表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
火の山の若君は、未来を夢に見る ~阿蘇家嫡流の若君、名臣甲斐宗運と乱世を切り拓く~  作者: アトラス


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

80/112

第八十一話 勝ちのあとの形

 戦に勝つことと、国を治めることは同じではない。


 討ち破るだけなら、一夜で足りることもある。

 だが、討ち破ったあとに残る人と地を、崩れぬ形へ組み替えるには、一夜では足りぬ。勝った家ほど、そこを違えてはならなかった。


 鍋島清房が死んだ翌日、阿蘇の評定は開かれた。


 座は重かった。

 少弐は滅びた。肥前の筋は、ここでひとまず定まった。だが、だからこそ次の置き方を違えれば、勝ちはそのまま次の火種へ変わる。


 上座に惟豊。

 その少し下に惟種。

 宗運が控え、北里政久、田代宗傳、龍造寺家宗、鍋島信房、石井兼清、小河信安らが列した。


 清房の座は、もう空いていた。


 惟豊はその空きを一度だけ見、それから低く言った。


「始める」


 それだけで、座は十分に締まった。


 最初に口を開いたのは宗運である。


「少弐残党は、おおむね槍を収めました」


 声はいつも通り平らであった。


「神代勝利、江上武種、小田政光らも降り、諸国衆もまた追う者なく、いまのところ大きな乱れはございませぬ」


「旧少弐の城々は」


 惟豊が問う。


「順に受け取っております。城番は入れ替え、兵糧・蔵の改めも始めました」


「よい」


 惟豊は短く頷いた。


「では、これより先の形を定める」


 それが、この評定の本題であった。


 惟豊はしばし座を見渡していたが、やがて静かに言った。


「此度の戦で、あらためて見えたものがある」


 誰も口を挟まない。


「森羅衆は、夜にえぐられても戻した」


 宗運がわずかに目を伏せる。


「はい」


「だが右翼は、始まる前に浮いた」


 その一言で、座の空気が少しだけ変わった。


 誰もが知っていた。

 知っていたが、そこを家として言い切るのは当主の役であった。


「始まれば戦う兵はおる」


 惟豊は続ける。


「されど、始まる前の乱れと、夜の乱れに耐える兵は、鍛え続けた兵でなければならぬ」


 北里が静かに頭を下げた。


「まことに」


「村よりその都度集める兵だけでは、ここより先の戦は持たぬ」


 惟豊の声は重い。


「勝ちに慣れれば、なおさらだ」


 それは叱責ではなかった。

 此度の勝ちが、たまたま勝ちで終わったのではないことを、皆に言い聞かせるための言葉であった。


「やはり、常備で持たねばならぬ」


 惟豊は言った。


「兵を兵として抱え、夜も乱れも、同じように受けられる筋をさらに太くする」


 ここで、惟種が初めて口を開いた。


「此度は、戻したから勝った」


 短い言葉だった。


 惟豊がわずかに目を向ける。


「押し返したからではありませぬ。形を戻したから勝ったのです」


 惟種は言った。


「今後はこちらが攻めるにせよ守るにせよ、その戻せる兵を増やさねばなりませぬ」


「うむ」


 惟豊が頷く。


 惟種はそれ以上は語らなかった。

 家としての言葉は惟豊が置く。自分は、その芯だけを差し入れればよいと知っていた。


 宗運が、その意を受けた。


「森羅衆の増勢にございますな」


「そうだ」


 惟豊は答える。


「ただ数を増やすだけでは足りぬ。三人組、伝令、夜番、火の持たせ方、引き際、押し際――阿蘇の兵の動きを、さらに広く覚えさせねばならぬ」


 ここで惟種が補った。


「旧少弐勢も、鍋島の兵も、筑後で抱えた者も、順にそのやり方を学ばせるべきです」


「うむ」


 惟豊は言った。


「此度の勝ちは少弐を滅ぼしただけでは足りぬ。勝ったからこそ、兵の形を変える」


 それで、この座の最初の筋は定まった。


     *


 惟豊は次に、宗運へ向けて言った。


「旧少弐の者どもは、どう置く」


 宗運は文を一つ開いた。


「拒む様子は、いまのところほとんどございませぬ」


「そうであろうな」


 惟豊の声は低い。


「家が尽きた以上、もはや意地だけでは長う持たぬ」


 宗運は頷いた。


「召し抱えることは、容易にございます。されど」


「そのまま旧の地へ戻すな」


 惟豊は宗運の言葉を引き取った。


「は」


「人は惜しむ。だが土地に根を戻せば、また旧主を呼ぶ。召し抱えるなら抱える。だが、一度根は断て」


 惟種がそこで静かに言った。


「まずは阿蘇のやり方を学ばせるべきでしょう」


「そうだ」


 惟豊は言う。


