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火の山の若君は、未来を夢に見る ~阿蘇家嫡流の若君、名臣甲斐宗運と乱世を切り拓く~  作者: アトラス


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第九話 若君、甘味を作る

 台所は、朝から湯気と匂いで満ちていた。


 煮える湯。

 刻まれる菜。

 焼かれる魚。

 味噌の香り。

 焦げた薪の匂い。


 阿蘇惟種は、その中へ足を踏み入れた。


 途端に。


 台所方の女たちと下働きの男たちが、一斉に手を止める。


「若君……?」


 そりゃそうだ。


 病み上がりの五歳児が、供回りを連れて台所へ来たのだ。


 後ろには、高森惟房。

 北里政久。

 光永惟清。

 さらに田代宗傳もいる。


 惟種は、奥にいた年嵩の女を見る。


「そなたが台所預かりか」


 女は慌てて頭を下げた。


「は、はい。志乃にございます」


「志乃。少し台所を借りる」


「お借りに……ございますか」


「うむ」


 惟種は言った。


「甘いものを作る」


「…………」


 志乃が固まった。


「甘いもの、と申されますと」


「飴のようなものだ」


「飴」


「米と麦を使う」


 志乃の顔が、ますます怪しくなる。


「若君。そのようなもので、甘くなるのでございますか」


「なる」


 たぶん。


 とは言わなかった。


 前世で作ったことがあるわけではない。


 知識として知っているだけだ。


 だからこそ。


「まずは少しだけ試す」


「……なるほど」


 そこへ宗傳が口を挟んだ。


「若君の養生に用いる、ということでよろしゅうございますな」


「うむ」


 惟種は頷き。


 少しだけ声を落とした。


「うまくいけば、売る」


 志乃と宗傳の目が変わった。


「売り物に?」


「甘いものは高いだろう」


「それは、もう」


 志乃が即答した。


 甘味は貴重だ。


 誰でも気軽に食えるものではない。


 だから。


 米や麦から甘味を作れるなら。


 価値はある。


「麦はあるな」


「ございます」


「米も」


「はい」


「なら、少し借りる」


 志乃は迷ったが。


 最後には頭を下げた。


「承知いたしました」


    ◇


「まず、芽を出しかけた麦を使う」


「芽麦にございますか」


「うむ」


 惟種は前世の記憶を探る。


 完全ではない。


 だが。


 大まかな仕組みは覚えている。


 麦芽に含まれる力で、米のでんぷんを糖へ変える。


 もちろん。


 そんな説明をしても通じない。


「芽麦を細かくする」


「はい」


「米は柔らかく炊く」


「はい」


「合わせて、温かく保つ」


 志乃が首を傾げた。


「煮立てぬので?」


「煮立てすぎるな」


「難しゅうございますな」


「だから試す」


 志乃が苦笑した。


「若君は、その言葉がお好きでございますな」


「便利だからな」


 失敗しても。


 試しただけ。


 そう言える。


 大事だ。


 光永が横で手順を書いている。


「光永」


「は」


「量も書け」


「量も、にございますか」


「次も同じように作れねば意味がない」


「承知いたしました」


 惟種は北里を見る。


「北里」


「は」


「昨日の麦はどうだった」


「館のものだけなら足ります」


「それだけか」


 北里は少しだけ笑った。


「近在も見て参りました」


「早いな」


「麦を多く作る村が二つ。余りを出せそうな村が一つございました」


「値は」


「今のところ、さほど高くはありませぬ。ただ」


「ただ?」


「これを大量に使うようになれば、上がりましょう」


 惟種は北里を見た。


「分かるのか」


「買う者が増えれば、売る方も気づきます」


「…………」


 その通りだ。


「それと、若君」


「何だ」


「これが売り物になるなら、一度に麦をどのほど使い、どれだけ飴が取れるかも見ておいた方がよろしいかと」


 惟種は少し黙った。


 まただ。


 頼んだことの一歩先を見る。


「光永」


「は」


「今のも書け」


「承知いたしました」


 北里が少しだけ目を丸くした。


「私の言葉まで?」


「大事だからな」


「は」


 惟種は内心で頷く。


(やっぱり、こいつは覚えておこう)


