第二十四話 南の家の悲願
天文十四年(一五四五年)十月。
薩摩。
島津の館。
座敷の中央に、小さな皿が置かれていた。
中にあるのは、ほんの僅かな金色の粒だった。陽の光を受ければ、確かに鈍く輝いている。
量だけを見れば、大したものではない。
だが、そこにいる者たちは、誰一人として軽く見ていなかった。
「出たか」
島津貴久が尋ねる。
「はい」
伊集院忠朗が頭を下げた。
「阿蘇より渡された絵図に記された川筋。そこで砂を洗わせましたところ、間違いなく」
忠朗は皿へ目を向けた。
「砂金が出ました」
座敷が静まり返った。
上座にいるのは貴久。
その近くには父の日新斎、少し下がった場所には樺山善久が座している。
甲斐宗運から渡された一枚の紙には、山と川と道、そして川砂を洗うべき場所が記されていた。
半信半疑ではあったが、確かめるだけなら難しくない。人を送り、砂を取らせて水で洗わせたところ、本当に砂金が出た。
「場所に違いは」
「ほぼございませぬ」
「偶然ではないのか」
善久が尋ねた。
「一度ではございませぬ」
忠朗が答える。
「場所を少し変え、幾度か試しております。それでも出ました」
「…………」
善久が腕を組んだ。
貴久は皿の中にある砂金を見つめている。
「良い話ではございます」
やがて忠朗が言った。
「ですが」
少し間を置く。
「まずい話でもございます」
「申してみよ」
「は」
忠朗は顔を上げた。
「川砂に金が混じるのであれば、その元がどこかにあると考えるのが自然にございます」
「うむ」
「山か、岩か、さらに上流か。そこまではまだ分かりませぬ」
忠朗は一度、皿へ目を落とした。
「ですが」
貴久を見る。
「阿蘇の若君は、知っている可能性がございます」
善久の眉が動いた。
日新斎だけは、何も言わない。
貴久が静かに問い返した。
「なぜ、そう思う」
「場所が正確すぎます」
忠朗は答えた。
「薩摩へ来たこともない五つの童が、川筋を一つ選び、ここを洗えと申した。そして、その通りに砂金が出た」
「ならば、その先まで知っていても不思議ではないと」
「少なくとも、疑うべきかと」
貴久は黙った。
確かに、砂金の出る場所だけを都合よく知っているというのも妙だった。もしその元となる山まで知っているのなら、話は大きく変わる。
「つまり」
善久が低く言った。
「阿蘇は、我らの知らぬ薩摩の利を、我らより先に知っておった」
「そのようになります」
「面白くないな」
「はい」
善久は皿の中の砂金を見る。
「自ら取りに来るには遠い。だが、阿蘇が欲すれば、自ら取る必要すらない」
貴久の目が僅かに動いた。
「どういう意味だ」
「この場所を、我らと争う者へ教えるだけでもよい」
座敷の空気が僅かに重くなった。
忠朗も頷く。
「あるいは、別の家へ売ることもできましょう」
「それをせず」
貴久が呟く。
「我らへ渡した」
「はい」
そこだった。
敵として奪いに来るなら分かる。金を欲しいと言われても、何かと引き換えに情報を売ると言われても理解できる。
だが、阿蘇は違った。
玻璃を贈り、砂金の場所まで教え、そのうえで求めたのは、互いに話のできる道と、互いに利のある関係だけだった。
「阿蘇は、何を考えている」
善久の言葉に、忠朗はすぐには答えなかった。
「甲斐宗運の言葉を、そのまま信じるなら」
やがて口を開く。
「まずはこちらへ示したかったのでしょう」
「何をだ」
「阿蘇は、求めるだけの家ではないと」
忠朗は砂金を見る。
「付き合えば、島津にも利がある。その証を先に置いた」
貴久が僅かに息を吐いた。
「大きく出たものだ」
