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火の山の若君は、未来を夢に見る ~阿蘇家嫡流の若君、名臣甲斐宗運と乱世を切り拓く~  作者: アトラス


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第四十話 家へ戻りて

 戦のあとの始末は、長引かせぬことが肝だった。


 龍造寺につらなる者は、ひとまず阿蘇預かりとしてまとめられた。家兼、鍋島清房、龍造寺家宗、百武賢兼ら主だった者は、惟豊の下知があるまで半拘束とし、勝手な離散も往来も許さぬ形で後送が決まった。龍造寺の兵もまた、傷の軽重を見て列を分け、阿蘇の見張りのもとに移されていった。


 一方、蒲池につらなる者は武装を解かれ、名を書き留められたうえで返された。


 蒲池へ問いに向かう支度だけは整えた。

 阿蘇はこのまま呑む気はない、と見せるためだ。


 だが実際に兵を進める前に、阿蘇本拠からの早馬が着いた。


 大友義鑑が、すでに此度の件を察して動いている。

 惟豊は三家の座を受けた。

 ゆえに、宗運と惟種は至急戻れ。


 そういう報せだった。


 宗運はその場で高森らへ後始末を命じ、惟種を同じ馬へ乗せ、本拠へ向かった。山道を急ぐあいだにも、鉄砲の効き方、今後の兵の形、龍造寺をどう預かるかを二人は短く詰め続けた。勝ったのは鉄砲の数ではなく、それを崩れぬ兵の中で使えたことだという点で、二人の見は一致していた。


 そして日が傾くころ、ようやく阿蘇の館へ戻った。


 館の空気は、戦の帰りを迎えるそれでありながら、どこか別の張りつめ方をしていた。


 もう次の座が始まっている。


 惟種は馬から下ろされると、足にまだ少し揺れが残るのを感じた。宗運はそれを見ても何も言わず、ただ先を歩く。


 そのまま二人は、惟豊の待つ座敷へ通された。


 惟豊は、すでに座していた。


 留守居として館に残っていた父は、戦場帰りの二人を前にしても、まず顔色を崩さない。無事であったことへの安堵は、表には出さぬ。だが、その沈んだ目の奥にだけ、確かにそれはあった。


「戻りました」


 宗運が頭を下げる。


「うむ」


 惟豊の声は低い。


「申せ」


 まずは宗運が、此度の戦を報告した。


 龍造寺の中央を鉄砲で止めたこと。

 二十挺を三組に分け、輪番に撃たせたことで、敵にはそれ以上に多く見えたこと。

 その止まりの間に、別働隊を退き筋へ入れたこと。

 阿蘇の槍列は最後まで崩れず、龍造寺の側だけに呼吸の切れ目が生まれたこと。

 そして、蒲池の後詰が最後まで本気で前へ出ず、旗を返したこと。


 惟豊は一つ一つを黙って聞いていた。


 宗運はさらに続ける。


「家兼殿は、そこで兵の止めを決められました。首を差し出し、兵を助けてほしいと」


「うむ」


「若君は、それに対し首は要らぬと」


 惟豊の目が、わずかにだけ惟種へ向いた。


 宗運はそのまま続けた。


「いまは阿蘇に下れ、兵を止めよ、家名は消さぬ、忠と武功を立てれば後に道を開く、と申されました」


 座が静まる。


 宗運の声は平らだ。

 擁護もしない。責めもしない。

 ただ事実としてそこへ置く。


「そののち、蒲池の使者が参りました」


「聞いておる」


 惟豊が言う。


「龍造寺の独断、蒲池は関知せず、であったな」


「はい」


「若君は」


「ならば龍造寺を返す先は、もはや蒲池ではありますまい、と」


 惟豊は、そこでようやく小さく息を吐いた。


「……そう言ったか」


 その一言だけで、何が含まれているかは十分だった。


 宗運はさらに、戦後処理を簡潔に述べた。


「龍造寺につらなる者は、惟豊様の下知があるまで半拘束にて阿蘇預かり。蒲池につらなる者は武装解除のうえで返しました。負傷者の手当ても済ませ、兵の離散を防ぐところまでは高森らへ任せております」


