第九十九話 時代をねじ伏せる火
黒い石は、思ったより早く見つかった。
村人どもが「燃やすと臭う」と顔をしかめる石を、親英が人を出して拾わせたのである。露頭から剥がし、荷に積み、館の外れまで運ばせる。見れば、なるほど黒い。木とも土とも違う、鈍い艶を帯びた黒であった。
最初の試しは、館の外れにある空き小屋で行われた。
中へ入る者は限る。
惟種、親英、種茂、それに火を見る鍛冶の者が二人。新吉郎と重兼もまた、若君のそばにいてよいとされたが、入口近くに控えさせられた。
惟種は、始まる前にまず言った。
「締め切るな」
皆がそちらを見る。
「風は必ず通せ。戸は少し開ける。上も抜く」
親英が頷く。
「臭いゆえに、にございますか」
「臭いだけではない」
惟種は答えた。
「目に見えぬ悪しき気が混じる。締め切れば、人がやられる」
重兼の顔が、そこで少し強張った。
「それほどに」
「それほどだ」
惟種は言った。
「暖かくても、頭が重くなり、息が詰まるようならすぐ出ること。火の番は必ず人を置くこと。寝所ではまだ使わぬ」
親英は、その一言一言を頭へ入れていく。
若君の言う「見えぬ悪しき気」が何であるかは分からぬ。だが、分からぬからこそ、まず守るべきだと分かる。
「館のうちでも」
「まずは試しの小屋だけだ。うまく行っても、次は役所の一部まで。広げるのはその後だ」
「心得ました」
試験は、ただ石を燃やすだけではなかった。
別の厚手の器へ石を入れ、外から熱をかける。空気に触れさせぬまま蒸し焼きにし、そこから出る気を細い管で導く。途中で水をくぐらせ、臭いと脂っぽい汚れを落とす。さらに、黄土を詰めた箱をひとつ噛ませる。
見ている者には、何をしているのかすぐには分からぬ。
だが惟種の目は、はじめからその先だけを見ていた。
やがて、細い管の先へ火を近づけた時である。
ぼ、と小さく火が立った。
新吉郎が、思わず息を呑む。
鍛冶の者らも目を見張った。
油皿の火とも、松明とも違う。細い口から、安定した火が出ている。
「……燃えた」
種茂が、低く言った。
「燃えましたな」
親英も答えたが、その声にはまだ半ば疑いが残っている。
偶然ではないか。
ほんにこれで使えるのか。
だが火は消えず、細く長く立っていた。
惟種は、その炎を見ながら言った。
「まずはここからだ」
それは華やかな光ではない。
だが、油より長く、安定している。
そして何より、文官の手元を照らすには十分に見えた。
「これなら夜でも文が読めるな」
親英が、ぽつりと言った。
「読めます」
惟種は答える。
「だから役所に要る」
鍛冶の者の一人が、別の容器の中身を見て言った。
「若君。こちらの残りは」
黒石を蒸し焼きにした後の、軽く締まった黒い塊である。
「それもまた使える」
惟種は答えた。
「鍛冶場へ持って行け。強い火が出る」
親英が、そこで初めて口元を少し緩めた。
「若君」
「何だ」
「妙ではございますが、これは使えそうにございますな」
「そう申しただろう」
「はいはい」
重兼は、そのやり取りを見ながら、ようやく本当に息を吐いた。
若君は寒いとこぼしたと思ったら、その先で黒い石から火と灯りを引き出してみせた。訳は分からぬ。だが今、目の前で文が読めるだけの灯があり、しかも小屋の中は、さきほどより確かに暖かい。
惟種はすぐに続けた。
「まだ広げぬ」
親英が頷く。
「まずは館の一部で試す」
「そうだ。役所へ回すのも、換気の形を決めてからだ」
重兼が言った。
「火の番も、要りますな」
「うむ。必ず置く」
惟種は答える。
「締め切るな、火から目を離すな、気が悪くなったらすぐ出る――この三つは徹底する」
親英は、それを聞いて深く頷いた。
「では、役所へ回す前に、館で何日か試します」
「そうだ」
「臭いと煙の具合も見ます」
「黄土の詰め方も変える」
「承知致しました」
*
館での試験は、数日続いた。
最初は戸を開けすぎて暖が逃げ、次には閉めすぎて皆が顔をしかめた。黄土の量を増やし、水を通す桶の形を変え、管の繋ぎを詰め、ようやく「使える」と言ってよいところまで持っていく。
惟種は、それで満足した。
「まずは役所だ」
そう言って、文官の詰所の一部へ入れさせた。
夜の帳面付けが、少しばかり楽になる。
冬の手が、少しばかり動く。
