第八十三話 釘と棘
人が誰を伴って来るかは、時として、その口で言うことより多くを語る。
大友から使者が来る――その報せ自体は、惟種にとって意外ではなかった。少弐を滅ぼし、肥前の筋を阿蘇が定めた以上、黙って見ておる方が不自然である。来るなら、何かを言いに来る。言うとすれば、これ以上余計なことはするな、であろう。そこまでは読めていた。
だが、名を聞いた時、惟種はわずかに目を細めた。
大友義鑑。
そして入田親誠。
臼杵鑑続ではなかった。
その一点で、惟種には十分であった。
館の廊を歩きながら、彼はごく小さく息を吐いた。
以前、惟豊と宗運には、「大友家中、いずれ継ぎのことでもめるやもしれぬ」とだけ置いてあった。断じたのではない。そうなるかもしれない、と、まだ薄い霧のような形で話しておいたにすぎぬ。だが今、義鑑が自ら出て、しかも脇に入田を伴っている。その組み合わせは、霧が霧でなくなりつつあることを示していた。
家の中をいじる時、人は外へ向かう顔をひどく気にする。
外へ向かう顔を強く見せねば、内が揺らぐからだ。
もし大友の内がいま平らなら、阿蘇への釘は臼杵鑑続あたりに託して足りた。わざわざ義鑑が来る必要はない。しかも、伴うのが入田親誠である。あれはただの添えではない、と惟種は思った。武で見せるためではなく、むしろ「大友の家の中は今なお一つである」と示すための並びであった。
つまり、示さねばならぬほど、内ではもう動いている。
惟種は、その確信を胸の奥へ静かにしまった。
座へ入った時、惟豊はすでに上座にあり、宗運が脇に控えていた。惟種もまた、いつもの位置へ静かに座す。
しばらくして、大友義鑑が入ってきた。
歳を重ねた者にしか持てぬ重さがあった。
だが、その重さの底には疲れもあった。疲れを見せぬために、なおさら姿勢を崩さぬ者の硬さである。脇に従う入田親誠は、主のわずかな乱れまで拾って塞ぐためにいるように見えた。
礼は尽くされた。
言葉も崩れぬ。
だが、場に流れるものは最初から柔らかくはなかった。
義鑑が先に口を開く。
「此度のこと、まことに早かったな」
声は平らである。
褒めているのではない。あまりに早く肥前を呑み込んだ阿蘇に対する、抑えた不快がそのまま乗っていた。
惟豊は動じなかった。
「戦は、機を違えれば長引きますれば」
「そうであろう」
義鑑は頷く。
「少弐を残しておけば、また余計な火が立ったやもしれぬ。そなたらがそれを嫌う理も分かる」
そこまで言って、わずかに声を低くした。
「だが、肥前で満ちることもまた、武門の知恵ではないか」
来た、と惟種は思った。
これ以上伸びるな。
ここで止まれ。
言葉を選び、礼を崩さず、それでも本心だけは隠し切らずに差し出してきている。
惟豊はすぐには返さず、ほんの一拍だけ置いた。
「阿蘇も、大友と争いたいわけではありませぬ」
まずそこを言う。
これが惟豊の巧さであった。正面からはね返さぬ。相手の立てた面を、まず一度は受ける。
「こちらより大友家へ事を構えるつもりもございませぬ」
義鑑の目が、ほんの少しだけ細くなる。
その言い方では、肥前の国衆や海口の諸家との筋まで、自ら縛ったことにはならぬ。
宗運が、そこへ静かに入った。
「されど、もし向こうより境を越えて兵が入り、村を焼き、人を害するようなことがあれば、こちらも黙ってはおられませぬ」
平らな声であった。
しかし平らであるぶんだけ、そこに理が立った。
「その折は、事を収めるためにも、相応の償いを求めるほかございませぬな」
入田親誠の目がわずかに動いた。
そこまで言うか、と思ったのであろう。
義鑑は、すぐには答えなかった。
ここで「そのようなことはせぬ」と強く出れば、逆に約を置くことになる。
「償いなど知らぬ」と切れば、今度は阿蘇に“向こうから攻めてくるつもりでいる”と取る理を与える。
ゆえに、返すべき言葉は限られていた。
「そのようなことにならぬよう、互いに慎むのがよかろう」
濁した。
だが、濁すよりほかなかった。
惟種は、それで十分だと思った。
要るのは明文ではない。向こうから来たなら、それは“慎まなかった”側である、とこちらが後で言える形だけでよい。
「まことに」
惟豊が頷く。
「そのためにも、よしなに参りたいものにございます」
ここまでは、まだ表の言葉であった。
義鑑もまた、同じ面で頷く。
「こちらも、いたずらに阿蘇と事を構えたいわけではない」
それは本心でもあったろう。
今の大友に、北へ大きく兵を振るう余裕はない。惟種はそう見ていたし、義鑑の顔つきもまた、それを裏づけていた。
そこで惟種は、初めて口を開いた。
「大友殿」
まだ幼い声である。
だが幼いからといって軽くは聞こえぬ声だった。
義鑑が目を向ける。
「ご家中にも、近ごろはいろいろと骨の折れることがおありとか」
場の空気が、ほんのわずかに変わった。
宗運は何も言わない。
惟豊も、止めない。
