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火の山の若君は、未来を夢に見る ~阿蘇家嫡流の若君、名臣甲斐宗運と乱世を切り拓く~  作者: アトラス


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第九十一話 人を置く

 人は、ただ集めれば力になるわけではない。


 どれほど手が増えようと、腹を満たすだけで終われば、やがてその数そのものが重みになる。反対に、十人でも二十人でも、それぞれに置き場があり、為すべきことが見えていれば、その小さな集まりはやがて国の骨になる。


 阿蘇へ流れて来た者らを前にして、惟種がまず考えていたのは、まさにそこだった。


 受け入れは済んだ。

 長屋も用意した。

 飯も、水も、ひとまずは足りる。


 ならば次に要るのは、帳である。


 誰が、どこから来たか。

 何が出来るか。

 何を失い、何をまだ持っているか。

 家族はあるか。

 一人で来たか。

 病みはないか。

 手に職があるか。

 言葉が通るか。

 どこへ置けば、最もよく働くか。


 それらを曖昧にしたまま人を抱えれば、やがて必ず綻ぶ。惟種は、それをよく知っていた。


     *


 朝の光がまだきつくなりきらぬうちから、職人と流民の町として定めた地には、人の列ができていた。


 長屋は、立派とは言えぬ。

 だが、雨露をしのげる。鍋を掛けられる。寝床もある。流れてきたばかりの者らには、それで十分に大きな違いであった。


 惟種は宗運とともに、仮の帳場として整えさせた小屋へ入った。机が一つ、文机が二つ、帳面、筆、硯。脇には名を聞き取る者、荷を改める者、病の有無を見て回る者らが控えている。


 宗運が一度、外の列を見やった。


「思うたより、減っておりませぬな」


「何がだ」


「夜のうちに逃げる者です」


 惟種は小さく頷いた。


「寝る場所があり、飯があり、明日何をするか分かるからだ」


 宗運は、わずかに口元を緩めた。


「若君の申す通りにございますな」


 惟種はそれに答えず、帳面を開いた。


「始めるか」


 その一言で、その日の仕事が動き出した。


     *


 最初に通されたのは、神屋寿禎があらかじめ「この者らは使える」と言っていた職人筋の者たちであった。


 木地師。

 塗師。

 絵付けの職人。


 惟種が欲していた者らが、まずは希望通り揃っていた。


 木地師は、木を見る目が違った。運び込んだ材を見せれば、まだ手も触れぬうちに「これは椀向き」「こちらは盆か箱の地がよい」と言う。塗師は、乾きと湿りの具合を気にし、置き場に風が通りすぎぬかを先に問うた。絵付けの職人は、荷の中から細い筆を何本も大切そうに出し、ひび割れひとつにも顔を曇らせた。


