表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
火の山の若君は、未来を夢に見る ~阿蘇家嫡流の若君、名臣甲斐宗運と乱世を切り拓く~  作者: アトラス


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
231/239

第二百二十八話 知らんがな

 天文二十一年(一五五二年) 十月 


 阿蘇惟種の前に、いくつもの箱が並べられていた。


 若狭の干鯛。

 京染めの反物。

 香木。


 そして。


 細川京兆家に伝わる品だという硯。


 豪華すぎるわけではない。


 されど。


 粗末でもない。


 使者を送り。


 目通りを願うための品としては、十分なものであった。


「此度は、突然の願いにもかかわらず、御目通りをお許しいただき、厚く御礼申し上げまする」


 使者が、深く頭を下げた。


 波々伯部宗徹。

 細川晴元の家臣である。


「細川晴元が家臣、波々伯部宗徹にございます」


「うむ」


 惟種は頷いた。


「遠路、ご苦労であった」


「はっ」


「細川殿にも、心遣い痛み入ると伝えてくれ」


「ありがたきお言葉にございます」


 宗徹が、再び頭を下げた。


 礼儀正しい。


 言葉にも敵意はない。


 表情も穏やかである。


 だが。


 惟種は思っていた。


 何で来たん?


 細川晴元の使者が。


 わざわざ若狭から九州まで。


 何の用があるというのか。


 正直に言えば。


 惟種は、京の争いに興味がなかった。


 三好長慶。

 細川晴元。

 細川氏綱。

 足利義藤。


 勝手にやってくれ。


 九州まで巻き込まなければ、それでよい。


 今回の面会も。


 宗運か、それが無理なら、権太に任せてもよかった。


 どうせ顔など知られていない。


 影武者でも、何とかなる。


 そう思っていたのだが。


『細川晴元の名代にございます』


 宗運は、静かにそう言った。


『若君御自身がお会いになるべきかと』


『宗運でよくないか?』


『なりませぬ』


『権太は?』


『なりませぬ』


『なぜだ』


『近く予定しております京行きに関わる話かもしれませぬゆえ』


 そう言われては。


 会わないわけにもいかなかった。


 京へ行く日取りが延びる。


 あるいは。


 行かずに済む。


 その可能性があるならば。


 話くらいは聞いてもよい。


 その程度の気持ちで、惟種は宗徹と向き合っていた。


 隣には、甲斐宗運が控えている。


 惟種は、宗徹へ目を向けた。


「それで」


 宗徹が顔を上げる。


「波々伯部殿。いかなる御用向きか」


「はっ」


 宗徹は、一度姿勢を正した。


「阿蘇殿に、幕府について」


 わずかに間を置く。


「そして、公方様について、お伺いしたき儀があり、参りました」


 惟種の眉が、ほんの少し動いた。


 嫌な予感がする。


「ほう」


 だが。


 顔には出さない。


「それで?」


「まず、申し上げておかねばならぬことがございます」


「申せ」


「当家には、阿蘇家と敵対する意思はございませぬ」


 宗徹が深く頭を下げた。


「晴元様も、阿蘇殿へ弓を引くお考えは、一切ございませぬ」


「うむ」


「また、公方様へ逆らうことを望んでおられるわけでもございませぬ」


 惟種は黙って聞いていた。


 宗徹の言葉は慎重だった。


 一つ一つ。


 相手の表情を確かめるように進めている。


「されど」


 宗徹が言った。


「近頃、公方様より下される御沙汰には、阿蘇殿のお名前が添えられることが、少なくございませぬ」


 惟種は瞬きをした。


「わしの名が?」


「はっ」


「どのように」


「公方様の御意に逆らうことは、すなわち阿蘇家の御意にも逆らうことであると」


 宗徹は言葉を選んだ。


「そのように受け取れる御沙汰が、重ねて下されております」


 惟種は、宗運を見そうになった。


 どういうことだ。


 聞いていない。


 だが。


 ここで宗運を見るのはまずい。


 惟種は、何事もなかったように宗徹へ視線を向けたままにした。


「当家といたしましても」


 宗徹が続ける。


「公方様へ異を唱えるつもりはございませぬ」


「うむ」


「されど、公方様へ申し開きをいたそうにも、その御沙汰が阿蘇殿の御意でもあるならば」


 宗徹が頭を下げた。


「我らが申し上げることは、阿蘇家のお働きを妨げるものとなりかねませぬ」


「……なるほど」


「ゆえに、進言すらできぬ状態にございます」


 惟種は、小さく息を吐いた。


 宗徹が、まっすぐに惟種を見る。


「阿蘇殿」


「何だ」


「公方様が、事あるごとに阿蘇家のお名前をお出しになる」


 宗徹の声は穏やかだった。


