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火の山の若君は、未来を夢に見る ~阿蘇家嫡流の若君、名臣甲斐宗運と乱世を切り拓く~  作者: アトラス


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第九十七話 冬至御前迎え

天文十七年(一五四八年)十二月。


阿蘇の山々は、ようやく冬の色を深くし始めていた。朝の空気は鋭く、吐く息は白く薄い。館の屋根や庭の石には、夜のあいだに降りた冷えがなお残っていて、日が差してもすぐにはほどけない。


だが、その冷たさの中で、館の内にはいつになくあたたかな匂いが立っていた。


雉を焼く匂いである。


惟種は、その夜の席を「冬至御前迎え」と名づけた。


阿蘇神社の御前迎えにあやかり、この冬、家の内にある者たち、あるいはあらためてその内へ迎え入れられた者たちを迎え、一年の終わりをともに越えるための席である、と。名目としては十分であったし、なにより阿蘇の家の席として、よく似つかわしかった。


もっとも、名目だけでは人の腹は満たされぬ。

ゆえに惟種は、この席でもまた、自ら手を入れることにした。


台所の奥では、すでに大きな雉が何羽も下拵えを終えていた。

塩をすり込み、香を揉み込み、脂がほどよく回るよう工夫してある。炉の火は強すぎてもならず、弱すぎてもならぬ。皮を照らし、中を乾かさず、しかも骨の際まで火を通すためには、焼き方そのものに理が要る。


惟種は、その火加減を自ら見ていた。


宗運がその様子を見ながら、半ば呆れたように言った。


「若君は、まことに何でもなさいますな」


「何でも、ではないぞ」


惟種は、雉へ照りを出す汁を薄く塗りながら答えた。


「今日のような日は、自分で見た方が早い」


「その“早い”が、常の者には真似できぬのでございます」


惟種はそれには答えず、ただもう一羽の焼け具合を確かめた。


雉だけではない。


別のところでは、卵と砂糖をたっぷり使った南蛮風の焼き菓子も用意されていた。まだ後の世のように軽やかでもなく、ふわふわと儚いものでもない。だが、甘く、やわらかく、冬の夜に人の気をほどくには十分な菓子であった。


惟豊は、その支度の話を聞いた時こそ「また妙なことを」とだけ言ったが、結局は止めなかった。止めなかったということは、許したということでもある。


館の一間は、今夜のために広く整えられていた。


招かれるのは、惟豊、宗運をはじめとする阿蘇の重臣たち。

田代宗傳、北里政久。

加えて、名和行興。

さらに龍造寺家宗、鍋島信房。

そして、相良晴広。

また、若き鍋島種茂も、この席には加えられていた。


種茂はまだ、家中の重きを担うには早い。

されど、これより先を見据えれば、こうした席を知り、どういう者たちが一つの卓を囲むのかを見ておくべき者でもあった。


人数は多すぎぬ。

多すぎれば、これはただの饗応になる。

今夜はそうではない。阿蘇の内を担う者たちへ向けた、冬の節目の小さな迎えである。


     *


最初、席の空気は幾分か硬かった。


それも無理はない。

龍造寺家宗は、阿蘇に立て直された家の当主である。

鍋島信房は、その家を現実に支える側の顔である。

名和行興は、先に臣従した者としてこの席にあり、相良晴広は、つい先ごろ阿蘇の内へ入ったばかりの当主である。

田代宗傳と北里政久は、阿蘇譜代としてすでに席の重みを知る。

種茂は、そうした顔ぶれの中に、まだ若きままに座っている。


皆が同じ卓にあるということ自体、数年前ならば想像もしなかったことであった。


惟豊が上座にあり、その少し脇に宗運。

譜代の重臣たちが続き、名和、龍造寺家宗、鍋島信房、相良晴広、そして末の方に鍋島種茂がある。


晴広は、静かに座していた。

だが、静かであることと胸のうちが安らかであることとは違う。阿蘇へ臣従してまだ日も浅い。いまこの席に招かれたこと自体が厚遇であると分かるからこそ、なおのこと、その厚遇の重みもまた感じていた。