「はい」
「まだ大国でもない阿蘇が」
「ですが」
忠朗は静かだった。
「この砂金が、その言葉へ重みを与えました」
誰も否定しなかった。
玻璃だけなら珍しい品を贈ってきたで終わり、境目の戦に勝っただけなら少し力をつけたのだろうで済む。
だが今回は、島津自身が知らなかった利を一つ持ってきて、それが本物だった。
次に阿蘇が何かを言った時、もう同じようには聞けない。
「そうか」
そこで、日新斎が笑った。
「父上?」
貴久が目を向ける。
「いやいや」
日新斎は皿の中の砂金を眺めながら、実に楽しそうに笑っている。
「阿蘇の鬼童とは聞いておったが」
「父上……」
「わしには、そろそろ化け物の類に見えてきたぞ」
「五つの童を捕まえて、化け物とは」
「では違うと申すか」
「…………」
貴久は黙った。
日新斎の口元には笑みがある。
だが、目は笑っていなかった。
忠朗には分かった。
この人は、面白がっているだけではない。
阿蘇惟種という五歳の童が、十年後、二十年後に何になるのか。
そこまで考えている。
「鉄の場所を当てたという話もあったな」
日新斎が忠朗へ尋ねる。
「はい。甲斐殿の話では、阿蘇で三か所」
「玻璃も作る」
「はい」
「田も変えた」
「そのように聞いております」
「戦へ出れば、伏兵まで先に見つけた」
「そこは遠くを見る筒を用いたとも」
「その筒も若君が作らせたのであろう?」
「……はい」
日新斎の肩が僅かに揺れた。
「やはり、ただの童ではないな」
今度は化け物とは言わなかった。
だが、先ほどより声は低かった。
まだ五歳。
本来なら、大人に守られる年齢である。
それが国を富ませることを考え、新しい品を作り、鉱の場所を当て、戦場では新しい道具を使い、さらに他家との外交にまでその知識を札として切ってくる。
尋常ではない。
「それで」
日新斎が笑みを消さぬまま言った。
「当家は、どうする」
貴久が父を見る。
「父上」
「何だ」
「それを私にお聞きになりますか」
「聞くとも」
日新斎は平然としていた。
「そなたが当主であろう」
「…………」
「わしは隠居の身よ」
「どの口が申されます」
「この口だ」
善久が僅かに顔を伏せた。
忠朗も視線を落とす。
笑ってはいけない。
貴久は深く息を吐いた。
「まったく……」
「して?」
日新斎が促す。
貴久の表情から、息子の顔が消えた。
島津家当主の顔になる。
「敵対は論外だ」
即答だった。
忠朗が僅かに目を上げる。
「今、阿蘇へ刃を向けて何になる。阿蘇は遠く、間には他家もあり、こちらにはまだ片付けねばならぬものがいくらでもある」
「うむ」
「そのうえ向こうは、こちらへ利を差し出してきた」
貴久は皿の砂金を見る。
「これを受け取りながら、疑うばかりで何も返さぬようでは、次はない」
日新斎の目が僅かに細くなった。
「ならば」
「親交を始める」
貴久が言い切った。
「阿蘇から使者が来れば粗略に扱うな。商いの道も探れ。こちらからも返礼を出す」
「何を返されます」
忠朗が尋ねる。
「南の品をいくつか選べ。金額を合わせればよいという話ではない。阿蘇が見て、島津と付き合う利があると思うものにせよ」
「承知いたしました」
「それと」
貴久は忠朗を見る。
「阿蘇について、さらに調べよ」
「は」
「石高、田が増えたという話の真偽、市や鍛冶、人の出入り、それに玻璃をどれほど作れるのかまで調べよ」
「承知しました」
「そして」
一拍。
「若君だ」
「鬼童を?」
日新斎が横から口を挟む。
「父上」
「すまん」
まったくすまなそうではない。
貴久は無視した。
