第17話:クリアー
カイラ・モンテロ。彼女は、ここ十年の間に急激に頭角を現した商人一族のお嬢様だ。物心ついた頃から成長するまでの間、彼女の人生は、あまりにも急速に成長した家業のせいで、息つく暇もないほどのめまぐるしい変化の連続だった。
普通の裕福な家庭の子供から、ほんの数年のうちに大富豪へと成り上がったのだ。
高くなった社会的地位や、周囲の人々の態度の変化、そして自分に近づいてくる数々の下心―そうしたあらゆる変化に彼女は向き合わなければならなかった。
そのすべてが、子供の頃の彼女にとっては大きな試練だった。だが、それを乗り越えた者こそが、商人一族の誇り高きトップへと上り詰めることができるのだ。
もちろん、【カイラ・モンテロ】はその試練を乗り越えた。
しかし、誰もが彼女のようにうまくやれるわけではない。
カイラ・モンテロの兄は、両親が築き上げた富に溺れ、自分がよく分かっていない世界のきらびやかなネオンに目をくらませてしまった。酒、クスリ、ギャンブル、女、そして権力―彼は何も考えずにそれらを使い潰し、最終的には一族の恥さらしともいうべきクズとして、その人生を終えた。
それは、カイラがひた隠しにしている秘密の出来事だった。彼女の兄は―薬物によって死んだのだ。その薬物は、カイラ自身もよく知る身近な人間から渡されたものだった。
そのイベントがあってから、カイラは誰も信じられなくなり、常に人々の「本質」を見極めようとするようになった―だからこそ、レナードに出会った時、彼女はまるでどんな汚れにも染まらない、圧倒的な純粋さを持つ人間に出会ったように感じたのだ。
それが、彼女をレナードに恋い焦がせる理由となった……ふむ。
こうして考えてみると、レナードの真似をして潜り込もうとなんて考えていた僕も、相当なもの好きだな。
ゲームの主人公に用意された「専用ルート」に割り込もうとするなんて、少しもフェアではない。
この僕、背景のモブに過ぎない【ルイス・グリーンフィールド】は今、道路の端で頬杖をつきながら、自分のこれまでの人生に思いを馳せていた。
無視されたからといって、別に怒っているわけではない。ただ少し腹が立っているだけだ。何よ、美人ぶっちゃって。心の中でそう悪態をついてみたものの、すぐにその考えを打ち消した。負け犬っぽくてみじめだからだ。
僕は大きく息を吐き出し、立ち上がって伸びをした。そして歩き出そうとした時、カフェの入り口のところで膝を抱えて座り込んでいる「もう一人の人物」が視界に入った。
ひどく落ち込んでいて、見ているだけで情けない姿だった。
背が高く、色黒の肌に、青い髪と青い瞳。騎士科の制服を身にまとった主人公の友人、【レイン】その人だった。
最初からカイラの後をついて回っていたのは知っていたが、いつの間にか見当たらなくなっていた。そのボロボロの様子を見れば、何が起きたかなんて推測するまでもない。あいつも色々と思い知らされたのだろう。実に哀れなことだ。
まあいい、僕は男になんて微塵も興味がないので、肩をすくめ、あえて目を合わせずにその横を通り過ぎた。
一筋隣の路地裏では、継羽が、カイラの友人である【リリ】に向かって腕を組んで詰め寄っていた。
その様子からして、いつもの悪役令嬢スタイルで相手を脅しているところなのだろう。それを見た僕は、面白半分でその輪に割り込むことにした。
「よっ」
「……っぐ」
なんだその『ぐっ』て反応は。
「今忙しいので、あなたにかまっている暇はありません」
「へぇ、いいねぇ。こっちは暇を持て余してるとこなんだよ。何の話をしてるのか聞かせてくれよ」
継羽は呆れたような目を向け、リリはおびえた視線を送ってきた。
「わ、私は絶対にカイラと友達をやめたりしないからね!」
リリが大声を張り上げた。継羽は「チッ」と不機嫌そうに舌打ちをし、それからジト目で僕を睨みつけた。まるで「邪魔するな」と言っているかのようだ。
そうか、やっぱり追い詰めている最中だったんだな。
僕が来なければ、リリは継羽によによと丸め込まれて、訳も分からないまま親元へ送り返されるところだったに違いない。
「誰もアンタをあのカイラ様から引き離すなんて言ってねぇよ、勘違いすんなって」
「で、でも、この女の人が言うには、カイラは私のことなんて何とも思っていなくて、色んな男と遊んでばかりで、私のことなんか見てすらいないって……しかも、今すぐ親のところに帰らないと、面倒なことになってカイラにまで迷惑がかかるって……!」
