お礼
その後数日にわたる旅路を乗り越え、私たちはついに目的地である交易都市「オルテア」の巨大な城壁の前にたどり着いた。
検問を抜けて一歩街へ足を踏み入れると、そこには王都とはまた一味違う、活気と華やかさに満ちた光景が広がっていた。石畳のメインストリートは色鮮やかなオーニングを掲げた商店や露店がずらりと並び、遠国からの商人や旅人たちが行き交う足音と、威勢の良い売り子の声が心地よく入り混じっている。道行く人々が纏う衣服のスタイルも多様で、この街がいかに多くの文化が交差する経済の要であるかを物語っていた。
「無事にオルテアに着いたね。お疲れ様。」
馬車の窓から外を眺める私に、アーサーが晴れやかな笑顔を向ける。その横顔には、無事に商団を導ききった安堵と、新しい取引への期待感が満ちていた。
馬車の外では、先頭を走り抜いたウォルターが厳しい目を緩め、部下の騎士たちに馬屋と宿の指示を出している。彼の凛々しい背中を確認しつつ、私は新しい大剣の重みをそっと確かめた。
危険な襲撃を乗り越え、ボロボロになりながらも無事に任務を完遂できた達成感が、胸の奥からじわりと広がっていく。こうして活気あふれる美しい街並みを眺めていると、旅の疲れもどこかへ吹き飛んでいくようだった。
オルテアに到着してから数日間、私は商会の宿泊施設でしっかりと体を休め、医者からも「もう無理をしなければ問題ない。」というお墨付きをもらうことができた。背中の傷も順調に塞がり、すっかり体調を取り戻した私は、久しぶりに部屋の外に出た。
すると、廊下の角からひょっこりと顔を出したのは、あの明るい笑顔を浮かべたアーサーだった。
「やあ、リズさん。体調はもうすっかり良さそうだね!」
「アーサー様。はい、お陰さまですっかり元通りです。ご心配をおかけしました。」
「それなら良かった!あの、リズさん、無事にオルテアに着いたお祝いと、道中の礼も兼ねて……その、少し付き合ってくれないか?」
アーサーはそう言うと、少しだけ照れくさそうな笑みを向けた。拒む理由など何もない。私は快く頷き、彼の案内に従って活気あふれるオルテアの街へと繰り出すことになった。
案内されたのは、街の中心にある美しい噴水広場を囲む、開放的なオープンエアの市場だった。色鮮やかな特産品や珍しい魔導具、さらには甘い香りを漂わせる焼き菓子のお店がずらりと並んでいる。
「ここはオルテアでも一番賑やかな場所なんだ。怪我の療養でずっと閉じこもっていただろうから、少しでも街の空気を吸ってもらいたくてね。」
色鮮やかな露店が立ち並ぶ広場を、アーサーと並んでゆっくりと歩いていく。
「あそこの店には、東方の国から仕入れた珍しい香木が置いてあるんだ。リズさんのような騎士なら、心を落ち着かせる効果のある香りが気に入るかもしれないね。それと、こっちの店は……。」
アーサーは街並みや並ぶ品々について、まるで宝物を紹介する子供のように楽しそうに教えてくれる。彼の穏やかな横顔や、周囲に目を配りながら私の歩幅に自然と合わせてくれる優しさに触れていると、あの険しかったルベウス峠の戦いがまるで遠い昔の出来事のように感じられた。
しばらく歩いたあと、彼は近くの洗練された装飾品や小物を取り扱う店へと私を促す。
「オルテアに着いたら、どうしてもリズさんに渡したいものがあったんだ。道中、僕を命がけで守ってくれたお礼……と言ってはなんだけど、受け取ってくれるかい?」
そう言ってアーサーが差し出したのは、深みのある美しいエメラルドグリーンが上品にあしらわれた、小さなペンダントだった。石の周りには細やかな銀細工が施され、動くたびに木漏れ日のような瑞々しい光を放っている。
「こ、これは……あまりにも綺麗すぎて、私にはもったいないです……!」
思わずたじろぐ私に、アーサーは困ったような、でもどこか嬉しそうな笑みを浮かべた。
「そんなことないよ。この深い緑は、あのとき必死に僕を守ってくれたリズさんの瞳の色にそっくりだと思って選んだんだ。君の安全を祈るお守りとしても、ぜひ受け取ってほしい」
(――こんなに素敵な贈り物まで用意してくれて、アーサー様は本当に義理堅くて気配り上手だなあ……。私の目の色に例えて選んでくれるなんて、なんてお洒落で褒め上手なんだろう!)
