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火の山の若君は、未来を夢に見る ~阿蘇家嫡流の若君、名臣甲斐宗運と乱世を切り拓く~  作者: アトラス


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第八十四話 名より先に動くもの

 祝いに来る者が、祝いだけを持って来るとは限らぬ。


 ことに大きな家の重臣ともなれば、祝いの言葉は表の衣にすぎぬ。その下には、相手の器量を測る目があり、腹の置きどころを探る耳があり、そして言葉にせぬまま持ち帰るべき答えがある。


 五月も半ばに入った頃、大内より客があった。


 陶隆房すえ たかふさ後の陶晴賢すえ はるたかである。


 名を聞いた時、惟種は廊の上で一度だけ足を止めた。


 大内から誰かが来るであろうことは、もとより読んでいた。少弐を折り、肥前の筋を阿蘇が定めた以上、大内が黙って眺めるだけで済ませるはずもない。大友のように釘を刺しに来るか、あるいはもっと柔らかな顔で近づいて来るか。その違いはあれ、誰かは来る。


 だが、隆房自らであった。


 この男が、わざわざ祝いと礼を持って来る。

 惟種には、それが祝いでも礼でもないことが最初から分かっていた。


 測りに来たのだ。


 阿蘇とはどのような家か。

 どこまで利で動き、どこまで理を通す家か。

 九州の北をいよいよ押さえ始めたこの家が、今後、どこまで伸びるつもりでいるのか。


 そして――


 この阿蘇という家が、もし大内の中で何か大きなことが起きた時、敵になるのか、傍観するのか、それとも手を貸すのか。


 そこまで含めて、あの男は見に来る。


 惟種はその朝、すでに惟豊と宗運と話を済ませていた。


 大内の内は、名目の上ではなお一つである。

 だが実は違う。主を頂いたまま、家中の実を握る側があり、文と礼で国を飾ろうとする側があり、そのあいだに兵と米と銭の流れをどう握るかという争いがある。


 武断と文治。

 言葉にすればそうなる。


 そして、隆房は明らかに前者であった。


 惟豊は、惟種の置いたその見立てを、黙って聞いていた。

 宗運はさらに細かく噛み砕き、隆房の来訪を「祝いを名とした値踏み」と見た。三人のあいだで、此度の座の骨はすでにできている。


 表では、大内を立てる。

 だが、阿蘇が筋を通したいのは大内家そのものではない。隆房という男である。


 座へ入ると、惟豊はすでに上座にあり、宗運が脇に控えていた。惟種もまた、いつもの位置に静かに座した。


 やがて陶隆房が入る。


 思ったよりも、静かな男であった。


 武を誇る者にありがちな荒さがない。むしろ、荒さを持ちながら表へは出さぬ類である。礼を失わず、歩く早さも、腰を下ろす位置も、見事なほどちょうどよい。そして史実通りの美男子だった。だが、目だけが違った。人を見る目ではなく、人の置きどころを見る目であった。


