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火の山の若君は、未来を夢に見る ~阿蘇家嫡流の若君、名臣甲斐宗運と乱世を切り拓く~  作者: アトラス


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第六十七話 銭の匂い

 冬は、まだ山の向こうにあった。


 だが、その気配だけはもう風に混じっている。朝の冷えは日ごとに少しずつ深くなり、日が落ちると土の匂いまで硬くなる。秋の名残はまだ残っていたが、それでも館の中では、そろそろ冬を越す支度の話が増え始めていた。


 その日、阿蘇の館へ一人の商人が来た。


 神屋寿禎かみや じゅてい


 博多の豪商として、その名を知らぬ者は少ない。

 銭を動かし、物を動かし、人を動かし、噂だけでなく技術まで引き寄せる男。

 そして今はもう、老いた。


 若い頃のように船へ飛び乗り、自ら前へ出て動く歳ではない。だが、老いたからといって鼻まで鈍ったわけではなかった。むしろ逆である。長く銭の流れを見てきた者ほど、まだ形にならぬ利の匂いに敏い。


 いま、九州でその匂いを強く放ち始めている家があった。


 阿蘇である。


 筑後を呑み、名和を下し、それでいて荒らし切らず、むしろ人も物も増え始めている。商人が集まり、荷が動き、銭の流れが一つの家へ寄っていく。そうなれば、博多の鼻が黙っているはずがなかった。