「旧少弐の者どもは、いったん阿蘇臣下として迎える。されど、すぐ旧領へは返さぬ。働きを見よ。阿蘇の兵と政のやり方を覚えさせよ。その上で置き場を決める」


 宗運が深く頭を下げた。


「承知しました」


 北里が低く問う。


「一言、添える文はどう致しましょう」


 惟豊は少し考え、それから言った。


「こう伝えよ」


 座が静まる。


「旧領へ帰りたければ、戦功を挙げよ。こちらのやり方を学び、役に立つと示せ。それでよいなら召し抱えよう。いやなら、どこへなりとも行くがよい」


 それは温情だけの言葉ではなかった。

 だが冷たくもない。


 命は助ける。

 抱える道もある。

 ただし、抱えられるのは働きを見せた者だけだ。


 阿蘇らしい物言いであった。


 惟種はその言葉を聞き、わずかに頷いた。

 人を使うが、結びは一度断つ。勝った家のやり方として、もっとも筋が通っていた。


     *


 惟豊は、そこで話を領地へ移した。


「少弐の地は、阿蘇が取る」


 それは断じる声であった。


「取った上で、配る。勝ったから配るのではない。崩れぬ形へ組み替えるために配る」


 田代宗傳が、地図を開く。


 肥前の東西、北の境、旧龍造寺領、旧少弐筋の城々。

 此度の戦の勝利は、肥前の大きな部分を阿蘇の手の内へ引き込んでいた。


 惟豊は、まず龍造寺家宗へ目を向けた。


「家宗」


「は」


「旧龍造寺領、およそ四万石は返す」


 座の空気が、そこでわずかに動いた。


 家宗は深く頭を下げる。

 だがそれは喜びに崩れる頭ではない。重さを受ける者の頭であった。


「かたじけなく」


「ただし」


 惟豊の声が、そのまま上へ重ねられる。


「昔のままへ返すのではない」


 家宗が顔を上げる。


「龍造寺は立てる。されど、立てるとは昔のままへ戻すことではない」


 その一言が、この評定の二つ目の芯であった。


「家は返す。だが人の結びは一度ほどく。さもなくば、いずれ家ではなく、誰か一人の志に家中ごと引かれる」


 その場の何人かは、その言葉の先を悟った。


 家宗もまた、悟った。

 これは龍造寺再興の言葉であると同時に、再興した龍造寺をそのまま野に放たぬという言葉でもあった。


 惟種がそこで、静かに補った。


「肥前を支える柱として立っていただきたいのです」


 家宗がその方を見る。


「阿蘇の外へ出るためではなく、阿蘇の内にあって支える柱として」


「……承知しております」


 家宗は答えた。


 惟豊は続けた。


「龍造寺は、阿蘇に従属の上で独立とする」


 はっきりした言葉であった。


「城も地も持て。されど、勝手に肥前を動かすことは許さぬ。阿蘇の内にある家として立て」


「はっ」


 家宗の返答には、もはや迷いはなかった。


     *


 惟豊は次に、龍造寺家臣の扱いへ移った。


「石井兼清」


「は」


「そなたは家宗を支えよ」


 石井は深く頭を下げた。


「承ります」


「納富信景、福地信重も同じだ」


 その名が挙がるたび、龍造寺家の骨が少しずつ組まれてゆくのが見えるようであった。


 惟豊はそこで、小河信安を見た。


「小河」


「は」


「そなたは、阿蘇と龍造寺のあいだに立て」


 信安の目がわずかに動く。


「龍造寺へも通じ、阿蘇の理も知っておる。今後、その橋が要る」


 それは阿蘇直臣として寄せる言葉でありながら、龍造寺を見捨てぬ役目でもあった。


「承りました」


 小河は静かに頭を下げた。


 惟種がそこで一言入れた。


「龍造寺の各々は、阿蘇をそれぞれの形で支え、今度の友和を永遠のものとしていただきたい。」


 それは短い言葉だった。


「家宗を支える者は要ります。だが、すべてをそのまま戻せば、阿蘇と龍造寺の契りが引かれる時が来やもしれませぬ」


 家宗も、石井も、何も言わなかった。

 それが、今の龍造寺にとっても必要な理だと分かったからである。


 惟豊が、その意を受けた。


「そうだ。ゆえにあえて割る」


 言い切った。


「龍造寺を支える者。阿蘇に寄りて龍造寺を見張る者。今はまだどちらへも深く寄せぬ者。そう分けて置く」


 それは将来への備えでもあった。


「隆信は」


 惟豊が、そこで初めてその名を口にした。


 場の空気が、また少しだけ変わる。


「龍造寺の今後を担う派として立てる」


 家宗が静かに聞いている。


「されど、家中すべてが集中するのも良くない」


 これもまた、裁可であった。


「担う者は立てる。だが、それと家中を一つにするのは違う。龍造寺は家として立てるのであって、誰か一人の志へ預けるのではない」


 惟種がそこで、低く言った。


「大きくなる目は、早いうちに支えと歯止めを両方持たせるべきです」