 この男は、目の前の相手を好くか憎むかで見ておらぬ。

 使えるか、使えぬか。

 いずれ立つか、いずれ邪魔になるか。

 そういう見方をする。


 惟種は、内心で小さく息を吐いた。


 やはりそうか、と思った。

 この男は、ただの奉行ではない。いずれ主家を呑むほどの器かどうかはまだ先だとしても、少なくとも、ただ主の下で忠勤だけを積む男ではない。


 祝いの品が並べられ、礼が尽くされ、言葉の往復が始まる。


 隆房はまず、此度の戦勝を祝い、少弐を折った手際を褒めた。

 さらに、これまで阿蘇が大内との文の筋を絶やさず、礼を違えずにいたことへも謝意を述べた。


「日ごろの御厚意、まことに忝く」


 口ぶりは柔らかい。

 だが柔らかいからこそ、惟種にはその奥がよく見えた。


 この男は、いま大内の名で来ている。

 だが、見ているのは大内のためだけではない。


 惟豊が重く受ける。


「礼を尽くすは、互いに家を立てる筋にございます」


「まことに」


 隆房は静かに頷いた。


「とりわけ此度、肥前の筋が定まりましたことは、長門より西を見ておる我らにとっても、悪しきことにはございませぬ」


 言葉は整っている。

 だが惟種には、その“悪しきことにはございませぬ”が、どこか慎重に置かれたものに聞こえた。


 悪くはない。

 だが、よいとまでは言わぬ。


 つまりこの男もまた、阿蘇が強くなりすぎることを、そのまま喜んではいないのである。


 宗運が、穏やかに言葉を継いだ。


「火種は早う消した方が、あとあとのためにございますれば」


「左様」


 隆房は頷く。


「少弐が長く残れば、九州北の筋はなお揺れましょう」


 そこで一度、視線が惟種へ寄った。

 ごく短い。

 だが、若君がどこまでこの座の中身を理解しているか、見ようとしている目であった。


 惟種は、それを受けながら顔色を変えない。


 しばらく祝いと礼のやり取りが続いたのち、隆房はようやく本題へ近いところへ歩み寄った。


「阿蘇殿は、今後も九州の北をよく治められましょう」


 言い方は、あくまで祝意の延長である。


「されど、地は広がれば広がるほど、目の届かぬところも増えましょうな」


 惟豊は即答しなかった。

 相手が何を探っているかを、まず最後まで言わせる。


「海の向こうと、九州の内とは、また別の理にて動くこともございましょう」


 隆房は続けた。


「互いに手を伸ばしすぎれば、かえって面倒も増えまする」


 そこまで来て、ようやく惟豊が口を開いた。


「それは、まことにその通りにございます」


 低く、重い声であった。


「海の向こうと、九州の内とは、たしかに同じではございませぬ」


 隆房の目が少しだけ細くなる。


「阿蘇は九州の家にございます。九州のことは、九州の家で収める方が早い」


 ここで座の空気が、わずかに変わった。


 惟種は父の横顔を見た。

 やはりこう言う。家としての大枠を置く言葉は、惟豊の声でなければ締まらぬ。


「そちらが長門より西、本州筋をお取りまとめになるなら、こちらは北の筋を預かる」


 惟豊は言った。


「互いにその方が、治まりましょう」


 あまりにまっすぐで、かえって礼を失ってはいなかった。


 隆房は、すぐには笑わなかった。

 この家は、そこまでをもう言葉にしてよいと思っている。そう測っている顔であった。


「北の筋、にございますか」


「有馬、大村、松浦、宗、相良……」


 惟豊は一つずつは数えぬ。

 だが、それらを含むことは誰にも分かる言い方であった。


「九州の上半は、阿蘇が預かるのが筋でございましょう」


 隆房は、そこで初めて薄く笑った。


「大きくお取りになる」


「大きくならねば、国は保てませぬ」


 惟豊は答えた。


 そこへ惟種が、静かに補った。


「ただ広げるのではありませぬ。海口も、国衆も、境目も、それぞれ置きどころが要ります」


 隆房の視線が、また惟種へ寄る。


「若君は、そのようにお考えか」


「いかにも」


 惟種は平らに答えた。


「肥前で見えました。勝つだけでは足りませぬ。取った地にすぐ理を入れねば、勝ちそのものが揺らぎます」


 隆房は黙って聞いていた。


 この若君、ただ先を欲するだけではない。

 取った後の置き方まで、すでに腹の内に入れている。

 たぶん、そのように測っている。


 やがて隆房が、少しだけ声を落とした。


「阿蘇殿は、実を重んじられるようだ」


 それは、単なる褒めではない。

 名より実か、と問うているのである。


 惟種は、その意味を聞き取った。


 大内の内には、名を重く見る者がいる。

 主の威、都とのつながり、文化の蓄え、格式。

 一方で隆房は、もっと兵と国と実の方を見ている。


 ゆえに今、この男は阿蘇がどちらの理で動く家かを見ている。


 惟豊は、少しも急がずに答えた。


「名を軽う見るつもりはございませぬ」


 まずそれを置く。


「されど、名だけでは国は持ちませぬ。人を食わせ、兵を働かせ、道を通し、蔵を開く――それをせねば、名もまた立ちませぬ」


