第二百三十話 一番顔がよい
天文二十一年(一五五二年) 九月
阿蘇の広間に、三人の男が平伏していた。
いずれも粗末な小袖姿。
百姓とも。
荷運び人とも。
下働きとも見える。
年頃は、惟種と同じほど。
背丈も大きくは違わない。
三人の前には惟種。
隣には鍋島種茂。
少し離れて、島種清も座っていた。
惟種は三人を見た。
次に。
得意げな種茂を見る。
「種茂」
「はっ」
「この者たちは何だ」
「先日、若君より仰せつかりました者たちにございます」
「何を命じた」
「若君に似た者を探せと」
「申したな」
「九州各地から、百を超える者を調べました」
「百も見たのか」
「年頃、背丈、顔立ち、体つき」
種茂は胸を張った。
「その中から、最も若君に似た三名を選びました」
「これが?」
「はい」
惟種は三人を見た。
全員、顔を伏せている。
これでは分からない。
「面を上げよ」
「は、はい!」
三人が恐る恐る顔を上げた。
惟種は黙った。
一人目。
細い顔。
目元は穏やかで、鼻筋も通っている。
なかなか整った顔立ちだった。
二人目。
太い眉。
鋭い目。
顎も広い。
惟種より五つほど年上に見える。
三人目。
背格好は近い。
肩幅も似ている。
だが、顔が厳つい。
山賊の頭と言われた方が納得できる。
惟種は三人を見る。
種茂を見る。
もう一度、三人を見る。
「……わしは、このような顔なのか」
「左様にございます」
種茂は即答した。
「本当に?」
「はい」
「似ているか?」
「よく似ておりまする」
まったく迷いがない。
惟種は種清へ顔を向けた。
「種清」
「はっ」
「そなたは、どう思う」
種清は三人を順番に見た。
「ある程度、似ておりますな」
「ある程度」
「遠目であれば、若君に見えましょう」
「近くでは?」
「別人にございます」
「正直だな!」
種茂が口を挟む。
「近くで見破られぬ者など、おりませぬ」
「それもそうか」
惟種は、また三人を見た。
自分の顔は鏡で見ている。
だが、この時代の鏡は前世ほど鮮明ではない。
自分が思っている顔と。
他人から見た顔は。
少し違うのかもしれない。
「……まあ、よい」
「よろしいので?」
「考えるのが面倒になった」
惟種は三人へ目を向けた。
「名を申せ」
一人目が頭を下げる。
「権太にございます」
二人目が続く。
「勘助にございます」
三人目も頭を下げた。
「歳三にございます」
「権太、勘助、歳三か」
「はい!」
三人の声が重なった。
惟種は腕を組んだ。
権太は顔。
勘助は目元。
歳三は体つき。
三人を混ぜれば、自分に似た男ができるかもしれない。
「種茂」
「はっ」
「三人を一人にできぬか」
「できませぬ」
「即答か」
「人にございますゆえ」
「権太の顔に、勘助の目。歳三の体ならば」
「妖の類になりまする」
「そうだな」
惟種はしばらく三人を見比べた。
そして。
権太を指さした。
「権太」
「は、はい!」
「そなたを採る」
「……おらを、でございますか」
「うむ」
権太が目を丸くした。
勘助と歳三も権太を見る。
種茂が口を開いた。
「若君。三名とも厳選した者にございます」
「そうであろうな」
「影武者は一人では足りませぬ」
「一人でよい」
「病や怪我もございます」
「わしも一人しかおらぬ」
「若君と影武者は違いまする」
「館の中に、わしが四人もいることになるのだぞ」
「若君を含めてでございますか」
「当然であろう」
惟種は指を折った。
「わし。権太。勘助。歳三」
「はい」
「誰が誰だか分からなくなる」
「そこまで似ていないと申されていたではございませぬか」
「今は似ているものとして話しておる!」
種茂は黙った。
「ともかく、一人でよい」
「せめて二人は」
「一人だ」
「なぜ権太なのでございます」
惟種は権太を見た。
「顔じゃ」
「顔?」
「一番、顔がよい」
広間が静まった。
権太は困った顔をした。
勘助と歳三も、どう反応すべきか分からないらしい。
「若君!」
「何だ」
「影武者を顔の良さで選ばれるので?」
「悪いか」
「似ていることが大切にございます!」
「三人とも同じほど似ているのであろう」