「うむ」


 惟豊が頷く。


「それゆえ、この割り置きは変えぬ」


 石井兼清。納富信景。福地信重。

 このあたりは家宗を支える側に残る。

 小河信安は阿蘇寄りの橋渡しとなる。

 百武賢兼のような武辺は、いまは龍造寺へ属させつつも、将来どちらへ転ぶかを見る。


 それでよい、と惟豊は定めた。


     *


 つづいて惟豊は、鍋島信房へ目を向けた。


「信房」


「は」


 信房は、清房の死を越えたばかりの顔をしていた。

 だが、その顔はもう父に泣く息子だけの顔ではない。家を受ける者の顔になりつつあった。


「鍋島は、阿蘇に臣従とする」


「は」


「その上で」


 惟豊は地図の東方を指した。


「肥前東部、並びに北部大内境目までを、鍋島へ与える」


 座が静まる。


 それは大きい。

 だが、大きいからこそ意味があった。


「清房の働きは、一人の働きではない」


 惟豊は言った。


「鍋島家の働きである。ならば、その功は家の継ぎ手たるそなたが受けよ」


 信房は、深く額を畳につけた。


「……かたじけなく」


 声は低く、かすかに震えていた。


 惟種は、その姿を見ていた。

 清房が返し終えたものを、いま信房が地として受ける。筋はきれいにつながっている。


 惟豊はなお言う。


「境目を守れ。阿蘇の臣として守れ。龍造寺の旧縁に引かれるな」


「はっ」


「鍋島は、鍋島の家として立て」


「はっ」


 それで信房の置き場も定まった。


     *


 最後に惟豊は、種茂を呼んだ。


「種茂」


「はっ」


「此度の働き、見事であった」


 種茂は深く頭を下げた。

 だが惟豊はすぐには褒めのままで終えなかった。


「されど、武将は勇だけでは足りぬ」


「は」


「まずは宗運のもとで学べ」


 種茂の背が、わずかに張る。


「兵の回し方、伝令、陣の締め方、夜番、火の置き方、崩れた形の戻し方――それらを学べ。学び切ってから、本格的に持ち場を持て」


「承知致しました」


 そこへ惟種が、静かに言葉を添えた。


「此度、お前はよく持ちこたえた」


 種茂が顔を上げる。


「だが、お前が次に要るのは、前へ出る強さより、全体を見る目だ」


「……はい」


「宗運のそばは、そのために一番よい」


 種茂は、その一言を深く受けた。


 若君の近くで働く。

 その前に、若君が何を見て、どこで兵を締め、どこで戻しているのかを学ぶ。

 それは功を褒めるより、はるかに重い遇し方であった。


     *


 評定の終わりに、惟豊は座の全体を見渡した。


「此度の勝ちは、少弐を折った勝ちである」


 誰も動かない。


「されど、それだけではない」


 惟豊の声は重い。


「兵の形を改める勝ちであり、肥前の置き方を改める勝ちであり、家々の結びを組み替える勝ちでもある」


 その一言一言が、座へ沈んだ。


「ゆえに、配るのではない。置くのだ」


 それが、この評定のすべてであった。


「阿蘇が大枠を持つ。龍造寺は柱として立てる。鍋島は臣として境を守る。旧少弐の者どもは抱えるが、一度根を断つ。そうして初めて、此度の勝ちは次へつながる」


 惟種は黙って聞いていた。


 父はやはり、最後に家としての言葉を置く。

 自分がどれほど先を見ていても、それを家の形に落とす声は、まだ惟豊のものであった。


「よいな」


 惟豊が言う。


「ここより先は、勝った家の働きをせよ」


 座した者らが一斉に頭を下げた。


 少弐は滅びた。

 清房は死んだ。

 だが、それで終わりではない。


 終わったものを終わったままにせず、残るものを崩れぬ形へ置き直す。

 それが、これより阿蘇に要る仕事であった。


 そして惟種は、その座の下で静かに思っていた。


 此度の戦で見えたのは、敵の弱さではない。

 国を押し広げるなら、なおさら兵も人も土地も、いままで以上に理で締めねばならぬということだった。


 勝ったあとこそ、家は試される。


 肥前を手にしたその日、阿蘇の家は、また一段重い国の持ち方を学び始めていた。

ここまで読んでくださってありがとうございます。

少しでも面白い、続きが気になると思っていただけましたら、評価やブックマークで応援いただけると嬉しいです。

とても励みになります。

今後ともよろしくお願いいたします

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

同作者の別連載
『異世界エンゲージ ~毎日のパック開封でカード使いは帰還を目指す~』
こちらも覗いていただけると嬉しいです。

― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