表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
火の山の若君は、未来を夢に見る ~阿蘇家嫡流の若君、名臣甲斐宗運と乱世を切り拓く~  作者: アトラス


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
26/235

第二十五話 山を開く手

天文十四年(1545年)十一月


 秋が深まるにつれて、阿蘇の山は色を変えた。


 赤、黄、褐。朝の光を受けた尾根は美しい。だが惟種の目には、もう美しさだけでは映らなかった。あの山のどこに鉄気があり、どの沢筋に重い砂が溜まり、どの斜面なら水を逃がしながら坑を開けるか――そういう見方が、先に立つようになっていた。


 その日、惟種は惟豊と宗運を相手に、館の奥で話していた。


 いつもの小座敷である。

 火鉢が一つ。

 地図が三枚。

 そして板に記した山の見取りが幾つも並んでいる。


 惟豊が腕を組んだまま、惟種の前の板を見ていた。


「黒川、長陽、永水」


「はい」


 惟種は頷く。


「まずはこの三つです」


 前に自分が示唆した山だ。阿蘇郡内で、鉄気があるとされ、山見の者と猟師、炭焼きが皆それぞれ同じような場所を指した山々。宗運の耳が拾った話とも重なる。


 惟豊が問う。


「本当にそこにあるのか」


 惟種は少しだけ間を置いて答えた。


「あるはずです」


「夢か」


「夢でもあり、理でもあります」


 宗運がその横から口を入れた。


「山見の者の話とも合っております。露頭のある沢筋、赤茶けた石、重い砂、火に入れた時の匂い。少なくとも、掘る価値は十分にございます」


 惟豊は低く頷いた。


「よい。では改めて聞く。そなたは、どう掘るつもりだ」


 そこだ。


 ただ山へ人を入れて掘る、ではない。

 惟種がやりたいのは、もっと違う。


「ただの手掘りではありませぬ」


 惟種は板の一枚を引き寄せた。


「山師が露頭を見つけ、そのまま穴を穿って崩し、良い石だけを拾って去る――そういう山ではなくします」


 宗運の目が、わずかに細くなる。


「ほう」


「坑道を整え、風を通し、水を逃がし、道具を分け、運ぶ筋を決め、記しで動かす山にします」


 惟豊が少しだけ口元を動かした。


「大きく出たな」


「ですが、そうでなければ長うは続きませぬ」


 惟種は続けた。


「掘るだけなら誰でもできます。だが、掘って、運んで、選んで、熔かして、銭にするには順が要る」


 宗運が静かに言う。


「若君の言う順を、申してみよ」


 惟種は待っていたように答えた。


「まず露頭の確認。次に浅い試掘。その後に主坑道。排水路を先に作る。運搬路を整えてから深く入る。さらに、空気の流れを考えて坑口を増やす」


 惟豊はそこで黙った。


 宗運は黙ったまま、しかし視線だけが鋭くなる。


 惟種は、そこで板をもう一枚広げた。


 簡単な絵だ。

 だが、ただの絵ではない。


 坑口。

 主坑道。

 枝坑。

 床の排水溝。

 横に置いた支柱。

 運搬路。

 坑外の洗鉱場と炉場。

 そして少し離れたところに、木の箱のようなもの。


 惟豊が指した。


「これは何だ」


「ふいごです」


「鍛冶場の、か」


「鍛冶場のふいごを、大きくして使います」


 宗運が少しだけ体を前へ寄せた。


「坑道へ、でございますか」


「はい」


 惟種は頷いた。


「坑道は、深く入るほど苦しくなります。灯が弱り、煙や悪い気がこもり、人が長く働けませぬ。だから、空気を動かします」


 惟豊は眉を動かした。


「空気を、動かす」


「自然任せではなく、意図して送るのです」


 惟種は板の木箱を指で叩いた。


「大きな箱ふいごを作ります。吸い口には逆さに戻らぬ弁を付け、吐き口を竹や木の管へつなぐ。それを人力、あるいは後には水の力も借りて、動かす」


 宗運は、しばし無言だった。


 そしてようやく言う。


「……ただの大きなふいごにございますな」


「最初はそうです」


「だが、それで坑内の灯が消えにくくなり、人夫が長く働けるようになる、と」


「はい」


 惟豊はそこで、小さく鼻を鳴らした。


「笑われそうだな」


「最初は」


 惟種は素直に答えた。


「ですが、奥の坑で苦しさが減れば、皆黙ります」


 宗運の口元が、そこでわずかに動いた。


「確かに」


 この人は、そういう地味な工夫の値をよくわかる。


 派手な奇策より、現場が黙って従うものの方が強い。


「それだけではありませぬ」


 惟種はさらに言った。


「道具も分けます」


「分ける」


