第九十六話 内へ入る家
天文十七年(一五四八年)十一月。
山の色は、もう秋の深みを隠さなくなっていた。風は冷え、朝の息はまだ白くはならぬものの、吐けばたしかに薄い煙のように見える。戦の起こる時節ではない。だが、家の行く末が定まる時というのは、しばしばこうした静かな季にやって来るものであった。
その日、相良より拝謁を求める使いが入り、惟豊はこれを受けた。
館の一間に座すのは、阿蘇惟豊、甲斐宗運、そして惟種の三人である。余計な耳は入れていない。相良が何を言いに来るかは、もはやおおよそ見えていた。必要なのは驚きではなく、家としてどう受けるか、その言葉を違えぬことだけであった。
やがて、相良の一行が通された。
先にあるのは、相良晴広。
当主として、まずこの座に言葉を置くべき者である。
その少し後ろに、義滋が控えていた。
すでに家督は晴広へ移っている。ゆえに今日この座で口を開くのは、晴広でなければならぬ。だが、義滋が同席しているというだけで、これは一当主の浅い判断ではなく、相良という家そのものが出してきた答えであると、誰の目にも分かった。
脇には、上村頼興、深水長智らがある。
顔ぶれとしては重い。重いからこそ、今日の話がただの様子見ではないこともまた明らかであった。
礼が尽くされ、座が静まったのち、惟豊が低く言った。
「相良殿。よう参られた」
「は」
晴広は深く頭を下げる。
その動きに乱れはない。だが、乱れがないことと胸のうちが平らであることとは別であった。晴広がいまどれほどの重みを背負ってここへ来ているかは、その声の奥にあるかすかな硬さだけでも十分に伝わった。
「此度は、家の行く末につき、お聞き入れ願いたきことがあり、参上仕りました」
惟豊は黙ってその先を促す。
晴広は一度だけ息を整えた。
「相良はこのところ、阿蘇のやり方を学ばんと、田の見方、税の改め、村々の持たせ方、できる限り手を入れて参りました」
惟種は黙って聞いていた。
言うであろうと思っていたことを、相手もまたきちんと言葉にしてきた、と見ていた。
「されど」
晴広の声が、少しだけ低くなる。
「形だけを真似ても、国は思うようには回りませなんだ。人も、蔵も、兵の締めも、道も、皆足らず、結局は阿蘇の理を借りたつもりで、その影ばかりを追うていたに過ぎませぬ」
義滋は後ろで何も言わぬ。
だが、その沈黙そのものが、いまの言葉を退けぬという意味になっていた。
晴広は続ける。
「有馬よりは、阿蘇を共に打つべしと誘いも参りました」
宗運が、わずかに目を上げる。
「されど、我らが阿蘇へ兵を向ければ、その隙に島津が来るやもしれませぬ。島津へ寄れば、今度は阿蘇がございます。相良はいま、その間にございます」
惟豊はなお何も言わなかった。
相手に最後まで言わせる。こういう時、先に言葉を差し挟めば、相手は軽くなる。軽くなれば、本来出るべき重みまでこぼれる。
「ゆえに」
晴広は言った。
「相良は、阿蘇の外にあって怯え、削られるよりは、阿蘇の内へ入り、家と地を保つ道を選びたく存じます」
座の空気が、そこで一段深く沈んだ。
言い回しはなお慎重であった。
だが意味は明らかである。
晴広は、そこで初めてはっきりと言った。
「もし、名和同様に地を安堵され、相応の立場を許されるのであれば――」
一拍。
「相良は、阿蘇へ従います」
その言葉が落ちると、一間の空気はひどく静かになった。
義滋は、なお後ろに控えたままである。
だが、その場にあるというだけで、相良の当主の言葉が先代にも否まれていないことを示していた。家の来歴を背負った者が後ろに立つというのは、それだけで武家の言葉を重くする。
惟種は、その様子を見ていた。
泣きついてはいない。
取り乱してもいない。
相良は相良なりに、苦い理を飲み下した上でここへ来ている。だからこそ、この臣従は軽くない。軽くないからこそ、阿蘇にとって価値がある。
惟豊が、やがて口を開いた。
「相良が誠をもって阿蘇へ従うというなら、阿蘇はこれを受ける」
短いが、家としての言葉であった。
晴広は顔を上げぬ。
だが、その肩からわずかに張りが抜けるのを、頼興も長智も見ていた。
惟豊は続けた。
「相良家の家名は残す」
義滋の目が、ほんのわずかに動く。
「領地も安堵する。軽々しくは削らぬ」
今度は、頼興が静かに頭を下げた。
そこが最も重いところであると、よく分かっていたからである。
「されど」
惟豊の声が、一段低くなる。
「これよりは、阿蘇の内の家として働いてもらう」
宗運が、そこで言葉を継いだ。
「法も、税も、兵も、以後は阿蘇の定めに従っていただきます」
長智が、その言葉を受け止めるように深く頭を下げる。
「心得ております」
「地はそのままにございます」
宗運は続けた。
「されど、その上を流れる理は、これより阿蘇のものになります」
その言い方は柔らかい。
だが、柔らかいからといって意味まで軽いわけではない。相良の地は相良に残る。だが、その残った地もまた、阿蘇の法と税と兵役の中へ組み込まれていくのである。
晴広はそこで、初めて顔を上げた。
「相応の地位を、との話は」
惟豊がそれを受ける。
