表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
火の山の若君は、未来を夢に見る ~阿蘇家嫡流の若君、名臣甲斐宗運と乱世を切り拓く~  作者: アトラス


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

85/112

第八十六話 海より来る眼

海に生きる者は、船を見れば、その家が何をしようとしているかをおおよそ察する。


 帆の張り。

 艪の並び。

 船腹の沈み。

 舳先の高さ。

 そこへ何を載せ、何を捨てたか。


 船とは、そのまま家の考えであった。


 有馬の船に乗っていたのは、現当主ありま 有馬晴純はるずみだった。晴純は、あの船影を見た時、胸の内で一つ、冷たいものが走るのを覚えた。


 有明海の上、河口より少し開けたところに、その船はいた。

 まだ一艘。

 だが、一艘で足りる足りぬの話ではない。もしかしたら、他にあるかもしれない。


 阿蘇の船は形が違う。


 有馬の船でもない。

 松浦の船でもない。

 ただ川船を太らせただけの船でもない。


 晴純は、己が船の舳先に立ったまま、その異様な船を見た。


 従来の関船に似ているようで、似ていない。

 川を上れるよう浅さを残しながら、腹の据わりが違う。海へ出た時の揺れをただ受けるのではなく、どこか起き戻るような、粘るような気配がある。しかも船首には、見慣れぬ筒が一門、低く据えられていた。


 あれか。


 さきほど、水の上に重い音を響かせたものは。


 晴純は、その時の音を思い返した。

 遠くであっても分かった。あれは鉄砲の音ではない。もっと低く、腹へ沈む音であった。しかも撃ったあと、船は割れず、そのまま残っている。


 阿蘇惟種。


 まだ八つの子であるという。

 だが、その若君が河口へ手を入れ、船台を築かせ、今までにない船を作り始めた――その報は、すでに海筋に流れていた。晴純もまた聞いていた。聞いてはいたが、まさかここまで形になっているとは思わなかった。


 肥前の陸を取り、少弐を折り、今度は海か。


 晴純の目が細くなる。


 島原半島を拠とし、肥前・肥後・薩摩を結ぶ海の筋を握るのが有馬の力であった。陸の城だけで有馬は立っているのではない。人も荷も兵も、海を通ってこそ力になる。その海へ、阿蘇が別の理を持ち込もうとしている。


 危うい。


 この若君は、危うい。


 そう思った時には、晴純の腹はもう決まっていた。

 会う。

 見極める。

 そして、必要ならここで折る。


 だが、その“必要なら”の先が、海の上では存外に難しい。


 晴純は自ら船で近づいた。

 礼を失わぬ距離で止める。近づきすぎれば相手の火器が怖い。離れすぎればこちらの言葉が届かぬ。間を測るのは、海の者の仕事である。


 相手もまた、こちらの距離を見ていた。


 その甲板に立つ者らの動きで、晴純はすぐに分かった。

 ただの船頭ではない。

 兵である。

 しかも、立つ位置、目の配り方、持ち場の替わり方が妙に整っている。


 森羅衆。


 阿蘇の手足として働く精鋭、と聞く。

 なるほど、と晴純は思った。あれをそのまま海へ移したか。船の上の者どもはまだ海の熟れを持っておらぬ。だが、命の受け方だけはすでに仕込まれている。これが続けば、やがて海でも面倒な衆になる。


 そして甲板の中央に、小さな影が一つある。


 あれが惟種か。


 年端もいかぬ。

 だが、立ち姿が嫌に静かであった。大人のように威を作るのでもなく、子どものように珍しがるのでもない。こちらを見ている。見て、こちらがどこまで寄るつもりか、どこで止まるつもりかを、もう量っているように見えた。


