怪我と手当て
ウォルターは私の背中の血に染みた防具を見て険しく眉をひそめ、「一度引き返し、態勢を立て直すべきだ。」と慎重な意見を示した。アーサーも「そうだ、君の命が最優先だ。これ以上僕のために無理をしないでくれ。」と青ざめた顔で私たちを制止しようとする。
だが、私は歯をくいしばって首を横に振った。
「いえ、進みます……! ここで足止めを食らえば、商団全体のスケジュールが狂い、さらなる襲撃の危険が増すだけです。この程度の怪我、すぐに塞がります。急ぎこの場を離れましょう。」
私の強い進言に、周囲の騎士たちは驚きの色を浮かべ、ウォルターもわずかに息を呑んだ。だが、私の瞳に宿る意志の強さを見て、ウォルターは渋々といった様子で厳しい視線を引っ込め、「……仕方ない。最小限の応急処置のみで、このまま進む。」と苦渋の決断を下した。
商団が再び慌ただしく動き出す中、アーサーは「せめて、僕の目の届くところで休んでくれ。」と自身の配慮で、大きな荷物が積まれた頑丈な馬車の内部へと私を招き入れた。私も警護として、その馬車の隅へと腰を下ろす。
馬車が険しい峠道を揺れながら進むたび、背中に鈍い痛みが走る。その度に、隣に座るアーサーは「大丈夫か? 無理をさせて本当にすまない……。」としきりに申し訳なさそうな顔を浮かべ、自分のハンカチで額の冷汗をそっと拭ってくれた。商会のトップである彼が、ここまで親身になって怪我を心配してくれる姿に申し訳なさを覚えつつも、私は痛む体をどうにか抑え込みながら、周囲の気配を警戒し続けるのだった。
険しいルベウス峠をどうにか通り抜け、商団はようやく安全な平地に位置する小さな村の近くで野営の準備を整えた。
日が沈み、あたりがすっかり闇に包まれる頃には、アーサーの手配によって近くの村から老いた医者が急ぎ駆けつけてくれていた。テントの中で背中の防具と衣服を慎重に外し、医者に傷口の洗浄と縫合、そして新しい包帯を巻いてもらう。背中に走る激痛に思わず歯を食いしばり、冷汗が額を伝ったが、私は懸命に声を殺して耐え抜いた。
「傷は深いですが、致命傷には至っていません。ですが、数日は絶対に無理をしないことです。」
医者が丁寧に薬を塗って一礼し、馬車の外へと下がっていくと、入れ替わるようにしてアーサーが戻ってきた。彼は温かいお湯をしみこませたタオルを持っており、私の顔に浮かんだ冷汗を優しく拭き取ってくれる。
「リズさん、何度でもお礼を言わせてくれ……。本当にありがとう。でも、こんな痛い思いをさせてしまって、すまない。」
アーサーはそっと自分の両手で私の手を包み込むように握り締めた。その手のひらは驚くほど温かく、彼がどれほど心配してくれていたのかがダイレクトに伝わってくる。
(――襲撃のなか、迷うことなく俺を庇い、血を流しながらも気高く敵を打ち払う姿は、あまりにも美しかった。……あんなにも凛として、命を懸けて戦う君の姿に、俺は一瞬で心を奪われてしまったんだ……。)
ふと、アーサーの心の声が、驚くほどまっすぐに私の頭の中に流れ込んできた。
思わず私は目を見開く。普段から人の意図や感情の断片を読み取ることはあったが、これほどまでに熱を帯びた感情の波が直接流れ込んできたのは初めてだった。
(え……? いま、声が聞こえたような……? っていうか、ええと……綺麗、だなんて……?)
私の能力は時々相手の強い感情をダイレクトに拾ってしまうことがあるけれど、この切実な響きと、私に向けられる熱っぽい眼差しは一体どういうことだろう。
(……あっ!アーサー様、私がボロボロになりながら戦った姿を見て、すごく感動してくれているんだわ! 騎士としての忠義をこんなにも高く評価してくれるなんて、さすが商会のトップは器が大きくて感激屋だなあ……)
恋愛事にはとことん疎いリズは、流れ込んできた心の声の正体が「恋心」だとは1ミリも気づかず、ただ「アーサー様が私の一所懸命な戦いぶりをすごく褒めてくれているんだ」と見当違いな方向に全力で納得してしまっていた。
「あ、あの、アーサー様、そんなに心配なさらないでください。私は騎士ですから、守るべき人を守るのは当然ですし……。」
私は気まずさと照れ臭さから慌てて手を引き抜こうとしたが、アーサーはさらに困ったような、でもどこか愛おしそうなしおらしい笑みを浮かべるだけで、その温かい手を離してはくれなかった。
翌日からも、背中の傷への配慮とアーサーの強い希望により、私は引き続き彼の乗る幌馬車の中で過ごすことになった。
最初のうちは「護衛の私が馬車の中で休ませてもらうなんて……。」と恐縮しきりだったけれど、馬車が揺れるたびにアーサーは熱心にクッションの位置を直してくれたり、温かい飲み物を差し入れてくれたりと、至れり尽くせりの手厚い看病をしてくれた。
そんな中で、少しずつ移動の退屈さが和らいでいったのは、アーサーが語ってくれる旅の雑学や他国の話のおかげだった。
「リズさんは、東方の港町に行ったことはあるかい?」
「いえ、王都の訓練場と周辺の任務ばかりで、遠くに出たのは今回が初めてです。」
「そうなんだ。じゃあいつか機会があれば、ぜひ案内させてほしいな。あそこの朝市で売っている魚介の串焼きは絶品だし、夜になると海面に青い光を放つ珍しいクラゲがたくさん浮かんできて、まるで星空の上を歩いているみたいな綺麗な景色が見られるんだよ。」
アーサーはキラキラと瞳を輝かせながら、これまでに商会の仕事で訪れた数々の街や、国境の向こうに広がる珍しい品について楽しそうに語ってくれた。
彼の声のトーンや、情景が目に浮かぶような豊かな表現力は聞いていて本当に心地よくて、背中の鈍い痛みさえも忘れさせてくれるほどだった。時折見せる少年のような無邪気な笑顔と、商会のトップとしてのスマートな知性が絶妙に入り交じっていて、一緒に話していると時間の経過をあっという間に忘れてしまう。
(アーサー様とお話ししていると、なんだかすごく世界が広がっていくみたいだな……。)
馬車に揺られる道中は、想像していたよりもずっと楽しくて穏やかな時間になっていったのだった。