「左様」


 隆房は頷いた。


 その頷きは、ただの同意ではない。

 阿蘇は名を否まぬ。だが名より先に動くべきものを知っている。そう受け取った頷きであった。


 座が少し静まったあと、惟種はそこで一歩だけ踏み込んだ。


「隆房殿」


 隆房が目を向ける。


「阿蘇は、大内家というお名前へ取り入るつもりはございませぬ」


 宗運が、その横で気配だけを締めた。

 ここから先が、この座のもう一つの芯だと分かっているからである。


「むしろ」


 惟種は続ける。


「隆房殿というお方に、筋を通したいと存じます」


 座の空気が、静かに変わった。


 露骨ではない。

 だが、意味はあまりにもはっきりしていた。


 大内家そのものではなく、隆房個人。

 家名より、この男を見ている。


 隆房は、即座には笑わなかった。

 ほんの一瞬、こちらを量る目になった。


「それは、また」


 ようやく口元が動く。


「若君、重いことを仰せになる」


「重くなければ、言う意味がございませぬ」


 惟種は答えた。


 ここで大内家中のことを露骨に言うつもりはない。

 武断だの文治だの、そこまでをこの男の前で語るのは早い。だが、自分が見ているのが“大内”ではなく“隆房”だと伝われば、それで十分であった。


「何かの折に、そちらで大事が起こることもございましょう」


 惟種の言葉は、なお平らである。


「そのような折、阿蘇は大内家への義というより、隆房殿との筋を重く見て動くつもりにございます」


 宗運が、そこでようやく柔らかく言葉を添えた。


「無論、今すぐ何かをと申すわけではございませぬ。今後の友誼の筋として、でございます」


 隆房は、その一言を聞きながら、しばらく黙っていた。


 この若君は、どこまで見えている。

 そこが、いま最も知りたいことであろうと惟種は思った。


 実際のところ、惟種は未来の知識によって、この男がいずれ主家を喰うところまで知っている。

 だが、それを顔には出さぬ。出すべきでもない。


 ただ、こちらはあなたという個人と結ぶ。

 そこだけを、静かに置く。


 すると隆房は、ようやく薄く笑った。


「阿蘇殿は、なかなかに面白い家だ」


「隆房殿にそう申していただけるなら、悪くはございませぬ」


 惟種は答えた。


 その返しに、隆房はほんの少しだけ目を細めた。

 面白い、ではなく、厄介だ、と半ば思ったかもしれぬ。


 会談は、そののちも穏やかに続いた。

 礼は尽くされ、酒も薄く交わされ、表向きは何一つ角を立てずに終わる。だが惟種には分かっていた。ここで交わされたのは祝いだけでも、礼だけでもない。互いが互いの器と欲を測り、その上で、将来へ置ける筋を一つ作ったのである。


 隆房が帰ったあと、惟種は宗運とともに庭を歩いた。


 風はあたたかい。

 だが、座の中で感じたものは少しもやわらかくなかった。


「どう見ました」


 宗運が低く問う。


「やる男だ」


 惟種はすぐに答えた。


「大内の名で来たが、大内の名だけでは終わらぬ」


「はい」


「こちらを測りにも来た。だが、向こうもまた見られたことを知っておる」


 宗運は頷いた。


「若君のあの一言、隆房殿は忘れますまい」


「忘れぬでよい」


 惟種は言う。


「いずれ、向こうから助けを求められる形が要る」


「その時は」


「大内ではなく、隆房の筋で動く」


 それがすべてであった。


 厳島で負ける。

 惟種はそれを知っている。

 そして、敗れたそののちに「盟友隆房の遺した筋を継ぐ」と言えば、阿蘇は大内へ入る大義を得る。


 もちろん、今の時点でその先まで語る必要はない。

 むしろ語らぬ方がよい。

 置くべき石だけを置き、あとは相手に考えさせる。


 隆房は帰りの道で、たぶんこう思うであろう。

 阿蘇は、大内家より自分と結びたいらしい。

 それは何ゆえか。

 どこまで見ているのか。

 この若君は、名より先に動くものを見すぎているのではないか、と。


 それで十分だ、と惟種は思った。


 いま要るのは、確かな約ではない。

 将来、向こうがこちらを思い出す筋である。


 庭の緑は、日ごとに濃くなっていく。

 肥前はまだ固める途中であり、筑後もまた同じである。だが、その地を固めながら、惟種の目はすでに九州の北と、そのさらに向こうへ向いていた。


 大友には釘を返した。

 大内には筋を置いた。


 どちらもすぐに実るものではない。

 だが国を押し広げるとは、結局そういうことであった。戦の勝ちを、そのまま次の理へ繋ぐ。そのために言葉もまた、槍と同じく先へ差し出しておくべきものだった。


 惟種は、遠くを見た。


 九州の上半を阿蘇の傘の下へ。

 その先に、中国、四国。

 そしてその途中で、いずれ大内の乱れにも手を差し入れる。


 まだ五月である。

 だが、その五月の座で、惟種はまた一つ、海の向こうへ届くための細い糸を結んでいた。


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