 晴純は、そこで初めて、胸の奥に立つ不快の正体を知った。


 この若君は、船を一艘作ったのではない。

 海へ手を伸ばす理を、もう持っている。


 その理が育てば、有馬の海は必ず脅かされる。


 船と船とのあいだで、礼が交わされた。

 晴純は、こちらから小舟へ移ることはしなかった。相手の船に足を置けば、見たくもないものまで見せられる。近づけさせぬということは、それだけで相手の腹である。ならばこちらも、船間を置いたまま言葉を交わせばよい。


「阿蘇の若君か」


 晴純が声を張ると、向こうの甲板の小さな影が一つ進んだ。


「有馬殿」


 返ってくる声は、驚くほど落ち着いていた。


 八つの子の声ではある。

 だが、八つの子の返しではない。


 晴純は、まず飾りを置かなかった。


「何を作った」


 海の上で回りくどい言葉は要らぬ。

 祝いだの見事だの、そのようなことはどうでもよかった。


 向こうも、そこを嫌がらなかった。


「新しい船にございます」


「見れば分かる」


 晴純は言う。


「何をなすつもりだ」


 しばし間があった。


 この年で言葉を選んでいるのか、と晴純は思った。

 いや、選んでいるのではない。どこまでを表へ出し、どこから先を伏せるかを、すでに決めているのである。


「まずは、河口と取った地を治めるためにございます」


「治める」


「米を運び、人を運び、兵を運び、海より火が来るなら防ぐ。そのためにございます」


 晴純は、そこで鼻で笑いそうになった。

 もっともらしい。

 だがそれで終わるはずがない。


「有馬を防ぐためか」


 その問いへ、向こうは逃げなかった。


「有馬を呑むために作ったのではありませぬ」


 まず、そう言う。


 それから一拍置いて、続けた。


「されど、海より火を持ち込まれるなら、それを防ぐためには使いましょう」


 晴純の目が、そこで少しだけ細くなる。


 誤魔化さぬ。

 へりくだりもしない。

 しかも、こちらを立てるでも、脅すでもなく、ただ理のように置いてくる。


 面倒な若君だ。


 晴純は思った。

 この年で、こういう物言いをするのが何より始末に悪い。大人なら野心が顔に出る。若いだけなら怯えが出る。だがこれは、そのどちらでもない。


「海を甘く見てはおらぬようだな」


「甘く見れば、死にますれば」


 すぐ返る。


 晴純は、相手の船腹をもう一度見た。

 大筒の位置。

 甲板の広さ。

 森羅衆の間の取り方。

 すべてが、まだ粗い。だが粗いなりに、考えがある。


 これが一艘、二艘ならまだ脅威ではない。

 だが、これを十艘、二十艘と並べられたらどうなる。さらに小早を何十も付けられたら。有明の内を阿蘇の兵糧路と兵船路に変えられたら。有馬の海は、もう“従来通り”では済まぬ。