 いずれも、手を見れば分かる。

 ただ流れてきたのではない。

 持ってきた技で、もう一度立とうとしている手であった。


「名を」


 宗運が問う。


 答えが返る。

 出身を聞く。

 どこで覚えた技かを聞く。

 家族の有無を聞く。


 その間、惟種は黙って相手を見ていた。


 声の張り。

 道具の持ち方。

 自分の仕事を語る時だけ、落ちた背がわずかに起きるかどうか。

 言葉の端に、その技をまだ捨てておらぬ気配があるかどうか。


 それを見ながら、一人ずつ置き場を決めていく。


「木地師は南の作業場へ。木を乾かす棚を増やせば、そこで回せる」

「塗師は少し分ける。湿りを見る者と、下地から入れる者とで置き場が違う」

「絵付けの者らは、まだ数が少ない。文官筋にも一度見せましょう。絵図や印判にも使えるかもしれぬ」


 宗運が、その都度うなずき、脇の者へ指図を飛ばす。


 職人らは、露骨に安堵を見せはしなかった。

 だが、阿蘇がただ「来たから置く」のではなく、「何が出来るかを見たうえで置いている」ことは、すぐに伝わったらしい。受け答えの端が、少しずつ変わっていった。


     *


 もちろん、来た者が皆、手に職を持っているわけではない。


 何も持たぬように見える者らも、列には多かった。


 だが惟種は、何も持たぬ者とは思っていなかった。今は何も見えておらぬだけで、土を耕す手も、荷を運ぶ肩も、縄を綯う指も、見方を変えればいずれは役に立つ。


「名を」


「……助八にございます」


「どこから来た」


「肥前の外れより」


「田は触れたことがあるか」


「ございます」


「牛は」


「少しなら」


「なら、まずは農へ」


 宗運が脇へ記す。


「次」


 別の者が来る。

 若い。

 手に職は無いと言う。

 だが荷の持ち上げ方が妙に慣れている。


「前は何をしていた」


「港で荷を」


「舟へ積み下ろしを?」


「はい」


「なら農ではなく荷役へ。いずれ船の手伝いもさせる」


 また一人、また一人と、帳面へ名が増えていく。


 宗運は、惟種の振り分けを横で見ながら思っていた。

 若君は、人を見ている。

 ただ哀れむでもなく、ただ数として数えるでもなく、その者がどこへ置かれれば最も役に立つかを見ている。


 人を抱えるとは、こういうことかもしれぬと、宗運はあらためて思った。


     *


 昼に近づく頃、少し変わった者らが前へ出された。


 明の言葉が少し通る者。

 南蛮の言葉を、片端なりに聞き取れる者。

 あるいは、その両方を少しずつ知っている者。


 寿禎が言っていた通り、数は多くない。

 だが、一人二人でもいるのといないのとでは、先々が大きく違う。


 惟種は、その者らにだけは少し長く話をさせた。


「どこで覚えた」


「博多で耳にし申した」

「南蛮船へ荷を運ぶうちに」

「明人相手の市で、まねておるうちに」


 言葉は粗い。

 文として整うにはほど遠い。

 だが、音を聞き取り、相手へ返そうとする癖が身についている。


「文官筋へ回します」


 惟種は言った。


 宗運が目を向ける。


「よろしいので」


「よい」


 惟種は頷く。


「いきなり使い物になるわけではない。だが、今から少しずつでも覚えさせるべきだ。通詞は、ある日突然生えてはこない」


「は」


「市の言葉と、文の言葉と、両方を覚えさせる。いずれ海へ出るなら、そこで効いてくる」


 宗運は、それをそのまま帳に記させた。


 文官筋の中にも、こうした者らを珍しがる者は多いであろう。

 だが珍しがって終わっては意味がない。

 書き手と話し手の間へ橋をかける者として育てねばならぬ。


 惟種の目は、もう少し先を見ていた。


     *


 列がだいぶ短くなった頃、惟種は一度だけ筆を置き、外の町を見た。


 まだ始まったばかりである。


 長屋は仮のものにすぎぬ。

 作業場も、道具棚も、木を乾かす場所も、漆を置く蔵も、これから整えていかねばならぬ。

 だが、何もなかった地に、人の声が重なり始めている。

 木を削る音がし、鍋の湯が鳴り、子の泣き声も混じる。


 町は、こうして生まれるのだろうと惟種は思った。

 城や館のように、一度に出来上がるものではない。

 人が根を下ろし、火を入れ、道具を並べ、隣の顔を覚えるうちに、だんだんと町になっていく。


「若君」


 宗運が低く言った。


「どうした」


「来たいと望んでおった者らは、だいたい揃いましたな」


「うむ」


「木地師、塗師、絵付け――あたりは、まず悪くございませぬ」


「うむ」


 惟種は答えた。


「寿禎殿の目は、やはり確かだ」


 それだけでなく、寿禎は職人以外にも、阿蘇へ行きたいと望んだ者らをいくらか混ぜていた。事情を抱えた者、どこにも寄る辺を失った者、いまは何者ともつかぬ者。


 惟種は、そういう者らの中にこそ、後で変わる芽があることを知っていた。

 ただし、それは帳の上だけでは見えぬ。

 しばらく近くへ置いてみねば分からぬ者もおる。


「次です」


 脇の者が、列の末から二人を前へ出した。


 その姿を見た時、惟種はわずかに目を止めた。


 老いた男が一人。

衣はくたびれ、旅塵にまみれている。

その脇に、痩せた幼子が一人いた。


職人には見えぬ。

百姓とも、少し違う。

流民の列に紛れていても、そこだけ収まりきらぬような二人であった。


宗運が問うた。


「名を」


老いた男が深く頭を下げる。


「樋口重兼にございます」


「子は」


重兼は一度だけためらった。

それから答えた。


「新吉郎にございます」


「家は」


その問いに、老いた男の喉がわずかに詰まった。

ややあって、絞るように言う。


「……島にございます」


惟種の前に置かれた筆が、ほんのわずかに止まった。

(この者たちは京の辺りで、職人を探しているときに出会ったと有る…。島…もしや…)