「阿蘇惟種が、どこまで本物か。あの童一人が異様なのか、それとも甲斐宗運が後ろですべてを作っているのか」
「私が見た限り」
忠朗が答える。
「甲斐宗運は、若君の言葉を実際に動かせる形へ直しているように見えました」
「なら、両方か」
「おそらく」
貴久が苦笑した。
「それが一番厄介だな」
「はい」
優れた考えを持つ者がいても、実行する者がいなければ夢で終わる。
逆に、実行する者が優れていても、進む先を示す者がいなければ家は大きく変わらない。
阿蘇には、どうやらその両方がいる。
◇
「貴久」
日新斎が呼んだ。
「はい」
「阿蘇の若君は、我らをこれから伸びる家と見ておるのであったな」
「そのようです」
「ゆえに、今から道を作りたいと」
「はい」
日新斎は少しだけ笑った。
「面白いではないか」
「何がです」
「他家の童に、我らの先を買われたのだぞ」
貴久は答えなかった。
その意味は分かる。
今の島津は、まだ完成した家ではない。家中のすべてがまとまったわけでもなければ、南九州を思うままにできるわけでもない。
だが、目指すものはある。
貴久はゆっくりと口を開いた。
「われらの悲願は、薩摩だけで終わることではない」
善久も忠朗も、黙って聞いた。
「大隅、日向、そして薩摩」
貴久は三つの名を口にした。
「三州を一つにする」
座敷が静まった。
「それが、島津の悲願だ」
忠朗は頭を下げたまま、その言葉を聞く。
薩摩だけでも大隅だけでも足りず、日向まで含めた三州を一つの力として動かす。
それが、この家が長く抱いてきた望みだった。
日新斎が静かに続ける。
「土地を取るだけでは足りぬぞ、貴久」
「承知しております」
「ならばよい」
口元にはまだ笑みがある。
だが、声に軽さはなかった。
「三州を持っても、家中が割れておれば何にもならぬ。取った土地から人が逃げ、国衆が背を向ければ、ただ地図の色が変わっただけよ」
貴久が頷く。
「ゆえに、まず家中をまとめます。そのうえで大隅、日向へ伸びる」
「それでこそ三州を一つにしたと言えよう」
善久が低く言う。
「その先には、北もございますな」
貴久の目が善久へ向く。
「そうだ」
九州の南をまとめたからといって、世界がそこで終わるわけではない。
北には相良がいる。
その先には肥後。
さらに大友がいる。
「三州を一つにするなら、いずれ北を見ぬわけにはいかぬ」
貴久が言う。
「その時、肥後東寄りにある阿蘇が敵か、話のできる家か。その違いは小さくない」
「まして」
忠朗が補う。
「阿蘇もまた、大友を意識しております」
「であろうな」
貴久は頷いた。
「ならば、今すぐ阿蘇を敵に置く意味はなおさらない」
善久が腕を組む。
「むしろ、南をまとめる間に北の一方と話ができるなら、悪い話ではございませぬ」
「うむ」
「ただし」
日新斎が口を挟む。
三人の目が集まった。
日新斎は相変わらず笑っている。
「呑み込む気で近づくな」
貴久の目が僅かに細くなった。
「父上」
「今の阿蘇を、小さいからと下に見れば失敗する」
「…………」
「相手もこちらを見ておる。ならば、こちらも相手を見る。ただそれだけでよい」
日新斎は皿の砂金へ目を落とした。
「敵にするな」
一拍。
「だが、信じ切るな」
もう一拍。
「縁を保て。利を交わせ。その童が、本当にどこまで育つのかを見よ」
貴久は静かに頷いた。
「はい」
◇
話は、それで終わらなかった。
忠朗と善久が、今後どこから何を探り、どの噂を信じ、何を捨てるのかを詰めていく。
阿蘇へ向かう商人、肥後から来る者、寺、旅人。
