第12話:私はあなたに嫌われたくない
フィレーナ・サルヴィアは僕に恋をしている。ハーレム計画は順調そのものだ。そして今まさに、キャサリンさんとの関係を深めている最中でもある。
僕は継羽の後に続いて歩いていた。目的地はキャサリンさんと継羽が約束したという、とあるカフェだ……。
到着した——カフェ、と言うべきか、それとも中古品の買取倉庫と言うべきか。
ボロくて古い店で、昨日と同じ看板が掲げられていること以外にはカフェだと示すものが何もない。
「ねえ、お前。本当にキャサリンさんをこんな場所に呼び出したの? 下級貴族の俺でさえ、分をわきまえるってことを知っているよ。いくらなんでも、スラム街の家と変わらないような店に身分の高い貴族を招くなんて、常識外れにもほどがあるよ」
「レナード・タワーさんがバイトでまだ手が空かないのが悪いのですよ。都合を考えて、彼が働いている場所で話すことになったのです。それに、キャサリンさんご自身が提案されたことですから」
「へぇ……さすがキャサリンさんだ。身分を気にしない最高の天使だね。『はした金』なんて言葉は、彼女の口から絶対に引き出せないだろうな」
「そのことについて、私をかなり根に持っているようですね」
「当たり前だよ。『はした金』って言葉はお金を軽視している。自分で稼ぐこともできない子が一番使っちゃいけない言葉さ」
「そうですね」
継羽は適当に返事をしながら中へ入っていき、そこに座っているキャサリンさんを見つけた。目の前には、飲み干した形跡が少しもない濁ったコップに入った水が置いてある。
「いらっしゃいましたか?」
「お待たせしてしまいましたか?」
「私も到着したばかりです。なんと言いますか、斬新で珍しい場所ですね」
キャサリンさんは、危険であることがほぼ保証されているようなコップの中の水を見つめながらそう言った。それから、向かい側に座っているエプロン姿の同年代の男性に視線を向けた。
「それでは本題に入りましょうか、レナード・タワーさん」
「あ、はい……あっ、どうも、継羽さん——どうもです! アニキ!!」
「……えっ、アニキ?」
キャサリンさんは不思議そうな顔をした。僕はリラックスした笑みを浮かべ、誰にも許可を取らずにレナードの隣に腰掛けた。それから、まるで頼れる兄貴分と子分のように、親しげにこの主人公の首に腕を回した。威張り散らしたいわけじゃないよ、先に言っておくけどね。
「そうなんです、キャサリンさん。レナード・タワーは僕の子分になったんです。学費の支援をしたことで、彼が感動して勝手に僕のことをアニキと呼ぶようになったんですよ」
「えっと、本当はこの人がそう呼べって—」
「感謝の言葉なんていらないよ、レナード・タワー。僕は心からやったことなんだから」
「……分かりました、アニキ」
目の前のヒロインが目を細めて見てくる。継羽はため息をついてから、キャサリンさんの隣に腰掛けた。
「レナードさんの問題につきましては、継羽さんから伺って把握しております。それに、ルイスさんがご自分でお金を出す必要はないと考えております」
「僕という人間は、可哀想なレナードのために貯金のほぼ全てを差し出すことに何の躊躇もありませんよ」
「その……なんと言いますか、その部分につきましては、私や継羽さんが代わりに援助しても構わないのです。どうせ……『はした金』ですから」
キャサリンさんは恥ずかしがりもせず、あっっきりと『はした金』という言葉を口にした。それには僕も呆然としてしまった。
は、はした金!? 僕の貯金のほぼ全てが、キャサリンさんにとってははした金だと言うのか!!!!?
僕はショックを受けた。本当にものすごくショックだった。
それとは対照的に、あの女、継羽満月は必死になって笑いをこらえている。
こ、この野郎!!!
「ルイスさんの努力の結晶を差し出す必要はございません。とても小さな問題ですから」
「僕、あの人のことも姐さんと呼ぶべきでしょうか?」
れ、レナードお前! この裏切り者め!!