宗運はそれに気づいたが、何も言わない。


「…申せ」


重兼は、額が畳に着くほど深く頭を下げた。


「恐れながら。幼名は新吉郎にございます。元服ののちは、清興と名乗るはずの子にございます」


惟種は黙したまま、男を見た。

島清興しま きよおき「三成に過ぎたるものが二つあり、島左近と佐和山の城」のちに島左近の名で知られることになる、名であった。


続きを促され、重兼はなおも伏したまま口を開く。


「わしと、この子の父は……もと江北にて、京極家中の島筋に連なる者にございました」


惟種の指先が、かすかに動いた。


「されど家中乱れ、浅井の勢い募ってのちは、父もついに討たれ……残されたのは、わしとこの子のみ。のちに託され、連れ立って落ち延びてまいりましたが、もはやこれまでと思うた折、寿禎殿にお目にかかったのでございます」


惟種は顔には出さなかった。


だが、

(嘘だろ……あれ本当だったんだ……いや、絶対脚色だと思ってた……)


胸の内に、そんな言葉がかすめる。


もっとも、そう結びつけたところで、ただちに真とも限らぬ。

こうした話は、あとからいくらでも膨らむ。

京極に連なる遺児など、いかにも人の口が好みそうな筋立てでもあった。


だが、島の名。

幼子の年頃。

そして、ここまで零れ落ちるようにして、自分の前へ来たということ。


気にかかるには、十分であった。


「伏してお願い申し上げまする」


重兼は額を畳へ擦りつけた。


「何卒、何卒お側にお置きくだされ。この樋口重兼、新吉郎ともども、身を粉にしてお仕え申し上げます」


その声が落ちるより早く、幼子もまた、老人をかばうように半歩だけ前へ出た。

そして小さな手をついて、黙って頭を下げた。


惟種はその子を見る。


痩せてはいる。

旅の疲れも濃い。

それでも、目が死んでいない。


ただ怯えているだけの子ではなかった。

老人が伏せれば、自分も伏す。

しかも、ただ倣うのでなく、前へ出て庇うようにそうする。


その身に何が流れているにせよ、まず見どころはある。


「宗運」


「は」


「その子は、ひとまず近くへ。重兼殿には、当面、身の回りを見てもらう」


驚いたように宗運が惟種を見る。


「よろしいので」


宗運としては、身元の定かでない者を置くことには躊躇いがあった。

だが、若君の仰せとあればと、草の者を近くに配し、何かあった際に備えることとした。


「今すぐ何かをさせるわけではない。だが、土に埋もれさせるには惜しい」


宗運は静かに頷いた。驚いたことを言い出すのは今に始まっていない。

若君が言うのだから、何かしら有るのだろう。


「承知致しました」


重兼が、はっと顔を上げた。

驚きと、信じ切れぬような色とが、一度に浮かぶ。


「か、かたじけのうございます……!」


惟種は平らかに答えた。


「まだ何者とも知れぬ。ゆえに、近くへ置いて見る。それだけのこと」


京極に連なるという話も、どこまで真か知れたものではない。

島の名とて、今はまだ、拾い上げるための糸に過ぎぬ。


ならば、手元に置いて見ればよい。

違うなら、そのときはそのときだ。

だが、もし本当に何かを宿しているのなら、ここで土に埋もれさせるには惜しい。


惟種はあらためて、新吉郎を見た。


幼子はまだ伏したまま、顔を上げない。

それでも、その痩せた背には、妙に折れぬものがあった。

     *


 帳付けが終わる頃には、日もだいぶ西へ傾いていた。


 帳面には名が増えた。

 木地師、塗師、絵付けの職人は、それぞれの作業場へ振り分けられた。

 手に職なき者は農や荷役へ回された。

 言葉のある者は文官筋との橋渡しとして印を付けられた。

 そして、その中には、いまはまだ何者とも定まらぬ者も、いくらか混じっている。


 惟種は帳面を閉じた。


 町は、まだ始まったばかりである。

 だが、始まった以上、もうただの仮の置き場では終わらせぬつもりだった。


 ここから、漆器が生まれる。

 木が器になる。

 塗りが重なり、絵が乗る。

 言葉を持つ者が文官と交わり、海へ出る耳と口になる。

 手に職なき者も、田を耕し、荷を運び、やがてこの地の暮らしへ組み込まれていく。


 人を置くとは、そういうことである。


 惟種が立ち上がると、宗運もまた帳面を抱えた。


「若君」


「何だ」


「町に、なりますな」


 宗運の声は低かった。


 惟種は外を見た。

 長屋の間を、もう子らが走っている。

 桶へ水を汲む者がいる。

 木地師は、さっそく材木の置き場を見に行っている。

 塗師は、日と風の当たり方を気にして、長屋の陰を眺めていた。


「なるな」


 惟種は答えた。


「町にしてみせよう」


 それは大きな声ではなかった。

 だが、その静かな一言は、今日つけた帳面のすべてに、ひとまずの置き場を与える言葉でもあった。

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