第八十八話 来たる者ども
天文十七年(一五四八年)八月。
夏の熱はなお山肌に重く、館へ上がってくる風も、涼しさより土と草の匂いを強く含んでいた。戦の匂いがすべて消えたわけではない。だが、その匂いに混じって、近ごろは別のものも増えつつあった。
木を削る匂い。鉄を打つ匂い。縄を綯う手の匂い。
国が広がるというのは、兵と米だけでは足りぬということである。人が要る。技が要る。根を下ろす場所が要る。
その日、神屋寿禎より文が届いた。
惟豊、宗運、惟種の三人が座す場で、宗運がその文を開いた。
「神屋寿禎殿よりにございます」
惟豊が低く言う。
「読め」
「は」
宗運は文へ目を落とした。
「以前より若君の仰せにて探しておった、さとうきびの苗木と現物、ひとまず手に入り申したとのこと。また、流民ならびに職人を連れ、阿蘇の地へ参りたき由にございます」
惟豊は黙って聞いていた。
惟種は、その一言で十分であった。探しておれと言ったものが見つかり、人も連れて来られるというなら、迷う理由はない。
「受けます」
惟種はすぐに言った。
宗運がわずかに目を向ける。
「二つ返事にございますな」
「二つ返事でよい話です」
惟種は答えた。
「物だけなら後からでも買えます。だが人は、来る気のある時に受けねば、二度と来ませぬ」
惟豊が低く頷く。
「よい」
それだけで、家としての裁可は済んだ。
「受け入れよ。道中で困ること無きようにし、着いたなら置き場もすぐ分かるようにしておけ」
「は」
宗運が答える。
惟種はさらに言った。
「職人どもの町にする地は、もうおおよそ定めてあります。長屋も先に建てさせておきましょう」
惟豊は、そこで初めてはっきり惟種を見た。
「そこまで考えてあったか」
「人は着いてから置き場を探されるのを嫌います」
惟種は平らに答えた。
「流れて来た者なら、なおさらです。まず眠る場所と、食う場所と、明日何をすればよいかが見えねば、根づきませぬ」
「うむ」
惟豊は重く頷いた。
「ならば急げ」
*
それから数日のうちに、阿蘇の地へその者どもは実際に現れた。
館の外れ、人を受け入れるためにあらかじめ整理させていた場所へ、列を成して入ってくる。先頭には神屋寿禎、その後ろに、荷を負う者、子を抱く者、道具を抱え込む者、ただ身一つで歩いて来た者らが続いていた。
惟種は惟豊、宗運とともに、その様子を見ていた。
人数は、最初に思っていたより多かった。
ただ多いだけではない。姿が揃っておらぬ。
衣の形も、布の色も、履き物もまちまちである。土地を追われた百姓らしい者もいれば、どこか海の向こうの匂いを残した格好の者もいる。髪の結い方の違う者、言葉を掛けられてもすぐには返せぬ者、荷だけは頑として手放さぬ者。中にはやせ細り、歩く足取りすらおぼつかぬ者もいた。
戦に敗れて落ちて来た軍勢とは違う。
村ごと移ってきた者どもとも違う。
それぞれが別の流れに押され、ようようここまで辿り着いた者らであった。
惟豊が低く言った。
「多いな」
「はい」
宗運が応じる。
「寿禎殿も、まとめられるだけまとめて連れて来たのでございましょう」
神屋寿禎がこちらへ歩み寄り、深く頭を下げた。
「お約束の者どもにございます。流民、職人、その家族もいくらか。道中、振り落とさずに済みました」
「よう連れて来た」
惟豊が言う。
言葉は短い。だが、それで十分重かった。
寿禎は頭を上げると、わずかに息を吐いた。
「ここまで来れば、ひとまず半分は済みました」
「半分か」
惟種が問う。
「はい」
寿禎は答えた。
「連れて来るのが半分。根づかせるのが半分にございます」
その通りであった。
人は荷ではない。降ろせば終わりではない。
どこに寝かせ、何を食わせ、どの手に何を持たせるか――そこまで行って初めて、来た意味が生まれる。
惟種は、列をなす者どもを見ながら言った。
「長屋へ入れよう」
宗運が頷く。
「すでに手配は済んでおります」
惟種が事前に進めていた地は、館から少し離れた、しかし完全に外れでもない場所であった。水場にそう遠くなく、材木や鉄の運び込みにも不便ではない。いずれ職人の町として膨らませるつもりで、最初から多少の余地を残してある。
そこへ、先に建てさせておいた長屋が並んでいた。
立派な家ではない。
だが、雨露をしのげる。寝る場所がある。鍋を掛ける場所もある。隣に同じような者らがおる。流れて来た者にとって、まず要るのはそれであった。
惟種は、その長屋へ人が入っていく様を見ていた。
子を抱いた女が、ようやく肩の力を抜く。
荷を抱えた男が、床板の上に道具を置いてはじめて息をつく。
痩せた老人が、壁にもたれて目を閉じる。
何も持たぬように見えた若い男の腰にも、小刀や小さな鑿が差してある。
手は、持っている。