「私に仕えるためにわざわざ身を落とす必要はありませんよ。私たちは対等な関係である方がずっと望ましいです……一人の人間に尊厳を捨てさせるほどの巨額でもございませんし」
僕は泣きたくなった。理由は分からないけれど、何かが心に突き刺さって、一日中部屋に引きこもって落ち込みたくなった。
「キャ、キャサリンさん……! で、ですが、それにしても、何の恩返しもさせないというのは変だと思います」
キャサリンさんは少し考えてから答えた。
「それなら、私の手伝いをしてくれませんか?」
「手伝い、ですか?」
「はい。例えば——」
「ちょっと待った!」
僕は急いで会話が先へ進むのを遮った……おいおいおい、レナード、勝手にキャサリンさんルートに入るんじゃないよ! お前みたいな雑魚は、主人公の友人程度で十分なんだよ!
「どうしましたか、ルイス・グリーンフィールド? 私はレナードさんを助けようとしていますが?ルイスさんが無理をしないように助けてあげているのですよ」
「……」
レナードをゲームの主人公ルートに入らせるわけには絶対にいかない。それは僕の役目なんだ。だけど、それを口に出すのも……キャサリンさんの視線がだんだんと冷たくなっていく。なんでそんな目で見つめるんですか、ううっ。
僕はチラリと継羽を見たけれど、彼女は僕と目を合わせようとしなかった。ゲームの主人公になりたがっている僕の行動を見て、意図的に見捨てているんだ——その時だった。
「そのことにつきましては、本当にありがとうございます、キャサリンさん。ですが——やっぱり、重要なのはお金を得ることではなく、誰のお金なのかということなんです」
レナードが突然声を張り上げた。
「ルイ……アニキは心優しくて、昨日俺を助けてくれた人なんです。俺を助けてくれたその人に、やっぱり助けてほしいんです」
まるで神様がシナリオを書いたかのように、夕暮れに近い午後の光が、小さな穴が開いたトタン屋根からレナードの目の前に差し込んできた。そこには、強い信念に満ちあふれた顔と、何よりも『主人公』という言葉にふさわしい、純粋な心を持った彼の姿が映し出されていた。
先日、僕が似たようなことをした時は、ほんの少ししか光が落ちてこなかったし、しかもコップの中に落ちたんだ。なのに今回はどうしてこんなに大きな光が、狙い澄ましたかのように頭の真上に落ちてくるんだ——疑問に思って見上げてみた。
屋根の穴が前より大きくなっていることに気づいた。
「昨晩、ちょっとした事故がありまして、上の穴が大きく開いてしまったんです、ハハハ」
「……ああ、そう」
僕は不公平だとしか思えなかった。同時に、キャサリンさんはレナードの言葉を聞いて目を丸くした。彼女は口をぽかんと開けたあと、年齢相応の可愛らしくいたずらっぽい笑顔へとゆっくり変わっていった。
「……とても素敵な子分さんですね。理想的な子分と呼んでもよろしいでしょうか?」
「ハハハ、照れますね」
「本当にいいのですか?」
「はい」
「そうですか……なぜだか分かりませんが、あなたを子分にできたルイスさんが羨ましくなってきました」
僕自身も理由は分からないけれど、自分が悪い人になったような気がした。 継羽は呆れたような目で僕を見てきた。僕は目をそらした。
「現実を少し直視した方がよろしいですよ。ルイさんも、レナードさんも」
継羽は雰囲気を気にすることなく割って入ってきた。
「学費だけではありません。宿泊費も、今のレナードさんの手に余るはずです。全部賭けたで一文無しになってしまったのですから」
「……ハハ……はい」
「全部賭けた?」
純粋なレナードの名誉のために、僕たちは皆、首をかしげるキャサリンさんに説明しないことにした。
「あなた一人では無理ですよ」
「……ルームメイト」
「はい?」
「おい、レナード。俺のルームメイトになりなよ」
僕が気軽に誘うと、レナードは目をパチクリさせた。
「あ、はい」
「話が早くて助かりますね。その他の費用につきましては、働きながら学ぶということですね?」
「そのつもりです」