 寿禎は、進物を持って来た。


 博多の上等な酒。

 上質な紙。

 それに、いかにも唐物らしい小さな香合が一つ。


 貢物ではない。

 従属の印でもない。

 初見の礼であり、商人としての品定めの一手でもある。


 通された座は、大広間ではなく、少し内に入った落ち着いた一間であった。


 上座に惟豊。

 その少し下に惟種。

 宗運もまた、やや横に控えている。


 寿禎は深く頭を下げた。


「此度は、お目通りかなって恐れ入ります」


 声は老いていた。

 だが、老いた声の中に、弱さではなく長く生き残った者のしぶとい芯がある。


 惟豊が短く言った。


「遠路、よう参られた」


「商いの道は、遠いほど面白うございます」


 寿禎は顔を上げて、わずかに笑った。


「まして近ごろの阿蘇には、銭の匂いが強うございます」


 その言い方に、宗運の目が少しだけ細くなった。

 露骨である。

 だが、露骨なだけの男ならここまで残ってはおらぬ。


 惟種が言った。


「銭の匂い、か」


「はい」


 寿禎は頷いた。


「勝った家は幾つも見てまいりました。されど、勝ったあとに人と物が寄り始める家は、そう多くはございませぬ」


 惟豊は黙ってそれを聞いている。


「筑後に商人が入り始めております。名和筋も落ち着いた。道が通り、市が立て直され、荷の口が止まりにくい。そうなれば、銭は自然と匂います」


 宗運が、静かに言った。


「よく見ておられる」


「鼻が利かねば、商いにはなりませぬ」


 寿禎は答えた。


 それは世辞ではなかった。

 商人は、勝った負けたの旗色より先に、物が止まるか流れるかを見る。

 そして今の阿蘇は、たしかに流れ始めている家であった。


 惟豊が、そこで本題へ入れというように言った。


「それで」


「は」


「何を見て来られた」


 寿禎は少しだけ姿勢を改めた。


「二つにございます」


「申せ」


「ひとつは、御家がどこまで太る家か」


 惟種は、寿禎の目を見た。


「もうひとつは」


「その太り方に、神屋が噛める余地があるかにございます」


 それで、座の空気が少しだけ変わった。


 ただ取り入ろうとする商人ではない。

 ただ利だけを啜って去るつもりでもない。

 この場で寿禎は、最初からそういう線を引いていた。


 惟豊が小さく頷いた。


「よい」


 そして横へ目を向ける。


「惟種」


「はい」


「そなたも、聞きたいことがあろう」


「ございます。」


 惟種はすぐに答えた。


「商いの話をしよう」


 寿禎の口元が、わずかに動いた。

 若い。

 だが、言葉の運びは軽くない。


 惟種は進物には目もくれず、寿禎へまっすぐ言った。


「まずは人が欲しい」


 寿禎が目を細める。


「人、にございますか」


「うむ。できれば、手に職のある者がよい」


「鍛冶」


「それもよい」


「吹大工」


「なおよい」


「紙漉き、酒、酢、木工、染め、そういった者どもも」


「欲しい」


 惟種は言った。


「口減らしでも構わぬ。来て、根を下ろし、こちらの土になる者がほしい」


 寿禎はすぐには返さなかった。


 その言葉を、値踏みしているのだ。

 人が欲しいという家は多い。

 だが、ただ働き手を欲しがるのか、技と血を欲しがるのかで意味が違う。


「取り込むおつもりにございますな」


「そうだ」


「来て終わりではなく」


「阿蘇の力にする」


 惟種ははっきりと言った。


 寿禎は、その答えを気に入ったようだった。

 中途半端に飾らぬ家は、商人にとって付き合いやすい。


「それと、情報も欲しい」


 惟種は続けた。


「外の国がどうなっておるか。明、朝鮮、琉球、南蛮、そのあたりだ」


 寿禎が少しだけ笑う。


「若君は、山の内におられながら、目は海の方を向いておられますな」


「海の先のものも、いずれこちらへ来る」


「まことに」


「ならば、先に知っておく方がよい」


 宗運が、その横で静かに言った。


「外の風は、入る前に知る方が軽うございます」


 寿禎は頷いた。


「その通りにございます」


 惟種は、そこでほんのわずかだけ間を置いた。


「欲しいものがある」


 寿禎の眉が、ほんの少しだけ上がる。


「申してみてくだされ」


「サトウキビと呼ばれる甘い木だ。おそらく琉球の辺りにある。」


 寿禎は即座には驚かなかった。

 だが、意外ではあるらしい。


「ほう」


「それに、珈琲の苗木。黒い豆だ。」


 そこではじめて、寿禎がわずかに目を細めた。


「聞き慣れぬ名にございます」