「似ているところが違いまする」
「ならば、顔のよい者でよい」
「そのような決め方がございますか!」
「わしとして人前へ出るのだ」
惟種は胸を張った。
「少しでも顔がよい方が、阿蘇家のためであろう」
「影武者が若君より目立ってはなりませぬ」
「わしより目立つと申すか」
「申しておりませぬ」
「申したではないか」
「申しておりませぬ!」
惟種は種清を見る。
「種清」
「はっ」
「権太の顔はどうだ」
種清は権太を見た。
「整っておりますな」
「ほら見ろ!」
「影武者に適しているとは申しておりませぬ」
「同じことだ」
「違いまする!」
今度は種茂と種清の声が重なった。
惟種は手を振った。
「もう決めた。権太を採る」
「……承知いたしました」
「勘助と歳三には路銀を与えよ。米もな」
「はっ」
選ばれなかった二人の顔に。
安堵と落胆が同時に浮かんだ。
突然、役人に呼ばれ。
顔や背丈を調べられ。
阿蘇館まで連れてこられた。
そして、九州探題の影武者になれと言われる。
恐ろしい話である。
だが、選ばれなければ選ばれないで。
若君に似ていないと言われたようで、複雑なのだろう。
「家へ帰り、余計なことは申すな」
惟種が二人へ告げる。
「影武者を探していたことも、でございますか」
勘助が尋ねた。
「申すな」
「顔が似ていると言われたことも?」
今度は歳三である。
「それくらいなら構わぬ」
二人の顔が明るくなった。
「少しくらい自慢してもよい」
「ありがたき幸せにございます!」
「ただし」
惟種は声を落とした。
「わしより顔がよいとは申すな」
「誰も申しておりませぬ!」
種茂が声を上げた。
「種茂には言っておらぬ!」
勘助と歳三は深く頭を下げた。
そして、係の者に連れられて広間を出ていった。
◇
残った権太は、まだ状況を飲み込めていない。
「権太」
「は、はい」
「出はどこじゃ」
「筑後の村にございます」
「何をしておった」
「田を耕し、時には荷を運んでおりました」
「字は読めるか」
「読めませぬ」
「書けるか」
「己の名も、まだ……」
「礼法は」
「存じませぬ」
「馬は」
「荷駄馬ならば」
「剣は」
「薪を割る斧ならば」
「何もできぬな」
権太の顔が青くなった。
「も、申し訳ございませぬ!」
「責めておらぬ。これから覚えればよい」
「おらが、若君のようになるのでございますか」
「わしそのものになる必要はない」
惟種は答えた。
「遠目に、わしに見えればよい」
「遠目に」
「黙って座る」
「はい」
「ゆっくり頷く」
「はい」
「時々、笑う」
「はい」
「難しい顔で書付を見る」
「字が読めませぬ」
「読んでいるふりでよい」
「それならば、何とか」
「分からぬことを聞かれたら、宗運に任せると申せ」
種茂が惟種を見る。
「若君」
「何だ」
「それでは、普段の若君と同じにございます」
「失礼な!」
「大切なことは、宗運殿へ任せておられるでしょう」
「全てではない!」
「少なくはございませぬ」
「宗運ができるから任せているのだ!」
「左様にございますか」
「そうだ!」
権太は二人の顔を交互に見た。
少しだけ。
緊張が解けたようだった。
「権太には、字と算を学ばせる」
惟種は続ける。
「礼法、馬、剣もじゃ」
「はい」
「嫌な仕事から逃げる時の顔も」
「それも覚えるのでございますか」
権太が尋ねる。
種清が頷いた。
「そこは大切ですな」
「種清!」
「若君らしさにございます」
「わしは逃げておらぬ!」
「京へ行く話になると」
「今は影武者の話だ!」
種清は口を閉じた。
だが、わずかに笑っていた。
「樋口へ預けよ」
惟種が種茂へ命じる。
「樋口殿に?」
「虎松、万満丸、又六郎らと一緒に学ばせる」
「立場も年も違いまするが」
「学ぶ内容は同じであろう」
「影武者としての振る舞いも必要にございます」
「それも樋口へ任せる」
「また樋口殿の仕事が増えますな」
「できる男だから任せるのだ」
惟種は少し考えた。
「師匠と小七郎にも、時折見てもらえ」
「剣を、でございますか」
「うむ」
「権太が生きて戻れる程度にと、念を押しておきまする」
「必ず押せ」