 晴純の胸の内に、一瞬だけ、冷たい考えがよぎった。


 ここで殺すか。


 若君一人を。

 この船ごと沈めるか。

 そうすれば、芽のうちに折れる。


 その算段は、一瞬で立つ。

 こちらの船を寄せ、小舟を散らし、一気に取りつく。海の上で年端もいかぬ若君を亡き者にするだけなら、不可能ではない。


 だが、不可能ではないことと、やるべきこととは違う。


 晴純は、供回りの数を数えた。

 今回連れてきたのは、会うための手勢である。礼を保ちつつ、いざとなれば引けるだけの人数。斬り込み、討ち切り、そのうえ無事に引き上げるための数ではない。


 しかも相手の船には、あの森羅衆がいる。

 見たところ、海にはまだ慣れぬ。だが、船上での殺し合いなら、慣れぬから脆いとも限らぬ。甲板の狭さでは、むしろ陸の殺しに慣れた者の方が怖い。


 失敗すればどうなる。


 有馬が阿蘇の若君を、祝いも礼もなく海上で討とうとした。

 しかも討ち漏らした。

 その報は、海を伝って一日で広がる。阿蘇と有馬のあいだに、もう引き返せぬ火が立つ。


 いま、その火を立てるべきか。


 晴純は、一瞬でそこまで考え、次の瞬間には切った。


 まだ早い。


 いまはまだ、刃を抜く理が薄い。

 薄い理で人を殺せば、あとで自分の首を絞める。


 ゆえに晴純は、その考えを面へ一切出さなかった。


「若君」


 とだけ呼ぶ。


「海は陸より覚えが長い。いったん顔を見せた船は、次から必ず見られる」


 向こうは静かに聞いている。


「その船が、河口を治めるための船で終わるか。それとも、もっと遠くまで来る船になるか。こちらも見ておる」


 若君は答えた。


「見ていてくださればよろしい」


 それだけであった。


 晴純は、その返しに、かえって薄い寒気を覚えた。

 子どもの虚勢ではない。本当に、見られて構わぬと思っている顔である。見られたうえで、なお先へ出るつもりなのだ。


 ここでそれ以上は問わなかった。

 問うほど、相手にこちらの危機感を見せることになる。


 晴純は礼を取り、船を返すことにした。

 来た時と同じく、整った形で引く。海の者は、退く時の形を崩してはならぬ。


 船が向きを変えた時、晴純はもう一度だけ振り返った。


 惟種船は、その場に静かに浮いている。

 まだ一艘。

 まだ粗い。

 だが、あれを一艘のままで終わらせぬ顔を、あの若君はしていた。


 なんだ、こいつは。


 晴純は、胸の内でそう思った。


 少弐を折っただけではない。

 船を作り、河口を変え、海へ手を伸ばし、しかもそれを、まるで当然のように始めている。


 危うい。

 あれを放っておけば、有馬の海筋に必ず影が差す。


 だが今日は、仕方がない。


 晴純は、己の船の舳先へ戻ると、低く言った。


「帰る」


 供の者どもはすぐ動いた。

 誰も余計なことを問わぬ。問わぬのがよい。


 船が沖へ返り始めても、晴純はしばらく後ろを見ていた。

 惟種船は追ってこない。追ってこぬことが、かえって嫌であった。あれはまだ、自分の船と海の理を測っている段であり、今日のところ有馬と刃を交えるつもりがない。つまり、もっと先で本当に来るつもりなのだ。