「いずれ話す」


「はい」


「それと、ゴムの木の苗木が欲しい。」


 その一言で、さすがに寿禎も少し息を止めた。


 惟豊は何も言わない。

 宗運もまた黙っている。

 この場では、まず若君が何をどこまで言うかを見るつもりらしかった。


「……若君」


 寿禎は、慎重に言葉を選んだ。


「その木は、どこにございましょう。どのような木ですか?」


「木を傷つけると、粘り気のある液がでる。それを固めると弾力がある固まりになる。」


 惟種は少しだけ遠くを見るような目をした。


「南蛮のさらに向こうにある。」


「さらに向こう」


「大きな海の、そのまた果て。いまの南蛮人でも、たやすく行き来できぬほど遠い」


 寿禎は黙って聞いている。


「本命は、もっと西だ」


 惟種は言った。


「南蛮の地図でも、まだ端に近いような大河の流域にある。サンタ・クルス(聖十字架)の地だ。」


 寿禎が苦笑した。


「それはまた……」


「無理か」


「今すぐは」


 寿禎は、はっきり答えた。


「さすがに請け合えませぬ」


 惟種は頷いた。

 もとより、簡単に手に入るとは思っていない。


「代わりになる木は、摩羅加マラッカ須門答剌スモトラ 邪華ジャワの辺りにある」


 惟種は即座に言った。


 寿禎は、その名は知らぬ顔だった。

 だが、知らぬまま笑い飛ばしもしない。


「もし、そのような木が見つかるなら」


 惟種は言う。


「まずは代わりでよい。樹液の性を試したい」


「本命でなくても」


「よい。塗り、接ぎ、雨除け、弾き、そのあたりを見る」


 寿禎は、その言葉を面白がるように、じっと惟種を見た。


「若君の欲は、果てしのうございますな」


「そうか」


「ええ」


 寿禎は笑った。


「だが、嫌いではございませぬ」


 それで座は少しだけ柔らかくなった。


「サトウキビという木なら」


 寿禎が言う。


「まだ話は付けやすい方にございます」


「うむ」


「珈琲とやらは……まだ遠うございましょう。少なくとも苗となれば、今は難しい」


 惟種は頷いた。


 それも分かっている。

 欲しい、と言うことと、すぐ手に入ることは別だ。


「ゴムの木は」


 寿禎が続ける。


「もし話の端にでも掛かれば、拾ってまいりましょう」


「できれば、でよい」


「ええ」


「何年かかっても構わぬ」


「若君」


 寿禎は、そこで少し真面目な声になった。


「それを本気で求めるなら、話は苗木では済みませぬ」


「……船か」


「はい」


 寿禎は頷いた。


「大きな船にございます」


 惟種は黙った。


 寿禎はさらに言う。


「沿岸の舟では無理にございます。南蛮船ほどとは申さずとも、長く海に耐え、荷も人も積め、苗木を枯らさず運べるだけの船が要ります。」


 宗運がそこで静かに問う。


「商いの船、にございますか」


「最初はそれでよろしゅうございましょう」


 寿禎は答えた。


「されど、いずれはそれだけでは足りませぬ」


 惟豊が、はじめてその話へ入った。


「何ゆえだ」


「海に出る船は、海だけを相手にはできませぬ」


 寿禎は老いた目をわずかに細めた。


「荷を運べば、必ずそれを狙う者も出ます」


「なるほど」


「外の国へ手を伸ばすとは、船を持つだけではなく、船を守る力も持つということにございます」


 惟種はその言葉を、胸の内へ静かに落とした。


 船。

 ただの商いの足ではない。

 人を運び、苗を運び、情報を運び、そしていずれは家の手足にもなる。


 惟種が次の話題へ移るように、進物の横に置かれていた小さな見本を指した。


「もう一つ、欲しいものがある。」


「何でございますでしょうか?」


「漆器だ、いずれ需要がでる。漆器職人を招きたい」


「ほう」


 寿禎は考えた。確かに外の需要は高まりつつある。



「木地師も、塗師も、できれば絵付けに通じた者もだ」


 寿禎が頷く。


「集まれば強い、専用の区画を作るつもりだ」


 惟種は言った。


「職人の住む場所、作る場所、乾かす場所を分ける。材料を切らさず、まずは当家で安定して作らせる」


「その上で」


「外へ売る」


 寿禎は、その言葉に小さく笑った。


「若君は、阿蘇家に大きな職人の国をお作りになるおつもりか」


「いずれは」


「面白うございますな」


 それはお世辞ではなかった。


 寿禎のような商人にとって、売れる物を安定して作ろうとする家は、それだけで話をする価値がある。しかも今の阿蘇には、兵も、米も、石高も、そして伸びようとする気もある。


