第十話 父と宗運、水飴を前に若君を量る
一か月ほどが過ぎた。
惟種の身体は、すっかり戻っていた。
庭を歩き。
時には走り。
高森に止められながら、木刀まで握っている。
それだけなら。
ただの快癒だった。
だが。
門前では、別のものが評判になっていた。
水飴。
若君の養生用として作られた甘味が。
少しずつ売れ始めている。
珍しいからだけではない。
一度買った者が。
また買いに来る。
それが大きかった。
◇
阿蘇惟豊は、小さな器を見ていた。
「これか」
「はい」
向かいには甲斐宗運。
器の中には。
薄い飴色の水飴が入っている。
惟豊は匙ですくった。
舐める。
「……甘いな」
「左様にございます」
「売れるわけだ」
「思った以上に」
惟豊はもう一口舐めた。
「銭は」
「まだ大した額ではございませぬ」
「まだ、か」
「米と麦。薪。作る者の手間。それらを引いても残りまする」
「続くと思うか」
「今のところは」
宗運は即答した。
「一度買った者が、再び求めております」
「珍しさだけではない、と」
「はい」
惟豊は器を置いた。
「ならば増やすか」
「急がぬ方がよろしいかと」
「なぜだ」
「麦にございます」
宗運が答える。
「使う量を増やせば、値も動きまする」
「飴のために麦が高くなれば、笑えぬな」
「左様に」
惟豊は小さく頷いた。
「そこまで惟種は見ておるのか」
「若君付きの北里が、先に気づいております」
「北里?」
「北里政久にございます」
宗運は続けた。
「麦を作る村。余り。値。運ぶ手間まで見ておりまする」
「惟種が命じたのか」
「麦を調べよ、とだけ」
惟豊の眉が少し上がった。
「ほう」
「なかなか使える男かと」
「覚えておこう」
それだけ言って。
惟豊は再び水飴を見る。
◇
「ところで」
惟豊が言った。
「狐が憑いたと申す者までおるそうだな」
「おりまする」
「火の山の神気だとも」
「それも」
「暇なものだ」
宗運の口元が、わずかに動いた。
「若君が熱の後から、妙なことばかりなされますゆえ」
「妙ではある」
惟豊も否定しなかった。
田。
市。
今度は水飴。
五歳の子が口にするには。
妙すぎる。
だが。
「わしは、もうそこを疑うつもりはない」
宗運が目を上げた。
「惟種は惟種だ」
「……はい」
「変わった」
惟豊は静かに言う。
「だが、あれはわしの子だ」
自分の目で見た。
話した。
だから。
そこを何度も疑う気はなかった。
「ただし」
惟豊の声が少し低くなる。
「噂は別だ」
「はい」
「神の知恵だなどと騒ぐ者が出れば、利用する者も出る」
「夢の話は広げませぬ」
「そうせよ」
惟豊は宗運を見る。
「おぬしはどうだ」
「何がでございます」
「まだ、惟種の夢を疑っておるか」
宗運は少し考えた。
「夢の真偽は、もはやさほど重要ではございませぬ」
「ほう」
「田なら、田が答えまする」
「うむ」
「市なら、市が」
「では、この飴は」
宗運は器を見る。
「売れております」
惟豊が笑った。
「分かりやすいな」
「はい」
「なら惟種を信じるか」
「いいえ」
「まだか」
「若君のお考えを、何でも信じるつもりはございませぬ」
宗運は淡々と言った。
「一つずつ試し」
「うむ」
「結果を見まする」
「駄目なら」
「止めます」
「よい」
惟豊は満足そうに頷いた。
それでいい。
惟種が言っていたな。
何でも従う家臣など。
むしろ怖いと。
◇
惟豊は器の水飴を見つめた。
田は。
まだ結果が出ていない。
市も。
これからだ。
だが。
水飴は違う。
作った。
売った。
銭になった。
小さい。
だが。
結果が出た。
「宗運」
「は」
「惟種を呼べ」
「水飴のことで?」
「うむ」
惟豊は少し考えた。
「この先、どこまでやるつもりなのか聞く」
「工房を作りたい、と申すやもしれませぬ」
「もう申しておるのか」
「台所とは分けたい、と」
「…………」
惟豊は額を押さえた。
「早いな」
「若君にございますゆえ」
「どういう意味だ」
「私にも分かりませぬ」
惟豊は宗運を見る。
宗運は真顔だった。
「まあよい」
惟豊は息を吐く。
「今度は止めるためではない」
「はい」
「どこまで任せてよいか」
そのために。
聞く。
惟種が何を考えているのか。
どこまで先を見ているのか。
「呼べ」
「承知いたしました」
宗運が立ち上がった。
襖へ向かう。
惟豊は最後の一匙を口へ運んだ。
甘い。
実に甘い。
そして。
その甘味は。
五歳の息子を見る父と。
若君を量る家臣の目を。
少しだけ変え始めていた。