彼の温かい心遣いとスマートな優しさに深く感動し、胸を熱くさせていた。
「ありがとうございます、アーサー様。大切に身につけさせていただきます!」
私が両手でペンダントを受け取ると、アーサーは嬉しそうに目を細め、いっそう柔らかい笑顔を咲かせたのだった。
アーサーから素敵なペンダントを受け取り、温かい気持ちのまま宿へと戻った私。自室の扉を開け、もらったばかりのエメラルドグリーンのペンダントを大切に机の上に置こうとした、その時だった。
コン、コン。
静かなノックの音が響き、返事を待たずにドアが開き、ウォルターが足音もなく部屋に入ってきた。その端正な顔立ちはいつものように引き締まっているけれど、どこか纏っている空気がピリリと冷たく、重苦しい。
「ウォルター先輩? どうされたんですか?」
「……お前の怪我の具合を見に来ただけだ。傷はもう痛まないのか。」
ウォルターは私の顔から、机の上に置かれたペンダントへと鋭い視線を一瞥し、わずかに眉間のシワを深くした。
「はい、医者からももう大丈夫だと太鼓判を押されましたし、この通りすっかり元気です!」
「……そうか。」
一言そう返したきり、ウォルターは口を閉ざしてしまった。部屋の中に気まずい沈黙が流れる。何なのだろう、この妙にトゲトゲした不機嫌なオーラは。私が首をかしげていると、ウォルターは腕を組み、窓の外へ視線を逸らしたままボソリと言った。
「……商会長とは、ずいぶん親しくなったようだな」
「えっ?」
「あいつの護衛を任せた覚えはあるが、連れ立って街を歩き、高価な装飾品までもらってくるほど、お前の任務は暇だったか。」
低い声にはあきらかに棘があり、言葉の端々から得体の知れない苛立ち――あるいは、むき出しの不機嫌さが滲み出している。
(……え? ウォルター先輩、怒ってる……?)
私は目を丸くして彼を見上げた。だけど、なぜウォルターがそんなふうに機嫌を損ねているのか、理由が全く分からない。アーサー様と街に出たのは療養と道中のお礼を兼ねたものだし、騎士団の規律を破ったわけでもない。
「あの、ウォルター先輩……? 私が何か、騎士団の規律に反するような失態でも犯しましたか?」
純粋に疑問を抱いて小首をかしげた私に、ウォルターは複雑で不機嫌そうな、言いようのないため息をついたのだった。
ウォルターは私を見据えたまま、しばらく言葉を失っていた。その瞳の奥で、言いようのない感情の波が揺らめいているのが見える。だが、彼がなぜそんなに厳しい目を向けてくるのか、私にはさっぱり見当がつかなかった。
(街並みを散策したことで第二騎士団の規律が緩んでいると思われてるのかな……? それとも、警護対象とあまり私的な交流を持つべきではないっていう訓示?)
私が真面目な顔で首をかしげていると、ウォルターは小さく舌打ちをしかけて、ぐっと視線を逸らした。
「……規律違反ではない。ただ……お前はもう少し、護衛する立場というものを自覚しろ。」
「はあ……自覚、ですか?」
「あいつが……商会長が、お前にどんな下心を持って近づいているか、お前には分からないのか。」
ウォルターの低い声には、抑えきれない焦燥と、どこか苛立ちが混じっていた。
しかし、「下心」という言葉を聞いても、私の脳内では全く別の解釈へと変換されてしまう。
「下心……と言いますか、アーサー様はとても気さくで優しい方ですよ。ルベウス峠の件ではご迷惑をおかけしたのに、逆にこうして親切にしてくださって、本当に人格者だなあって……。」
「…………」
私のそのズレた返答を聞いた瞬間、ウォルターは頭を抱えたいような、絶望したような複雑な表情を浮かべて深く天を仰いだ。そして、低い声で「お前は……本当に……。」と呟いたきり、これ以上何を言っても無駄だと悟ったように大きく息をついた。
「……もういい。これ以上、病み上がりの者の部屋に長居するものではないな。もう休め。」
ウォルターはそれだけ言い残すと、背中を向けて早足に部屋から出て行ってしまった。
パタンと閉まった扉を見つめながら、私はなおも首をかしげ続ける。
(ウォルター先輩、なんだかすごく機嫌が悪かったなあ……。やっぱり、私の気が緩んでいるって怒られちゃったのかな? 明日の朝から自主練再開しよう!)
全く的外れな結論に至った私は、もらったばかりの綺麗なペンダントをそっと荷物にしまい、明日の訓練に備えてベッドにもぐりこむのだった。