「折半したところで大きな負担となる宿泊費や、勉強のための雑多な用品代——ご自身で効率よく勉強できるとお考えですか?」
「……」
ここへ来て、レナードはためらい始めた。
「時間をうまく配分すれば……」
「睡眠時間のことですか? それはいけませんね。宮廷魔導士を目指すのでしたら、重要な媒介である身体のケアを怠ってはいけません」
「……」
レナードを追い詰めようとする継羽のやり取りが功を奏した。僕もキャサリンさんもしつけるつもりはなかったし、レナードに同意するつもりもなかった。現実は現実だからだ。
目標が宮廷魔導士なら、全力で自分を高めなければならない。そういうことだ。
「そこまで苦労する必要はありません。ですが、ルイスさんを敬愛するレナードさんの顔に免じて——私から50/50の援助を受ける気はありませんか?」
レナードを追い詰め、正しい考えを心に植え付けたあとで、自分が提示したかった条件を出す——知恵で主人公を追い詰めたあと、選択肢がなければ力で押しつぶす、まさに継羽満月らしいやり方だ。
「いかがですか? 悪い話ではないと思いますよ。いずれにせよ——夢が第一優先のはずです。そうでしょう? 宮廷魔導士を目指し、その場所に立つ恩人の目に留まろうとしているレナード・タワーさん」
「えっ、どうしてそれを—」
「どうして知っているか、ですか? 大したことではありませんよ。重要なのは、これからのあなたの人生の道筋です」
継羽は口元に笑みを浮かべた。その顔はまるでゲームの中の継羽のようで、決して変わることのない同一人物のようだった……少し失礼かもしれないけれど、ここ数日の間、ふざけてばかりいた継羽とはまるで別人のようだと本気で思った。
「ご自分の心に問いかけてみてください、レナード。現実を見るのです——さあ、考えがまとまりましたら答えを聞かせてください。今すぐにです。頭にパッと浮かんだ最初の答えこそが、合理性の混ざった本心……つまり、心からの正しい答えですよ」
迅速に答えるよう促す……レナードは固唾をのんでから、深くうなずいた。
「……はい」
レナードは承諾した。継羽は手を叩き、取引成立となった。
「私のことも『姐さん』とお呼びになって構いませんよ」
そこにいた僕たちは誰も何も言えず、静かに座ったあと、解散することになった。
レナードは明日から僕と同居することになり、復学も果たすことになった。継羽の支援も受けながらね。
こうして、ゲームの主人公であるレナードは退学の危機から救われ、僕もレナードに主人公の座を奪い返されずに済んだ。まあ、ウィンウィンの関係と言えるだろう。
夕方、巨大な街の景色を一望できる高台の坂道。
僕は機嫌よく鼻歌を歌いながら歩く継羽の後ろをついて歩いていた……さっき悪役を演じていた彼女の姿が頭に浮かぶ。
「嫌だな」
彼女はそれを聞いて足を止め、底のない瞳で振り返った。
「何のことですか?」
少しだけ怖く見えた。
「レナードへの言い方だよ。言っていることは全部事実だったし、悪いことじゃないのは分かっているけど、言い方がちょっと怖すぎるよ。まるで……」
そうだ。
「あいつを意図的にコントロールしようとしているみたいだ」
「だから嫌なのですか?」
「ああ」
「あなたはお手軽に脆いのですね。ハーレムを作ろうと企んでいる人間の思考回路ではありませんよ」
「うるさいな」
「ねえ、ちょっと聞いてもいいですか?」
彼女は目を細めた。
「どうして感情を大切にすることが重要なのですか? 特に、よく知りもしない誰かの感情なんて、どうして価値を置かなければいけないのですか——どうして気遣い合わなければいけないのですか?」
「さあね」
「あなたは本当に軸がブレブレですね。利己的になるわけでもなく、善人になるわけでもない。キャサリンさんが好きになりそうな男性とは程遠いですよ」
「……」
「困惑しているのですね」
「ああ。だけど、一つだけ確信していることがある」
僕は指を二本立てた。
「俺がやることはいつだって、本心からなんだ。やりたいからやるんだよ」
心の奥底が、前の世界にいた時からずっとそう僕に告げていた——だから自分に正直でありたいんだ。