権太の顔が、また青くなった。
「心配するな」
惟種が声をかける。
「師匠は悪い者ではない」
「はい」
「剣に少し厳しいだけじゃ」
「少しでございますか」
種清が呟いた。
「余計なことを申すな」
◇
惟種は権太を見た。
「影武者は危険な役目じゃ」
権太の表情が引き締まる。
「わしを狙う者が、そなたをわしと思うこともある」
「はい」
「命を狙われることもある」
「……はい」
「嫌なら、今のうちに申せ」
権太は黙った。
膝の上に置かれた手が、震えている。
昨日まで。
田を耕し、荷を運んでいた男である。
それが突然。
九州探題の身代わりになれと言われた。
怖くないはずがない。
それでも。
権太は深く頭を下げた。
「お役に立てるのであれば、お受けいたします」
「よいのか」
「村には、水路を作っていただきました」
権太は答えた。
「飢えた年には、蔵から米をいただきました」
「……」
「弟も、学校へ通っております」
惟種は目を細めた。
「その御恩を返せるのであれば」
「死ぬ必要はないぞ」
惟種は言った。
権太が顔を上げる。
「危なくなれば逃げよ」
「よろしいのでございますか」
「死ぬために選んだのではない」
惟種は、権太をまっすぐ見た。
「わしも死にたくない」
「はい」
「そなたも死ぬな」
「はい!」
「生きて役目を果たせ」
権太は、もう一度深く頭を下げた。
「承知いたしました」
◇
権太が樋口のもとへ連れていかれた後。
広間には惟種、種茂、種清だけが残った。
「よい者ではないか」
惟種が言う。
「左様にございますな」
種茂も頷いた。
「顔で選んだとは思えぬほどに」
「余計な一言だ!」
「結果としては、よき者を選ばれました」
「初めから分かっておった」
「顔を見ただけで?」
「顔には人柄が出る」
「先ほどは、一番顔がよいからと」
「顔がよく、人柄もよい。何の問題がある」
「後から足されたように聞こえまする」
「気のせいだ」
もちろん。
選んだ時には、権太の人柄など知らなかった。
顔で選んだ。
それだけである。
だが。
結果がよければ、細かいことはどうでもよい。
「せっかく、わしの代わりを務めるのだ」
惟種は、権太が出ていった方を見る。
「もっと立派に育てよう」
「影武者として、でございますな」
「うむ」
惟種は顎へ手を当てた。
「男前にする」
種茂が止まった。
「なぜ、男前にする必要があるのでございますか」
「後世のためだ」
「後世?」
「いずれ、わしの姿を絵に残すこともあろう」
「若君御自身がお座りになればよろしいのでは」
「長く座るのは疲れる」
「まさか」
「権太を座らせればよい」
種茂が目を見開いた。
「影武者を、若君の肖像として残すおつもりで?」
「うむ」
「後世には、権太の顔が若君として伝わりまするぞ!」
「少しくらい顔がよい方がよいではないか」
「よくございませぬ!」
「後世の者には分からぬ」
「我らが分かりまする!」
「そなたらが黙っておればよい」
「そのような話ではございませぬ!」
種茂の声が響く。
種清は、しばらく考えた。
「悪くないかもしれませぬな」
「種清殿!」
「後世に残る若君が男前であれば、阿蘇家の威信も上がりましょう」
「そうであろう!」
惟種が勢いよく頷いた。
「顔で威信は上がりませぬ!」
「分からぬぞ」
「上がりませぬ!」
「ならば、後世の娘たちに人気が出る」
「若君!」
「夢があるではないか!」
種茂は額を押さえた。
京へ行くのを避けるために始まった影武者探し。
九州中から選ばれた権太は。
惟種の命を守るため。
読み書き。
算術。
礼法。
馬。
剣。
その全てを学ぶことになった。
そして。
本人の知らぬところで。
後世へ伝わる阿蘇惟種の顔になるかもしれないという。
妙な役目まで背負わされようとしていた。
「せっかくだ」
惟種は満足そうに頷いた。
「誰が見ても、立派な若君に仕上げよ」
「本物の若君が、まず立派になってくだされ!」
「何か申したか」
「何も申しておりませぬ!」
こうして。
阿蘇惟種の影武者は。
まず本人より立派で。
本人より男前な男を目指すこととなった。