「はい。掘る道具、割る道具、こじる道具、運ぶ道具、支える道具、測る道具を、それぞれ別にします」


 惟豊は少しだけ笑った。


「今までは混ざっておったか」


「混ざっております」


 惟種は即答した。


「何にでも使える道具は、何にも向かぬことが多い」


 宗運がそこで宗傳の名を呼ばせた。


 ほどなくして、田代たしろ 宗傳そうでんが入り、惟種の前の板を見て、すぐ眉を上げた。


「……これは、忙しゅうなりますな」


「忙しくする」


 惟種が言うと、宗傳は苦笑した。


「何を作ります」


 惟種は待ってましたとばかりに、次の板を出した。


「つるはし」


「はい」


「幅広のものと、細身のもの」


「ほう」


「たがね。平たがね。小槌。大槌。楔。梃子棒」


 宗傳はすでに半ば諦めたような顔で、光永を呼ぶよう視線を送った。どうせ記録が要るとわかっているのだ。


 惟種は止まらない。


「掘る道具は柄の長さを揃える。重さも数種類に絞る。先の角度も役目ごとに変える。修理しやすいよう差し替えにする」


「それだけで、そんなに変わりますか」


 宗傳が問う。


「変わる。特に人が変わっても同じように使える」


 ここが近代化の肝だ、と惟種は思った。


 名人芸に頼らず、誰が使ってもある程度同じだけ働くようにする。

 それは道具の形を揃えることから始まる。


「運ぶものも要ります」


 惟種はさらに続ける。


「背負い籠。木箱。そり。小車。二輪の荷車。滑車。巻上げ胴」


 惟豊が首を傾げた。


「三輪ではないのか」


「山では二輪の方がよいです」


「なぜだ」


「三輪は平地ではよい。だが、山道ではかえって不安定になります」


 宗運がそこで頷いた。


「なるほど」


「坑内も同じです。まず床をならし、幅を決め、良い石とズリの道を分ける。それだけで運びが違う」


 惟豊は何も言わず、板の線を見ている。


 坑口から坑道へ。

 坑道から積み替え場へ。

 積み替え場から洗鉱場へ。

 洗鉱場から炉場へ。


 全部に線がある。


「さらに」


 惟種は、今度は細かな札のようなものを板の横に置いた。


「記しを入れます」


「記し」


 宗運。


「どの坑道がどこへ伸びたか。どこで水が増えたか。どの班がどれだけ掘ったか。どの石の品位が高いか。どの道具が何日持ったか。毎日書きます」


 宗傳が、そこで深く息を吐いた。


「……それ、誰が書きます」


「光永」


 呼ばれた本人は、障子の外からもう半ば聞いていたらしく、静かに入ってきて頭を下げた。


「承ります」


「お前、嫌と言え」


 惟種が言うと、光永は真顔で答えた。


「記しのない山は、いずれ崩れます」


 宗運が思わず、といった顔で光永を見た。


 たしかに、この少年は惟種に毒されている。


 だが悪くない。

 むしろ必要だ。


 惟豊がそこで、ようやくはっきりと口を開いた。


「面白い」


 短い。


 だが、これはかなり前向きの時の声だ。


「単なる山師仕事ではないな」


「はい」


 惟種は父を見た。


「一時掘って捨てる山ではなく、阿蘇の財と兵を支える山にします」


「すると、ただ掘るだけではない」


「道も要ります。鍛冶も要ります。木工も要ります。人夫小屋も、道具小屋も、洗う場も、炉場も、記しを置く場所も要ります」


 惟豊は笑った。


「山一つで村が立つな」


「立てます」


 そこで宗運が、静かに本質を言った。


「つまり若君は、山を掘るのでなく、山で一つの仕事場を作るおつもりだ」


「はい」


「妙に整いすぎて見える山になりますな」


「坑道はまっすぐ。床には排水溝。換気のための立坑。危ない場所には支柱。良鉱とズリは分ける。洗鉱と製錬も分ける。人夫は班で動かす」


 宗傳が、もう半ば諦め顔で笑った。


「山師どもが見れば、気味悪がりましょうな」


「気味悪がらせる」


 惟種は即答した。


「感覚でやるより、決まりでやった方が強い」


 宗運は、そこで一つ頷いた。


「よろしい」


 惟種は少し驚いた。

 この人がそこまで早く腹を決めるとは思わなかった。


 宗運は続ける。


「山の場所を知っている。掘る順を知っている。風の価値を知っている。道具を揃える。記しで動かす――ここまで揃えば、普通の山師には勝てませぬ」


 惟豊も同じだった。


「ならばやれ」


 短い。


 だが、これも決裁の声だった。


「まずどこからだ」


 惟種はすぐに答えた。


「黒川からが良いかと。露頭が取りやすく、まず当たりを見せやすい」


「長陽は」


「次です。永水はさらにその後」