家宗は、晴広より一歩だけ馴染んでいる顔であった。

信房はさらに、その横で座の流れそのものを見ているようである。

名和はもう少し落ち着いて見える。

先に入った者は、やはりこうして席に着く顔つきまで少し違うのだと、晴広は思った。


やがて惟種が入ると、座の空気がわずかに変わった。


まだ若い。

だが、この席の趣向そのものがすでに若君の手であると知れている。ゆえに、ただ若いだけの姿には見えぬ。


「今夜は、冬至御前迎えだ」


惟種が静かに言った。


「今年よう働いていただいた皆へ、ささやかながら席を設けた」


惟豊は黙って聞いている。

止めないということは、それでよいということでもある。


「ことに行興、家宗、晴広」


惟種は順にその名を呼んだ。


「今年、阿蘇の内へ入り、あるいは阿蘇の内であらためて立たれた方々には、なおさらだ」


行興が深く頭を下げる。

家宗もそれに倣い、晴広もまた静かに頭を垂れた。


信房はその様子を横目で見ながら、わずかに目を細めた。

阿蘇は、ただ従わせるのではない。

こうして一つの卓に着かせる。

その意味を、信房のような実務の男はよく知っていた。


「堅苦しい話は今夜はよい」


惟豊が、そこで低く言った。


「始めるぞ」


それだけで、座にようやく少しだけやわらかさが生まれた。


     *


最初に運ばれてきたのは、丸のまま焼き上げた雉であった。


皮には照りがあり、香ばしい匂いが立つ。切れば中から熱い肉汁がにじみ、冬の冷えた空気へ湯気がのぼる。見慣れた煮物や焼き物とは違う。見れば誰もが、まず珍しいと思う。だが、珍しいだけで終わらぬのが、惟種のやることでもあった。


「……これは」


相良晴広が、思わず小さく呟いた。


惟種が答える。


「雉を丸ごと焼いたものにございます。塩を利かせ、少しだけ南蛮風の手を加えている」


家宗が、その匂いをかいで言った。


「なるほど、ただ炙ったものではございませぬな」


「うむ」


信房が、皮の照りを見ながら続けた。


「火の入れ方が妙に均うございます。これはただ思いついて出来るものではありませぬな」


惟種はわずかに口元を動かした。


「焼き方にも理がある」


「また若君の理ですか」


北里政久が低く言い、座の空気が小さくほどけた。


惟種は、自ら切り分けを見た。

若君がここまで手を入れていると知れているからこそ、誰も軽くは箸を伸ばさない。だが、食わねば意味がない。


最初に手をつけたのは惟豊であった。


一口。

噛む。

しばし黙る。


それから、短く言った。


「よいな」


惟豊がそう言えば、それで十分である。


宗運が続き、宗傳、政久、行興、家宗、信房、晴広もまたそれに倣った。

最後に種茂も、おそるおそるながら口へ運ぶ。


晴広は、口へ入れた瞬間、少しだけ目を見開いた。

柔らかい。

しかも、ただ柔らかいだけではない。香があり、塩気があり、脂が重すぎぬ。冬の夜にこれが出るというだけでも驚きであったが、何より驚くべきは、それが若君の趣向として、すでに阿蘇の席に馴染んでいることであった。


家宗が、半ば感心したように言う。


「阿蘇へ来てから、驚かぬ日の方が少のうございますな」


行興が、その言葉へ薄く笑った。


「最初は皆そうでございます」


晴広がそちらを見ると、行興はさらに言った。


「されど、そのうち“また何か出るやもしれぬ”と構えるようになる」


座に小さな笑いが起こった。


宗傳も珍しく口を緩めた。


「構えたところで、大抵は想像の一つ上を行きますがな」


「違いない」


北里政久が低く言うと、種茂は年長の者たちのそんなやり取りを、やや緊張しながらもどこか楽しげに見ていた。


晴広も、そこで初めて肩の力を少し抜いた。

臣従してからというもの、何を見てもまだどこか張っていたものが、ようやくほんの少しだけほどけたのである。


     *


次に運ばれてきたのは、甘い焼き菓子であった。


卵を多く使い、砂糖を利かせて焼いた、南蛮風の菓子である。今の世の菓子としては、いささか柔らかく、香りも甘い。見慣れぬといえば見慣れぬ。だが、口へ運べば誰にも分かる。これは人の気をやわらげる甘さだ、と。


