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火の山の若君は、未来を夢に見る ~阿蘇家嫡流の若君、名臣甲斐宗運と乱世を切り拓く~  作者: アトラス


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第九十三話 兵の形

 天文十七年(一五四八年)九月。


 夏の熱はなお地に残っていたが、朝夕の風には、わずかに秋の気配が混じり始めていた。

 人を受け入れ、町の形を整え、外の風向きも聞いた。その次に阿蘇が手を入れるべきは、兵の形であった。


 この日の座には、惟豊、宗運、惟種の三人だけがあった。


 余計な耳は要らぬ。

 数を増やすという話は、聞けば勇ましい。だが、勇ましいだけの話にしてしまえば、たいていは後で家を痩せさせる。食わせる米も、持たせる槍も、火薬も、馬も、宿も、すべては数の後ろからついて来る。ゆえに、こうした話ほど、まず三人で骨を決めねばならなかった。


 惟豊が、静かに言った。


「始めよ」


 宗運が文を開く。


「まず、今の兵にございます」


 その声は平らであった。


「常にこちらの手のうちで動かせる兵は四千。置き方は、肥前五百、筑後五百、肥後三千にございます」


 惟豊は黙って聞いている。


「今のところは足りております。されど、今のところは、です」


「足りぬか」


 惟豊が問う。


「来年は足りませぬ」


 宗運は即座に答えた。


「有馬・大村筋、龍造寺再建地、河口、港、加えて旧少弐筋の押さえ。いずれも今のままでは薄うございます」


 惟種は、その言葉へ小さく頷いた。


 いまの四千は、骨としてはよい。

 だが骨である以上、それは次に肉をつけるための骨でもある。勝って広がった国を、本当に自分の形に変えるには、もう少し厚みが要った。


「来年までに」


 惟種が言う。


「常に動かせる兵を、一万二千まで持ってゆきたい」


 宗運は、その数字に驚かなかった。

 若君がこの手の話で大きく先を見ることは、もはや知っている。だが知っていることと、その大きさをそのまま受けることとは別である。ゆえに宗運は、まず数字の中身を問うた。