「ハーレムも、主人公の座も、その他諸々も、欲しいから手に入れるんだ」
「……話せば話すほど酷くなっていきますね」
「ああ。だけど少なくとも、包丁も通らないほど分厚い仮面をかぶっている誰かさんとは違うよ」
「あら、酷い言い草ですね」
「今お前に文句を言っていることだって、本心から言っているんだからね」
「……少し悲しいですね」
継羽は美しい夕暮れの街並みをチラリと眺めながら、髪をなびかせる風を浴びていた。そして、片手でスカートがめくれないように完璧に押さえていた。
目の前にいる彼女は、まるで『天使』や『聖女』といったタイトルがつけられた一筆の絵画のようだった。
風が弱まると、彼女は言葉を続けた。
「……あなたがあんなことをされた時に何を感じ、何を考えていたのか、私には理解できません。ですが、そうですね、今の私が理解していることと言えば」
継羽は僕の方へ振り返り、言葉とともに微笑みを浮かべた。
「私はあなたに嫌われたくない」
……えっ。 今、耳鼻科に行かなきゃいけないくらいの聞き間違いをしただろうか。そうであってほしい。
自分の耳が信じられない。
僕に嫌われたくない? どうしてだ? だって彼女は——継羽満月は、誰もが嫌いで、みんなから嫌われたがっているはずなのに。 僕には理解できないし、すごく嫌だった。そして、それはきっと顔に全部出ていたのだろう。
「あなたのそういうところ、好きですよ」
ここ数日、僕のあちこちが嫌いだと言っていた彼女が、僕が彼女の行動を嫌うその部分が好きだと言ったのだ。
「ですから……ルイス・グリーンフィールド」
継羽は三歩後ろに下がり、挿絵にも地の文にも一度も現れたことのない笑顔を浮かべて声を張り上げた。
「私を嫌うには、まだ早いですよ」
それは継羽満月の笑顔ではなかった。少なくとも—ゲームの中では。
僕は彼女の本心を感じ取った。
継羽満月とは、一体何者なんだろう? 今のところは……探求しがいのある変な奴、といったところだろうか?
「もう私のことが嫌いになりましたか?」
「……あと少しで嫌いになるところだったよ」
「まあ」
継羽はクスクスと笑い、僕はツッコミを入れ続けた——太陽が沈み始め、僕たちがそれぞれの道へ分かれるまで。
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部屋に戻った僕は、表紙に『フロントゥアクス・ミラクル 記 覚えてる範囲で By.ルイス・グリーンフィールド 』と書かれたノートを開いた。
それから、『継羽満月のことをもっと知りたい』と書き込んだ……あいつに見られたら、かなり恥ずかしい内容だな。
エロゲーの攻略ノートのようなものだったけれど、最近は自分の人生の記録ノートに変わりつつあった。この世界で目を覚ましてからずっと使っているノートで、僕の頭の中にある全ての秘密が詰まった世界で唯一の本……もちろん、誰にも見せるわけにはいかないから、書き終わるとすぐに魔法のバッグの中に放り込んだ。
それからベッドに倒れ込み、目を閉じた……。
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その少女は無感情で、それを表現することができなかった。誰も関わりたがらない退屈な人間で、瞳すら脳内の思考と同じように底がなかった。それなのに……
「俺はさ——ゲームの主人公になりたいんだよ!!」
それなのに、自分とは真逆の極限にいるようなバカな男に恋をしてしまった。
少女は少年を追いかけ、彼と並んで歩き続けられることを願っていた。少なくとも自分が眠りにつくか、意識を失うまでは……彼女はそう願っていた。
そう、ずっと願い、望み続けていたのだ。
「私……あなたをゲームの主人公になんてさせませんよ」
少女——いや、若い女性はつぶやいた。誰よりも見慣れたその少女の背中を見つめながら、少女を置いて走り去っていく少年へ向けて呟いたのだ。
夕暮れ時、彼女は全ての物語を見守りながら、そっとノートを閉じた……『フロントゥアクス・ミラクル 記 覚えてる範囲で By.――― 』。