まだ使いどころが定まっておらぬだけだ。
「まずは、ここへ入れて落ち着かせる」
惟種が言う。
「その上で、誰が何を出来るか、一つずつ見ていけばよい」
宗運が応じた。
「鍛冶、木工、縄、布、船手伝い、荷役、通詞めいたことの出来る者もおるとか」
「適材適所に置けばよいのです」
惟種は答えた。
「いまは無理に急がせずともよい。だが、何もさせぬまま飯だけ食わせれば、人はかえって落まする」
惟豊もまた、その言葉に頷いた。
「働ける者には働きの場を。働けぬ者には、働けるようになるまでの間を与えよ」
「は」
「ただし」
惟豊の声が少し低くなる。
「阿蘇へ来た以上、阿蘇のやり方は覚えさせねばならぬ」
「そのように致します」
宗運が答えた。
これで、入口はひとまず整った。
あとはこの町で、誰をどこへ置くかである。
鍛冶として打たせる者。
木を扱わせる者。
縄や布、荷役へ回す者。
言葉を拾わせる者。
いずれは船の手へ繋ぐ者。
町としてどう育てるかは、これからであった。
*
人の受け入れがひと段落したのち、神屋寿禎はあらためて別の荷を差し出した。
「これが、例のものにございます」
そう言って見せたのは、さとうきびの苗木と、現物として持ってきた幾本かの草であった。
惟種はそれを手に取るように見た。
前世の記憶にある姿と、大きく違わぬ。
まだこれだけで金を生むわけではない。
土に合うか、どれほど増やせるか、甘味がどう出るか、試すことはいくらでもある。だが、物が来たというだけで大きかった。
「手に入りましたな」
宗運が言う。
「うむ」
惟種は答えた。
「これで始められる」
惟豊が寿禎へ問う。
「値は」
寿禎は、少しだけ商人の顔になった。
「やはり安くはございませぬ」
「であろうな」
「職人および流民、苗と現物、道中の手間、間に入った者どもへの口利き、それら合わせれば、なかなかの額にございます」
宗運は金子の勘定を頭の内で一度転がし、それから惟豊へ目を向けた。
惟豊はまるで躊躇わなかった。
「払え」
それだけであった。
「問題はございませぬ」
宗運が答える。
阿蘇は、もう払えぬ家ではない。
高額ではある。だが、高いからこそ手に入る入口もある。今の阿蘇にとって、それは惜しむところではなかった。
惟種もまた、そこで何も異を唱えなかった。
高い。だが、後で振り返れば安かったと言えるものにせねばならぬ。それだけである。
「よい買い物になった」
惟種は言った。
「そうせねばならぬ、でしょうな」
寿禎が笑うでもなく答えた。
*
勘定が済み、人も長屋へ収まり、ひとまず受け入れの形がついたところで、座の空気は少しだけ緩んだ。
寿禎もようやく肩の力を抜いたらしく、水を一口含んでから言った。
「しかし、阿蘇は変わりましたな」
「何がだ」
惟豊が問う。
「ここまでの人数を、来る前から置き場まで決めて待っておる家は、そうそうございませぬ」
宗運が淡く言った。
「着いてから慌てては遅いだけにございます」
「まことに」
寿禎は頷いた。
「博多でも、口では受けると言いながら、いざ連れて来れば置き場も仕事も決まっておらず、結局また散らしてしまう家はいくらでもございます」
惟種は答えた。
「散らせば、二度と来ぬ」
「はい」
「ならば最初から、散らさぬように受けるしかあるまい」
寿禎は、その言葉に一つ深く頷いた。
それから、ほんの少し世間話が続いた。
道中の暑さ。
途中で見た港の空気。
どこの市では塩が高いだの、どこの船頭は相変わらず口が軽いだの、そうした話である。
だが神屋寿禎のような商人の世間話は、ただの暇潰しではない。
土地の匂いを運び、人の心の揺れを混ぜ、どこで何が起こりそうかを、さりげなく座へ置くための言葉でもあった。
惟種は、それを聞きながら思った。
この男は、人と物だけを運んで来たのではない。
海と町と諸家の空気もまた、運んで来たのだと。
「神屋殿」
惟種が言う。
「は」
「ついでに、今の世の風向きも聞かせていただきたい」
寿禎は、その一言を待っていたようであった。
「承知致しました」
姿勢を正し、商人の顔から、見聞を運ぶ者の顔へ変わる。
「まず、有馬方にございますが――」
惟豊も、宗運も、そこで座を改めた。
人を受け入れる話は、ひとまず済んだ。
ここから先は、外の話である。
阿蘇の国は、いま確かに大きくなりつつあった。
だからこそ、外の家々もまた、静かなままでいてはくれぬ。
寿禎が口を開く。
夏の熱はまだ衰えぬ。
だが、館へ集まる話の中身は、もはや夏一つの重さではなかった。
次に阿蘇が見るべきは、受け入れた者どもの町か。
それとも、外で少しずつ形を取り始めた敵意か。
いずれにせよ、止まってはおれぬことだけは、もうはっきりしていた。