「ただの一万二千ではございますまい」


「むろん」


 惟種は答えた。


「純常備兵が五千。城番と駐屯兵が二千。半常備の選抜兵が二千。水軍、荷役、工兵で一千」


 そこで一度言葉を切る。


「そして旧少弐・肥前筋より、こちらの形へ組み替えて使う兵を二千」


 惟豊が、低く言った。


「数だけなら言える」


「はい」


 惟種は頷く。


「だから、形を先に決めねばなりませぬ」


 宗運が、その一言を引き取った。


「兵を増やすというのは、ただ数を増やすことではありませぬ」


 宗運の声は、いつも以上に硬かった。


「食わせ、歩かせ、夜を越えさせ、命を届かせる形を先に作ることにございます。数だけ増やせば、夜に崩れます」


「うむ」


 惟豊が頷く。


「では、どう置く」


 惟種は、そこでようやく帳の上へ指を置いた。


「五百を一備とします」


 宗運が黙って聞く。


「その下に百を五つ置く。五十まで割れるようにしておけば、命が届く。退く時も、押す時も、形を失いにくい」


「五百一備、か」


 惟豊が言った。


「大きすぎず、小さすぎずにございます」


 惟種は答える。


「百では厚みが足りませぬ。千では重すぎる。五百なら、城番にも出せる。野でも使える。削られてもなお働く」


 宗運が、静かに頷いた。


「その下を百で切るのもよい」


「うむ」


「百なら、顔も見える。組頭も働く。夜番も回る」


「そうだ」


 惟種は言う。


「一万二千を、ただ一万二千として抱えるのでは足りぬ。五百を一備とし、その下に百を五つ置く。そうして初めて、強き兵ではなく、崩れぬ兵になる」


 惟豊は、しばし黙っていた。

 ただ数を積むのでなく、数に骨を通す。その考え方は、惟豊の気にもよく沿っていた。


「よい」


 やがてそう言った。


「では、来年の置き方は」


 宗運が別の文を開いた。


「陸の兵は、肥前二千五百、筑後二千、肥後六千五百にございます」


 惟豊が問う。


「肥前を厚くするのだな」


「はい」


 宗運は答える。


「有馬・大村筋を見れば、そこを薄くは置けませぬ。龍造寺再建地もございます」


「筑後は」


「河口、港、兵站にございます」


 宗運の言葉は淀みがない。


「船台も、外港も、兵糧の出入りも、あちらにございますれば」


「肥後は六千五百か」


「本国の骨にございます」


 ここへ惟種が静かに差した。


「動かす兵の中核は、なお肥後に置くべきです」


「なぜだ」


 惟豊の問いに、惟種はすぐ答えた。


「ここが崩れれば、他が立ちませぬ。肥前も筑後も、押さえるための兵であって、全軍の芯ではない」


 宗運もまた頷いた。


「芯は本国に。前は前で厚く。でなければ、前だけ重くて腹が空になります」


「よい」


 惟豊は言った。


「では残る一千は」


「別建てに」


 惟種が答える。


「水軍、荷役、工兵。これらは肥前とも筑後とも肥後とも別にしておく方がよろしい」


「その方が使い回せますな」


 宗運が言う。


「舟へも、普請へも、小荷駄へも回せる」


「うむ」


 惟豊が重く頷く。


 そこまでで、兵数と置き場の骨はおおよそ定まった。


 だが惟豊は、なお一つ問うた。


「誰に預ける」


 その一言は重かった。


 数を決めるだけでは足りぬ。

 預ける先を違えれば、兵はただの米食いに堕ちる。逆に、人を得れば、百でも二百でも形を持ち始める。


 宗運が言った。


「阿蘇筋だけで、すべての備をきれいに埋めるのは苦しゅうございます」


「であろうな」


「されど、今すぐ名をすべて決める必要もございませぬ。五百を任せる者、百を預ける者、その二つをまず分ければ足ります」


 惟種も頷いた。


「はい。今の段では、誰がどの備と細かく切るより、誰に五百を預けられるか、誰に百から覚えさせるかを分けるべきです」


「若い者に、いきなり五百は重いか」


 惟豊が問う。


「重うございます」


 宗運が即答した。


「五百を預けるとは、五百を食わせ、歩かせ、夜を越えさせることでもございます。勇だけでは足りませぬ」


 惟種が、そこで静かに言った。


「だから、若い者にはまず百でよいのです」


 惟豊は、黙ってその先を待った。


「百なら顔が見える。百なら癖も掴める。百を崩さず動かせる者だけが、やがて五百を持てばよい」


「うむ」


「旧少弐の名だたる者どもも、同じにございます」


 宗運がそこへ続けた。


「一兵卒として埋もれさせるのは違います。されど、いきなり一備を預けるにはなお早い」


 惟豊が重く言う。


「面目は立てる。だが、兵権はまだ束ねさせぬ、か」


「はい」


 惟種は答えた。


「百でよい。一組を預け、阿蘇譜代の大将の下で働かせる。それで面目は立つ。しかも、旧少弐で再び固まらずに済みます」


 宗運が、そこで具体の扱いを口にした。


「名ある者どもは、いずれも分けて置きましょう。本陣筋に置く者、譜代の備へ預ける者、肥前筋へ回す者。いずれにせよ、同じ備に固めは致しませぬ」


「うむ」


「百を預ける。だが、その百もまた阿蘇の形のうちで動かす。それでよろしいかと」


 惟種も頷いた。


「肥前筋の者らも、地へ戻しすぎぬ方がよい。肥前で使う者は使う。だが、筑後と肥後にも混ぜて、こちらのやり方を覚えさせねばなりませぬ」


 惟豊は、その言葉にしばし考えた。


 勝った家が為すべきことは、敵を斬ることだけではない。

 斬った後、その敵の人と地を、どう自分の骨へ組み替えるかにある。旧少弐の名ある者らも、そのまま返せば旧少弐へ戻る。押し潰せば使えるものまで潰れる。ならば百ずつ預けて立て、しかし固めぬ。それが最も阿蘇らしいやり方であった。


「よい」


 惟豊は、やがて断じた。


「五百を一備。その下に百を五つ。若き者と旧少弐の名ある者には、まず百を預ける。それで進めよ」


「は」


「来年の兵は、一万二千」


 惟豊の声が、少し低くなった。


「ただし、数だけで喜ぶな。数が増えたぶん、崩れた時の痛手も増える」


「承知しております」


 宗運が深く頭を下げる。


 惟種もまた黙って頷いた。


「肥前は二千五百、筑後は二千、肥後は六千五百。別に、水と荷と普請で一千」


 惟豊は一つずつ置くように言った。


「前を厚くし、腹を空にせず、芯を失うな」


「はい」


「そして」


 惟豊は、最後に惟種を見た。


「兵を増やすなら、それに見合うだけの米も、蔵も、道も、さらに要る」


「分かっております」


 惟種は答えた。


「だから今、形から決めているのです」


 無論、米と蔵と道だけで済む話ではない。

 兵を食わせ、武具を整え、火薬を積み、馬を養い、城を保たせるには、結局は銭が要る。


 今のままでも、持つは持つ。

 だが、それは「今のままなら」の話でしかない。

 来年、一万二千を常に動かせる形へ持ってゆくなら、田と税の伸びだけを当てにしていては、いずれどこかで息が詰まる。


 別口が要る。

 しかも、ただ小さく銭を拾う口では足りぬ。兵の増え方に見合うだけの、太い口が要る。


 惟種の胸裏に、神屋寿禎の顔が浮かんだ。

 港。船。南蛮船。

 博多を通る物の流れ。言葉を継ぐ者。さとうきびのように、こちらにはまだ根づいておらぬ品々。


 海の向こうとの商いを、もっと太くするか。

 神屋を通し、南蛮との筋をさらに深くするか。


 まだこの場で言い切るには早い。

 されど、兵の形を決めた以上、その兵を養う銭の形もまた、そう遠くないうちに決めねばならぬことだけは、もう明らかであった。


 惟豊の目が、わずかに細くなる。


 理を先に見る。

 形を先に通す。

 この子は、やはりそこから外れぬ。


「ならばよい」


 その一言で、この日の話は締まった。


     *


 評定が終わったあとも、机の上には帳と文が残っていた。


 兵一万二千。

 口にするだけなら、大きい数字である。

 だがその大きさは、ただ強さの大きさではない。食わせる重みであり、動かす重みであり、夜に崩さぬための重みでもある。


 惟種は、残る帳面を見ていた。


 五百を一備。

 百を五つ。

 旧少弐の名ある者らは百から。

 前は厚く、芯は失わず。


 形は、ようやく見え始めている。


 来年はさらに動く。

 有馬筋か。

 相良筋か。

 あるいは、それ以外か。


 いずれにせよ、来るものを受け止めるには、もう去年までの兵では足りなかった。


 夏は終わりつつある。

 だが阿蘇の家は、秋の静けさの中で、来年の戦へ向けた骨組みを、さらに深く組み上げ始めていた。

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