「欲しいものは、まだある」


 惟種が言った。


「出来れば、ポルトガル語が話せる者がいるとよい」


「日本の者で、にございますか」


「できれば。無理ならば南蛮の奴隷でも良い。」


 寿禎はゆっくり首を振った。


「それは今すぐは難しゅうございましょう」


「やはりか」


「されど、まったく手がないでもありませぬ。中国語と南蛮語を少し解する者、あるいは南蛮人と長う付き合うた者なら、博多筋や南の港で拾えるやもしれませぬ」


 惟種は頷く。


「それでよい。まずは通じる者が欲しい」


「覚えておきましょう」


 そこまで言ってから、惟種は少し姿勢を正した。


「神屋殿」


「何でございましょうか?」


 寿禎は何かまたとんでもないことを言われるのではないかと身構える。


「阿蘇は、一方的に搾取する気はない」


「神屋にも利が要る」


「持ちつ持たれつ、でなければ長うは続かぬ」


 寿禎の目が、そこで少しやわらいだ。


「そのお言葉が本当なら大変うれしく。何分、商人ということで足元を見られることが多く、若君はよく商人の気質をご理解いただいていらっしゃる…」


 惟豊が、小さく頷く。


「よい。では、そのように致そう」


 商いは、主従とは違う。

 どちらかが一方的に得をしているうちは続かぬ。

 寿禎も惟種も、そのあたりをよく分かっていた。


 話がひと段落したところで、惟種は傍らに置かれていた細長い箱を開かせた。


 中にあったのは、玻璃である。


 阿蘇の玻璃。

 安定供給されており、現在の阿蘇家の収入源の一つだ。

 薄く均一となっており、素晴らしい出来栄えだ。


 寿禎が目を留めた。


「これは」


「返礼だ」


 惟種は言った。


「進物への礼でもある。」


 寿禎が慎重に手に取る。


 老いた指が、光を透かしてその厚みを見ている。


「……素晴らしいできでございます。こちらがかの玻璃でございますか。」


「どう思う?」


「朝廷や貴族の方々が非常に好まれますでしょうな。ですが…」


 寿禎は正直に答えた。


「海の外、南蛮に向けては調整が必要な品になるでしょうな」


「そうか」


「はい」


 惟種は理解していた。玻璃(ガラス製品)はこの時代ではそこまで珍しいものではない。その為、外貨を稼ぐ手段として漆器に着手しようとしている。


 寿禎は玻璃を箱へ戻した。


「こういうものを持つ家が、漆器も作ろうとしている」


 その言い方に、宗運が静かに息を吐く。


「銭の匂いがするわけにございますな」


「まことに」


 寿禎は笑った。


 やがて座は終わりへ向かった。


 寿禎は進物を置き、話を結び、返礼として阿蘇の玻璃を受けた。

 ただの訪問ではない。

 商いの筋が、ようやく一本通ったという日であった。


 人を呼ぶ。

 技を集める。

 外の情報を拾う。

 漆器職人を集める。

 サトウキビを探す。

 ゴムノキを試し、本命の木は遠く見据える。

 そのすべてを本気でやるなら、海へ手を伸ばさねばならぬ。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 寿禎が辞したあと、座には惟豊、惟種、宗運だけが残った。


 しばらく誰も口を開かなかった。


 外では、冬の手前の風が庭を渡っている。

 高い空の下で、木々の葉が乾いた音を立てた。


 宗運が、低く言った。


「面白い男にございますな」


「老いてなお、鼻が利く」


 惟豊が言う。


「そうだな」


 惟種はまだ寿禎の去った方を見ていた。


「若君」


 宗運が呼ぶ。


「うむ」


「船、にございますか」


 惟種はすぐには答えなかった。


 サトウキビだけなら、誰かの船に乗せても来よう。

 漆器職人も、人のつてで動かせる。

 情報も、今のうちは銭で買える。


 だが、本当に遠いもの――

 苗木。

 南蛮の先。

 通詞。

 いずれ海そのものを使おうとするなら、借り物の舟では足りぬ。


「どちらにしろ」


 惟種は静かに言った。


「船は要るな」


 惟豊の目が、わずかに細くなる。


「山の家が、とうとう海まで欲しがるか」


「いずれは必要になる」


「商いのためか」


「それだけでは足りぬ」


 惟種は言った。


「人も、物も、情報も、遠いものほど船が要る」


 宗運がその先を受ける。


「そして、守る力も」


「うむ」


 惟種は頷いた。


「ならば、建てるしかないか……」


 その言葉は、大きくはなかった。だが重かった。

 山の阿蘇家が水軍を持つこと意味する。

 だが、冬の前の静かな座には十分に響いた。


 船。

 まだ影も薄い。

 だが、一度言葉になった以上、それはもうただの思いつきではない。


 惟種は、空を見た。


 阿蘇の山からでは海は見えぬ。

 それでも、海の先のものがここへ届くなら、いつかこちらからも手を伸ばさねばならぬ。


 冬はまだ来ていない。

 だが、その前に、阿蘇はもう次の季のことを考え始めていた。

皆様、たくさんの応援と評価をありがとうございます。




この作品をここまで続けてこられたのは、読んでくださる皆様のおかげです。


本当に励みになっています。




もし少しでも面白い、続きが気になると思っていただけましたら、評価やブックマークで応援していただけると嬉しいです。


今後ともよろしくお願いいたします。

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