表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/18

第八話 若君、手足を得る

 それから数日が過ぎた。


 熱はすっかり引き、**阿蘇あそ 惟種これたね**は、ようやく館の中を普通に歩けるようになっていた。

 病は一時のものだったらしい。食も戻り、顔色もよくなり、侍女たちの表情からもようやく強張りが抜けつつある。


 もっとも、だからといって安心してよいわけではない。


 惟種は廊下を歩きながら、自分の手足を見下ろした。


 五つの身体だ。

 熱は引いても、身体そのものはまだ幼い。前世の感覚が残っているぶん、かえってそれがよく分かる。


(病弱ではない。だが、まだ小さい)

(小さいなら、小さいなりに作ればいい)


 寝台の上で策を巡らせるだけでは駄目だ。

 田も、市も、玻璃も、いずれは戦も、人の上に立つ以上は自分の身体も整えねばならない。


 だから惟種は決めていた。


 まず身体を作る。


 それは病を恐れての養生ではない。

 これから十年、二十年と国を動かすための土台だ。


 廊下の先には、すでに三人の少年が控えていた。


 最初に進み出たのは、十五ほどの、背の伸びた若侍だった。まだ少年の面差しは残るが、立ち方に隙がない。


「若君付きとしてお側へ寄せられました、**高森たかもり 惟房これふさ**にございます」


 次に、やや人懐こい顔立ちの十四ほどの少年が続く。


「**北里きたざと 政久まさひさ**にございます」


 最後に、細身で静かな十三ほどの少年が一礼した。


「**光永みつなが 惟清これきよ**にございます」


 惟種は三人を見回した。


 高森、北里、光永。

 いずれも阿蘇家中で軽い家ではない。

 つまり彼らは単なる遊び相手でも、子守でもない。若君付きの供回りとして、きちんと人が付けられたのだ。


 宗運が常に近くにいるわけではない。

 それは当然だ。あの男は家中全体を見ている。


 その代わりに、自分の手足として動く者が置かれた。


(悪くない)

(むしろ、ここからが始まりだな)


 その時、さらに一人、年嵩の男が姿を見せた。


「若君、初めてお目にかかります。**田代たしろ 宗傳そうでん**にございます」


 二十代後半か、三十に届くか。

 若者たちとは違い、宗傳はすでに実務を知る顔だった。物腰は柔らかいが、周囲をよく見ている。


「宗運の使いか」


「そのようなものにございます」


 宗傳は少しだけ笑った。

 いかにも中継ぎ役らしい答え方だ。


「宗運様より、若君のお身体が戻り次第、供回りを改めて寄せるよう申されておりました。高森・北里・光永、いずれも若君のそばで使える者どもにございます」


「なるほど」


 惟種はうなずいた。


 宗運が自分で毎回出てくるのではなく、宗傳を間に置く。

 そのうえで若君付きに少年たちを寄せる。

 実に宗運らしい。


「高森」


「は」


「おぬしは何ができる」


「護衛、供回り、乗馬、木太刀、あとは外での立ち回りにございます」


 惟種はうなずく。


「北里」


「はっ」


「おぬしは」


「山道、川筋、村との口利き、あとは鳥や獣の居場所くらいなら」


 惟種の目が少し細くなる。

 肉、薬草、材料、噂。使い道が多い。


「光永」


「は」


「おぬしは」


「筆と覚えごとにございます。門前や神事のことも少し」


 これもよい。

 やはり宗運は人の置き方がうまい。


 惟種は三人を見ながら思った。


(高森が足)

(北里が耳)

(光永が紙と目)


