謝だけじゃないんだ。」
「え……?」
「……僕はね、本気で君に惹かれているんだよ。強くて、真面目で、少しばかり……いや、すごく鈍感な君のすべてが、僕にとってかけがえのないものになっている。」
(――え……? ええと、それって……?)
アーサーの真摯で真っ直ぐな言葉の響きに、私の脳内は一時停止した。
(もしかして、これは商会としての特別な顧客待遇とか、そういうものじゃなくて……!? いやでも、まさか……!)
戸惑って固まっている私の前に、アーサーはそっと歩み寄り、優しく微笑みかけた。
「……アーサー様?」
私の戸惑いをよそに、アーサーはさらに一歩、距離を詰めてきた。そのオーラには、情熱的な赤と、逃がさないと言わばかりの真剣な光が宿っている。
「戸惑わせてしまったかな? でも、これは冗談なんかじゃない。僕は本気で、君をひとりの女性として大切にしたいと思っているんだよ。」
(ひとりの女性として……? つまり、これって、その……いわゆる『告白』っていうやつでは……!?)
私の脳内は完全にキャパシティオーバーを起こしていた。
「あ、あの……! 私、騎士ですし、その……すごく不器用ですし、アーサー様のような素敵な方にそんな風に言っていただけるなんて、全然、その……頭が追いつかなくて……!」
しどろもどろになりながら必死に言葉を絞り出す私を見て、アーサーは愛おしそうにふっと目を細めた。
「ふふ、本当に君は可愛いね。今すぐ返事がほしいわけじゃないんだ。ただ、僕のこの気持ちを、ちゃんと知っていてほしかっただけだよ。」
そう言ってアーサーは優しく微笑むと、これ以上困らせまいと少しだけ身を引いてくれた。
「では、今日はこれくらいにしておこうか。長々と引き止めてすまなかったね、リズさん。」
アーサーが柔らかく微笑みながらそう言ってくれたおかげで、私はホッと胸を撫で下ろした。頭の中はまだ大混乱のままで、なにを言えばいいか分からないけれど、とりあえずこの場から逃げ出せる――そう思った私は、慌てて頭を下げた。
「は、はい! お気遣いありがとうございます! それでは、私はこれで……!」
早口でそう告げると、逃げるように応接室の扉へと向かい、ドアノブに手をかけた。
しかし、その手が扉を開けるより早く、背後からスッと気配が近づいてくる。
「あ、待って、リズさん。」
「えっ……?」
振り返ろうとした瞬間、腕を優しく引かれ、私の体はふわりと引き止められた。驚いて見上げた私の目の前で、アーサーは私の右手をふっと包み込むように優しく取り上げた。
「……え、あの、アーサー様?」
戸惑う私を制するように、アーサーは愛おしげに目を細めながら、私の手の甲へとそっと自らの唇を落とした。
――ちゅっ。
肌をかすめる確かな温もりと、あまりにも紳士的で、かつ独占欲を帯びた仕草に、私の思考回路は完全に焼き切れた。
「……っっ!?!?」
声にならない悲鳴を飲み込み、顔が一気に沸騰するように真っ赤に染まる。心臓がバクバクと五月蠅いほどに跳ね上がり、私の脳は完全に機能を停止してしまった。
「気をつけて帰るんだよ、リズさん。」
満足そうに微笑むアーサーの声すらも、今の私の耳には遠くのざわめきのようにしか聞こえない。
(いま……なにが……手が……くちびる……っ?!?)
完全に魂が抜けたような放心状態のまま、私はガチガチに硬直したロボットのような足取りで扉を開け、フラフラと応接室をあとにするのであった。