「おい、継羽、お前なぁ」
「何ですか?」
「いいか、世の中な、自分の利益のために人を追い詰める必要なんてねぇんだよ。ラブ・アンド・ピースの精神ってものを知らねぇのか?」
僕は親指で継羽を指し示した。
「こいつの言うことは嘘っぱちだらけかもしれねぇが、一つだけ確かなことがある。それは、アンタの両親が心からアンタを心配してるってことだ」
僕は肩をすくめた。
「毎日毎晩夜遊びして、まるで壁みたいな厚化粧してさ。まるでどこかの金持ちのボンボンを引っかけて食い物にしようとしてるみたいじゃねぇか。自分の娘がそんなことしてたら、どんな親だって心配で眠れねぇよ、当たり前だろ?」
「壁みたいな厚化粧……?」
「ああ。まぁ、少なくとも一つだけ安心させてやれるのは、そんなメイクで男を引っ掛けられるわけがねぇってことだ。もっとも、僕みたいに目が肥えた男ばかりじゃねぇからな。できることなら、自分らしくない真似はやめるこった。魅力がないどころか、安っぽく見えるぜ。そんな安っぽいアンタに引っかかるのは、どうせロクでもない男だけだ。そいつらに大事な処女を奪われないように気を付けなだな」
リリは目を見開き、継羽は冷ややかな目で僕を睨みつけた。どうやら僕の言葉は、このご令嬢たちの琴線には触れなかったらしい。
「いいご身分ですこと」
「可愛いってよく褒められるけどね」
僕は自分の頬を人差し指でツンツンと突いてみせた。継羽の眉間がピクッと引きつり、リリはまだ迷っている様子だった。
「……」
「ハッキリ言ってさ、カイラ様……いや、カイラ・モンテロってのは、アンタがどこに行くにも一歩も漏らさずついてこねぇからって、それで友達をやめるような女じゃねぇよ」
これはゲームの知識に基づく事実だ。少なくともカイラは、リリのことを学校で知り合った大切な友人称してはいるが、お守り役やペットとして扱っているわけではない。
「まずは家に戻って、両親の顔を見てこいよ。それから、言いたいことがあるなら何でも話してみりゃいいだろ?」
「……」
「お前だってもっと分かってるはずだろ。両親をこれ以上心配させ続けるのが間違いだってことはさ。ちょうどいい機会じゃねぇか、両親だって同じ気持ちで待ってんだからよ」
「も、もしかして……お父さんとお母さんが、あなたをここに送ったの?」
「ああ、そうだよ」
僕は素直にうなずいた。継羽は「そんなこと言ってしまっていいのですか」という目を向けてきたが、言った方がいいに決まっている。
自分で言うのもなんだが、カイラとリリの関係はとても素敵なものだ。少なくとも二人はこれからも友達でいられる。ここでの問題は、リリが両親としっかりと話し合い、再びカイラと対等な友達に戻ること―それだけなのだ。
少し離れた高い場所から全体を見渡している僕にはよく分かった。リリを一度家に帰して親と向き合わせさえすれば、この問題は綺麗に解決する。
簡単なことだ。
「分かったなら、さっさとパパとママの待つお家に帰りな、お嬢ちゃん」
「……分かった」
リリは納得したようにうなずくと、路地裏から歩き出そうとした。だが、出て行く直前にふと振り返り、僕たちに向かって言った。
「わ、私の代わりにカイラに伝えておいて! 家に帰ること―それと、『明日もいつもの場所で待ってる』って伝えて!」
そう言い残すと、彼女はパタパタと走り去っていった。
まったく、若いってのは素晴らしいねぇ。
「それにしても私を責め立てておきながら、あなたの大して変わらないじゃありませんか」
「はは、僕が言ったのは全部真実だからね」
「私もすべて真実しか言っていませんわ」
面倒なことに巻き込んでやろうとしたくせによく言うぜ……まったく、この女は「平和的解決」という言葉を辞書から切り離して生まれてきたに違いない。
僕は継羽と共にポケットに手を突っ込みながら路地裏を後にした。
表に出ると、そこには一人ぽつんと放心状態で座り込んでいるレナードの姿があった。その隣には、相変わらずゾンビのように倒れ込んでいる主人公の友人、レインが転がっている。
「おっ、用事は済んだみたいですね」
レナードはスッと立ち上がり、ズボンのについた埃をパンパンと払いながら、トコトコと僕たちの方へ歩いてきた。
「カイラさんとの話はどうなったの?」
「……僕のことを相変わらずクズだと思っているみたいですが、ただ」
「ただ?」
「何かあれば『話くらいは聞いてあげる』とのことです」