     *


 惟種もまた、有馬の敵意を感じていた。


 言葉の端ではない。

 もっと生のものだった。


 海の上で晴純がこちらを見る目の中に、一瞬だけあった。

 計る目でも、試す目でもない。殺せるかどうかを量る目である。


 短い、ほんの一拍でしかなかった。

 だが惟種には、それで十分であった。


 いま、あの男は本気でこちらを危ういと思った。

 そして同時に、今日の手勢では足りぬとも思った。


 だから退いた。


 親英が、晴純の船影が遠ざかってからようやく言った。


「敵意がございましたな」


「うむ」


「危ういところでございましたか」


「今すぐ斬りかかるほどではなかった。だが、考えはした」


 親英は、それ以上は聞かなかった。

 若君がそこまで言うなら、それで足りる。


 惟種は河口へ戻るよう命じた。

 惟豊と宗運には、早いうちに伝えねばならぬ。船がひとまず使えることより、むしろ有馬がどこまで脅威を覚えたかの方が、今日の収穫としては大きい。


 館へ戻り、惟豊と宗運の前に座した時、惟種はまず有馬の来訪と、そのやり取りを手短に告げた。惟豊は重く聞き、宗運は細かな言葉の置き方まで確かめた。


「敵意があったか」


 惟豊が問う。


「ございました」


 惟種は答えた。


「今この場で亡き者にすることまで、一瞬は考えたはずです」


 宗運の目がわずかに細くなる。


「されど、手勢が足りぬと見て退いた」


「はい」


 そこで惟種は、一度言葉を切った。


「これから、有馬と諍いが起こるやもしれませぬ。その時 今の船では、まだ足りませぬ」


 惟豊が黙って聞く。

 宗運もまた、口を挟まぬ。


「今日、使えることは分かりました」


 惟種は続ける。


「大筒も、まだ飛距離は足りませぬが、船上で撃てて、船も持ちました。旋回筒も、大鉄砲も、焙烙玉も、近い水では役に立ちましょう」


「うむ」


「されど、有馬を倒すには、これではまだ足りませぬ」


 宗運が、そこで初めて問うた。


「どれほど要ります」


 惟種は、河口で船を見た時から胸の内に組み始めていた算段を、そのまま言葉へ移した。


「まず、主力艦が要ります」


「主力艦」


「今の船を土台に、もっと速く、もっと腰の死なぬ船です。筒を載せても沈まず、荒れた海でも戻る船。関船の速さを残しつつ、もっと芯の通った船です」


 惟豊が静かに聞いている。


「数は」


「十では足りませぬ。十五、いや二十は欲しい」


 宗運の眉がわずかに動く。

 だが驚きはしない。若君が海を見始めた時から、いずれそれくらいは言うと半ば分かっていたからである。


「その脇を固める随伴艦が要ります。今の十三間級を基にした関船を五十」


「五十」


「さらに、小早を二百以上」


 惟豊が初めて短く息を吐いた。


「多いな」


「有馬の海を折るなら、少なくともそれだけは要ります」


 惟種は答えた。


「相手は海筋を知っております。潮も、港も、船頭も、海路も、皆持っている。これを一艘二艘の物好きな新船で脅かすことは出来ても、奪うことは出来ませぬ」


 宗運が、低く言った。


「質だけでも足りぬ、と」


「はい」


「数も要る」


「はい」


 惟種は、そこからさらに続けた。


「主力艦は、今より大きくせねばなりませぬ。十五間、いや二十間近くまで見たい。筒も数門載せる。今の軽大筒だけでは足りませぬ。大友が持つ国崩しほどとまでは申せぬが、それに近いものを、もっと早く揃えねばならぬ」


 惟豊は黙っている。

 若君の目が、もう一艘の試作ではなく、艦隊を見ていると分かったからである。


「和船の足は捨てませぬ」


 惟種は言う。


「されど、今のままでは海で軽すぎます。もっと芯を通す。波へ当たった時、船が起き戻るようにする。筒を積んでも腰が死なぬようにする」


「船底の作りから違えるのだな」


 宗運が問う。


「はい」


 惟種は頷く。


「今やっているのは、入口にございます。有馬を本当に倒す船は、まだ先です」


 座が静まった。


 有馬晴純は危機感を覚えた。

 そして惟種もまた、相手がなぜ危機感を覚えたかを知った。

 今の船は脅威の芽ではある。だが、まだ有馬の海そのものを奪うには足りぬ。


 足りぬからこそ、これから作る。


 惟種は、最後に低く言った。


「有馬は、もうこちらを放ってはおきませぬ」


 惟豊が頷く。


「よかろう。ならば、放っておけぬほどになれ」


 その一言は重かった。


 宗運もまた、静かに続けた。


「急ぐべきは、船の数と、船を扱う衆にございますな」


「はい」


 惟種は答えた。


 汪洋衆。

 まだ名だけで、実は伴っておらぬ。

 だが、森羅衆が陸の理なら、海にもまた同じだけの理が要る。船を増やし、筒を増やし、海の上で三人一組の動きが出来るようになれば、あの名もやがて名ばかりではなくなる。


 六月の末、有明海はなお穏やかである。

 だが、その穏やかさの下で、有馬は阿蘇を敵として見始め、阿蘇は有馬を倒すために何が足りぬかを数え始めた。


 海の争いは、まだ始まっていない。

 しかし理はすでに、静かに刃の形を取り始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

同作者の別連載
『異世界エンゲージ ~毎日のパック開封でカード使いは帰還を目指す~』
こちらも覗いていただけると嬉しいです。

― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