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火の山の若君は、未来を夢に見る ~阿蘇家嫡流の若君、名臣甲斐宗運と乱世を切り拓く~  作者: アトラス


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第二百二十九話 無理だと思うがな

 天文二十一年(一五五二年) 十一月


 船は、府内の港を離れていた。


 風は悪くない。


 波も穏やかである。


 京へ向かう旅としては、上々の船出だった。


 ただ一人。


 阿蘇惟種を除いては。


「なぜ、わしが行かねばならぬのだ」


 惟種は、船縁にもたれて呟いた。


「確かに、陛下へは申し上げた」


 疱瘡を防ぐ術。


 種痘が完成したと。


「だが、完成したばかりではないか」


 術そのものは完成した。


 だが。


 各地で試し。

 医師を育て。

 道具を整え。


 ようやく広め始めたところである。


「まだ普及の途中だ」


 もう少し様子を見てもよかった。


 半年。


 いや。


 一年くらい延ばしても、誰も困らなかったはずだ。


「すべて、公方様が悪い」


 惟種は、海へ向かって言った。


「わしの名を勝手に使いおって」


 誰も返事をしない。


「それに、細川晴元なる者もだ」


 惟種は続けた。


「ぐちぐちぐちぐちと、余計なことを申してくれたものよ」


 正確には。


 晴元本人とは、まだ一言も話していない。


 だが。


 宗徹が来なければ。


 これほど早く京へ向かうこともなかった。


 ゆえに、晴元が悪い。


 惟種の中では、そうなっていた。


「阿蘇へ参ってから」


 塚原卜伝が口を開いた。


「退屈せぬ」


 惟種が振り返る。


「師匠。わしは退屈したいのです」


「そうか」


 卜伝は、それだけ言った。


 近くでは、愛洲小七郎と島津義弘が顔を見合わせている。


 二人とも、口元が緩んでいた。


「何がおかしい」


「いえ」


 小七郎が答える。


「何も」


 義弘も続けた。


「何もございませぬ」


「ならば、笑うな」


 二人は揃って顔を伏せた。


 肩が震えている。


「若君」


 鍋島種茂が、書付を広げた。


「京へ到着した後の段取りでございますが」


「うむ」


「まず宿所へ入り、先に遣わした者から、参内の日取りを確かめます」


「任せる」


「続いて、公方様の御所へ伺候し、御挨拶を」


「委細任せる」


「種痘につきましては、医師とともに説明の場を設けます」


「それも任せる」


 種茂が顔を上げた。


「まだ半分も申し上げておりませぬ」


「全部任せる」


「若君」


「何だ」


「公方様の御所と禁裏へ赴かれるのでございます」


「分かっておる」


「聞いておられるようには見えませぬ」


 戸次鑑連が、深く息を吐いた。


「若君」


「今度は何だ」


「京へ遊びに行かれるのではございませぬ」


「分かっておると言っておろう」


「では、少しは真面目にお聞きくだされ」


 惟種は唇を尖らせた。


 だが。


 すぐに姿勢を直した。


「分かっておる」


 今度の声は、先ほどより低かった。


「公方様が、何を考えておられるのか」


 惟種は海へ目を向けた。


「正直、図りかねておる」


 ただ。


 阿蘇家の力を得たことで、増長したのか。


 細川晴元を三好長慶に討たせ。


 その後、三好の力まで削るつもりなのか。


 あるいは。


 さらに別の考えがあるのか。


「どちらにせよ、直接話さねば分からぬ」


 鑑連が頷いた。


「左様にございます」


「それに」


 惟種は腕を組んだ。


「細川と三好が争っているらしいな」


「はい」


 種茂が答えた。


「丹波筋では、すでに兵がぶつかっております」


「されど、宗運殿によれば」


「本気で決着をつける気配が薄い、であろう」


「はい」


 三好長慶が、公方の命を真に受け。


 本気で晴元を討つのであれば。


 もっと激しく攻めてもよいはずだった。


 だが。


 争ってはいる。


 兵も出ている。


 実際に、幾度もぶつかっている。


 それなのに。


 どこか鈍い。


 晴元方を追い詰めるわけでもない。


 退路を断つわけでもない。


 決定的な一戦を避けているようにさえ見える。


「怪しいな」


 甲斐親英が呟いた。


「うむ」


「京へ着きましたら、周囲を探らせますか」


「頼む」


 親英が頭を下げた。


「それと」


 惟種は一同を見回した。


「堺へ着いた後も、船は帰すな」


 種茂が眉を寄せる。


「船を、でございますか」


「水夫も兵糧も残しておけ。いつでも九州へ戻れるようにな」


「まだ京へも着いておりませぬが」


「だからこそだ」


 惟種は胸を張った。


「禁裏へ参り、種痘の話をする」


「はい」


「公方様と話す」


「はい」


「細川と三好の様子を確かめる」


「はい」


「終われば帰る」


 種茂は、しばらく惟種を見た。


「そのように、簡単に運びますでしょうか」


 惟種は、遠ざかる九州を見た。


 これまで京へ関わった時。


 簡単に終わったことなど、一度もない。


「今までの傾向では」


 惟種は、小さく息を吐いた。


「無理だと思うがな」


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