「へぇ、上出来じゃないですか」
継羽はふふっと満足そうに微笑んだ。一方の僕は、自分の置かれた立場が徐々に危うくなっているのをひしひしと感じていた。
「そういえば、あの人は誰ですか?」
継羽が地面に転がっているレインを指さしながら尋ねた。
「……さあ、誰でしょうね」
レナードは一切の迷いなくそう答え、己の運命共同体であるはずの親友をその場に放置した。
@@@@@
翌日の早朝。
『わ、私の代わりにカイラに伝えておいて! 家に帰ること―それと、『明日もいつもの場所で待ってる』って伝えて!』
カイラの友人であるリリからそう頼まれていたのだが、昨日の夕方はカイラがさっさと帰ってしまったため、伝えることができなかったのだ。だから僕は、朝早くから校門の前に陣取り、彼女を待ち構えていた。
「……ん?」
カイラ・モンテロが姿を現した。最初はまた面倒くさそうな顔をしたが、すぐに作り笑顔を貼り付けた。
「おや、ルイスじゃん。おはよー」
「カイラ様、おはようございます」
「うーん、おはよ。何か用?―まさか待ち伏せしてたとか言わないよね? いやぁ、それはちょっと怖すぎでしょ、鳥肌立つわぁ。プライベートな空間は尊重してほしいものだね、まったく」
「あ、はい、その通りです」
「……って、本当に冗談抜きで待ってたわけ?」
「まあ……」
本気で待ち伏せしていたのだから仕方がない。
「こういう男って……継羽さんは一体どんな魔法をかけられたのかしらね」
「何の話ですかそれ」
「何でもなーい」
カイラは腰に手を当て、ジト目で僕をジロジロと観察した。
「ハッキリ言うけどさ、こういう風にしつこくつきまとわれるの、正直言ってあんまり好きじゃないんだよね。これ以上続くなら、大人を呼んで何とかしてもらうからさ。めんどくさいことになる前に、そろそろやめときなよ、ルイス」
いつもヘラヘラしている彼女の雰囲気がスッと消え、冷ややかな空気が漂う。さすがにちょっとやりすぎたかと反省した。
僕、何か致命的なやらかしをしただろうか?
まあいい。
「お伝えしたい伝言がありましてね」
「へぇ、なになに? どれくらい警戒すべき内容か教えてよ」
「リリから伝えてくれと頼まれました。『明日もいつもの場所で待ってる』って」
「リリから? あぁ……そういえば昨日、ちゃんとバイバイできなかったもんね。うーん……なるほどね、ルイスがあの子のところに行って、わざわざその伝言を届けてくれたわけだ」
「はい」
この人は、僕のことを一体何だと勘違いしているのだろうか。もしかして、しつこいストーカーキモ男だと思われているんじゃないだろうか? いやまさか、そんなこと。
「そっか、いつもの場所ね。分かったよ。わざわざ言われなくても行くつもりだったけど、あの子がそんなに心配性なら仕方ない。ルイスも余計なご苦労だったね、ありがとさん」
「どういたしまして、カイラ様」
用事が済んだので、僕は寮に戻ってシャワーを浴び、着替えてから継羽と待ち合わせているジムに向かおうと決める。
だが、
「ねえ、ルイス」
「はい?」
「昨日さ、あなたたち三人で、私とリリを引き離そうとしたでしょ」
なんでバレた――
「レナード・タワーって、本当に嘘が下手な男だよね」
あぁ、あのバカのせいか。
「まあ、怒ってはいないけどさ。リリのお父さんとお母さんは、あの子が私と仲良くしているのをずっと心配していたみたいだしね……そりゃそうか、あんなお堅い両親からすれば、夜遊びして遊び歩いてる私みたいなのとつるんでる娘を見たら、心配で気が気じゃないよね」
「まあ、そうでしょうね」
「耳が痛いわ!」
カイラはケラケラと笑い声をあげた。僕はそんな彼女を見つめた。
「ま、これからはリリも私と一緒にベッタリってわけにはいかないだろうけどさ、それはそれで寂しいもんだね」
「別にいいんじゃないですか」
「ん?」
「友達をやめるわけじゃないですし。それに……カイラ様にとっても、その方が良かったはずですよ」
友達だからといって、四六時中一緒にいなければならないわけではない。共通の思い出や絆があればそれで十分だと、僕は信じている。それにゲームの中でも、リリとレナードがそれぞれのペースでカイラと親交を深めていく姿が描かれていた。
他人のために自分の本質を無理に変える必要なんてない。だからこそ、今回の結末はこれで正解なのだ。
「……あの子、これからも私とお話してくれるかな。たとえ両親があの人格破綻者の私を嫌っていたとしても、性格が正反対だとしても」