「期間は」


 ここも惟種はすでに考えていた。


「一〜三か月で石は出せます」


 惟豊が眉を上げる。


「早いな」


「場所を知っているからです」


 惟種ははっきり言った。


「普通は当たり外れに賭けます。ですが、こちらは最初から当たる山を掘る」


 宗運がそこで低く笑った。


「夢とは、便利なものですな」


「便利でなければ困る」


 惟種がそう返すと、宗傳まで吹き出しそうになる。


 惟豊は板を指した。


「その後は」


「三〜六か月で坑道を整える。半年から一年で換気を入れる。さらにその先で洗鉱と製錬を分ける」


 惟種は、一つずつ言った。


「一〜三か月で石が出る。三〜六か月で小さく銭になる。半年から一年で、風と道の効果が出る。一〜二年で歩留まりが安定する。三〜五年で本格の山です」


 宗運が、そこで少しだけ口元を引き締めた。


「……三〜五年で、政治と軍を支える山になりますか」


「なります」


「その間、我らは人夫と職人を食わせねばならぬ」


「はい」


「それでもやる価値がある」


「あります」


 答えながら、惟種は自分の中でそれをはっきり感じていた。


 田は毎年の腹を支える。

 市は銭を回す。

 だが鉱山は、その先だ。

 鍛冶を支え、道具を支え、いずれ兵の質まで変える。


 惟豊が最後に言った。


「よし。まずは黒川を開く」


 部屋の空気が、そこで決まった。


「人は」


 宗運が言う。


「山の耳、炭焼き、猟師、杣、鍛冶、木工、荷運び。最初は少なく、だが信用のおける者で固めます」


「うむ」


「若君」


 宗運が惟種を見る。


「最初の山を開くとき、何を優先します」


 惟種は答えた。


「掘ることではなく、水です」


 惟豊と宗傳が同時に少し驚いた顔をした。


「水か」


「はい。水に負ける山は、深く入れぬ。だから最初に排水路を切る。次に道。そしてそのあとで掘る」


 宗運が深く頷いた。


「よろしい。山師は石を見ますが、若君はまず水を見る」


「山を殺すのは、崩れと水です」


 宗傳が、そこで板へ書き留めた。


 ――まず水を見よ。


 たぶん、後で宗傳自身が使うつもりなのだろう。


 惟豊が立ち上がった。


「話は決まった。黒川を開く。まずは小さく当てる。だが、中は大きく作れ」


 宗運も立つ。


「承知」


 惟種も頭を下げる。


 だが、その時になって、ふと思い出したことがあった。


「灯りも要ります」


 宗運が足を止める。


「灯り」


「坑内の灯です」


 惟種は言った。


「ガラスがあるなら、風除けの灯を作れる。油皿に芯を置き、ガラスで覆えば、坑口や浅い坑ではかなり持つ」


 宗傳が目を瞬かせた。


「……提灯、のようなものにございますか」


「名は何でもよい。だが、灯が消えにくくなる」


 宗運が、その言葉を受けるように言った。


「山でも、鍛冶場でも、夜の手が伸びるな」


「はい」


「では、それも作ります」


 そこまで言われると、惟種は少しだけ笑った。


 自分が次から次へ物を増やしても、宗運はもう止めない。

 いや、止めるべきものと進めるべきものを分けたうえで、進める方は容赦なく通す。


 だから阿蘇は速いのだ。


 座敷を出る時、惟種は黒川の見取り板をもう一度見た。


 山はまだ、静かなままだ。


 だがその腹の中には、これから掘り出される鉄がある。

 その鉄は、鍛冶へ回り、農具となり、道具となり、兵の力となる。

 その山を、今度は阿蘇が管理する。


 ただの戦国の穴山ではない。

 風が通り、水が逃げ、道具が分かれ、記しで動く山。


 見た目は、きっと奇妙だろう。

 だが、それでよい。


 未来はたいてい、最初は奇妙に見える。


 外へ出ると、阿蘇の空はすでに夕方へ傾いていた。

 風は冷たい。

 けれど惟種の胸の内には、鍛冶場の火より少し深い熱があった。


 次は山だ。


 そして、山を開くということは、阿蘇の未来をまた一つ掘り当てるということだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

同作者の別連載
『異世界エンゲージ ~毎日のパック開封でカード使いは帰還を目指す~』
こちらも覗いていただけると嬉しいです。

― 新着の感想 ―
 面白いです。わざとか誤用か分からない違和感のある文章が所々にありましたが、先が気になって読み進めたくなります。  この回では「ガラス」と言う言葉を使いましたが、玻璃に統一した方が雰囲気が良いと思い…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