「立てよう」
それだけで十分であった。
「阿蘇の内の有力衆として遇する。戦では働いてもらう。だが、立場には順がある」
「は」
「阿蘇直臣、宗運と並ぶところへ、いきなり置くことはない」
それは拒絶ではない。
線引きである。
相良にとっても、阿蘇にとっても、必要な線であった。
頼興が、そこでようやく口を開いた。
「それで十分にございます」
老いた声であったが、揺れはなかった。
「家が残り、地が残り、しかるべく働く場をいただけるのであれば、相良としてこれ以上を望むのは分を越えましょう」
惟種は、その言葉に小さく頷いた。
やはり、実父たるこの男が一番よく分かっている。
相良はいま勝とうとして来たのではない。残ろうとして来たのである。ならば、残るための形がきちんと与えられるなら、それでよい。
「相良殿」
惟種が、初めてそこで言った。
晴広が目を向ける。
「阿蘇の内へ入ると決められたのは、賢い」
それは露骨な褒めではなかった。
だが、ただの慰めでもない。
「外から真似て苦しむより、中へ入って仕組みごと受ける方が早い。そう見られた」
晴広は、その言葉にわずかに口元を引き締めた。
「……左様にございます」
「ならば、こちらも中途半端には扱わぬ」
惟種は言った。
「相良が阿蘇の内で立つべきところは、きちんと立てる」
頼興と長智が、同時に頭を下げる。
義滋はなお後ろに控えたままであった。
だが、その顔からは、ただ屈辱だけを飲んだ者の色は見えなかった。苦い。されど、その苦さを飲んででも家を次へ渡した者の顔であった。
*
話は、そこで終わらなかった。
阿蘇は、終わらせて済ます家ではない。
惟種が、脇へ控えていた文官へ目をやると、その者らはすぐに前へ進み出た。帳面はすでに開かれている。筆も、紙も、地図も、村々の控えも揃っていた。
晴広が、それを見て、ほんのわずかに目を見張る。
「もう、そこまで」
惟種は平らに答えた。
「臣従を受ける以上、その後をすぐに動かさねば意味がない」
惟豊は黙っている。
その沈黙が、これもまた家の定めであると告げていた。
「まず、相良の地へ文官を入れます」
宗運が言う。
「田の見方を改め、蔵の置き方を見、税の流れを確かめる。村の持たせ方も、兵の割り付けも、順に見直します」
長智が、そこで初めて、露骨な驚きを隠せなかった。
阿蘇は、ただ受けると答えて終わりではなかった。
相良が臣従を口にした、その場でもう次の手が用意されている。
誰をどこへ入れるか。
何から改めるか。
どの村から帳を取り直すか。
すでに考えてある。
頼興もまた、そのことに気づいていた。
そして気づいたからこそ、胸の底であらためて思った。
――やはり、恐ろしい家だ。
だが同時に、思った。
――だからこそ、中へ入る理がある。
「……早うございますな」
頼興が、思わずそう漏らすと、宗運はただ一度だけ頷いた。
「勝った後を早う動かせぬ家は、いずれ負けますれば」
その一言が、相良の一行の胸へ深く落ちた。
晴広は、開かれた帳面を見た。
田をどう見るか。
どの村へ誰を入れるか。
検地の順。
税の取り方。
兵役の見直し。
相良がこのところ苦しんでいたものが、阿蘇ではもはや苦しむべき難題としてではなく、手順として机の上に並べられていた。
ただ、圧されるほかなかった。
義滋もまた、後ろからその様を見ていた。
これが、自分たちが外から真似ようとして、つかみきれなかったものか、と。田や税のやり方一つではない。勝った後、家の中へどう組み込むか、その形そのものを最初から持っている家なのだと。
惟豊が、そこで最後に言った。
「相良はこれより、阿蘇の臣下となる」
その声は低く、重く、そして少しも揺れなかった。
晴広は、深く頭を下げた。
「相良晴広、ここに阿蘇へ従います」
義滋もまた、その後ろで頭を垂れた。
家の流れが、そこで一つ折れた。
だが、折れたからといって尽きたわけではない。むしろ、別の大きな流れの中で、なお残るために折れたのである。
*
拝謁を終え、相良の一行が引いたのちも、館の内ではすでに人が動いていた。
文官が呼ばれる。
帳がまとめられる。
どの村から入るか、どの役人を付けるかが、すぐに定められる。
惟種は、その様子を静かに見ていた。
戦わずして、また一つ家が入った。
しかも悪くない形である。地を荒らさず、人を殺さず、それでいて相手の家をこちらの骨へ組み込む。こうした勝ちは、たいてい槍で奪う勝ちよりも、ずっと後に効いてくる。
「有馬は嫌がりましょうな」
宗運が低く言う。
「ひどく」
惟種が答えた。
惟豊は、ただ短く頷いた。
相良が阿蘇へ入ったことは、相良一国の行く末を決めただけではない。阿蘇を外から量るのでなく、その内へ入ることで生き残る道があるのだと、他家へもまた見せることになる。これが後にどう響くかは、まだ分からぬ。だが、響かぬはずもない。
天文十七年十一月。
相良はここに、阿蘇の内へ入った。
それは、ただ一つの家が膝を折ったというだけではなかった。
肥後、筑後、肥前に生きる諸家へ、阿蘇は外から量る家ではなく、その内へ入って用いられる家であると示す一手でもあった。