宗運が、やや呆れたように言った。


「今度はまた、甘いものまで」


「冬の終わりには、少し甘い方がよろしい」


惟種は平らに答えた。


「若君は理屈まで付けますな」


「付けぬと、お前がうるさい」


その言葉に、今度は座の笑いが少し大きくなった。


惟豊は、そんなやり取りを横で聞きながら、何も言わなかった。

だが、咎めもしない。

そして、咎めぬということが、この夜の席をさらに穏やかなものにしていた。


種茂は、菓子を口へ入れた途端、思わず目を見開いた。

その変化を見て、信房がわずかに笑う。


「どうした」


「い、いえ……その……」


種茂は言葉を探した。


「甘うございます」


「甘いものは甘いに決まっておる」


北里政久が言うと、また口元が緩んだ。


だがその笑みは、若き者をからかうだけのものではない。

この席には今、譜代も、外様も、新参も、若き者もいる。

その誰もが少しずつ気を緩め始めていること自体が、この夜の意味であった。


晴広は、その甘い菓子を口へ運びながら思っていた。


相良が阿蘇の内へ入ると決めたのは、理の上では正しかった。

地を残すため。

家を残すため。

外から真似て苦しむより、中へ入った方が早いと見たからである。


だがいま、それとは別にもう一つ分かり始めていた。


この家は、ただ大きいだけではない。

ただ恐ろしいだけでもない。

中へ入った者を、こうして席に着ける家でもある。


それは、臣従する側にとって思いのほか大きいことであった。


食うとは、同じ席にあるということでもある。

同じ席にあるとは、ただ従えられるのではなく、内の者として数えられ始めるということでもある。


家宗もまた、似たようなことを思っていた。

龍造寺を立て直され、肥前の地を預かる形となってなお、こうして阿蘇の卓へ招かれる。その意味を、家宗は軽く見ていない。


信房は、そのさらに一歩奥で考えていた。

阿蘇は戦に勝つだけではない。

勝った後、どの者をどこへ座らせ、どう内へ取り込むかまで持っている。

だからこそ、これほどの早さで大きくなれるのだと。


行興は、二人より少しだけ先を知る者の顔で、静かに杯を置いた。


「阿蘇は、よく人を呑み込みます」


ぽつりと言ったその一言に、晴広も家宗も目を向ける。


「だが、呑み込んで終わる家ではございませぬ」


行興は続ける。


「呑み込んだ後、内の者として置く。そこが、他とは違う」


惟豊は、その言葉にもなお何も返さなかった。

返さぬが、それでよい。返さぬことそのものが、行興の言葉を否まぬということでもあった。


     *


夜が更けるにつれ、席の空気は目に見えてやわらいでいった。


最初の硬さは薄れ、名和と家宗の間にも短い冗談が交わされる。政久と宗傳が、若き種茂の受け答えを見て、わずかに笑う。信房は多くを語らぬが、その目は何度か晴広へも向けられた。晴広もまた、最初のように言葉を慎みすぎることはなくなった。宗運が時折、若君の妙な趣向へ半ば呆れながらも付き合い、惟豊は終始大きくは崩れず、それでも席全体がちゃんと収まっているのを黙って許している。


冬至御前迎え。


名に違わぬ夜であった。


やがて席が終わり、人が一人ずつ引いていった。


宗傳、政久、行興、家宗、信房、晴広、種茂。

それぞれに深く礼を尽くして下がる。


晴広が去り際に一度だけ振り返った時、その目には、来た時とは違う色があった。臣従した家の当主としての苦さはなおある。だが、それだけではない。阿蘇の内で自らがどう立つか、その先を少し考え始めた者の目であった。


種茂は、下がる時もなお少し興奮した顔を隠し切れておらず、信房に低く何かを諭されていた。若い。だが、ああいう若さもまた、家の先には要る。


     *


人が引いた後、館の一間は急に静かになった。


火はなお赤く残っている。

料理の匂いもまだ薄く漂っている。

だが、先ほどまでの人の気配が去ると、それらもまた別の静けさに変わる。


惟種が自室へ戻ると、そこには加世が待っていた。


「お疲れにございます」


「少しな」


惟種は、珍しく素直にそう答えた。


加世は、わずかに笑った。

今日の席のことは、すでに聞いている。というより、聞くまでもなく館の空気そのものが、今夜がただの食事ではなかったことを伝えていた。


「皆、嬉しそうでございました」


「そうか」


「はい。ことに相良殿は、来た時よりずっと顔がやわらいでおられました」


惟種は、その言葉に小さく頷いた。


相良は今年、阿蘇の内へ入った。

龍造寺もまた、立て直されて阿蘇の傘の下にある。

名和はすでにその中で位置を得ている。

鍋島もまた、その内で若き者を育て始めている。


今年は、家がまた一つ大きくなった年であった。

だが、大きくなるとは、ただ戦で勝つことではない。こうして人を迎え、席を共にし、内の者として置くことでもある。今夜はそのことを、あらためて形にした夜でもあった。


「若君も」


加世が言う。


「楽しゅうございましたか」


惟種は、しばし答えなかった。


楽しい、というのは少し違う。

だが、悪くない、とも思う。

戦でも評定でもない席で、あのように皆が少しだけ気を緩めるのを見るのは、たしかに嫌ではなかった。


「悪くなかった」


やがてそう言うと、加世はもう一度だけ笑った。


それで十分であった。


しばらく二人は、火のそばで静かに座っていた。

外は寒い。

だが館の内には、まだ火のぬくもりがある。

この一年は、長かった。

少弐を滅ぼし、龍造寺を立て、船を作り、流民と職人を受け入れ、相良もまた内へ入った。来年は来年で、また有馬が動き、別の火が立つのであろう。


だが今夜だけは、その火を考えずともよかった。


加世が、小さく言った。


「今年も、よう働かれました」


「加世もな」


惟種は答えた。


加世は、その一言に少しだけ目を伏せた。

短い。

だが、この人の言葉は、短い方がむしろまっすぐであることを、加世はもう知っていた。


外では、風が冬の木々を鳴らしている。

館の内では、火が小さく鳴っていた。


天文十七年は、こうして暮れようとしていた。


阿蘇の家は大きくなった。

人も増え、敵も増え、抱えるものもまた増えた。

だが、その大きくなった家の中にも、なおこうして静かな一夜があることを、惟種は悪くないと思った。


加世はその傍らにあり、惟種は火を見ている。

もう言葉は多く要らなかった。


今年の終わりは、戦の音ではなく、火の音とともに閉じていった。

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