貴久はその話を聞きながら、先ほどまでとは別のことを考えていた。
(阿蘇……)
今はまだ、九州を左右するほどの大国ではない。
だが、田が増え、人が集まり、市が動き、玻璃を作り、鉄を掘っている。
そして、五歳の若君がその先を見ている。
(このまま育てば)
大きくなる。
どこまでかは分からない。
だが、今より大きくなる可能性は高い。
そこで、貴久はふと気づいた。
(……同じではないか)
阿蘇の若君は、島津が大きくなってから近づいたのでは遅いから、今のうちから付き合いたいと考えたという。
ならば、逆も同じだ。
(阿蘇が大きくなってからでは遅い)
今なら、島津と阿蘇はまだ互いに値を量りながら道を作れる。
だが、五年、十年と阿蘇が太り続ければ、その時になって求める縁が今と同じ条件とは限らない。
(早いうちから、こちらも糸を持っておくべきだな)
親交や商い、人の往来。
そのさらに先には――。
(場合によっては)
貴久の目が僅かに細くなる。
(血を入れるのも一手か)
婚姻はまだ先の話で、相手も五歳。
こちらも阿蘇が本当に伸びるのか、もう少し見なければならない。
それでも、今から考えておく価値はある。
奇しくも、阿蘇惟種が島津へ抱いたものと、ほとんど同じ考えだった。
「ふむ」
声がした。
貴久が顔を上げる。
日新斎がこちらを見ていた。
「何です、父上」
「いや」
「…………」
嫌な予感がする。
この父が「いや」と言う時は、大抵何か考えている。
「何を考えておられます」
「そなたが、ようやく先を考えておるようで安心しただけよ」
「それはどうも」
「親交を始める」
「はい」
「阿蘇を調べる」
「はい」
「先々には、もっと深い縁も考える」
「…………」
貴久の顔が僅かに止まった。
「父上」
「何だ」
「人の考えを勝手に読むのはおやめください」
「顔に出ておったぞ」
「出しておりませぬ」
「そうか?」
日新斎が楽しそうに笑う。
口元だけは。
貴久はまたため息をついた。
「まあ」
日新斎は膝へ手を置いた。
「方針は分かった」
「はい」
「ならば」
立ち上がる。
「次は、わしが見てこよう」
「…………」
貴久が固まった。
忠朗も、善久も。
一瞬、誰も言葉を返さなかった。
「父上?」
ようやく貴久が声を出す。
「何だ」
「どこへ行かれるおつもりです」
日新斎は、さも当然のことのように答えた。
「阿蘇よ」
「なぜです!」
「決まっておろう」
日新斎は笑った。
「鬼童――」
「父上」
「分かった分かった」
笑いながら言い直す。
「阿蘇惟種という童を、わし自身の目で見てみたい」
「忠朗が見ております」
「忠朗の目を疑ってはおらぬ」
「ならば」
「人の話を聞くのと、自分で見るのは違う」
日新斎の笑みは消えない。
だが、やはりその目だけは笑っていなかった。
「砂金の場所を言い当てる五歳児だぞ」
静かな声だった。
「しかも、我らがこれから伸びると見て、先に手を伸ばしてきた」
一拍。
「ならば、わしも見ておかねばなるまい」
「父上……」
「何もせぬよ」
日新斎は軽く手を振った。
「見に行くだけだ」
貴久の眉間に皺が寄った。
善久が顔を伏せる。
忠朗も黙った。
この人が、ただ見に行くだけで終わるのか。
誰も、そうは思っていなかった。
日新斎は、そんな三人を見て、また楽しそうに笑った。
南の家には、薩摩・大隅・日向の三州を一つにするという悲願がある。
その道はまだ遠い。
だが、その長い道の北側には、阿蘇という家がある。
そして今、島津は初めて、その家を現在の大きさではなく、これから何になるのかという目で見始めていた。