    ◇


 米を炊く。

 芽麦を砕く。

 合わせる。


 待つ。


 というのが。


 ひどく長い。


「まだですか」


 高森が言った。


「わしに聞くな」


「若君がお作りになっているので」


「だからといって早くはならぬ」


「左様で」


「火を強くするなよ」


「何もしておりませぬ」


 高森は護衛である。


 飴作りの手伝いではない。


 だが。


 何となく鍋を見張らされている。


 惟種は少し申し訳なくなった。


 少しだけ。


 やがて。


 志乃が鍋を覗き込む。


「若君」


「どうした」


「汁が変わっております」


 惟種も近づいた。


 少しすくう。


 舐める。


「…………」


 甘い。


 まだ薄い。


 雑味もある。


 だが。


 確かに甘い。


(よし)


「煮詰める」


「今度は火を?」


「今度はよい。焦がすな」


「承知いたしました」


 志乃たちが動く。


 水分が飛ぶ。


 汁にとろみが出る。


 そして。


 志乃が匙ですくった。


「……甘うございます」


 その声で。


 台所の者たちが一斉に鍋を見る。


 北里も少し身を乗り出した。


「本当に麦と米だけで」


「そうだ」


 北里は鍋ではなく。


 その脇に置かれた麦を見る。


「これなら、材料さえ揃えば繰り返せますな」


「うむ」


「では、問題は量と手間ですか」


 惟種は北里を見る。


「そうなる」


「作る者も要ります」


「それもな」


 志乃が匙を差し出した。


「若君も」


「うむ」


 惟種は一口舐めた。


 前世の水飴とは違う。


 だが。


 十分に甘い。


(いける)


 これなら。


 売れる。


 少なくとも。


 試す価値はある。


「志乃」


「はい」


「どう思う」


「甘味としては十分にございます」


「他に使えるか」


「薬に混ぜれば、苦味を和らげられるやもしれませぬ」


「なるほど」


「子どもも喜びましょう」


「それもあるな」


 惟種が考えていなかった使い道だ。


 現場の人間は。


 やはり現場のことを知っている。


「名はどういたします」


 志乃が尋ねた。


「水飴でよい」


「水飴」


「夢では、そう呼んでおった」


 志乃は頷いた。


「承知いたしました」


 惟種は宗傳を見る。


「宗運へ伝えろ」


「どのように」


「若君の養生用の甘味ができた」


「はい」


「それと」


 少し考える。


「門前で売れるかもしれぬ、と」


 宗傳が頷いた。


「承知いたしました」


「まだ大量には作るな」


「試すのでございますな」


「うむ」


 何でも。


 最初は小さく。


 それでいい。


 惟種は鍋を見る。


 そして。


 一つ気づいた。


「志乃」


「はい」


「これを作るのに、台所を使い続けるのは困るな」


 志乃が即座に頷いた。


「正直に申し上げれば」


「困るか」


「はい」


「そうだろうな」


 ここは。


 飯を作るところだ。


 売り物を大量に作るところではない。


「なら、売るほど作るようになったら別に場所を作る」


 宗傳の目が動いた。


「専用の場を?」


「うむ。人も分ける」


「……なるほど」


 試す場所。

 作る場所。

 売る場所。


 同じである必要はない。


 惟種は、そこで少しだけ満足した。


 まだ。


 小さな鍋一つ。


 作れた水飴もわずかだ。


 だが。


 作れることは分かった。


 北里が口を開く。


「若君」


「何だ」


「門前で売るなら、値も見て参りましょうか」


「何と比べる」


「砂糖菓子や飴。ほかの甘いものにございます」


「頼む」


「は」


 惟種は高森を見る。


「高森」


「は」


「食べてよいぞ」


「よろしいので」


「味見だ」


「では」


 高森が少しだけ匙を取った。


「甘いですな」


「それだけか」


「甘いものは甘いとしか」


「……まあ、そうだな」


 惟種は、もう一度鍋を見る。


 水飴。

 小さな甘味。


 まだ国を変えるほどのものではない。


 だが。


 年貢を増やさず。


 誰かから奪わず。


 新しく銭を生むことができるかもしれない。


 それが大事だった。


「まずは少し作る」


「はい」


「評判を見る」


「はい」


「売れれば、次を考える」


 宗傳が頷く。


「宗運様がお聞きになれば、また仕事が増えたと申されそうですな」


「…………」


 惟種は少し考えた。


「わしの仕事も増えておる」


「左様にございますか」


「増えておる」


 少なくとも。


 そういうことにしておきたい。


 甘い匂いが。


 台所の中に広がっていく。


 惟種は。


 ほんの少しだけ笑った。


 田は、まだ実らない。

 市も、まだ変わっていない。


 だが。


 最初の商品は。


 小さな鍋の中で。


 確かに出来上がっていた。


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