 惟豊はうなずいた。


「よい」


 まずはそこだった。

 勝ったあとに崩れていない。

 それが何より大きい。


 だが、その「よい」のあとに来るものもまた、惟種には分かっていた。


 惟豊は宗運を見た。


「宗運」


「は」


「戦と処置、ようやった」


「ありがたく」


「下がれとは言わぬ。そこにおれ」


「はっ」


 それから惟豊は、まっすぐ惟種を見た。


「惟種」


「はい」


「おぬしは、少し好きに動きすぎる」


 座敷の空気が、わずかにだけ張った。


 惟種は黙ったまま父を見る。


 惟豊は声を荒げない。だが、抑えている分だけ重い。


「戦での理はよい。鉄砲の使いようも、敵の退き筋の断ち方も、見事だった」


 そこはきちんと認める。


「だが、そのあとだ」


 惟豊の目は揺れない。


「龍造寺の家をどうするか。どこまで残すか。どう預かるか。それは本来、戦場で跡継ぎが言い切ってよい話ではない」


 惟種は小さく息を吸った。


「ですが」


「言うな」


 惟豊が止める。


「まだ言わせぬ」


 その一言で、惟種は口を閉じた。


「おぬしは跡継ぎだ。だからこそ言う。跡継ぎであることと、当主であることは違う」


 宗運は黙っている。

 ここはもう、父子の場だった。


「戦に勝った勢いで、家の先までその場で決めるな。理が通っておっても、筋が違うことはある」


 惟種は、そこでようやく頭を下げた。


「……申し訳ございませぬ」


 惟豊はすぐには返さなかった。


 しばらく置いてから、低く言う。


「本当に分かっておるか」


「はい」


「龍造寺をどうこうできる人事の裁ちは、おぬしにはない。あるように振る舞えば、周りはついて来ても、家そのものが歪む」


「はい」


「わしが怒っているのは、おぬしの考えが悪いからではない」


 その言葉に、惟種は顔を上げた。


「では」


「よい考えを、よいまま好きに使いすぎるからだ」


 それは、叱責でありながら、同時に評価でもあった。


「おぬしは先を見すぎる。見すぎるゆえに、いま誰が裁ち、誰が責を負うかを飛ばす」


 惟種は言い返さなかった。

 言い返せなかった。


 たしかにそうだった。

 龍造寺を家ごと呑める。

 そう見えた。

 見えたから、そのまま口にした。


 だが、阿蘇家の名でそれを裁つのは、まだ自分ではない。


 惟豊は、そこでふっと息を吐いた。


「……だが」


 声の重さが、少しだけ変わる。


「ここまで来て、おぬしの理を半端に縛っても意味がないのも事実だ」


 惟種が顔を上げる。


 宗運もまた、静かにその先を待っていた。


「惟種」


「はい」


「兵のことは、おぬしが見よ」


 その言葉は、座の中へ深く落ちた。


「戦の勝ち負け、その後に何を取るか、敵をどう崩し、どう呑むか。その大きな筋は、おぬしの思うように動け」


 惟種の目が大きくなる。


「父上……」


「ただし」


 惟豊はそこで切った。


「家の名で裁つのは、まだわしだ」


「……はい」


「外交の表も、内の大枠も、宮司としての役も、わしが受ける。おぬしは兵と戦と、その後の筋を見よ」


 宗運が、そこで初めて小さく頭を垂れた。


 この形が一番きれいだ、と言わぬまでも、その気配がある。


 惟豊はさらに言う。


「好きに動け、とは言う。だが勝手に裁いてよいとは言わぬ。そこを違えるな」


「はい」


「思うように動け。だが、家を通して動け」


「はい」


 惟種はもう一度、深く頭を下げた。


 今度の返事は、さきほどとは違った。

 ただ叱られて縮む返事ではない。

 重みを受けた返事だった。


 惟豊はそこで宗運を見た。


「宗運」


「は」


「これから先、兵と戦の筋は惟種を主に据えよ」


「承知」


「だが、家の筋を飛ばしそうになったら止めろ」


「承知いたしました」


「おぬしならできるな」


「やらねば、阿蘇が傾きますので」


 惟豊の口元が、わずかにだけ動いた。


 それで十分だった。


「よい」


 そしてようやく、話は次の本題へ移る。


「では、三家の座だ」


 惟豊の声は、もう父ではなく当主のものだった。


「義鑑は、どこまで知っておると思う」


 惟種は考えた。


「全部ではない。だが、構えていたとは思います」


「うむ」


 宗運も頷く。


「阿蘇が勝っても、蒲池が勝っても、どちらでも入れるようにはしておったのでしょう」


「蒲池は何を言う」


 惟豊が問う。


 宗運が答える。


「知らぬ、龍造寺の独断、で押して参りましょう」


「通ると思うか」


「通したいからこそ、大友の座に乗ってくる」


 惟種が言った。


 惟豊はうなずいた。


「だろうな」


「ならばこちらは」


 惟種は一度、父を見る。


 もう先ほどのようには言わない。

 だが、いまはもう言ってよい場だ。


「蒲池が関知せぬと言ったこと自体を、龍造寺の帰属の証にします」


「どういうことだ」


「知らぬと言うなら、龍造寺を返す理がない」


 宗運が継いだ。


「ゆえに阿蘇預かり。これは被害を受けた側としての処置であり、乱れを広げぬための保護だ、と立てます」


「よい」


 惟豊は言った。


「ではその筋で行く」


 座の外では、もう館の支度が進んでいるのだろう。

 大友義鑑が来る。

 蒲池当主も来る。

 そして阿蘇は、それを迎える。


 惟豊は惟種を見た。


「おぬしも座に出る」


「はい」


「だが、最初から前へ出るな」


「承知しております」


「まずはわしが受ける。宗運が詰める。そのうえで、ここぞの時だけ口を開け」


「はい」


「今日の叱りを忘れるな」


「忘れませぬ」


 惟豊は、それでようやくよしとした。


 勝って帰った。

 だが、家の勝ちはまだ定まっていない。


 その中で、ひとつだけ確かになったことがある。


 これから阿蘇の兵と戦の筋は、惟種が見る。

 家の名と表の責は、惟豊が持つ。

 そして宗運が、その間を繋いで現実へ落とす。


 座の中で、阿蘇のこれからの形が静かに定まった。


 惟種は父の前で頭を下げたまま、胸の内だけが熱くなるのを感じていた。


 叱られた。

 だが同時に、任された。


 半端ではない。

 兵と戦と、その後の筋を見る役目を。


 ならば、もう躊躇うわけにはいかない。


 次は、三家の座だ。


 野で勝っただけでは足りぬ。

 その勝ちを、家の勝ちに変えねばならない。


 惟豊が最後に言った。


「行くぞ」


 短い一言だった。


 だが、それで十分だった。


 阿蘇の三人は、もう次の戦へ向いていた。

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