「そのような状態を、御家としてお望みなのでございましょうか」


 知らんがな。


 惟種は、心の中で頭を抱えた。


 京のことは。


 京で勝手にやってくれ。


 なぜ九州にいるわしの名が。


 そこで飛び交っておるのだ。


 しかも。


 公方様に逆らうのか。


 阿蘇家に逆らうのか。


 そのような使われ方をしているらしい。


 聞いていない。


 何一つ聞いていない。


 だが。


 ここで、


『知らぬ』


 とは言えない。


『公方様が勝手に使っている』


 とも言えない。


 そんなことを口にすれば。


 宗徹は、そのまま晴元へ持ち帰る。


 公方と阿蘇の間には隙がある。


 好きに入り込め。


 そう教えるようなものだ。


 かといって。


『すべて、わしの考えである』


 とも言えない。


 知らないのだから。


 惟種は、しばらく黙った。


 宗徹も待っている。


 広間が静まり返った。


 その沈黙の中。


 惟種の腹の底から。


 少しずつ苛立ちが湧いてきた。


 公方様は。


 勝手にわしの名を使う。


 晴元は。


 その真意を確かめるため、九州まで使者を送ってくる。


 どちらも。


 なぜ、わしを巻き込む。


「波々伯部殿」


 惟種が口を開いた。


「はっ」


「細川殿は、わしに何を望んでおられる」


 宗徹が、わずかに目を伏せた。


「我が殿は、ただ阿蘇殿の御存意を――」


「それを確かめて、どうする」


「は」


 惟種の声は荒くない。


 だが。


 広間の空気が変わった。


「わしの意であれば、公方様の御沙汰に従うのか」


「……」


「わしの意でなければ、公方様に背くのか」


「そのような意味ではございませぬ」


 宗徹が、すぐに答えた。


「では、何のために聞く」


「公方様と阿蘇家との御関係を取り違え、思わぬ不調法を働くことがなきようにと」


「ほう」


 惟種は宗徹を見た。


「わしと公方様との間柄を、細川殿へ申し開けと申すか」


「決して、そのような――」


「ならば」


 惟種が遮った。


「この問いは、わしの答え次第で、細川殿の出方が変わるという意味か」


「それは」


「まさか」


 惟種は、わずかに身を乗り出した。


「細川殿は、阿蘇家と事を構えるおつもりではあるまいな」


「滅相もございませぬ」


 宗徹が、即座に頭を下げた。


「晴元様に、そのようなお考えは毛頭ございませぬ」


「ならばよい」


 惟種は、背を戻した。


 宗徹の額に、わずかに汗が浮かんでいる。


 惟種は、それを見ながら思った。


 別に。


 わしも敵対したいわけではない。


 ただ。


 関わりたくないだけだ。


「公方様の御沙汰は、公方様の御沙汰だ」


 惟種は言った。


「阿蘇家の存意は、阿蘇家より伝える」


「はっ」


「公方様がわしの名を出されたからといって、その御沙汰のすべてが、わしの言葉になるわけではない」


 宗徹が顔を上げる。


「では」


「だが」


 惟種が遮った。


「公方様と阿蘇家の間柄を、細川殿へ説明するつもりもない」


「……はっ」


「公方様とのことは、わしと公方様との間で話す」


「されど、我が殿といたしましては――」


「細川殿が、どのように受け取られるかまでは知らぬ」


 惟種は、宗徹をまっすぐに見た。


「好きなように解釈されて構わん」


「阿蘇殿」


「ただし」


 惟種の声が低くなる。


「わしの言葉を、勝手に曲げられては困る」


 宗徹が、再び頭を下げた。


「はっ」


「こちらから申すことは、これで終わりだ」


 惟種は立ち上がった。


 もうよい。


 これ以上話しても。


 面倒なことが増えるだけだ。


 宗徹が、慌てて顔を上げる。


「お待ちくだされ、阿蘇殿」


「若君」


 宗運の声がした。


 惟種の足が止まる。


「何だ」


「遠路より参られた使者にございます」


「だから何だ」


「お見送りくらいは、最後までなされませ」


 惟種は宗運を見た。


 宗運も惟種を見る。


 その表情は変わらない。


 たしなめているのか。


 それとも。


 宗徹へ見せるための芝居なのか。


 惟種にも分からなかった。


「……分かった」


 惟種は、ゆっくりと腰を下ろした。


 宗運が、宗徹へ向き直る。


「波々伯部殿」


「はっ」


「若君のお言葉どおり、公方様の御沙汰は、公方様より下されたものにございます」


「承知しておりまする」


「また、阿蘇家の存意につきましては、阿蘇家より伝えることとなりましょう」


「はっ」


「近く」


 宗運が続けた。


「若君御自身が京へ赴き、公方様と直接お話しになる機会もございます」


 えっ。


 惟種の思考が止まった。


 近く?


 そうなの?


