第八話 若君、手足を得る
それから数日が過ぎた。
熱はすっかり引き、**阿蘇 惟種**は、ようやく館の中を普通に歩けるようになっていた。
病は一時のものだったらしい。食も戻り、顔色もよくなり、侍女たちの表情からもようやく強張りが抜けつつある。
もっとも、だからといって安心してよいわけではない。
惟種は廊下を歩きながら、自分の手足を見下ろした。
五つの身体だ。
熱は引いても、身体そのものはまだ幼い。前世の感覚が残っているぶん、かえってそれがよく分かる。
(病弱ではない。だが、まだ小さい)
(小さいなら、小さいなりに作ればいい)
寝台の上で策を巡らせるだけでは駄目だ。
田も、市も、玻璃も、いずれは戦も、人の上に立つ以上は自分の身体も整えねばならない。
だから惟種は決めていた。
まず身体を作る。
それは病を恐れての養生ではない。
これから十年、二十年と国を動かすための土台だ。
廊下の先には、すでに三人の少年が控えていた。
最初に進み出たのは、十五ほどの、背の伸びた若侍だった。まだ少年の面差しは残るが、立ち方に隙がない。
「若君付きとしてお側へ寄せられました、**高森 惟房**にございます」
次に、やや人懐こい顔立ちの十四ほどの少年が続く。
「**北里 政久**にございます」
最後に、細身で静かな十三ほどの少年が一礼した。
「**光永 惟清**にございます」
惟種は三人を見回した。
高森、北里、光永。
いずれも阿蘇家中で軽い家ではない。
つまり彼らは単なる遊び相手でも、子守でもない。若君付きの供回りとして、きちんと人が付けられたのだ。
宗運が常に近くにいるわけではない。
それは当然だ。あの男は家中全体を見ている。
その代わりに、自分の手足として動く者が置かれた。
(悪くない)
(むしろ、ここからが始まりだな)
その時、さらに一人、年嵩の男が姿を見せた。
「若君、初めてお目にかかります。**田代 宗傳**にございます」
二十代後半か、三十に届くか。
若者たちとは違い、宗傳はすでに実務を知る顔だった。物腰は柔らかいが、周囲をよく見ている。
「宗運の使いか」
「そのようなものにございます」
宗傳は少しだけ笑った。
いかにも中継ぎ役らしい答え方だ。
「宗運様より、若君のお身体が戻り次第、供回りを改めて寄せるよう申されておりました。高森・北里・光永、いずれも若君のそばで使える者どもにございます」
「なるほど」
惟種はうなずいた。
宗運が自分で毎回出てくるのではなく、宗傳を間に置く。
そのうえで若君付きに少年たちを寄せる。
実に宗運らしい。
「高森」
「は」
「おぬしは何ができる」
「護衛、供回り、乗馬、木太刀、あとは外での立ち回りにございます」
惟種はうなずく。
「北里」
「はっ」
「おぬしは」
「山道、川筋、村との口利き、あとは鳥や獣の居場所くらいなら」
惟種の目が少し細くなる。
肉、薬草、材料、噂。使い道が多い。
「光永」
「は」
「おぬしは」
「筆と覚えごとにございます。門前や神事のことも少し」
これもよい。
やはり宗運は人の置き方がうまい。
惟種は三人を見ながら思った。
(高森が足)
(北里が耳)
(光永が紙と目)
かなりよく出来ている。
「よい。今日から近くで使う」
三人は揃って頭を下げた。
惟種は、そのまま庭へ出た。
風はまだ少し冷たいが、寝台の上で嗅ぐ空気よりずっといい。陽もある。身体を動かすにはちょうどよかった。
「高森」
「は」
「まず歩く」
「は」
「その次に、走る」
高森惟房が、わずかに目を見開いた。
病み上がりの若君が、もっと慎ましく始めると思っていたのだろう。
「いま無理はいたしませぬ。ただ、若君はもう熱も引いておられます」
宗傳が横から静かに言った。
止めるのではなく、言葉を整えるあたりがうまい。
「そうだ。無理はせぬ。だが遊んでもおられぬ」
惟種は足を踏み出した。
歩く。
庭の端まで。
戻る。
また歩く。
五つの身体は軽い。前世の四十五歳よりずっと軽い。だが軽いだけで、筋も骨もまだ作りかけだ。
これを今から鍛えればいい。
(焦る必要はない)
(だが、放っておく理由もない)
高森は歩幅を合わせてつき、北里は先の足場を見ている。光永は黙って惟種の動きを覚えている。宗傳は少し後ろから全体を見ていた。
悪くない布陣だ。
惟種は何度か庭を往復したあと、そこで足を止めた。
身体を動かし始めたことで、別の考えがはっきりしてきた。
兵を動かすには金がいる。
飯も、鉄も、人も、間者も、結局は銭だ。
田と市はその土台になる。
だが、もうひとつ欲しい。
(売れるものを作る)
そのための一手が、頭の中でまた形を取る。
水飴。
砂糖はない。
だが甘味は作れる。
しかも甘味は、若君の嗜みだけでは終わらない。子どもも喜ぶ。門前で売れる。薬にも使える。贈り物にもなる。
惟種は振り返った。
「宗傳」
「は」
「台所は借りられるか」
宗傳が、ほんの少しだけ首をかしげる。
「台所、にございますか」
「そうだ。作りたいものがある」
「料理、にございますか」
「料理というほどでもない。甘いものだ」
北里政久が、目を丸くした。
「若君、甘味でございますか」
「そうだ」
惟種は、その場にいる四人を見回した。
まだ玻璃の話は早い。
だが水飴ならいい。名目も立つ。
「米と麦を使う。まずは少し試すだけでよい」
宗傳はすぐには答えなかった。
だが、宗運の側で働く男だけあって、変わり者を見る目をしていない。まずは使えるかどうかを考える目だ。
「若君の養生の名目にて、でございますな」
惟種はうなずいた。
「それでもよい。だが、うまくいけば売り物になる」
宗傳の目が、そこで少し変わった。
「売り物」
「甘いものは、それだけで価値がある」
北里政久が、少し感心したように言う。
「門前では確かに売れそうですな」
「まずは小さく試す」
惟種はそう言ってから、高森を見る。
「高森はついて来い。台所で火を見る」
「は」
「北里は、麦と、使えそうなものを聞いてこい」
「はっ」
「光永は、手順を覚えろ。書け」
「は」
三人が一斉に頭を下げる。
宗傳は、その様子を静かに見ていたが、やがて一歩進み出た。
「では私から、宗運様へも一言入れておきましょう」
「うむ。だが、広げるな」
「承知しております」
惟種はそこで、ようやく少しだけ満足した。
身体は戻った。
手足も揃った。
ならば次は、台所だ。
(田を起こす)
(市を寄せる)
(その間に、水飴で金の芽を作る)
玻璃はその先でいい。
いきなり全部を動かす必要はない。
だが手は止めない。
惟種は、庭の向こうの館を見た。
火の山の下。
阿蘇の館。
病から戻った若君は、もう寝台の上で夢を語るだけでは終わらない。
「行くぞ」
そう言うと、高森惟房がすぐに一歩前へ出た。北里政久はもう走り出しそうな顔をし、光永惟清は懐から小さな紙を出していた。宗傳は、その後ろで静かに目を細めた。
若君の奇妙な思いつきは、またひとつ形になろうとしていた。