それだけでも十分大きい。
だが惟種は、館も役所も隅々までこの火灯に変えようとはしなかった。
灯は便利である。
便利であるが、火である以上、扱いを違えれば災いにもなる。
ことに戦となれば、ひとたび火が移れば館も蔵も兵糧も、まとめて失いかねぬ。
敵の目にも付く。
夜に明るければ、それだけで人の動きも場所も知れる。
火は暮らしを助けるが、戦の折には弱みともなる。
ゆえに、使う場所は限る。
文官の詰所、夜番の控え、見張りの詰める所――まずはそのほどに留める。
人の寝起きするところ、火の回れば致命となるところへは、まだ入れぬ。
親英が、その意を受けて頷いた。
「館じゅうへ広げるのではなく、要るところだけにございますな」
「そうだ」
惟種は答えた。
「明るければよい、暖かければよい、では足りぬ。火を置くなら、誰が見、誰が守り、誰が消すかまで決めねばならぬ」
宗運が、その言葉に目を細めた。
「では、役目を立てまするか」
「立てる」
惟種は即座に言った。
「火灯奉行を置け」
その場の者が、わずかに顔を見合わせた。
「火灯奉行、にございますか」
親英が問う。
「うむ」
惟種は、静かに続けた。
「灯を入れる場所を定める。
管の繋ぎ、黄土の詰め、水桶の替えを見させる。
火の番を置き、臭いと気の具合を確かめる。
異変あらばすぐ止める。
勝手に火を移すことを禁じる。
そして戦の折には、どこを消し、どこだけを残すか、その差図も一手に引き受けさせる」
親英の顔から、軽い笑みが消えた。
戦になれば、灯はただの灯ではない。
敵にとっては目印になり、味方にとっては火攻めの種にもなる。
便利であるからこそ、勝手に使わせてはならぬ。
「心得ました」
親英は深く頭を下げた。
「火灯奉行の下に、見回りと火の番を付けます。
灯を置く所、置かぬ所、夜ごとの見回り筋、戦の折の消し方まで書き付けさせましょう」
「そうせよ」
惟種は言った。
「館も役所も、全部を照らす要はない。
要るところだけを、確かに照らせばよい」
文官どもは、最初こそ臭いと不安に顔をしかめたが、灯の下で文が読みやすくなると、もう文句ばかりは言っておれぬ顔になった。
「……明るうございますな」
「油よりよう見えます」
「だが戸は開けておけ」
宗運が、その場で釘を刺した。
「若君の言いつけだ。締め切るな。番を置け。苦しくなればすぐ出ろ。
それに、勝手に灯を増やすな。火灯奉行の差図なく火を移せば、咎める」
役所でうまく回り始めると、親英はそのまま採炭の手を少しずつ増やした。まだ大規模ではない。だが、露頭を見つけ、掘りやすいところから順に黒石を集める。館と役所の、限られた場で使う分をまず確保し、その残りは鍛冶場へ回した。
鍛冶の火は、すぐに変わった。
「強うございますな」
鍛冶の者が、驚き半分で言った。
「長く保つ」
「薪を食いません」
惟種は、その様子を見て小さく頷いた。
そうでなくては意味がない。
暖を取るために始めた。
だが、これが鍛冶と製鉄へ回れば、話は暖だけで終わらぬ。
館と役所の灯は一部で足りる。
されど火は、鍛冶場でいくらでも物を変える。
槍も刃も、釘も鎖も、さらには船の金具まで、火が変われば皆変わる。
宗運が、横で低く言った。
「若君」
「何だ」
「結局これは、暖房の話では済まぬのでございますな」
惟種は答えた。
「最初から、そのつもりだ」
宗運は、しばし惟種の横顔を見ていた。
寒い、と言って始まった。
それが今や、館の一部の火を変え、役所の夜を変え、火灯奉行なる役目まで生み、鍛冶場の炎まで変えようとしている。
もはや驚きはしない。
驚きはしないが、それでいてなお、人外を見るような気持ちが消えるわけでもない。
親英が、黒い石を積んだ荷を見ながら言った。
「では、採る手はこのまま少しずつ増やします」
「うむ」
「館の一部、役所の一部、鍛冶、製鉄――順に回す」
「そうせよ」
惟種は、冬の薄い日を見た。
寒さはまだこれから深くなる。
だが、それでよい。
すべてを一度に変える要はない。
変えるべきところから、先に変えてしまえばよい。
黒い石は、もはやただの臭う厄介者ではなかった。
阿蘇にとっては、夜を支える限られた灯であり、鍛冶場を支える火であり、やがて刃と鎧を強くする力にもなり始めていた。