 かなりよく出来ている。


「よい。今日から近くで使う」


 三人は揃って頭を下げた。


 惟種は、そのまま庭へ出た。


 風はまだ少し冷たいが、寝台の上で嗅ぐ空気よりずっといい。陽もある。身体を動かすにはちょうどよかった。


「高森」


「は」


「まず歩く」


「は」


「その次に、走る」


 高森惟房が、わずかに目を見開いた。

 病み上がりの若君が、もっと慎ましく始めると思っていたのだろう。


「いま無理はいたしませぬ。ただ、若君はもう熱も引いておられます」


 宗傳が横から静かに言った。

 止めるのではなく、言葉を整えるあたりがうまい。


「そうだ。無理はせぬ。だが遊んでもおられぬ」


 惟種は足を踏み出した。


 歩く。

 庭の端まで。

 戻る。

 また歩く。


 五つの身体は軽い。前世の四十五歳よりずっと軽い。だが軽いだけで、筋も骨もまだ作りかけだ。

 これを今から鍛えればいい。


(焦る必要はない)

(だが、放っておく理由もない)


 高森は歩幅を合わせてつき、北里は先の足場を見ている。光永は黙って惟種の動きを覚えている。宗傳は少し後ろから全体を見ていた。


 悪くない布陣だ。


 惟種は何度か庭を往復したあと、そこで足を止めた。


 身体を動かし始めたことで、別の考えがはっきりしてきた。


 兵を動かすには金がいる。

 飯も、鉄も、人も、間者も、結局は銭だ。


 田と市はその土台になる。

 だが、もうひとつ欲しい。


(売れるものを作る)


 そのための一手が、頭の中でまた形を取る。


 水飴。


 砂糖はない。

 だが甘味は作れる。

 しかも甘味は、若君の嗜みだけでは終わらない。子どもも喜ぶ。門前で売れる。薬にも使える。贈り物にもなる。


 惟種は振り返った。


「宗傳」


「は」


「台所は借りられるか」


 宗傳が、ほんの少しだけ首をかしげる。


「台所、にございますか」


「そうだ。作りたいものがある」


「料理、にございますか」


「料理というほどでもない。甘いものだ」


 北里政久が、目を丸くした。


「若君、甘味でございますか」


「そうだ」


 惟種は、その場にいる四人を見回した。


 まだ玻璃の話は早い。

 だが水飴ならいい。名目も立つ。


「米と麦を使う。まずは少し試すだけでよい」


 宗傳はすぐには答えなかった。

 だが、宗運の側で働く男だけあって、変わり者を見る目をしていない。まずは使えるかどうかを考える目だ。


「若君の養生の名目にて、でございますな」


 惟種はうなずいた。


「それでもよい。だが、うまくいけば売り物になる」


 宗傳の目が、そこで少し変わった。


「売り物」


「甘いものは、それだけで価値がある」


 北里政久が、少し感心したように言う。


「門前では確かに売れそうですな」


「まずは小さく試す」


 惟種はそう言ってから、高森を見る。


「高森はついて来い。台所で火を見る」


「は」


「北里は、麦と、使えそうなものを聞いてこい」


「はっ」


「光永は、手順を覚えろ。書け」


「は」


 三人が一斉に頭を下げる。


 宗傳は、その様子を静かに見ていたが、やがて一歩進み出た。


「では私から、宗運様へも一言入れておきましょう」


「うむ。だが、広げるな」


「承知しております」


 惟種はそこで、ようやく少しだけ満足した。


 身体は戻った。

 手足も揃った。

 ならば次は、台所だ。


(田を起こす)

(市を寄せる)

(その間に、水飴で金の芽を作る)


 玻璃はその先でいい。

 いきなり全部を動かす必要はない。

 だが手は止めない。


 惟種は、庭の向こうの館を見た。


 火の山の下。

 阿蘇の館。

 病から戻った若君は、もう寝台の上で夢を語るだけでは終わらない。


「行くぞ」


 そう言うと、高森惟房がすぐに一歩前へ出た。北里政久はもう走り出しそうな顔をし、光永惟清は懐から小さな紙を出していた。宗傳は、その後ろで静かに目を細めた。


 若君の奇妙な思いつきは、またひとつ形になろうとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