惟種がここで何を置こうとしているか、もう分かっているからであった。
義鑑の顔色は変わらぬ。
だが、変わらぬこと自体が、惟種には答えであった。
「ご子息方のこともございましょう。家の中を定める折は、外が静かな方がよろしゅうございましょうな」
惟種は続ける。
「阿蘇にできることがあれば、お力添えも致しますが」
入田親誠が、そこで初めて露骨に惟種を見た。
何を知っている。
その問いが顔に出ていた。
惟種は、それを見ていた。見ていたが、見ぬ顔でさらに言った。
「それはそれとして」
あえて、話を切るように置く。
「戸次鑑連殿、吉弘鑑理殿――いずれも名高き御家人にございますな」
今度は義鑑の目がわずかに止まった。
「私も、いつかお目にかかってみとうございます。はは」
笑った。
軽い笑みである。
子どもの無邪気さに見えぬこともない。だが、無邪気にしては、名の置き方があまりに出来すぎていた。
なぜ、その二人だ。
義鑑の胸の内に立ったのは、たぶんその一言であろうと惟種は思った。
戸次鑑連。吉弘鑑理。家中でも軽くはない名だ。しかも先ほどまで、ご家中の骨の折れること、と言っていた流れである。
偶然に聞こえぬ。
義鑑は、しばし惟種を見ていた。
それからようやく、薄く笑った。
「若君は、人の名をようご存じだ」
「名高き方々は、耳に入りますれば」
惟種は素直な顔で答えた。
嘘ではない。
前世の知識を抜きにしても、耳に入る名ではある。ましてや惟種の胸の奥には、本当に会ってみたいという気持ちもあった。だから、なおさら嘘臭くない。
それがこの一言のよいところだ、と惟種は思った。
義鑑はそれ以上、そこへ踏み込まなかった。
踏み込めば、自分から痛いところへ手をかけることになる。
代わりに、入田親誠が口を挟んだ。
「若君は、よう世の先までお考えに見える」
探るような声音であった。
惟種は、少しだけ首をかしげた。
「考えねば、家は持ちませぬ」
それだけ返した。
入田は黙った。
義鑑もまた、その先を追わなかった。
会談は、それで大きくは荒れずに終わった。
表向きは、互いにこれ以上の無用な争いを望まぬことを確かめ合い、今後ともよしなに、と結んだのである。礼は崩れず、杯も濁らず、座は最後まで武家の座の形を失わなかった。
だが惟種には分かっていた。
向こうは釘を刺しに来た。
そして帰る時には、その釘の先へ、こちらから小さな棘を一つ返している。
それで十分であった。
*
義鑑らが帰ったのち、惟種は宗運とともに廊を歩いていた。
風はもう初夏のものである。
庭の緑も濃くなり始め、遠くで人足の声が響いている。館の外では、肥前の再編も、筑後の安定化も、止まらずに進んでいた。
「若君」
宗運が低く言った。
「ようございましょうか」
「何がだ」
「最後のひと刺しにございます」
惟種は、少しだけ笑った。
「刺さるなら刺さればよい」
「刺さらねば」
「それでもよい」
惟種は答えた。
「こちらから手を入れたわけではない。向こうが勝手に痛がるなら、それは向こうの腹に棘があるからだ」
宗運も、そこでわずかに口元を緩めた。
「たしかに」
惟種は、しばらく黙って歩いた。
戸次鑑連。
吉弘鑑理。
本当に会ってみたいというのは、嘘ではなかった。ああいう者らが今の大友にどう仕えているのか、惟種には純粋な興味もあった。
だがそれと同じだけ、もし義鑑があの名で胸の内を乱すなら、それもまた悪くないと考えていた。
すぐに何かが起こるわけではない。
そんなに都合よく事が運ぶものでもない。
けれど、大きな家はしばしば、外から打たれる前に、内で疑いを育てる。
その疑いが芽吹くかどうかまでは、今の惟種にも分からぬ。
分からぬが、置ける石は置いておく。
それでよい。
「御屋形様も、あれで少しは向こうが慎むと見ておられました」
宗運が言う。
「うむ」
「大友も、いまはうかつに動けますまい」
惟種は頷いた。
義鑑が自ら来たこと。
しかも入田親誠を伴って来たこと。
その並び自体が、もう十分に語っていた。
家の内を定めようとしている。
だから外へは大きく動けぬ。
動けぬからこそ、言葉で抑えに来た。
それが分かった以上、こちらが今するべきは、大友を追い詰めることではなく、肥前をさらに固めることだった。
惟種は庭の向こうを見た。
北の筋は、まだ全部こちらのものではない。
だが、もう遠くもない。
そして遠くのように見える家の乱れも、たいていは最初、小さな違和から始まる。
義鑑の帰り際の顔を、惟種は思い返した。
笑ってはいた。だが、あの笑いの底には、座へ来た時よりも深い影がひとつ増えていた。
それで十分だ、と惟種は思った。
今はまだ、それでよい。
大きな家を崩すのは、大きな槍だけではない。
時には、何気なく置かれた一言の方が、長く胸の内に残ることもあるのだから。
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