「当然じゃないですか……リリはカイラ様に『いつもの場所で待ってる』って伝えてくれって言ったんですよ」
「そういえば、そうだよね」
カイラはふっと満足そうに微笑むと、再び歩き出した。
「ありがとうね、ルイス。暇な時にまたおしゃべりしよっか。あ、でも今度はレナードか継羽ちゃんも一緒に連れてきてよね。ルイス一人だと、どうにも信用できなくて危なっかしいからさ」
なるほど、ごもっともだ。僕みたいな色男のモテモテスナイパーと一緒にいるのは危険極まりないからね……フッ、褒められてないのに勝手に誇らしくなるぜ。
僕はうなずき、カイラは去り際にこう付け足した。
「『いつもの場所』……今度、そこに案内してあげてもいいよ」
『いつもの場所』がどこかなんて、ゲームをやり込んだ僕にはお手の物だった。カイラルートに入れば主人公はこの場所を教わり、定期的にカイラと、そしてリリと顔を合わせるようになる。
レナードとどれだけ親密になろうとも、カイラはリリを連れ回し、レナードに的確なアドバイスを与え続ける。最高に温かい友人関係のワンシーンだ。
そして今、僕はその場所に招待された。つまり、カイラールートへの直通チケットを手に入れたも同然だ。ただし、『レナードか継羽を連れてこい』という条件付きだけどな。
これじゃあ僕一人の力でルートに入ったことにはならないじゃないか……まったく、トホホだよ。
@@@@@
カイラへの伝言を済ませた後、僕は寮に戻って汗を流し、レナードの朝ご飯の支度をすませてから、ジムにいる継羽のもとへと向かった。
「お疲れ様です、ルイスさん」
継羽は早々に僕を見つけて手を振ってきた。僕は手を振り返せず、ツンとした態度でまっすぐ歩いていった。
「……」
「何かありました?」
僕はあたりをキョロキョロと見回した。……【引きこもりさん、セレーナ】の姿は見当たらないようだな。
まあいい、あの子も昨日の今日じゃ筋肉痛で起き上がれないだろう、継羽と同じようにね。
「ねえ、どこを見ているんですか?」
継羽は僕の額を人差し指で軽くツンと突き、注意を引いた。
彼女は不満そうにほっぺたを膨らませていた。
「友達を探してるんだよ」
「友達がいらっしゃるのですね」
「い、いるに決まってんだろ! 誰かさんみたいにぼっちで孤立してるわけじゃないんだからさ」
「あら、ご冗談を。私だってお友達はたくさんいますわよ」
「じゃあ両手の指で数えてみろよ。僕の基準じゃ、友達が多いって言えるのは両手の指じゃ足りないレベルだからね」
「……この話題に関しては、ここで終わりにしておきましょうか」
継羽はあっさりと話を打ち切った。
ほら見ろ、図星を突かれると言葉に詰まる。こいつにも僕と同じで、本当の意味での「友達」なんて呼べる存在はいないのさ。
「やーい、ぼっち!」
「だったら、あなたも数えてみせなさいよ」
「いいともさ。少なくとも片手の指くらい余裕で超えるね。一人目は――継羽」
「……は?」
継羽が目を丸く見開いた。
「どうした?」
「い、いえ……何でもありませんわ」
彼女の顔が急に真っ赤に染まり、まるでお花を摘んでいたいのように体をモジモジさせ始めた。
どうしたんだ一体。
「二人目はレナード」
「あんなに毛嫌いしていたのに、しっかりカウントするのですね」
「まあな……で、三人目、最後の友達はセレーナだ」
「セレーナ……女性、ですか?」
継羽の瞳からスーッと光が消え失せ、底冷えするような殺気が漂ってきた。思わず背筋が凍る。
「あ、ああ、女性だけど何か文句でも?」
「いえ、何でもありませんわ。ただ……ふぅん、同性よりも異性の友達の方が多いのですね。それって、色々と人間性が透けて見えるというものですわね。世間ではそういう男のことを『チャラ男』って言うんじゃありませんこと? フフッ、ルイスさんはチャラ男だったのですね、気をつけないと」
「なんだその歪んだ解釈は」
「そのお方とは、どこで知り合ったのですか?」
「べ、別にいいだろ! さっさとトレーニングを始めるぞ!」
「ごまかさないでしっかり答えてくださいまし」
僕は継羽から逃げるようにマシンのほうへと駆け出し、彼女に追いつかれる前に必死でウェイトを押し上げた。これ以上突っ込まれたら面倒なことになりそうだ。
なんとなくの直感だが―ヒキコモリのセレーナと継羽を直接会わせるのだけは、絶対に避けた方がいい気がしていた。