 いや。


 京へ行く話はあった。


 確かにあった。


 だが。


 日取りはまだ決まっていなかったはずだ。


 惟種は宗運を見たかった。


 ものすごく見たかった。


 だが。


 宗徹がこちらを見ている。


 動けない。


「公方様が阿蘇家へ何をお求めなのか」


 宗運は続けた。


「また、阿蘇家が幕府へどこまで力を尽くすのか」


「その折に、改めて話を詰めることとなりましょう」


 宗徹が、わずかに目を細めた。


「では、公方様の御沙汰につきましても」


「公方様と若君との間で話すべきことにございます」


 宗運が静かに答えた。


「本日、この場でお答えできることはございませぬ」


「……承知いたしました」


 宗徹が頭を下げる。


「遠路はるばる、誠にご苦労にございました」


「いえ」


「晴元様には、若君のお言葉を、そのままお伝えくだされ」


 宗運の声が、わずかに低くなった。


「そのまま、にございます」


「はっ」


 宗徹が、さらに深く頭を下げた。


 これ以上。


 問いを重ねることはできなかった。


「波々伯部殿」


 惟種が言った。


「はっ」


「細川殿には、返礼を送ろう」


「ありがたきお言葉にございます」


「敵意がないという言葉も、承った」


「はっ」


「ならば、こちらから細川殿を敵とする理由もない」


 宗徹の表情が、わずかに緩んだ。


「そのお言葉、晴元様もお喜びになりましょう」


「うむ」


 惟種は頷いた。


「それでよいな」


「はっ」


「では、今日は休まれよ。帰りの船も用意させる」


「御厚意、痛み入りまする」


 宗徹は、深く頭を下げた。


 今度こそ。


 面会は終わった。


 惟種と宗運が広間を出ていく。


 宗徹は、その背を見送った。


 阿蘇惟種。

 公方第一の臣。

 公方のために兵を進め。

 三好との和議を整え。

 公方を京へ戻した男。


 そのように聞いていた。


 だが。


 公方の御沙汰すべてを、自らの意思だとは認めなかった。


 かといって。


 公方との間に隙があるとも言わなかった。


 晴元へ味方するとも。


 公方を見限るとも。


 何一つ約束していない。


 ただ。


 阿蘇家に敵意があるのか。


 そう問われただけで。


 宗徹は、それ以上踏み込むことができなくなった。


「大国の主、か」


 宗徹が呟く。


 阿蘇惟種は。


 細川晴元の出方を恐れていない。


 公方の御意に従うだけの男でもない。


 己の考えを明かさず。


 相手にだけ、敵意がないことを認めさせた。


 そして。


 近く、惟種本人が京へ赴く。


 その時。


 公方と阿蘇の間で、何が話されるのか。


 細川家は。


 その答えを待つしかない。


「さて」


 宗徹は、目の前に残された茶へ手を伸ばした。


「晴元様へ、どのように申し上げるべきか」


 答えは出ない。


 ただ一つ。


 確かなことがある。


 これ以上。


 阿蘇家の腹を探ろうとするのは危険だった。


     ◇


 広間を出た惟種は。


 しばらく無言で廊下を歩いた。


 宗運も、その後ろを歩いている。


 角を曲がり。


 宗徹から完全に見えなくなったところで。


 惟種は、盛大に息を吐いた。


「まったく」


「はっ」


「細川殿も面倒だが」


 惟種は顔をしかめた。


「公方様も、面倒なことをしてくれる」


「若君のお名前が、よほど使いやすかったのでございましょう」


「勝手に使うな」


「それだけ、若君のお名前に力があるということにございます」


「いらん」


「捨てるわけにもまいりませぬ」


「ならば、公方様へ返してこい」


「返せるものではございませぬ」


 惟種は舌打ちした。


 公方様も。

 晴元も。

 三好も。


 どうして京の者たちは。


 九州にいるわしを、放っておいてくれないのか。


「それとな」


「はっ」


 惟種は足を止めた。


「なぜ、近く京へ行くことになっておる」


「以前より、その予定でございました」


「日取りは決まっていなかっただろう」


「先ほどの若君のお言葉で、いよいよ延ばすわけにはいかなくなりましたな」


「わしの言葉?」


「公方様とのことは、公方様と直接お話しになると」


「言ったが」


「ならば、京へ行かねばなりませぬ」


 惟種は宗運を睨んだ。


「お前が言わせたのだろうが」


「若君御自身のお言葉にございます」


「お前が先に話を整えたからだ」


「助け舟をお出ししたまでにございます」


「は、泥船だな」


「よき舟にございますな」


 惟種は、天井を仰いだ。


「わしは九州で、村々を見て回りたいだけなのだぞ」


「存じております」


「ならば、京の者どもにも伝えておけ」


「何と」


 惟種は吐き捨てた。


「勝手にやれ。わしを巻き込むな、と」


 宗運は、わずかに目を細めた。


「それを伝えるためにも、若君御自身が京へ赴かれる必要がございますな」


 惟種の足が止まった。


 返す言葉がない。


 宗運は、何事もなかったように先へ進む。


 惟種は、その背を睨んだ。


「……勘弁してくれ」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

同作者の別連載
『異世界エンゲージ ~毎日のパック開封でカード使いは帰還を目指す~』
こちらも覗いていただけると嬉しいです。

― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